「第3回 京都ふれeyeブラインドマラソン」みやこさんの完走記です

 春分の日に開催された第3回京都ふれeyeブラインドマラソンで初10km完走しました

 家すぐそこのみやこです。昨年10月から定期的に長居わーわーずの練習会に参加しています。私は小さい頃から走るのが遅くて嫌いでしたが、一昨年から「5km走ればできる」とのことでパラトライアスロンを始めることになりまして、仕方なく(?)ランニング練習を始めました。程なくぼちぼち走るならエイドで休憩しながらも5kmを歩くことなくアクアスロンやトライアスロンを完走できるようになり、また西京極で開催された第1回京都ふれeyeブラインドマラソンでは1kmの部に参加して1位で国際公認の400mトラックでゴールテープを切るというまたとない経験をさせていただきました。

 今回の参加は、まず昨年末に京都在住の知人に「私も出るし」と誘われたのですが、「春の嵐山なんて人が多そうだしちょっと…」とその時は正直乗り気ではありませんでした。でも、もう少し長い距離のトライアスロンに出場してみたいということもあって、今年は10km走に挑戦しようと決心しました。そこで、今年2月初めの定期練習会に来られていたわかさ生活の方に大会の概要を色々お聞きして、1kmの周回コースでエイドが設置されていることや、制限タイムはあるが閉会式が終わるまでにゴールできれば完走させてもらえることを知り、参加申し込みをするに至りました。また、わーわーずのメーリングで伴走者を募集すると、すぐにさぶちゃんが応じてくださいました。

 当日は荒天もあり得るとのあいにくの予報が出ていたのですが、自宅を出るときは雨がやみ、現地到着時は雨が降ったりやんだりでした。でも開会式の頃には雨もやんで明るくなってきました。第1回の時よりもさらに大勢のブラインドランナーと支援者が集まりとてもにぎやかでした。またわかさ生活の方や京都のラジオ局の方なども気さくに声をかけてくれました。雨天が予測されていたため中止になったイベントがあったりブルブルくんやアイアイちゃんのマスコットがいなかったのが少し残念でしたが、今回の会場が屋根のない公園なので仕方ありません。その分さらに(?)大会関係者の皆さんとてもフレンドリーでした。

開会式の最後に参加者全員集合して写した写真です。

 さて、私の初10km走ですが、ICチップのついたぶかぶかのゼッケン兼ビブスを着用しました。伴走ロープは「きずな」と呼ばれていて当日貸出もありました。嵐山東公園のコースは概ね平坦で、スタート時にはコースの幅に対してランナーが多く、少し走りにくかったですが、しばらくすると徐行する頻度は少なくなりました。もともと1km6分半くらいでイーブンペースで走りたいと思っていたので焦ることはありませんでしたが、時々さぶちゃんに伴走ロープで引っ張って行かれそうになりました(苦笑) 少しペースが落ちた場面もあったようで、途中でラップを教えてくれたりしました。また、コースの到るところで声援を送っていただき、大変励みになりました。雨で濡れて冷えることも想定していたのですが途中で日も射してきて少し蒸し暑いくらいでした。エイドで3回休憩しましたが、最後の1周はペースを上げて走ることもできました。ゴール後には写真撮影やインタビューなど、個々のランナーに対し心に残るような祝福をしていただきました。また閉会式の後はお楽しみのコミュニケーション会(アルコールは出ない)を催してくださいました。他地域のランナーや支援者の方々とお喋りをする時間を持てました。

みやこさんと伴走さぶちゃんがゴールマットを踏む瞬間の写真です。

 第4回大会は来年4月に亀岡に建設されるあたらしいスタジアムで開催予定とのことで、大阪からは少し遠くなりますが駅のすぐ近くとのことです。エントリー料は高くないですし、主催者側でも伴走者を確保している等、誰でも参加しやすいような準備をしてくださるのでまた多くのランナーと参加してみたいと思っています。

「第3回 京都ふれeyeブラインドマラソン」ガイド平野さんの参加記です

10キロの伴走で参加しました。

「視覚障害者京都マラソン大会」が3年前の2016年2月の第33回大会でもって終わると知ったときはショックでしたが、このように、名称は変わりましたが、実質同じような大会が続いていることは嬉しい限りです。
名称が変わって、主催が角谷建耀知(かくたにけんいち)財団になっています。恥ずかしながら最近まで、そのお名前を知りませんでした。ブルブルくんと並んでピースサインを出して写真撮ったりしてたのに(笑)。
わかさ生活の創業者であり社長さんなんですね。

