第6回水都大阪ウルトラマラニック(70km)中さんの参加記です

++第6回水都大阪ウルトラマラニック(70km)参加記
                         〔ガイド〕 中 寛佳(ナカ ヒロカ)
 ウルトラマラソンを走る人を“宇宙人”と人は呼ぶ。
今回の挑戦で自分も改めてそう思った。

長居わーわーずには、そんな宇宙人がたくさんいる。
皆さん、経験豊富な熟練者ばかりだ。

つまり、マラソン経験が1年にも満たない自分があのスタートラインに立ったこと自体、
先ず以って、“無謀”以外何ものでもないのだ。
わーわーずの諸先輩方に異口同音に言われた。
「普通、頼まれても、断わるでしょ・・・???」って・・・。(笑)
「そうですよねえ~」と自分も返事をにごすしかない。
でも、好奇心旺盛な自分は、「何が楽しいのか・・・」「ウルトラには何があるのか・・・」
「しんどいのはみんな一緒のはずなのに、何故、また走りたいと思うのか・・・」
自分で体験してみて、自分で確かめてみたいと思ったのも、事実である。

スタートラインでは、主催者が、「大阪水都マラソン、6回目にしてやっと晴天に恵まれました~!!」と説明している。
「晴れ女がここにいますよ~」と楽しそうに叫んでいる自分が横にいて、北井さんの内心は、「えらいヤツに伴走頼んでもうた・・・」と後悔しつつ、すぐに「時、既に遅し!」と諦めに変わったはずである。

いざ、スタートして、前半はいつもの調子で走れている。
「いつもの10kmを7回走ったら、しまいや!」とたかをくくっている生意気な自分もいたが、後半になると、真のウルトラマラソンの過酷さを実感した。
やっぱり、ウルトラは、人間が簡単に“足”を出してはいけない領域であった。
でも、不思議と “棄権”という文字は、頭に浮かんでこなかった。
必ず、ゴールはしてやる!という負けん気だけは残っていたようである。

そうなると、今度は、自分と一本の伴走ひもを持っている北井さんとの“気持ちの根くらべ”である。
「単独走はまさに己との戦いだけど、長い距離を二人で走るのは、それぞれのしんどくなるポイントが違うから、一人で走るより気持ちのコントロールが難しい。孤独ではないけれど、しんどくなる時間のずれが、二人走の難しいところ・・・」と先輩の言葉を思い出した。 まさに、このことなんだと実感する場面が続いた。
後半の歩きが響いて、目標タイム10時間どころか、制限時間11時間もあやしくなってくると、さすがに焦りが生じてきた。ロープを通じてこの“焦り”が北井さんに伝わらないだろうか・・・とまた不安になる。
でも、走りたくても走れない足の状態に、はがゆさや悔しさを一番感じているのは、北井さんご自身であることには間違いないのだ。
だから、追い討ちをかけるようで、自分から時間を伝えることができなかった。
やっと聞いてきてくれたのは、大阪城エリアに戻ってきた時だった。
「(制限時間まで)あと7分位です。」と伝えると、「もう無理じゃん・・・走らない。」と、試合放棄状態!?
「え~っ!? 68km頑張ってきて、ここで投げ出すなんてことある?」と、自分の耳を疑った。
「どう、走る気力を取り戻してもらえるか・・・。」
「自分には、心の伴走はできないのか・・・。」
と、この時ほど、悔しさを感じたことはなかった。
そんな時、わーわーずの仲間達が声をかけてくれたことで、気力を失っていた北井さんが、自分自身を取り戻してくれた。
そして、制限時間を9分越えてのゴールとなった。

自分にとっては、にがい経験となった。自ら歩いてしまったあの36km地点は悔やまれる。でも、失敗を重ねて、その経験が次につながるはずだと信じたい。

そして、もしリベンジのチャンスを北井さんが与えてくれるならば、今度は、“完走”を目標に挑戦したい。
そして、今度こそ、“宇宙人の赤ちゃん”くらいにはなりたいものだ。

あえて、収穫は?と聞かれたならば、フルマラソン42・195kmの距離観が変わったことだ。 いままでゴールだった42・195kmが、“通過地点にすぎない”という環境の変化から生じる受けとめ方には大きな違いがある。

最後に、こんなど素人の自分を伴走者として使ってくれて、ありがとう。
きっと、自分は二人でなかったら、走れなかったと思う。
                                     以上