第5回神戸マラソン 宗平さんの完走記です

今日は第5回神戸マラソンに行ってきた。
昨年の福知山マラソンからちょうど1年ぶりのフルマラソンだ!
神戸は学生時代の6年間過ごした地であり、まさかその10数年後にそこを走っているなどとは考えもしなかったことなので、実に不思議なものである。

今回の伴走は平日練習で大いに鍛えてもらっているゆうさんだ。
なかなか手厳しいことも言うけれど、たいへん頼りになる存在なのだ。

朝9時。スタートはしたが、18000人が走るため、僕のいるFコーナーが出発できたのは13分後。
その後も団子状態で最初の1キロを通過するのに9分かかるという状況であった。
これはこれで、最初に飛ばしすぎるのを防げて個人的にはありがたい面もある。
しばらくはずっとこんな感じかと思っていたら、少し団子が解消してきたのか、ゆうさんのロープさばきがうまいのか、3キロを過ぎた辺りから、それなりに進めるようになってきた。
沿道にはかなり大勢の人が、温かい声援を送ってくれ、その声援も途切れることがないので、一体何人の人がエールを送ってくれているのだろうと思うくらい、なんともありがたい限りだった。
今回の目標は1キロ6分半のペースで最後までいってなんとか4時間半あたりを目指すことであったが、この辺りから6分半のペースで進めるようになってきた。
この秋は、山城・万灯呂山マラニックに始まり、わーわーずや神戸の方との神戸マラソン試走会、かもぱの姫路合宿と30キロぐらい走るマラニックにも参加させてもらったので、どれだけ持久力がついたのか楽しみだった。

三宮・元町・神戸を過ぎると、道が狭くなり、しばしば団子状態になった。
パンダちゃんのランナーについていって、7キロ地点で新長田駅を通り、巨大な鉄人28号に迎えてもらった。
「よし、この辺りでエイドがありそうだから、バナナでももらおう」と思っていたのだが、まだエイドはないらしい。
その後も、快調に走ったり、団子に入ったりを繰り返しながら、須磨に入ったようだ。
やはり老若男女のみなさんがエールをくれたり、太鼓やならしもので応援してくれたり、子供やチアリーダーのエネルギーをもらったりしながら、いつぞや国道2号線を、JRと山陽電車に囲まれながらそれなりにペースを保って、海の風を感じながら快走していた。
この辺りは試走会で走ったなぁという記憶がよみがえる。
ゆうさんが僕の手をとって、「宗平さん、手を右に出してみて」というので、そうしてみたら、沿道のみんなも手を出してくれていたようで、順にタッチしてくれた。
これは面白いよね!
「3番目の人の手はえらい大きかったなぁ」と聞いてみたら、「あれは猫のぬいぐるみやった」とのこと。
なるほど、いろんなのが応援してくれてるわけね。
そのままパチンパチンとタッチを楽しんでいたら、前にランナーがいたらしく、その人の背中にはい、タッチ、なんてこともしてしまったけど…。
ふと、「泥棒さん頑張ってー!」という声が何度か聞こえる。
ゆうさんに「泥棒って何やろねぇ?」と聞いてみたら、泥棒の格好で走っている人が近くにいらっしゃるらしい。
と聞いた瞬間、「泥棒です。頑張りましょうね!」と声をかけてくださった。
泥棒というにはかなり優しそうな人だった。

垂水の辺りまで来たらしいけれど、まだエイドがない。
密かに楽しみにしてるのに、そう簡単には食べ物を出してもらえないようだ。
ときどき、ブラインドランナーの人を見かけては声をかけて励まし合った。
わーわーずの方にも会ったようだけれど、どなただったのかわからなかったなぁと思っていたら、たくちゃんと、ブラインドの方がどなたかわからなかったのだが、お会いできて嬉しかった。
今回は、「伴走さん、頑張って!」という声も幾度となく聞いた。
今まではあまり聞いたことがなかったのだけど、少しずつ伴走というものが認知されてきたようで非常に嬉しい話である。
ゆうさんも、そんなふうに言ってもらえて、なかなか嬉しそうやった。

おっ、いよいよ折り返し地点の明石海峡大橋が近づいてきて、ただでさえ大勢の応援隊がなお一層手厚くなっている。
「応援もありがたいんやけど、そろそろ腹がへってきたので、食べ物のあるエイドを開いてくれ。折り返しまでに一カ所もエイドなしはいくらなんでも…」と心の中で唱えていた。
前半はなかなか快調に楽しみながら走れているぞ!
少し腰の辺りが痛くなってきたけれど、まだまだいける。
そのとき、ようやっと、待ってましたのエイドが現れた。
本日一本目のバナナなり(朝ご飯にも食べたから2本目かもしれないけど)。
チョコパンももらったのでエネルギーが補給された。