私にとって「わかさ生活」と言えば、この大会を除けば、甲子園球場のスタンドに広告看板が確かあったな、というのが一番に思いつく接点です。その程度の理解ですので、わかさ生活さんがなぜこのような大会を厚く支援されているのか知りませんでした。先の「視覚障害者京都マラソン大会」に、たびたび参加させてもらってはいたのですが。

それを知ったのは図書館で借りた本、『角谷建耀知 人生は蒔いた種のとおりに実を結ぶ』を読んでです。
第1回大会のとき、視覚に障害をもつ近所のランナーさんを誘って参加したのですが、そのかたに主催者について説明できるようになっておくために読みました。本を読んで、角谷建耀知さんとブラインドマラソンのつながりがわかりました。それだけでなく、いろんな意味で得るものいっぱいの一冊でした。

そこで、この本を簡単に紹介したいと思います。角谷建耀知さんと視覚障がい者マラソンのつながりがどこにあるのか、のみならず、この大会の魅力を伝えるよい方法だとも思うからです。

かなりやんちゃなガキだったようです。私が、じゃなく角谷建耀知さんがですよ。
6歳のときに親が離婚して、父親に、また母親にも見捨てられるかのように立ち去られてしまいます。そして、おばあちゃんに引き取られます。おばあちゃんには、弱い立場でも負けずに強く生きなさい、という方針で育てられました。そのおかげか、貧しい生活をあざける周囲からのイジメに屈することなく、負けん気の強い子に育ったそうです。
小学校4年の夏、それは起こりました。その後の人生を変えるできごと。
当時流行っていた仮面ライダーの真似をして、自転車で川を飛び越えて「ライダージャンプ!」でキメるという遊び。仲間にカッコイイところをみせようと勇んで挑んだところ、ジャンプを失敗して大転倒。顔面血だらけになります。「大変や」「病院いかな」と心配する仲間に「大丈夫や」と強気でこらえたものの、そのあとすぐ血を吐いて気を失う事態に。

病院のベッドで一週間、意識不明。しかし奇跡的に生還。意識を取り戻します。
クモ膜下出血との診断。頭部を切開しないと損傷度合いも把握できないと説明され、しかもその手術は年齢的に無理でした。退院して家に帰りましたが、元の状態に治るわけではありませんでした。それ以降、頭痛が日常茶飯事になり、視野の中心に見えないゾーンができました。運動は禁止。倒れるほどの激しい頭痛に見舞われもしました。

貧しさに加えて病の苦。多くのことに耐えながら大学生になります。この頃から広く普及しはじめたMRIで精密検査を受けると、大変。脳腫瘍があって、すぐに入院、すぐ手術が必要と診断されてしまいます。このままでは命が危ない。手術すれば半身不随や言語障害が残るかもしれないけど命は助かる、と告げられてしまいます。ただ、ただ、途方に暮れるばかり。大学生活がさぁ始まるというときに、夢も希望もなにもかも消されてしまいました。

17時間におよぶ命がけの大手術を受けて、ふたたび生還。しかし、この手術で視野の右半分を失いました。
これまでは前向きの楽天的な思考で幾多の困難をも乗り切ってきましたが、術後に立ちはだかった現実はあまりに厳しく、ついには絶望感がまさって自殺を考えるようになりました。そして自殺未遂をおこします。屋上からの飛び降り。フェンスを乗り越えて、あと一歩のところで看護師さんに引き戻されました。

生きることを説得する先生の、その真剣なまなざし、真摯な言葉に心揺さぶられます。『もう一度がんばってみよう』、自分のためにこれほど一所懸命になってくれている人がいるんだから。乾いた心は涙で潤されて、温かい気持ちを取り戻しました。
それからはリハビリに励み、気力で病と闘い、なんとか退院できるまでに漕ぎ着けました。
「一度は死にかけたのだから、死ぬ気になったら何でも出来る。頑張れよ!」と先生から言葉をかけてもらって病院をあとにします。

しかし、退院したものの迎えてくれる所はありません。休める状況でもありません。奨学金百万円の借金かかえて寝床と職探しからです。
寝場所は友達を頼りました。職探しに街を歩くと、視界が狭いため人とぶつかってばかり。そのたび謝って、時にはどつかれもして。手術後の風貌が不気味だったので、なかなか雇ってくれません。ようやく得た職場では気持ち悪いと言われて屈辱を受けます。理不尽な解雇。過酷な現実に直面して絶望感に打ちひしがれ、またもや自殺未遂をおこします。線路内をぼんやり歩いて寸前のところで。

