「福知山マラソン(第15回全日本盲人マラソン選手権)」 田中まさるさんの完走記です

午前3時30分起床、シャワーして、ご飯を食べ、二日前にスポーツ店に駆け込んで買い求めた足と骨盤をサポートしてくれるマラソン用のタイツを身に着けた。あれは10月中旬のことだった。練習会で25キロを過ぎたあたりから急に右膝が痛み出し、走れなくなり、けっきょくそこから10キロの道のりを歩くことになったことがあった。それから長い距離は走らずにいたこともあって、膝の痛みを感じることはなかったけれど、本番は大丈夫だろうか?っていう不安はずっとあった。だから、かなり高額ではあったが、このタイツを手にいれずにはいられなかったのだ。ところで、これをはくのにはちょっとしたコツがいる。きっちり足首から膝関節、股関節、骨盤までをサポートするためのものだから、弾力性も大きいので、足先から少しずつたぐり上げるようにしなきゃならず、しっかりと筋肉の走行にも合わせなきゃならない。しかし、前日にも練習しつつ試しに部屋ではいてもいたので、それほど時間はかからず、うまく身に付けられた。あー、やれやれだ。 まだ真っ暗な中、いよいよ出発。大阪駅のホームで伴走してくれるTさんと待ち合わせた。僕が始発電車に乗って大阪駅に到着したのは5時半、彼はもっと早くに到着していて、福知山行きの列車を待つ人たちの列にならんでくれていたのだ。5時50分発の福知山行き列車は福知山マラソンに出場するランナーたちでいっぱいだ。ならんでもらっていなければ福知山まで2時間40分くらい立ちっぱなしってことになっていたかもしれなかった、Tさんのおかげで無事席を確保し、ようやくほっと一息ついたのだ。長い1日の始まり、フルマラソンはすでに始まっているんだなあと感じた。
昔っから陸上競技が好きだったので、一度はフルマラソンを完走してみたいと思っていた。わーわーずっていうマラソン練習の団体にもずいぶん長く所属しているにもかかわらず、なかなかフルへの挑戦となると腰がひけてもいた。ともあれ、2年前に、このわーわーずの15周年の記念の曲を作ったことが、そんな僕の背中をおしてくれたのだ。せっかく歌作ったんだから、この流れにのってフルに挑戦してみたいなと思った。そんな気持ちを受け取ってくれたのがTさん、それはちょうど1年ほど前のこと。それからすぐに練習を始めたかといえばそうでもなく、CDのことやら仕事のことやら体調やら・・・、本格的には5月くらいからだったか・・・、そんなこんなで、福知山マラソン当日をむかえたのだ。
無事福知山駅に到着、会場までのバスに乗るため少し歩いた。やや寒い、僕は長そでのシャツは持ってきていないと言った。「えっ?このあいだ打ち合わせしておいたのに、持ってきてないとは・・・」とTさん。シャツ1枚のことだから、そんなに荷物になるわけじゃないし、持って来ておけば寒さにも対応できたのだ。やれやれ、タイツのことを気にしすぎたのか、すっかり頭から飛んでいた。っていうか、もう少ししっかり準備しなければね。そういえば手袋さえも忘れてきてしまっているのだった。こうなったら、走る時、それほど寒さがきびしくないよう祈るばかりだ。
バスの席に座ってぼんやりしていると、後ろの席のランナーたちの声が自然と聞こえてきた。彼らは外科医のようで、久々の再会らしかった。海外で行われた学会に参加した時のことやら、大変だった心臓の手術のことやら、別世界の話しが展開していた、それにマラソン大会にも多々参加しているようだった。元気でタフな人たちだなあ、やはりフルを走ろうって人たちはすごいなあって思いつつ、今日が終わる頃には僕はいったいどうなってるんだろうか、フルマラソンランナーの仲間入りがかなっていればいいなあって思った。
会場はまるでお祭りさわぎだった。ものすごい数のランナーたち、早く受付をすませてくださいっていうアナウンスがずーっと聞こえていた。42.195キロを走るっていうのはそんなにも楽しいことなんだろうか・・・、どうしてこれだけの人たちがわざわざここまでやってきて、フルマラソンっていう難関に挑戦しようとするんだろうか・・・、この場におよんでも、まだ自分にもよく分からないのだった。
スタート地点の近くに、視覚障害者用の準備場所が用意されていた。僕らはそこで走る準備をした。ゼッケンを付け、靴をはき、ストレッチした。視覚障害者の仲間たちとも再会、何だか心強い。トイレには何度か行った。朝おにぎりをふたつほど食べただけなんだが、腹は数回痛くなり、もうそろそろスタート地点に移動するっていう直前まで、僕はトイレの中でとじこもり、自分のおなかと会話していたのだ。まったく大事な時に・・・、便意っていうのはやっかいだ。こんなことが真に迫って気になるのもマラソンならではだろう。ともあれ、何とかおり合いをつけ、どたばたと、Tさんにしっかりガイドしてもらいながらスタート地点にたどりついたのだ。
「田中さん、大丈夫やからね!」ってベテランのブラインド・ランナーさんが声をかけてくれた。一般のランナーたちは予測タイムに応じて、並ぶ位置が決まっている。当然タイムの速いランナーは前の方に並べるし、タイムが遅いランナーはずいぶんと後ろに並ぶのだ。けれど、この大会では視覚障害者ランナーである僕らはスタートラインに最も近い位置に並ぶことができた。すごい!それにしても、あー、やっとここまで来たのだ、福知山、Tさんにも練習から何からずいぶんお世話になっている、膝は痛み出さないだろうか、走り切れるだろうか・・・、不安はつきない。いったいどうなるやら。けれどそれより大きな興奮が高まる。こんな時の僕は根っからのおちょうしものなのだ。どきどきする~!何とかなる~!これから始まる冒険に心震えるばかり~!Tさんと握手、いよいよ始まり、みんなでカウントダウン、そしてスタート!
曇り空、しかし雨は降っていない。思ったよりも暖かい空気、半そでシャツ、手袋も無しの僕だが、この天候は幸運だ。まったく僕はついている!そして、みんなやたらと速いのだ。そりゃそうだ、この位置に並んでいる人っていえば、むちゃくちゃ速いランナーさんたちなんだから。信じられないスピードで走っていく。それに、後ろから僕らを抜いていくランナーさんたちもやたらと速いのだ。そりゃそうだ、2時間台や3時間台で走ろうって人たちばかりなんだからね。僕からすればみんな怪物だ。なにしろ僕の目標タイムは、精一杯速く見積もっても4時間30分なのだ。ともかく自分のペースを守らなければ。いくらおちょうしものとはいっても、このペースにつられて走ってしまったら、つぶれてしまうのは目に見えている。ゆっくりゆっくりと走る。
Tさんの伴走のスキルはこの時点ですごかった。後ろから抜いていくランナーたちのじゃまになたないようにしながら、スタート直後のいくつかの曲がり角をアウトコースからしっかり曲り、人波の中を安全に走ることができた。僕を抜こうとして転倒するランナーがいた。スタートして数分なのに、仮設トイレに向かうランナーもいた。僕らはほんとうにたくさんのランナーにかわされながら、ようやく落ち着いて走れるようになっていったのだ。福知山の空気はとても新鮮だ!緑のにおいで気持ち良し!こんなに遠くまて来たかいもあるってもんだ。この時間をまるごとぜんぶ味わおう!
Tさんとは夏あたりから週に一度くらいのペースで長居公園で練習した。彼はフルはもちろん、100キロマラソンも何度も完走したことのあるランナーだ。