その後、また沿道に手を出して、何人かの人とタッチを交わして大いに元気をもらった。
勢い余って、気づけばその手を前のランナーのおっちゃん(だと思う)の脇の下へと入れてしまっていた。
えっらい汗かいてはる。
失敬しました。
それにしても、天気予報では雨の心配をしていたのだけれど、雨は家から駅まで降られた程度ですんだのだけれど、天気予報に反して、どうも陽射しがきつくてなんでやねん!
おまけに、海岸沿いはビル街とは違って、陽射しの影響をもろに受けるので、体感温度的にはちと暑くて、なかなか厳しい様相を見せてきた。
だからというわけかどうかは定かでないが、エイドの間隔が狭くなってきて、先程食べ損ねたどら焼きをもらい、走り出そうとしたとき、元気な声が呼びかけてくれていた。
なんと、おけいはんさんである。
やはり、知ってる人に会うとそれだけで嬉しいし、お互いに目標を言い合って、エールを送り合うのも実に楽しいものだ。

30キロの辺りにきた頃だろう。
ゆうさんが「宗平さん、ちょっと疲れてきてるやろ」と聞いてきた。
まさにズボシである。
腰だけでなく、ふくらはぎも膝も痛くなってきて、後12キロが途方もなく長く感じられてしまうというのが正直なところだ。
1年前の福知山のときも「30キロの壁」が大きかったが、やはり今年もまだまだその壁は手強かった。
まだまだ持久力が足らず、修行不足を痛感してしまう。
そんなとき、エイドでいただいたみかんの酸味がなんともおいしかった。
その横のおっちゃんに手を出すと、塩昆布をどっさり乗せてくれた。
そして、塩飴をもらったのだが、僕は飴はかまずにずっと口の中に入れておきたいもので、これがその後の苦境との良きパートナーとなってくれた。

30キロ付近ではまだ6分半のペースをなんとかキープしていたが、33キロ辺りではもう完全にペースダウンである。
給水所で水を飲んでは、屈伸して、アキレス腱を伸ばし、エアサロンパスを吹きかけてもらって、だましだまし走るしかないというきつい状況である。
そんなとき、ちょっとしたくぼみがあって、おっととっとどっこい!
少しふんばるも、あぁ、これは間違いなくこけるパターンだ!
とふんばりながらも覚悟を決めた瞬間、なんとゆうさんのスーパーこけたらあかんミラクル必殺技が発動され、どういうわけかバランスが徐々に回復した。
おそるべきゆうさん!

35キロで噂に聞いていた上り坂がやってきた。
ちょっと坂を上る気力が出せず、歩くことにした。
普段ならなだらかな上り程度に思う坂だとは思うが、この地点で遭遇すると話は別だ。
それにしても、この辺りは1キロがなんと長いことか。
でも、声援が途切れないのだから、ペースダウンしててもひたすら進むしかない。
足もかなり限界だが、あと5キロ。
昨年もそうだったが、その5キロが果てしなく遠いのだ。
そうして迎えた37キロ。
「あぁ、宗平さん、また坂があるわ」とゆうさん。
「え?坂って二つもあるんかいな」と一応スローペースで走ろうとしたのだけれど、そのペースでは歩いているのと変わらないとのことで、歩くことにした。
一度歩くと安きに流れてしまう。
その瞬間、なんと5時間のペースメーカーに追い抜かれてしまった。
これはまずい!と思える気力は残っていたようで、給水した後、赤くなっている腰に鞭打って、何とか力を振り絞ろうと試みる。
「あと4キロですよ」
「お、あと4キロ、うーん微妙な距離だな」
300メートルぐらい走ったところで、「頑張れ!あと4キロやで」
「おいおい、さっきも4キロって言ってたけど、どういうことやねん」

たくさんの声援をいただいているけれど、なかなかそれに応じるエネルギーがなく、ゆうさんの「後2キロや」という一言に元気をもらい、あと2キロならなんとかいけるかも、いやここでやらんかったらあかん、という気が出てきて、1キロ7分ペースに近づけることができた。
41キロ付近で、「100%勇気」の歌が流れてきた。
「100%勇気 もうやりきるしかないさ」
そのフレーズに励まされ、ペースを乱さずになんとかやり切れそうな気がしてきた。
「おかえりなさい」の声援が増えてきて、直進コースに入って、ゴールイン!
目標タイムには届かなかったが、4時間57分48、正味で4時間45分31だった。
福知山のときよりは正味で10分程短縮できたかな。
バスタオルとメダルをかけてもらい、炊き出しのスープと神戸スイーツをいただいて終了!
ゆうさんには練習のときからたくさんはっぱをかけてもらい、安心して走ることができ、感謝感謝である。
次の目標はやはり4時間半だろうか。
今シーズンは1月の高槻ハーフ、2月の視覚障害者マラソン、3月の篠山にエントリーしている。
今後もみなさんにいろいろ教えてもらいながら、ともに楽しく走って行きたいので、どうぞよろしく!