生きていく力をもらったのは、今度は友達からです。職場でうけた屈辱に対して、友達が代わって怒り心頭に発する抗議をしてくれたことが力になりました。そして、もう死ぬことは考えずに、再び頑張ることを心に強く誓いました。

職を変えて今度は英語教材の飛び込みセールスをしました。ここで営業職を学び、次に販売セールスの会社で働きはじめました。出来高制で、新米には販売機会がないのですが、ひたむきに取り組んだ掃除とお客さんの名前暗記と挨拶とふれあいだけで、営業成績をあげていきました。物を売ることのコツを習得しました。さらに、不信感をもっていた健康器具の販売に対しても、自らの頭痛が磁気枕によって本当に緩和されたという実体験を通して、本心から商品をおすすめできるようになりました。自分がつらいからお客さんのつらさもわかる。これこそ天職じゃないか!と一層うちこみました。

――ここでいちど本から話を戻しますと、
この辺りからビジネスの苦労話が続くのですが、サクセスとはほど遠く、読み進めていくと残りページはどんどん少なくなっていくのに、踏んだり蹴ったりな展開ばかり。甲子園球場のスタンドに看板を掲げるまでになったわかさ生活さんの起業はいったいどこから?と読んでるこちらが不安になってきます。
で、本のページでいえば9回裏2アウトあたりから、やっと――。

目の健康によいと注目されているブルーベリーと、視覚に障害をもつ自身の経験をかけあわせたビジネスを興す機会を得ます。ゼロからのスタートが始まります。ブルーベリー、目薬の木、八つ目うなぎ、ビタミンA、βカロテン、ポリフェノール、フラボノイド、目によいと言われているものがいろいろあるけど、どれが本当にいいのだろう、自分ならどれを選ぶか、そうだ全部だ!全部をひとつにまとめて最高の商品をつくろう!自分が絶対に自信をもって売れるものを世の中に広く届けたい。
商品開発から手掛けて、平成10年、「みんなに若々しく健康的な生活を提供し、最高の逸品(商品)を全国にお届けしたいという願いから「わかさ生活」を設立し、ブルーベリーの通信販売を始めて、軌道にのせました。

「君は目にハンディがあるんだから、目で困っている人のために頑張ったらどうだい?君はそのために生まれてきたのかもしれないよ」
筋ジストロフィーと闘いながら頑張る先生から言われた言葉を天命と感じて、視覚に障がいを持つ人のために尽くす道をすすまれています。

というのが、この本のかいつまんだ内容です。粗っぽくまとめ過ぎてますので、関心を持たれた方はそれぞれでご一読をお願いします。

大阪市の図書館には蔵書8冊ほどありました。サピエの資料詳細ページはこちらです。
https://library.sapie.or.jp/cgi-bin/CN1MN1?S00101=J00DTL04&S00102=W8b4pi!pzYz&S00103=7FHKp8R13t&S00221=66340368&S00222=3332763&RTNTME=113854297

この大会では、以前から、大きな声で名前を呼んで応援してくれる点が人気です。
知らない人から呼ばれて、こっぱずかしく感じたり、もするんですが、それ以上に響くものが心にずっと残るんですね。その声が真摯だから。一直線で迷いのない掛け声だから。
それと重なるものが本に書かれてあり、私はそこでじんときました。

今大会は天気が心配されてました。週間天気予報で確認したときは降水確率90%でした。
それが徐々によくなって、スタートのときに雨はあがって、晴れ間がのぞくほどに。
今大会に参加して、走って、楽しんで、食事して、楽しいこと沢山ありましたが、やはり強く印象に残っているのは、あの朝の雨あがりです。そして、大会に関係する人たち全員で、その喜びを共有できたことが嬉しいです。

また次回も楽しみにしています。

追記:
大会当日の様子は、わかさ生活さんがこちらのページでまとめられています。
https://www.blueberryribbon.jp/blank-8

「第1回 京都ふれeyeブラインドマラソン」まーやんさんの伴走記です

朝方まで雨が強く降る祝日、京都ふれe y e ブラインドマラソンに参加させていただきました。
京都に着いた頃には青空になり、色づく樹々がお日様にあたってきれいでした。
今日は、はなてんちゃんの伴走です。
レースでの伴走経験ほとんどない私でいいのかなーー、と、お返事するまで悩んでいましたが、今日の伴走は 学ぶことがいっぱい。
いいペースで走ることができ、ゴールした時には なんとも言えない感動と達成感でした。

伴走をしていていつも思うことですが、独走の時には ほぼ感じない、段差や、でこぼこ、カーブや溝蓋やアップダウン、タイミングよく、お伝えするのは、ほんと難しいです。
今日のコースは、結構走りづらい箇所がたくさんあり、7周回というのが、とってもいい練習になりました。