僕の力を考えながら、無理のない範囲で練習してくれた。いろんな話をしながら毎回少しずつ距離を伸ばしていった。お互いの仕事やら、これからの夢やら、音楽の話やら・・・。そういえばTさんが40歳代になって本気で走り始めたのは村上晴樹さんの「走ることについて語る時に僕が語ること」っていう本がきっかけだったと聞いて、僕もその本を読んでみたりした。走ることは僕にとっても昔っから大切なことだから、すごく共感できた。今回の目標は何といっても完走だ。また次も走ろうって思えるような完走なのだ。Tさんはたくさんのブラインド・ランナーの伴走者としてレースに出場している。一人で走るマラソンもよいけれど、二人でゴールして喜びを分かち合えるのがうれしいと話してくれた。そして、完走できたら、ぜひその経験を歌にしてほしいと彼は言った。練習の後はほぼ必ずビール飲みながら夜ご飯、ともかくランナーっていうのは元気な人たちなんだなあって思った。ところで、走ることが生活の一部になると、ただでさえ大好きなビールが、めったやたらとうまいのだ。練習後の風呂屋っていうのも何とも心地よいのだ。体もずいぶん変化した。少しずつ引き締まってくるのだ。特に大臀筋辺り。ともあれ、ちょっと霧がかかったような福知山の道を快調に走った。曇り空に時々太陽がのぞく。雨はやっぱり降っていない。タイツのはき心地も上々だ、これならいけるかも!
1キロ6分10~20秒くらいを刻みながら心地よく走り続けた。これなら目標の4時間30分も夢ではない。いっしょに走るランナーたちの足音が360度周囲から聞こえてくる。良い音だ、みんな修行僧みたいに自分と向き合いながら、遠いゴールを目指しているのだ。時々、僕のゼッケン番号を呼んでくれるランナーさんがいた。僕がブラインド・ランナーと気づいて応援してくれているのだ。「ファイト!」って僕も声を返す。5キロごとにあるエイド地点、水をしっかり補給しながら、10キロを過ぎ、15キロを過ぎ、20キロを過ぎていった。道端では応援してくださる人たちがいたり、バンドの演奏があったり。個人的にエイドの準備をしている人たちもいたなあ。この道をまた帰ってくる頃には僕はどうなっているのかなあ、元気にまた帰ってきたいなあ、おいしいものを食べさせてくれるんだろうか、楽しみだなあなんて、今思えば、ほんとうに呑気に走っていたのだ。
ゆるやかなアップダウンがあったけど、心臓も肺も足も自然にそれを受け入れてくれた。木々の中を走るのも心地よい。25キロを過ぎても調子はかなり良い。わーわーずのメンバーさんや知り合いのランナーさんたちの声に励まされながら、まるで大人の遠足みたいな気分だったな。この時期からすれば気温はかなり高いようで、暑さにばて気味のランナーもいるようだった。半そでシャツで調度良し!そして、折り返しポイントの28キロ地点に到着したのだ。大きなコーンにタッチして、いよいよこれから帰り道、ゴールまで残り約14キロ、そこから長い長い道程が待っていたのだ。
折り返してからすぐにエイドがあって、お汁粉をいただいた。甘さがたまらなくありがたくて、ここからも頑張れるって思った。のも束の間・・・。
30キロを目前にしてすっかりペースダウンしてしまった。突然のこと、両足を激しいだるさが襲ったのだ。あんなに軽々と走れていたのが嘘のようだ。まるで両足が大きな大きな重りみたいだ。前に踏み出す旅にその重だるさと闘わなくちゃいけない。
そういえば、このレースに向けての練習で走った最長距離は28キロ程度なのだ。神戸でのマラニックに参加した時のことだ。神戸から明石大橋の間の道をみんなで走った。9月末っていうのにむちゃくちゃ暑かったな、コンビニに寄って、その度にガリガリくんを買って食べた、これがまたうまかった。
Tさんとの練習での最長距離は35キロになる予定だったが。第2京阪道路にそっての道、福知山のアップダウンのある道を想定しつつ、ここで35キロいければ大丈夫っていう予定であった。10月中旬のことだ。その時は25キロ辺りで右膝が痛み出し、走ることができなくなってしまい、Tさんと二人、10キロ程度歩くことになってしまった。みんなはすっかりゴールして、僕らはずいぶん遅れてしまった。途中で電車があれば乗ることもできたのだが、近くには駅もなく、いっしょに歩いてもらうほかなかったのだ。Tさんには迷惑かけちゃったなあ、申し訳ないなあと感じながら、それでもお互いに家族の話などしながら、僕はその時いちばん気にかかっていた父のことを話してたと思う、ともかく、長い長い道を最後まで歩いたのだ。みんなとの打ち上げには間に合わず、たった二人で王将で打ち上げした。Tさんにはほんとうに感謝した。そんなこんなで、いよいよ未知の距離に入って、体はそれに反発しているのかもしれない。やれやれ、すっかりブルーな気持ちと体を引きずりながら30キロを通過した。
マラソンは30キロからが勝負、本当のマラソンは30キロからだといわれている。それをいやというほど実感しながら走った。両足の重さは腰辺りまで広がり、やがて重さが苦痛に変わっていった。
ふと、Tさんが口癖のように言ってた言葉が僕の頭に浮かんできた。「マラソンは走って完走してこそマラソンだ」。確かにそうなんだけど、それはそうなんだけど、この苦しさは耐えがたく・・・、ついに歩くこととなった。折り返し前とはすっかり世界が変わってしまった。楽しさはどこへやら、苦しさだけがここにあるのだ。「走り続けていれば、それを超えられるよ、楽になるよ」ってTさんはこれまでの経験から出てくる言葉をくれた。でも、苦しみにどっぷりつかっている僕の気持ちはその言葉を受け入れなかった。これはきつすぎる、あと10キロ以上もある。無理かもしれない・・・。でも、ここであきらめるわけにはいかない、絶対にあきらめたくない理由が僕にはあった。
実はこの福知山マラソンは僕にとっては2度目のフルマラソンへの挑戦だったからだ。9年ほど前だったか、宮崎県で行われた青島太平洋マラソンに参加したことがあった。これが僕の初フルマラソン体験だった。レース前日に同僚のブラインド・ランナーと飛行機で宮崎に乗り込んだ。調子よくビールを飲み、ところが夜どうしても寝付けなくて・・・。当日は33キロまで何とか走ったものの、全身の疲労感に耐え切れず、ついにリタイアしたのだ。33キロの制限時間には十分間に合っていたのだが、あまりの疲労感に心まで折られてしまった。ゆっくり海を見ていたい、それが正直な気持ちだったっけ。バスに乗りゴール地点まで運んでもらった。その時はしかたないって思ってた。同僚は5時間20分くらいで完走した。ゴールした人たちを見ていると、どうにもくやしくなってきた。レースのあとで食べた宮崎鳥も、完走していたらもっとおいしかったかもしれなかった。ともかく、どうしても33キロは絶対に超えたい。まずは33キロまで行こう。そんな気持ちで何とか走りだした。
そして、何とか33キロを超えた。やっとここまで来たんだな、まったく青島太平洋マラソンから何年かかったんだろうか・・・、とはいえ、このフルマラソンから解放されるまでにはまだまだ苦しまなくちゃいけないのだ。幸いにも右膝のどうにもならない痛みは出ていない。自分の体とは思えないくらいに足腰が重くて痛いだけだ。ここからは歩いたり、走ったり、また歩いたり・・・。4時間30分での完走は難しくなってきた。いやそれどころか、5時間を超えてしまうかもしれない。
Tさんにはひとつの考えがあった。ゴールまでの道、最後の2キロくらいは上り坂だ。5時間を超えてしまうと、交通規制が解かれてしまい、道の真ん中を走ることができなくなるのだ。車が走る道端を走らなきゃいけなくなる。Tさんは僕の初フルマラソン完走を、しっかり最後の坂道のど真ん中を走ることで終えたいって考えてくれていたのだ。
その気持ちはとてもありがたかった。しかし、体の方はいうことをきかない。何とか心をつないでゆっくりゆっくりと走る。Tさんはたまりかねてペースをあげる。ロープが引っ張られる。けれど、僕はそのペースにはついていけないのだ。確かに5時間以内でゴールしたい、けれど、引っ張られながら走ることは、さらに僕の気持ちをつらくするのだ。自分の意思で走っていると思えなくなる、走らされている感覚になってしまうからだ。そして、走り続ける限り、ブラインドの僕はそのロープを手放すことはできないのだ。たまらずに、「ひっぱらないでください」とTさんに伝える。Tさんはペースを落とし、僕らはまた歩いたり、走ったりを繰り返しながら進んだ。
