つきちゃんのレポートです。
村岡ダブルフルウルトラマラソンに完走して!
9月25日朝4時宿を出て、スタートまでの送迎バスに乗った。しかし、仲間は誰も乗っていないし、乗ってこない。しばらくして、仲間が探しに来てくれた。私達は、前日車で村岡町の宿に到着したものの、スタート地点までは、てっきりバスで行くものと思い込んでおり、やはり初ウルトラで、相当のプレッシャーがあったのだろう。(いや、ボケただけ?)
スタートまでは、とにかく寒かった。ゴミ袋をかぶり、5時のスタートを待っていた。気持ちは高ぶるものの、スタートに立てたことのうれしさが込み上げるのと果たして完走できるだろうかと思う不安が入り混じっていた。(いや、寒かったことしか覚えてない?)
スタートから5キロくらいは平坦なコースで快調な滑り出し、5キロを過ぎてからゴールまでは、ずっとアップダウンのコースであった。沿道の方の応援は励みになったことはもちろんですが、エイドの手作りの食べ物や飲み物には大きな力を貰い、距離を稼いでいきました。
最初のアクシデントは、20キロ過ぎ、外反母趾対策のためにテーピングをしていた足の裏のテープがすれて足の裏の皮がめくれてしまったのです。痛くて、痛くて、走るどころではなくなってきました。テープをとり傷テープで応急処置をして、再び走りだしました。痛さをこらえながらのランは、初めての経験でもあり、更に、登ったり下ったりして、7つの峠を越えていくのは、想像以上のものでした。特に、下りのランが続き、太ももの前の部分が悲鳴をあげだしました。その痛さは、半端でなく、足裏の痛さが感じない程でした。
最初の関門では、2時間以上の余裕を持ってのタイムで通過しましたが、後ゴールまで9キロの最後の関門では11分前ときわどくなっての通過でした。
最後の関門を通過してからは、なんとしても完走したいと思う気持ちが、私の中で大きく、強くなってきました。最後(後ゴールまで2キロ)のゆるやかな下りは、キロ5分代での力走になりました。まだ、こんな力が私に残っていたのだという感動、しかし、それまでに痛めていた太ももは、とうに限界を超えていたのでしょう、無理、無理と言っているのがわかりましたが、無我夢中のランになりました。
一緒にずっと支え走ってくれたワーワーズの仲間3人、そろってゴールをした時は、嬉しくて涙が止まりませんでした。気がつけば、大声で泣き、感動のゴールを果たした仲間と抱き合って喜びを分かち合っていました。
思い返せば、様々な事があり、思い出に残る事ばかりですが、初めて完走したウルトラマラソンの88キロは、一生忘れられない宝ものとなりました。
わたしの記録 13時間36分37秒 順位35位(50人中)
(以上)
第14 回全国視覚障害者駅伝大会inつま恋 の大会サイトは こちら
です
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