参加者少ない大会ですが、弱視女子の部1位で、伴走の私も一緒に表彰していただきました。

帰り際に「初伴走、完走おめでとー」と、はなてんちゃんのメダルをプレゼントされ、嬉しすぎた1日でした。

まだまだ経験不足、頼りないガイドですが、大阪での伴走に勇気とちょこっと自信をもらえ、充実の日になりましたーー

はなてんちゃん、ご一緒していただいた わーわーずのみなさん、応援していただいた皆様、ありがとうございました。

「第1回京都ふれeyeブラインドマラソン」なつみんさんの完走記です

 11月23日、西京極総合運動公園で開催された、第1回京都ふれeyeブラインドマラソンに参加した。
この大会は2016年を最後に終了してしまった京都視覚障害者マラソン大会の復活を求めるたくさんの声から生まれた大会だ。
復活と言っても全く同じことをするわけではない。
よかったところは引き継ぎながら、問題点を少しでも改善しようと考えられた大会だ。
 さて、今回の私の伴走は立命館大学の日野さんだ。
10キロにエントリーして優勝を目指す。
スタート前に突風が吹き、計測器のトラブルなどでスタートが15分遅れた。
スタートしてトラックを2周と少し回って外周コースへ。
この外周コースを7周回ってまたトラックに帰ってきて直線を走りきったら10キロだ。
トラックから出た段階で私の前には男性が二人。
外周に出てからもう一人に抜かれたが、その人を3周目に抜きかえしてあとはひたすらゴールを目指す。
外周は1周1.25キロなので走っている間にたくさんのランナーと声を掛けあうことができて、苦しいときには元気をもらった。
最後まで女性のトップを守りきり思わず両手を上げてゴールした。
 優勝おめでとうとたくさんの人に言ってもらえたのはうれしかったが、それ以上に他の選手たちが楽しそうだったのが印象に残った。
選手としてだけではなく裏方としてもやってきて本当によかったと思う。
また来年開催する時にはたくさんの方々に参加していただけるように私も多少なりとも役立ちたい。


以下、編集により追記。
10キロの部、入賞者の集合写真です。

大会主催者「一般財団法人角谷建耀知財団」さんサイトの
大会紹介ページはこちら。
https://www.kakutanikenichizaidan.com/blank-8

「第1回京都ふれeyeブラインドマラソン」なおちゃんの完走記です

思い出の西京極で開催された京都ふれeyeブラインドマラソンで3km走りました。
伴走は、わーわーずに入った時からずっとお世話になっているTさんです。

私の初レースは、同じ西京極で開催されていた視覚障害者京都マラソン大会の3kmで、今回も同じ3kmでした。
どうなるのか見当もつかないまま会場に到着しました。

開会式で京都光華女子中学校・高等学校のブラスバンドの演奏を聞いている時からTさんは笑わせてくださって、それほど緊張することなくスタートしました。
ゲストランナーのわかちゃん(若林順子さん)とも話しました。

スタート前は寒かったのですが、走り出したら日が当たって暖かく、半袖で正解でした。
さぁ今回はスイッチが入るのかどうか…
最初は久しぶりの走路でマンホールなどが気になり慎重に進みましたが、途中から私なりにスイッチが入りました。
と言っても、身体が重くて必死でした。
走る前にエネルギー摂りすぎたかな(笑)。
すれ違う人に名前を言うのも苦しかったです。
とにかく周りのことは気にせず前進するのみでした。

もうすぐ最後のトラックに入る頃、3km女子弱視の部で表彰されるだろうということがわかり、給水はせずに最後まで頑張ることに決めました。
タイムは19分7秒、初レースより25秒早くゴールしました。
そして、3km女子弱視の部で優勝しました。
練習不足だったのに嬉しいです。
Tさんはお楽しみ抽選会でブルーベリーアイドリンクが当たり、思い出に残るレースになりました。

視覚障がい者が気軽に参加出来るこの大会、今後も是非開催して頂きたいと思います。

アフターはコミュニケーション会に参加し、その後久しぶりに近くの喫茶店へ。
和やかに一日が終わりました。
西京極のブラインドマラソン大会はやはり特別です。
今回もわーわーずにいて良かったと感謝の気持ちで一杯になりました。
皆さん一日ありがとうございました。


以下、編集により追記。

●大会からの写真2点。
 閉会式のあとと、コミュニケーション会での写真です。

大会からの写真。競技場での集合写真。

大会からの写真。コミュニケーション会での集合写真。