35キロ、36キロと進んでいく。暖かな日でほんとうによかった。こんなにゆっくり進んでいたら、体はすっかり冷え切ってしまう。寒い日だったらって想像したら、ぞっとしたのだ。エイド地点にはスタッフの人たちがいて応援してくれるのだが、ここで元気出さなきゃって思うのだけど、やっぱりペースは上がらない。外からの働きかけにはどうしても気持ちは反応してくれなかった。
そんな時に僕の心をよぎったのは、いつも僕の周りにいてくれる人たちのことだった。フルマラソンを走るってことで、自分を支えてくれた人がいる。マッサージをしてくれた人もいる。いっしょに練習した人たち、特に右膝を悪くしてから、ランニングフォームについてアドバイスしてくれたランナーさんもいた。たまたま京都の練習会に参加した時のことだった、あれから自分なりにも工夫して、膝への負担を減らせるように股関節で体を支えながら走るフォームを意識できた。肩甲骨を前後にしっかり動かしながら、それによって腹筋を使ってのひねり運動が生まれ、股関節から自然に足が前に出るようになる。本当にそれができているかどうかは分からないけれど、全身を使って走っている実感が持てるようになったのだ。膝の痛みが出てから後の練習のほうが、実際には充実した時間だったかもしれないなあと感じさえする。ライブでもフルを走ることはみんなに話してきた、僕の音楽を応援してくれている人たちの顔がうかんでくる。学校でも、フルを走ることはネタにしてきた、学生さんたちの声が聞こえてくる。やれやれ、リタイアしたなんて到底言えないだろうなあ・・・。ちょっとした意地みたいな感情もこの場合には大きな支えになるらしい。フルマラソン完走、自分一人では成しえない、僕はとても弱い存在なんだな、いっぱいの人たちに支えてもらっているんだなあと実感したのだ。
そういえば、とある方のアドバイスで、痛みそうな場所にはパイオネックスっていう小さな鍼を張り付けていた。膝がとことん痛まないのはそのおかげかもしれない。これまた幸運だ。全身の疲れを取ることができるっていう合谷っていう経穴にも貼り付けている。手の裏側、親指と人差し指の間だ。それをぐーっと押しながら、こんな時はもう神頼みっていう心境で、ゆっくりと先を目指した。
苦しい気持ちばかりに捉われていてはいけない、気持ちを切り替えなければ・・・。そんな時、道端から大きな応援の声が聞こえた。わーわーずのメンバーさんたちだ!その声が背中を押してくれた。そこから数キロは良い感じで走ることができた。あー、涙が出そう、ほんとにきつい。でもゴールは確実に近づいてきた。そして、またもや歩く、そしてまた走る・・・。
40キロをいよいよ超えた。あと2キロ、ここからが最後の坂道だ。ようやくここまでやって来た、しかし、感動なんてまだまだ感じられなかった。途方もなく長い坂道なんだろうと思えた。この時点で、交通規制はまだ解除されていないようだった。最後まで今日は幸運だ。僕はかなりついている!そして、この福知山マラソンのひとつの名物になっている企画があった。地元の小学生さんがゴールまで坂道をいっしょに走ってくれるのだ。僕といっしょに走ってくれたのは5年生だったかな?の女の子だった。さすがにここまで走ってきたあとの坂道はハードで、やはり歩いたり走ったり・・・。もう力は残っていない。「最後は走ってゴールしましょう!」とTさん、そうだなあ、そうでなければフルマラソンを完走したっていえないなあ・・・。
そんな時、ゴール地点から音楽が聞こえてきた。ブルース・スプリング・スティーンのボーン・トゥー・ラン!パワフルでしわがれたボーカルだ!うわあ、いいなあ!帰ってきたんだなあ!ゴールはもうすぐそこなんだなあ!いきなりに気持ちが動きだした!恐るべし、音楽の力!最後の400メートルくらいを僕とTさん、そして小学5年生の女の子でしっかり走ることができた。分けの分からない涙が出てきた。胸が熱くなり、体中にその熱が伝わって、ふわっと宙に浮いているみたいだ。きたきたきた、ぐーっときた!ここまで帰って来れたこと、ゴールできること、ようやく苦しさから解放されること、たくさんの人たちに支えられている実感・・・、いろんな想いが混ぜこぜになっている。3人でしっかり両手を挙げて、ゴール!あー、ありがたや~!
ゴールしたら世界が変わりますよ、自分自身が生まれ変わったような気持ちになりますよ、フル出場の前にそんなことを言ってた人がいたけれど、到底そんな気持ちにはなれなかった。控え室まで歩く時、服を着替える時、電車に乗り込んで帰る時、いやあほんとに体はむちゃくちゃきつかったですね。確かに宮崎で叶わなかった夢が叶ったわけだし、今までできなかったことを成し遂げられたわけで、それはとてもうれしいのだけれど、さてこれをもう一度やりたいかって訊かれたら、分からないっていうのがあの時の正直な気持ちだと思う。それほどに疲れ果てたのだ。ゴール手前でぐっときたあの感覚、それはとても喜ばしいものだったし、そうそう味わうことのできない感動なんだと思う。けれど、その気持ちを味わうために、あれだけの苦しみを受け入れなきゃいけないなんて、フルマラソンをやる人たちはやっぱり普通じゃないなあ、タフなんだなあって感じた。
ともかく、帰りの電車でTさんとビールで乾杯、といきたかったのだが、ビールを駅で手にいれることができず、大阪まで帰って来てから、いつもの店で乾杯したのだ。今日が無事に終えられたことにほっとしつつ、Tさんには、何から何までお世話になりっぱなしで、本当に心から感謝したのだ。気持ちに余裕を持てないままだったけれど、Tさんのおかげでフルマラソンの1日を満喫できたのだ。翌日は仕事、授業2コマにあん摩を2本、さらにその後は高槻に移動してテリー島津くんのライブに参加することになっていたから、打ち上げは軽めにおさえ、これまたいつものお風呂屋で体をいやした。ちなみにゴールタイムは5時間06分42秒だった。
じんわりと喜びを味わえるようになったのは翌日からのことだ。学校に何とか行き、筋肉痛に耐えながら、フルマラソンを完走できたと学生さんたちに報告、みんな喜んでくれた時、とりあえずゴールまで辿り着けたことをうれしく、そして誇らしく思った。と同時に、途中で歩いてしまったことや、ともすれば紙一重であきらめてしまったかもしれない自分の弱さも真に迫って感じられるようになった。けして一人ではできなかった、人は何て弱い存在なんだろうか、そして、僕の中にたくさんの人たちが存在していてくれることこそが、僕の人生のひとつずつを支えてくれているんだなあってはっきり感じられるようにもなった。
それからすっかり走ることから遠ざかった。仕事して、歌って、飲んで食べて、1か月くらいが過ぎた頃、また新たな気持ちが生まれていた。フルマラソンについて想い返す時、あれほど苦しかった感覚がすっかり消えてしまっているのだ。その代わりに、うれしかったことばかりが頭に次々と浮かんでくる。とても不思議なのだけれど、練習のひとつずつや、レース当日の経験のすべてが輝いていて、時間の経過とともにそれはさらに輝きを増していく。確かにあの時、いろんなことを心と体で感じながら、僕は生きていたんだなあって思える。そして、証拠にもなく、またフルマラソンを走ってみたいなあという気持ちがむくむくと立ち上がってきたのだ。
今はまた少しずつ体を動かしている。体調はあまりよくないのだが、だからなおさら、フルマラソンを完走できたことはまるで夢の中での話みたいに思える。とはいえ、あの苦しさを僕は体で知っているわけだから、今度フルに挑戦した時には、その苦しさをもっと良いかたちで乗り越えることができるんじゃないかなあって思うのだ。人間はこりない動物だ。来シーズンは3つくらい、フルマラソンを走ってみるっていうのはどうだろうか・・・。
最後に、あらためてTさんに心より感謝します!いっしょに福知山を走れたこと、かけがえのない経験に感謝です!

