本大会で1500m男子T11クラスの日本記録(4'47"14)を更新(4'46"23)された、谷口真大さんのレポートです。
第15回関東選手権レポート
7月4日、私は東京都町田市にて行われた、第15回関東選手権陸上競技大会に出場してきました。
以前もメーリングリストで紹介させてもらい、皆さんからたくさんのメッセージをいただきました。ありがとうございました。そこで私は今回、初めてレポートを書かせてもらうことにしました。見苦しいものではありますが、どうかお許しください。
大会当日、いつものように私はけたたましい目覚ましにたたき起こされました。と言うよりも、私の目覚ましで起きた母親の「もう起きなあかんのちゃうん?」という声に起こされたと言った方が正しいでしょうか。日曜日の朝っぱらから家を震わすほどのやかましいアラームは、自分の知らないところで、すでに3回も猛威を振るっていたようで…
時間は5時15分を指していました。おっとっと、今日は大学じゃなかったと気合を入れなおして荷物の確認。ぼやっとしながらリビングに行くと、なんとまぁ父親までも起きていました。「なんでそんな早起きなん?」とどうも気に障ることを言ってしまったようで・・・見送りは極めて乱暴なものでした(笑)。
そんな雰囲気にもお構いなしに、比較的気分良く家を出発し、駅に行く途中のローソンで朝ごはんのおにぎりと飲み物を購入。種類がやたらとあったので、途中で「なにが一番おいしそうですか」と聞くと、おおよそバイトの夜勤明けが近く、眠気がピークな大学生は「ツナマヨですかねぇ」と、いかにもめんどくさそうに答えます。しかし、朝からしつこいものは食べたくありません。結局、何のために言わせたのやら「高菜と鮭で」と言って店を後にしました。
神戸空港から飛行機に乗って羽田まで1時間。今度は私が眠気のピークになる番だったようで…、しかしさっきの罰が当たったのか一向に眠れません。「お客様の安全のためにシートベルトを」という言葉を何度聞いたことでしょう。結局一睡もできないまま、東京の地に降り立ちました。そこからは私鉄とJR、おまけにバスを乗り継いで1時間半。空港ではいくつか聞いた関西弁も、電車に乗る頃にはすっかり関東弁に溶けて消えてしまっていました。しかし、横浜駅の人の多さには改めて驚かされます。6年間こちらで住んでいたのがうそのように人込みの免疫は消えうせ、圧倒されました。それもそのはず、なぜなら普段は歩いているだけで鶯の声が聴こえる大学に通っているのですから。
競技場近くのバス停で伴走者の方と合流し、一緒に競技場まで向かいます。今回伴走してくださったのは日本大学陸上部の池澤さんという方で、以前アジアユースの大会でも一緒に走ってくださいました。1500メートルを4分を切って走る池澤さんには、とても頭が上がりません。
1時間ほど休憩した後にぼちぼちとアップを開始です。昔は前夜を含めてこのときになると緊張していましたが、最近では良い意味で大会慣れをしたのか、それほどでもなくなりました。事前の調整がほとんどできていなかったのが少し気になりましたが。しかし走ってみると足は軽く、今日は調子が良い方だと思えるほどでした。あとはペースを崩さないことが今日の目標です。5月の長居競技場での失敗を繰り返さないためにも、今日は特にペース設定に集中する必要がありました。1周80秒で5分ちょうど。78秒では4分53。これではいけません。77秒だと4分49。これで行こうと決めていました。それでラスト1周、上げれるだけ上げようと。伴走者の方にも「今日調子良さそうだねぇ」と言ってもらい、少し自信がついたところでコールへ移動。5組目だったため、スタートに移動してからもだいぶ時間がありました。その間にも梅雨明けを間近に控えた太陽の光はぎらぎらと、まるで下界をあざ笑っているかのようにランナーの体力を奪っていきます。100メートルでペースを作る練習をし、ちょうどで行ったところで体もそれにぴったりはまった気がしたので「これで行きましょう」と言ってスタートに立ちました。この感覚をつかめたときはうまくいくことが多い、そんな感覚があるのです。
ピストルの音で周囲の静寂が一気に打ち破られます。まずは直線、いくつかの足音と併走した後、カーブを終えて200メートルを迎える頃にはそれも分散し始めます。それに続いて、1周目を迎える頃には私の意識も周りに気を配るほどの余裕がなくなってきました。「77この調子!」。400ごとにタイムを読んでもらうことにしていた伴走者の方からぴったりのタイムを告げられました。右手の方からは、附属盲学校の原田先生がラップを読んでくださっているのもしっかりと聞きました。
さぁここからが本当の勝負です。2周目落とすことやったら誰にでもできる!その時の自分はそれしか考えていなかったのではないでしょうか。やがて1周半の600メートルに差し掛かる頃には、足が重く、息が切れてきました。この1周が終わればあと300メートル走ってラスト1周。頭の中にトラックの形とこれから走る道のりが思い浮かびます。「はい77、いいよこの調子!」ここで安心してしまったら負けや!きっとそんな思いだったのでしょうが、なにせこの辺にくると記憶も曖昧で…、疲労を気持ちだけで何とか走っていたように思います。
ラスト1周を知らせる金の音が、やや低くなりながら後ろに飛んで行くのを聞きながら、ここからはスパートです。この距離ならば意識して上げても最後まで気持ちで逃げ切ることができる、いつしかそう思えるようになっていました。
「はい77ラストッ!」大きな声がまた一つスピードの段階を上げます。残り200は、あとはもう気合です。何を考える余裕もなく、ただただ足を最大限に動かすだけ。右手がやや後ろに引かれ、一瞬の後にゴールを踏み越えたことを感じた体から一気に力が抜けていきます。
「4分46、日本記録じゃん」と言われても、トラックのどこかに考える働きを落としてしまったようで・・・すぐにはぴんときませんでした。500のアクエリアスを一気に飲み干し、やっとのことで追いついてきた思考と再会しながら、改めて4分46.23というタイムを聞いた時には、嬉しさというよりもびっくりする方が先にあり、それに遅れて嬉しさを感じました。
いつも皆さんには応援や練習にお付き合いいただいたりと、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。皆さんの力を借りることができなければ、この日この走りはできなかったということに、書いている今も改めて感じています。それは7月4日の大会だけではありません。今日の練習ができたのも皆さんの支えがあったからです。そう考えると、陸上も苦しいことばかりではありませんね。個人競技は「心の中のチームプレイ」なのかもしれません。
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