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☆ハルちゃん

わーわーずでの10ヶ月 ハル(河野 晴美)

初めて私がわーわーずに参加させて頂いたのが2008年12月14日!
あれからたったの10ヶ月(笑)
もうすでに、こんなにわーわーずの皆さんに仲良くして頂いてすっかり仲間入りさせていただいております。

初めて参加したときは、フルマラソンは、命からがら走る程度の走力だった私。
伴走なんてできるのかどうか、とっても不安ながら参加したのを覚えています。
そこに、追い打ち!
練習前のミーティングでのこと。
那覇マラソンなどの大会が終わった直後だったのでミーティングでは、みなさんの好結果の報告が続々と。
「念願のサブ4しました〜」とか「サブ3できました!」など。
もう初参加の私とむ〜ちゃんは、顔を見合わせて、「ど〜しよ〜」とアイコンタクトを交わしていました。

初めての伴走は、サケもっとさんでした。
どうしていいか、右も左も解らない私に優しく丁寧に教えてくれて走りながらのトークでは、私の緊張を和ませてくれました。
伴走って堅苦しくなくっても大丈夫なんだ!
と思えて気楽になれたのが大きかったですね。
今でもわーわーずに参加できている理由かも知れません。

そして早速、その次の練習会にも参加しました。
練習会のあとは、福山楼デビュー☆
な、な、なんとそこでは、わーわーずのわーわーぶりを目の当たりにしました(笑)
しかし何故か、このわーわーぶりにアレルギー反応も出ることなく今に至っております。

そのとき、関東から来られてたじゅんたんさんが、わーわーずの気さくなところを熱心に語っておられてわーわーずって素敵だなと感じました。

そして楽しいからというだけで参加していたわーわーず。
気づけば自分自身の走力もアップしていました。
以下、この10ヶ月のハルの成長です。

わーわーずに来る前の那覇マラソン
4時間29分18秒(ネットタイム、2008年12月7日)
先日の北海道マラソン
3時間59分22秒(ネットタイム、2009年8月30日)

おかげさまで10ヶ月で、30分もタイムが縮めることができました。
ほんとわーわーずでは、走力をつけてもらって感謝しています。

ようやく長居公園では、ちょっとこましな伴走が出来るぐらいになってきました。
でもまだまだヘタッピ伴走者ですね。
もっと上手くならないとなりませんね、みなさま色々教えてください。
こんな私ですが、どうぞこれからもよろしくお願いします

☆岩合高さん

 "わ(輪と和)で走る 長居の空に 鱗雲"
−わーわーず10周年記念に−       岩合 高

自分に言い訳を始めたのはこの1〜2年です。
それまで一人で走り続けてきた練習が辛くなり始めたのです。66歳後半から何かと理由をつけて走ることから逃げるようになりました。そして逃げたことへの後悔の連続でした。
走った時はそれなりの満足感を感じたにも拘らずです。そこで当時は機会を見つけては強制的に走らざるをえない立場に自分を追い込みました。例えば市民マラソン、海外マラソンへエントリーし練習せざるをえないところに自分を置く。またある大学のジョギング教室への参加。はたまた香辛料として走る仲間とタイムを賭けることまでしました。
定期的に走る場をとランニングクラブへの参加も考えたのですが、時間的に合わず不可。自分を追い込んで走るのではなくもっと楽しく走る場を探している時にたまたまわーわーずの存在を知りました。
始めての見学の時に遅い自分でもよいか気になっていたのです。実際に見せて頂きいろいろのレベルがあり何とかいけそうとの感触を得てその次から参加することにしました。
伴走にはいつも相手がいます。一人なら辛くて歩きそうな時でも何とかと頑張ります。これが刺激になり自分自身に良い結果をもたらします。
大きなご迷惑を掛けることも無く長居では走ってきましたが、一度10kmの大会に出たことがありました。そしてブラインドの相手の方にいくつか迷惑をかけてしまいました。人数が多いために他のランナーにぶつかったり、混んでいて路肩の低い段違いに外したりと申し訳ないことをしました。ただ終わった後は得も言えぬ爽やかな満足感を感じたのを覚えています。
 わーわーずのような走る場を頂き本当に皆さまに感謝しています。一人で走る辛さを一緒に走る楽しさに変換できます。
申し訳ありませんが小生は自分のために長居に参加させてもらっています。
 本当にいつもありがとうございます。

"公園に 走る仲間と 赤トンボ" 


☆星野恒行さん

「わーわーず」との出会い

 平成18年4月、東京(葛西)への単身赴任をきっかけに、土・日の暇つぶしにジョギングを始めた。葛西臨海公園までの往復もすぐに飽きてしまい長くは続かなかった。夏休みに大阪に戻った際「淀川市民マラソン」の開催を知った。2ヵ月半あれば何とかなると思いすぐに申込み、トレーニングを再開した。結果は苦しさに顔をゆがめ、足を引きずり悔しさいっぱいのゴールだった。途中で二人一組で楽しそうに走る人がいることに気付いた。視覚障害者の方と伴走をする人だった。その後の大会でも同様の光景を目にし、いつしか自分も一緒に走って見たいという気持ちが芽生えた。

 平成20年11月、福知山マラソンへ申込みをしたとき「伴走者育成研修会」が大会前日に開催されることを知りさっそく申込んだ。3時間足らずの研修だったが強烈な印象が残った。いま自分が視覚障害者になったら伴走してもらっても怖くて走れない。伴走する側は細心の注意を払い、安心して走ってもらうための配慮が必要なことを思い知った。研修会終了時に渡された視覚障害者練習会リストで「長居わーわーず」のことを知り、平成21年2月より参加させてもらうことになった。
 二人で走ることの楽しさと自分自身への励みになることを知り、いつの日かサロマ湖で一緒に走ることができる日を夢見るこの頃となった。

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