そして、こんな詞ができました~!

長い長い道の途中
頭も体も痺れてる
折れそうな足を引きずって
旅の終わりをめざす

苦しくて苦しくて苦しくて
苦しくて苦しくて苦しくて
苦しみたちの向こうには
もっと大きな喜びが待ってる

がんばれって君の声
大丈夫だよって友の顔
懸命に想いをつないで
夢の場所にたどり着いた

うれしくてうれしくてうれしくて
うれしくてうれしくてうれしくて
うれしさたちが結ばれて
新しい夢が今生まれた

苦しさのすべて
もうどこへやら
うれしさを抱いて
旅を始めよう

うれしくてうれしくてうれしくて
うれしくてうれしくてうれしくて
うれしさたちが結ばれて
新しい夢が今生まれた

「2016大阪ハーフマラソン」 野尻さんの完走記です

大阪ハーフマラソンを走ってきました

和歌山の野尻(ブラインド)です
1月31日、福士加代子選手(ワコール)が2時間22分17秒の高記録で優勝した第35回大阪国際女子マラソン。同時に開催された「2016大阪ハーフマラソン」に、どめっちさんに伴走していただき、出場しました。
1年前から、「今シーズンはハーフの90分切りを」と、ひそかに大きな目標にして練習してきました。
競走レースでもなければ自分が設定した目標にも関わらず、1月に入って今日が近づくにつれて、これまでにないような不安を感じ始めました。
和歌山国体が終わった11月から、長居公園で、90分切りに必要なキロ4分15秒のペース走に挑戦。何としても達成してやろうと強く心に刻みながら、色々とイメージトレーニングもしながら本日を迎えました。
今日の夕方はどんな状態で帰宅するのだろうと思いながら、今朝自宅を出ました。
今日は絶好のラン日和です。陸連登録組のおかげでAブロックからスターとできるのですが、それでもなお少しでも前に並ぼうと、1時間あまり前から整列します。いつもは寒くて仕方ないのですが、本日は寒さを感じないどころか、日差しが強くて「これは走ると暑いなあ」と思うくらいの天候です。
12時10分に、6000人のランナーが大阪城をスタートです。
3キロ、4キロ辺りは4分7秒前後で刻み、スタートのロスを一気に解消です。でも、自分にとっては、まるで駅伝ペースのような、こんなペースで続くはずがありません。とにかく前半からきつくてきつくて…。
西に向かって走り北浜で折り返して、6キロの手前で南に向かいます。ここはやや下りが続きます。鶴橋、桃谷の駅前を通過、沢山の沢山の沿道からの声援です。
9キロ過ぎで、同時刻に長居ヤンマースタジアムをスタートした女子マラソンのランナーたちとすれ違います。福士選手がトップのようです。
10キロ手前で東に進路を取り、JR環状線の高架をくぐります。「やっと半分だ」と思うのですが、ほとんど気持ちに余裕もなく、ゴールは果たしてやってくるのだろうかといった印象です。
11キロ過ぎで右折して勝山通りを南に向かいます。懸命にキロ4.15を刻みながらも、少し向かい風が出てきたのでしょうか。
14キロで右折、松虫通りを西に走ります。ここは少し上っている感じで、もう体も限界で、かなり走れている感じなのにキロ4分20秒辺りまで落ちています。「まだ6キロもあるのか…」、絶望的な気持ちになります。
90分は切れなくてもここまでくればなんとか自己ベストは出せるだろう…などと、少し言い訳も考えながら、弱気になるのですが、「後は気合だけですよ」と、どめっちさんの激励。
16キロ手前で左折して我孫子筋を南に、ひたすらの直線です。
息絶え絶えに後ろをついてくるランナーがいます。ここまでくると、みんな気力で走っているのだなあと。
もう距離も何も考えるまい、無の境地と言えばとても言いすぎかもしれませんが、にぎやかなはずの喧噪が「静かだなあ」と感じます。そうすると不思議なもので、JRの高架をくぐり、もう長居センター前の交差点を通過です。
ペースもキロ4分一桁まで戻し、我慢の限界は超えているのですが、とにかく残りは、ただ気力だけ。
我孫子筋を離れ、やがて長居公園内の走路に入ります。いつも練習で走っているところなので、距離感も手を取るようにわかるのですが、とにかく苦しい。そして残り1キロを通過。いつもは向かい風が強烈ですが、今日はそれがありません。ありがたいかぎりです。
ついにマラソンゲートが近づいてきました。ここにきて、ものすごい声援が聞こえます。右折してスタジアムに入ります。
「あと300メートルですよ」と、どめっちさんの掛け声。
300メートルというわずかの残りを頭に考えたとき、急に足が動かなくなりました。必死にもがくように前へ前へ。いやいや、トラック4分の3周が本当に長かったですねえ。
前を行くセッキーさんにあと10数メートル届かず。
ゴール後はしばらくもう動けません。
1時間29分27秒。
「ものすごく大きな壁を越えた」と、だんだんと実感が沸いてきました。
こんな苦しいレースは経験がないですが、後半あきらめなかったこと、気力が最後まで継続できたことが本当に嬉しいかぎりです。またひとつ、大きな自信になりました!
どめっちさんには本当に感謝感謝です!!
沢山の応援を、本当にありがとうございました!
そして本日走られた皆さん、大変お疲れ様でした。
また今後とも伴走を、よろしくお願いいたします。

大阪ハーフマラソンの大会サイトはこちらです。

「第27回 加古川マラソン」 セッキー君の完走記です

12月23日に加古川マラソンを伴走のウスちゃんと走ってきました。タイムは、3時間24分26秒とサブ3.5を初めて切ることが出きました。
初めてフルマラソンを走ったのが2年前の大阪マラソンで、その2週間前の試走会での打ち上げの時にみんなの前で「目標3時間20分を目指したいと思います!」と言ったところ、周りから「そこは大きく3時間15分を目指しますと言え!」と突っ込まれたのがとても懐かしいです。
初フルでの結果は3時間35分台と目標には遠く及びませんでした。その翌年の2月に開催された木津川マラソンで何とか3時間30分47秒と、あと一歩というところまで縮めることが出きました。しかし、その後の東京マラソン、寛平マラソン、大阪マラソン、福知山マラソン、篠山マラソンを走らせてもらいましたがサブ3.5を切ることは出来ませんでした。
いつもみんなから突っ込まれて注意されているのが、「セッキーは、最初から飛ばし過ぎて、後々に疲れてスピードが落ちるんだよ」とよく言われます。そこで、今回の加古川マラソンでは、体調が良いと言っても最初から飛ばし過ぎずキロ5分ペースを保ちつつ走ることにしました。その甲斐もあって、いつもならハーフを超えた辺りからペースダウンするのも無く、そこで、伴走してくれているウスちゃんが25kmをを過ぎたところで、もう少しペース上げても良いよと言ってくれたのですが、残り17kmもあると思ったら、いま上げてしまうと途中で足にくると思い、これまで通りの一定のペースで行こうと思いました。しかし、35km地点ぐらいに足がつりそうになり、少しペースを落としてもらい、エイドで塩分とスポドリを多くとってもらい、ジョグをするような感じでゴールを目指して進みました。その間も横で走ってくれているウスちゃんが、残り5km!長居の2周もないぞ!や残り長居1周、そう思うと頑張れるだろうなど、色々と励ましてもらい最後まで走りきることが出きました。本当にありがとうございました。
タイムを聞いて最初はビックリしました。3時間半を切るのも難しかったのに、それが、3時間24分26秒を出せるとは思いもよらなかったです。一緒の大会に出られてエールをくれたみなさん、沿道で応援してくれたみなさん、チームのみなさん、本当にありがとうございました。
これからも頑張りたいと思います。宜しくお願いします。

第46回防府読売マラソン大会 福永さんの完走記です

福永@ブラインドです。

自分は、藤原新選手が優勝した防府読売マラソン
3時間12分27秒で、走らせてもらってきました。

防府マラソン、25kmの関門が102分のころから
いい大会と聞いてはいましたが、
よく伴走お願いしているみなさんの勝負レースだったので、
自分が走ることは、一生ないだろうと思っていました。

今回、IPC登録の部が開催されるということで、
このチャンスは逃がしたくないという気持ちで、
めちゃくちゃ伴走お願いしまくったところ、
日帰り対応でよければというかたが、二人いらっしゃったので、
お願いさせてもらいました。
(自分は土曜の夜ビジネスホテルに泊まりました)

最初の1kmに5分37秒もかかったときは、
せっかくの防府も、これで終わったかなとかおもってしまいましたが、
道幅も、しっかり確保されていて
思っていたペースで走れるようになってきました。

事前に、30km以降向かい風と聞いていましたし、
土曜に詳しい人から、34kmから37kmは、向かい風と聞いたので、
それまでは自重自重と思って走りました。

確かに向かい風のあるところも、ありましたが、
途中から日差しもなくなって、絶好の気象条件でした。

35kmを、2時間40分50秒で通過し
あと2km風があってもいけるだろうと、それぞれ4分32でカバー。
そこからの5.195kmは、走りに走りました。
40kmまでの3kmはペースアップでき、13分10秒でした。
ラスト2.195kmは、ほぼ4分20秒ペースの
9分23秒の自己ベストで走ることができました。
(これは、今までの9分45が福知山だったからなんですけどね)
で、ラストの7.195kmの31分37秒も自己ベストとなりました。

今シーズン初のフル、まあまあ走れたので、
来年2月の別大マラソンは、もう少し上の記録をめざして
がんばろうと思っています。

また、お世話になりますが、
よろしくお願いいたします。

第18回鈴鹿シティマラソン 赤星さんの完走記です

12月13日(日)に鈴鹿サーキット国際レーシングコースで開催された鈴鹿シティマラソン(5.6km)を走ってきました。例年は鈴鹿おろしが吹く中、寒さに耐えながら走ることの多いこの大会ですが、当日は季節外れの温かさで、汗ばむほどでした。予め視覚障害で伴走者と走ることを伝えていたからか、大会主催者の対応もとてもよく、安心して参加することができました。
コースはアップダウンあり、立体交差あり、何よりも、カーブにカントがついているので、見えていない私でも路面の状況を体全体で感じることができました。また、スタートの合図やフジテレビのF1のテーマソングを聞くだけで、気分がとても盛り上がりました。ぜひとも、この感覚は他の視覚障害の方々にも体験していただきたいと思いました。
走り終わった後、大会スポンサーのAGF(味の素グループ)の方から社内誌に乗せたいと写真を撮っていただきました。社内誌なので見ることはできませんが、よい思い出となりました。
伴走者を探してくださった、おけいはんさん、針小路さん、U先生をはじめ、主催者の鈴鹿市、そして一緒に走ってくださった三重の伴走ボランティアグループ走風のOさんに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。今後も、お世話になることがあるかもしれませんが、よろしくお願いします。

「第19回視覚障害者マラソン宮崎大会 兼 第24回青島太平洋マラソン大会」野尻さんの参加記です

和歌山の野尻(ブラインド)です。
12月13日、第19回視覚障害者マラソン宮崎大会、兼 第24回青島太平洋マラソン大会に行ってきました。
この日は最高の天気に恵まれ、昼間は20度近くまで気温が上がり、上着もいらないくらいの暖かさ。走ると暑いような1日でした。
この大会は3年連続で出場していて、フルのコースもかなり熟知してきた感じです。
3時間27分と、このコースで初めて3時間半を切ることができました。そして、障害区分別(B1クラス)で第1位をいただくことができました。
前半はキロ4分半から40辺りのペースでいけるところまでいってみましたが、やはり30キロを過ぎてからとても苦しくなり、かなりのペースダウンで地獄のような道のりでした。後半をいかに走るか、この辺りが大きな課題ですが、まあ前半の貯金がなんとか功を奏したのかなというところです。
コースは全体を通してアップダウンは少なく、特に宮崎市内中心部では沿道からたくさんの盛大な応援がいただけます。後半の10キロはすばらしい景色の青島海岸を行くのですが、足元が石畳であったり狭いところがあったりと、少し走りにくい感じがあります(もう疲れきっていますので、あまり関係はないのですが)。給水所は13箇所あり、宮崎の特産品や名物がたくさん。大会名物の日向夏ゼリーは37キロ辺りにあります(記録を狙う場合はゆっくり食べている余裕がないのでちょっと残念!)。
国際視覚障害者マラソン協力会という組織が宿泊や伴走者の斡旋などをしてくださり、宿泊場所である宮崎観光ホテルは、チェックインの際に大会の受付ができたり、また豪華な夕食や温泉大浴場や、朝は大会会場まで送迎バスがあるなど、とてもすばらしい、視覚障害者にとってとても参加しやすい大会です。
これからマラソンシーズン本番ですね。また頑張って走りたいと思いますので、皆さんよろしくお願いします。

第5回神戸マラソン 宗平さんの完走記です

今日は第5回神戸マラソンに行ってきた。
昨年の福知山マラソンからちょうど1年ぶりのフルマラソンだ!
神戸は学生時代の6年間過ごした地であり、まさかその10数年後にそこを走っているなどとは考えもしなかったことなので、実に不思議なものである。

今回の伴走は平日練習で大いに鍛えてもらっているゆうさんだ。
なかなか手厳しいことも言うけれど、たいへん頼りになる存在なのだ。

朝9時。スタートはしたが、18000人が走るため、僕のいるFコーナーが出発できたのは13分後。
その後も団子状態で最初の1キロを通過するのに9分かかるという状況であった。
これはこれで、最初に飛ばしすぎるのを防げて個人的にはありがたい面もある。
しばらくはずっとこんな感じかと思っていたら、少し団子が解消してきたのか、ゆうさんのロープさばきがうまいのか、3キロを過ぎた辺りから、それなりに進めるようになってきた。
沿道にはかなり大勢の人が、温かい声援を送ってくれ、その声援も途切れることがないので、一体何人の人がエールを送ってくれているのだろうと思うくらい、なんともありがたい限りだった。
今回の目標は1キロ6分半のペースで最後までいってなんとか4時間半あたりを目指すことであったが、この辺りから6分半のペースで進めるようになってきた。
この秋は、山城・万灯呂山マラニックに始まり、わーわーずや神戸の方との神戸マラソン試走会、かもぱの姫路合宿と30キロぐらい走るマラニックにも参加させてもらったので、どれだけ持久力がついたのか楽しみだった。

三宮・元町・神戸を過ぎると、道が狭くなり、しばしば団子状態になった。
パンダちゃんのランナーについていって、7キロ地点で新長田駅を通り、巨大な鉄人28号に迎えてもらった。
「よし、この辺りでエイドがありそうだから、バナナでももらおう」と思っていたのだが、まだエイドはないらしい。
その後も、快調に走ったり、団子に入ったりを繰り返しながら、須磨に入ったようだ。
やはり老若男女のみなさんがエールをくれたり、太鼓やならしもので応援してくれたり、子供やチアリーダーのエネルギーをもらったりしながら、いつぞや国道2号線を、JRと山陽電車に囲まれながらそれなりにペースを保って、海の風を感じながら快走していた。
この辺りは試走会で走ったなぁという記憶がよみがえる。
ゆうさんが僕の手をとって、「宗平さん、手を右に出してみて」というので、そうしてみたら、沿道のみんなも手を出してくれていたようで、順にタッチしてくれた。
これは面白いよね!
「3番目の人の手はえらい大きかったなぁ」と聞いてみたら、「あれは猫のぬいぐるみやった」とのこと。
なるほど、いろんなのが応援してくれてるわけね。
そのままパチンパチンとタッチを楽しんでいたら、前にランナーがいたらしく、その人の背中にはい、タッチ、なんてこともしてしまったけど…。
ふと、「泥棒さん頑張ってー!」という声が何度か聞こえる。
ゆうさんに「泥棒って何やろねぇ?」と聞いてみたら、泥棒の格好で走っている人が近くにいらっしゃるらしい。
と聞いた瞬間、「泥棒です。頑張りましょうね!」と声をかけてくださった。
泥棒というにはかなり優しそうな人だった。

垂水の辺りまで来たらしいけれど、まだエイドがない。
密かに楽しみにしてるのに、そう簡単には食べ物を出してもらえないようだ。
ときどき、ブラインドランナーの人を見かけては声をかけて励まし合った。
わーわーずの方にも会ったようだけれど、どなただったのかわからなかったなぁと思っていたら、たくちゃんと、ブラインドの方がどなたかわからなかったのだが、お会いできて嬉しかった。
今回は、「伴走さん、頑張って!」という声も幾度となく聞いた。
今まではあまり聞いたことがなかったのだけど、少しずつ伴走というものが認知されてきたようで非常に嬉しい話である。
ゆうさんも、そんなふうに言ってもらえて、なかなか嬉しそうやった。

おっ、いよいよ折り返し地点の明石海峡大橋が近づいてきて、ただでさえ大勢の応援隊がなお一層手厚くなっている。
「応援もありがたいんやけど、そろそろ腹がへってきたので、食べ物のあるエイドを開いてくれ。折り返しまでに一カ所もエイドなしはいくらなんでも…」と心の中で唱えていた。
前半はなかなか快調に楽しみながら走れているぞ!
少し腰の辺りが痛くなってきたけれど、まだまだいける。
そのとき、ようやっと、待ってましたのエイドが現れた。
本日一本目のバナナなり(朝ご飯にも食べたから2本目かもしれないけど)。
チョコパンももらったのでエネルギーが補給された。

その後、また沿道に手を出して、何人かの人とタッチを交わして大いに元気をもらった。
勢い余って、気づけばその手を前のランナーのおっちゃん(だと思う)の脇の下へと入れてしまっていた。
えっらい汗かいてはる。
失敬しました。
それにしても、天気予報では雨の心配をしていたのだけれど、雨は家から駅まで降られた程度ですんだのだけれど、天気予報に反して、どうも陽射しがきつくてなんでやねん!
おまけに、海岸沿いはビル街とは違って、陽射しの影響をもろに受けるので、体感温度的にはちと暑くて、なかなか厳しい様相を見せてきた。
だからというわけかどうかは定かでないが、エイドの間隔が狭くなってきて、先程食べ損ねたどら焼きをもらい、走り出そうとしたとき、元気な声が呼びかけてくれていた。
なんと、おけいはんさんである。
やはり、知ってる人に会うとそれだけで嬉しいし、お互いに目標を言い合って、エールを送り合うのも実に楽しいものだ。

30キロの辺りにきた頃だろう。
ゆうさんが「宗平さん、ちょっと疲れてきてるやろ」と聞いてきた。
まさにズボシである。
腰だけでなく、ふくらはぎも膝も痛くなってきて、後12キロが途方もなく長く感じられてしまうというのが正直なところだ。
1年前の福知山のときも「30キロの壁」が大きかったが、やはり今年もまだまだその壁は手強かった。
まだまだ持久力が足らず、修行不足を痛感してしまう。
そんなとき、エイドでいただいたみかんの酸味がなんともおいしかった。
その横のおっちゃんに手を出すと、塩昆布をどっさり乗せてくれた。
そして、塩飴をもらったのだが、僕は飴はかまずにずっと口の中に入れておきたいもので、これがその後の苦境との良きパートナーとなってくれた。

30キロ付近ではまだ6分半のペースをなんとかキープしていたが、33キロ辺りではもう完全にペースダウンである。
給水所で水を飲んでは、屈伸して、アキレス腱を伸ばし、エアサロンパスを吹きかけてもらって、だましだまし走るしかないというきつい状況である。
そんなとき、ちょっとしたくぼみがあって、おっととっとどっこい!
少しふんばるも、あぁ、これは間違いなくこけるパターンだ!
とふんばりながらも覚悟を決めた瞬間、なんとゆうさんのスーパーこけたらあかんミラクル必殺技が発動され、どういうわけかバランスが徐々に回復した。
おそるべきゆうさん!

35キロで噂に聞いていた上り坂がやってきた。
ちょっと坂を上る気力が出せず、歩くことにした。
普段ならなだらかな上り程度に思う坂だとは思うが、この地点で遭遇すると話は別だ。
それにしても、この辺りは1キロがなんと長いことか。
でも、声援が途切れないのだから、ペースダウンしててもひたすら進むしかない。
足もかなり限界だが、あと5キロ。
昨年もそうだったが、その5キロが果てしなく遠いのだ。
そうして迎えた37キロ。
「あぁ、宗平さん、また坂があるわ」とゆうさん。
「え?坂って二つもあるんかいな」と一応スローペースで走ろうとしたのだけれど、そのペースでは歩いているのと変わらないとのことで、歩くことにした。
一度歩くと安きに流れてしまう。
その瞬間、なんと5時間のペースメーカーに追い抜かれてしまった。
これはまずい!と思える気力は残っていたようで、給水した後、赤くなっている腰に鞭打って、何とか力を振り絞ろうと試みる。
「あと4キロですよ」
「お、あと4キロ、うーん微妙な距離だな」
300メートルぐらい走ったところで、「頑張れ!あと4キロやで」
「おいおい、さっきも4キロって言ってたけど、どういうことやねん」

たくさんの声援をいただいているけれど、なかなかそれに応じるエネルギーがなく、ゆうさんの「後2キロや」という一言に元気をもらい、あと2キロならなんとかいけるかも、いやここでやらんかったらあかん、という気が出てきて、1キロ7分ペースに近づけることができた。
41キロ付近で、「100%勇気」の歌が流れてきた。
「100%勇気 もうやりきるしかないさ」
そのフレーズに励まされ、ペースを乱さずになんとかやり切れそうな気がしてきた。
「おかえりなさい」の声援が増えてきて、直進コースに入って、ゴールイン!
目標タイムには届かなかったが、4時間57分48、正味で4時間45分31だった。
福知山のときよりは正味で10分程短縮できたかな。
バスタオルとメダルをかけてもらい、炊き出しのスープと神戸スイーツをいただいて終了!
ゆうさんには練習のときからたくさんはっぱをかけてもらい、安心して走ることができ、感謝感謝である。
次の目標はやはり4時間半だろうか。
今シーズンは1月の高槻ハーフ、2月の視覚障害者マラソン、3月の篠山にエントリーしている。
今後もみなさんにいろいろ教えてもらいながら、ともに楽しく走って行きたいので、どうぞよろしく!

第1回金沢マラソン はなてんちゃんの完走記です

11月15日に開催された第1回金沢マラソンを走ってきました。
エントリーは障がい者枠で優先的に走れるということでなんのストレスもなく申し込みが完了しました。第1回ってどうなんだろ?運営面や交通アクセス、コースの状況はどんなだろ?と不安はありましたが、SNSなどから得られる情報はとても細やかで当初の不安はどこ吹く風、楽しみと期待感でいっぱいに胸を膨らませて前日受付に行きました。
わーわーずからもたくさんのブラインドランナーがエントリー、私は伴走のUさん、Yさん、Nさん、Kさんご夫妻の6人で向かいました。
数十年ぶりに訪れた金沢駅はまるで大阪駅の様な広さ、受付会場も駅構内?と思えるほどの近さで、障がい者受付ブースは別になっていてスムーズでした。

日曜日、土曜日から引き続いての雨にテンションは下がり気味。
マラソン会場は兼六園の側、シャトルバスもあったけれど駅から歩いても20分ほどなのでウォーミングアップを兼ねて歩いて行きました。スタート地点とゴール地点は離れているので手荷物はトラックに預けます。ここでも障がい者専用のトラックがあり、荷物を預けていると別行動のわーわーずメンバーと自然に合流できました。そしてろう者の方もぞくぞくとやって来られました。聞けばろう者だけでも70名のエントリー、視覚障がい者を含めると120名のエントリーがあったそうです。素晴らしいですね。

このマラソンでの目標は5時間を切ること。
8月中旬に腰を痛めてかばってると膝も痛くなって歩くのもひょこひょこ状態から徐々にジョグができるようになって10月に入ってようやく休みなしで15キロをゆっくりペースで走れるようになったばかりでしたから最悪7時間かかってもという気楽な気持ちでした。雨も止んでいい感じ?と思ったのもつかの間、また、激しく雨が降ってきました。
開会のセレモニーが終わってようやくスタート、なんと雨もぴったり上がりました。
Bブロックからだったのでスタートロスは約2分いい感じでスタートできました。
沿道は応援の人たちでいっぱい、途切れることなく声を限りに「がんばれー」「いってらっしゃーい」の声と楽器の演奏、小さな子供たち、年配の方々や野球少年チームなどなど、コースの途中に長いトンネルが2か所あるんですがその中にも応援の人たち、住宅街でも家から出てきての応援、金沢のみなさんの熱いあったかい応援に支えられどんどん走ることができて自分でもびっくりでした。

それでも練習はうそをつきませんね。15キロを過ぎたころから足は重たくなってペースダウンし足が動かなくなってきました。でもここであきらめたくはありません。実は30キロ辺りにカレーエイドがあるとのことで、前日に伴走のUさんと「金沢カレーって有名だからたべなきゃね」と話してました。私の初フルは2009年、しんどくなったら次のエイド次のエイドと言いながら走ったことを思い出し口の中でぶつぶつ言いながら、そしてUさんにも励ましてもらいカレーエイドに到着、ところが私はカレーの香りで満足(笑)Uさんに食べてもらいました。次は洋菓子エイドとスタートしたものの太ももが痙攣しそうで歩きが入ってしまいました。まあ、この頃はよくあることです(涙)
でも歩いていると徐々に復活、そんなとき後ろから男性が声を掛けてきました。聞けば東京からの参加、自分も若いころ少しだけ伴走をしたことがあるとか、年齢を聞くと75歳とか、元気で愉快なおじさんに助けられて私も元気をもらいました。

どの大会でもそうですが見知らぬランナーさんが走りながらエールを送ってくださいます。東京のばんばんクラブの方や他県の伴走者さんなどたくさんの方にエールを送ってもらえて元気をもらって走ってます。みなさん本当にあたたかいですね。
私も沿道での応援には「ありがとう」と声を出しています。そうすると自然と元気がでるからです。
洋菓子エイドでは有名なお菓子を食べて大満足、おかげで走れてました。
エイドはコーラ、果物、おにぎり、和菓子、洋菓子とおもてなしでいっぱい、特にコーラはとてもありがたかったです。応援もほぼ途切れることなく私たちの背中を押してくださってます。しんどいときに「がんばってるねー」の声が聞こえてきてはじめて涙が出てきました。そしていよいよゴール、Uさんと両手を挙げてゴールゲートをくぐったときも涙が、、、 感動のゴールでした。そしてタイムは4時間36分36秒と上出来。
しんどいときもあったけど楽しい金沢マラソンでした。コースは緩やかなアップダウンはあるけれど道幅も広くて走りやすいコースでした。
来年も走りたい大会がまた一つ増えました。

「2015大阪マラソン」サケもっとさんの大吉さん応援レポートです

大吉さん応援記

大吉さんは今までずっと大阪マラソン落選だったそうで、
今年もやはり落選だったそうです。
今年80歳の大吉さんは、3月の篠山マラソンで、
朝から1日中降り続く雨の中で、足がつってしまい、
制限時間の厳しい篠山マラソンでは、やむなくリタイヤとなりました。
そのこともあって、1度は走ってみたい大阪マラソン!
今後いつ当選して走れるかわからないので、チャリティランナー枠で申込みをしたそ
うです。

抽選の大会で、視覚障がい者枠などありますが、
80歳以上は抽選なしで、走れるようにしてほしいものですね。

長居の練習会を早めに終えて、地下鉄で、34キロ地点に移動しました。
四つ橋線は応援の人が多く、
住之江公園駅では、ニュートラムへの乗り換えが行列になっていました。
なんとか平林駅からてらやん達の応援隊と12時半過ぎに
合流して、大吉さんを待っていました。
ランナーズ・アイで大吉さんの場所を確認したところ、
1時過ぎに通過予定でした。(間に合ってよかった~!)
少しタイムが遅くなってきていたけれど、
大吉さんオリーブさんペアとルビーさんが元気に走っていきました。
ランナーズ・アイで、大吉さんたちのゴールタイムをチェックしながら
後の皆さんを応援して、2時半くらいにゴール地点に移動しました。
平林から中ふ頭までの電車もえらい混雑していて、
ベビーカーもあったり、子供たちも応援にたくさん来てるようでした。

ゴール地点は応援者は入れないようになっていて、
手前(42キロくらいかな?)で大吉さんたちを待っていました。
ここでもランナーズ・アイで場所や時間を確認しました。
少しペースが落ちていて、ゴールタイムは、5時間を超えていました。
大吉さんたちを見つけたときは、前に何人かの人がいてはって、
思わず白杖を振り上げて応援していました。
最後オリーブさん、ルビーさんが気づいてくれて、
ゴールに向かって3人で走ってゆきました。

ゴール後3人に会えないかなと会場を散策していたら、
ゴールした皆さんが向かってくる中、大吉さんたちを探して逆行していたら、
ちょーど荷物を受け取った大吉さんたちと出会いました。(よかった~!)
そこで、ゴール間もない3人とおまけでウチも一緒に写真を撮りました。
大吉さん、オリーブさん、ルビーさん、皆さんめちゃ元気でした。

大吉さんとオリーブさんは着替えてから住之江のスパスミノエで汗を流して、
住之江近くのサイゼリアでプチ打ち上げをしました。
大吉さんには、ちとイタリアンは食べれるメニューが少なかったようです。
レースの模様やいろんなお話をお聞きしました。
レース中、後半ペースが落ちたのは、
娘さんからランニングシューズをプレゼントしてもらって、
そのシューズで走らはったのですが、試し履きもしてなかったので、
足にマメができてペースが落ちたようです。
そんな中でも5時間17分でゴールはすごい!です。
福知山では、今までのシューズを履いて、も1度がんばると力強く話されてました。

伴走もですが、他の若いランナーと一緒に走ることができて、
うれしいとも、そして、すごく感謝もしてはりました。
きっと大吉さん以外、全員が若いですよね。(笑み)
走れる体にも感謝してはって、日々の努力もすごくしてはって、
それを普通に話はるので、
ほんとうすごい人だな~と感心するばかりでした。

篠山マラソンは、無念のリタイヤ、
大阪マラソンで、ネットタイム 5時間17分で完走。
福知山では、サブ5達成!

レース後お話を聞いて、
福知山でのサブ5達成が、きっとではなく、必ずできると確信しました。

最後にランナーのタイムがわかるサービスを大阪マラソンでは、
ケイ・オプティコムが提供している、ランナーズ・アイがありました。
個人の5キロごとの通過タイムがわかるだけでなく、
地図上にランナーの場所がわかるようになっていて、
プラス、登録した全員のランナーの場所も一緒にわかるようになっていました。
大吉さんを追っかけていて、その画面を見ると
近くにだれがいるかとゆうのもわかるのです。
ルビーさんがずっと一緒だとゆうこともわかりました。
途中誰を抜いたとか、抜かれたとか、
応援には大助かりなサービスで、待っている間の楽しみも倍増でした。

説明:4点のコラージュ。 1、コース上にて。大吉さんを挟んでオリーブさんとルビーさん。 2、完走メダル。 3、ゴールしてサケもっとさん差し入れのおしぼりで顔をふく大吉さん。 4、ゴール会場にて。フィニッシャータオルを横断して持つ4名。 左から、サケもっとさん、大吉さん、オリーブさん、ルビーさん。

「2015大阪マラソン」オリーブさんの伴走レポートです

先日の大阪マラソン、80歳の大吉さんと一緒に走ってきました。

その前に・・・
抽選は落選でしたが、どうしても大阪マラソン走りたいということで、チャリティランナーとしてエントリーされました。
7月のわーわーず練習会に参加した時に「大阪マラソン、多分走れると思うから伴走お願いします」と言われて、半信半疑でしたが、そういう方法があるのかとびっくりしました。
とは言っても、私自身10月というまだ暑い時期にフルを走ったことがなく、おまけに故障明けでゆっくりしか走れないので、その事も伝えましたがが、「オリーブさん、4時間以内で走れるやん」と。どうも私は速いと思われてるようでした。でもそれは2年半前の話ですから・・・

最初は「5時間でいいから」と言われたけど、それは無理と言うと「ゆっくりでいいから。福知山で頑張るから6時間でもいいから」何度も仰るので、それならと伴走をさせて頂くことにしました。
それにしても時間がない。確定したのが8月、正味2ヶ月で20キロ走数回、神戸マラニック、大吉さんとのロング走、4時間走で30キロ走るなど、速習的に調整しました。
心配だったのはやはり30キロ以降でした。膝の古傷が出るかもしれない、ヨレヨレになるかもしれない、など不安は一杯でしたが、もう走るしかない。(笑)

そういう諸々があって迎えた大阪マラソン当日。
大吉さんはチャリティランナーなので、一般ランナーとは違って専用エリアというのがありました。森之宮から徒歩約20分の西の丸庭園内北端にあり、更に歩いて10分程でやっと到着。
まずはスタッフさんたちのお出迎えで、写真写されました。
トイレ、更衣室、バナナの給食完備のVIP待遇。
用意して、荷物預け、バナナを頂いていよいよ行こうとすると、またスタッフさんに写真を写されて、お見送りを受けてチャリティランナー専用出口から、大吉さんのGブロックへ移動です。
天満のドーンセンター前が丁度Gブロックでした。8時20分頃にスタンバイ。
そこでわーわーずあっちゃんと伴走されるお仲間の3人にばったり会って、エール交換。大吉さんと立っていたら、少し前方でキョロキョロしているルビーさん発見、手を振ったら気づいてくれてこちらに移動。
そこで「一緒に走りましょうか」となりました。

号砲は鳴ったものの、スタートロスに9分かかり、ようやく走り出しました。
大吉さんはなるべく水分は採らんようにすると言われて、しばらく給水ポイントはスルーしました。
ペースは最初6分半くらい、速めに感じたので手綱引き気味に走って丁度よい感じ。
沿道は応援で凄い人、御堂筋を32000人のランナーが走る、壮観でした。
15kで給水取り損ねて、17,5キロでようやく最初の給水、生き返ってまたスタート。
この時、このペースで行ければもしかしたら5時間以内可能か?と一瞬頭よぎったけど、それはとても甘かった。
ハーフで2時間半くらい、大吉さんも「今何キロ?」「今何時?」と気になる様子。
23キロ地点からやっと給食があって、バナナとクッキー、給水。
その後も給水と給食採りながら走るけど、ちょっとペースが落ちてきた感じ。
29キロくらいでエミューさんのエイドをルビーさんが見つけてくれて、ありがたくコーラを頂きました。ありがとうございます!
30キロ過ぎ、大吉さんに引っ張られたのでどうしたのかと見ると、走りながらウェストポーチからパンを取り出して食べながら走られました。
お腹空いては走れないですよね。

大吉さんは走る時腕を大きく前後に振られます。伴走している私の腕はそれに合わすか、なすがままになるのですが、長時間力強い振りが続くとこれが結構疲れるのです。
さすがに30数キロ伴走していると、私の腕が疲れてきて、ルビーさんに伴走を代わって貰おうかとも思いました。
ルビーさんも「伴走代わろうか?」と言って下さったのですが、そこで思ったのが「この伴走ロープが私にとっても命綱になっている、ここで放したらもしかしたら私は走れなくなるかもしれない」と。
それで「このまま行きます。ロープが命綱になってるので、放したらヤバイです」
ルビーさんも分かって下さいました。

そしてようやく32,5キロ地点に到着、大阪マラソン名物の「まいどエイド」のご馳走です。いなり寿司、しば漬け巻き、アイスきゅうり(冷えたきゅうりが美味!)、栗まんじゅう、たこ焼き、冷やしパイナップル、らっきょ、などなど食べました。
他にもあったけどそう食べられない。大吉さんも一杯食べて、また元気を取り戻して走り出します。が、ルビーさんが周囲探しても居ない、仕方ないので、ゆっくりスタートしてると、しばらくしてまた見つけてくれて3人旅になりました。

また走り出したけど、どうも30キロ過ぎから、大吉さんがまさかのペースダウン気味になっていました。
「34キロ過ぎにわーわーず応援隊が居るからね、頑張ろうね」と励まし、ゆっくり走ります。
この1,5キロ程が非常に長く感じ、わーわーずはまだかまだか、と沿道の応援する人を見ながら走りますが、中々です。
そしてやっとのことで、向うの方にわーわーずの幟を見つけた時には、やっとたどり着いたって感じ。
10人程のわーわーず応援隊が待っててくれました。本当に嬉しく、思わず大吉さんのロープを放して、ハイタッチしてしまった。
Sさんが、私のリクエストした飲料を用意して下さってて、飲みました。ありがとうございます!
応援隊からのエールで元気を頂いて、あと8キロ程頑張ります。

しかしここにきて、本当に大吉さんのペースが落ちてきました。走ってはいるけれど、ゆっくりジョグです。歩いてしまいそうな錯覚に陥ります。
そしてついに35キロくらいで「ちょっと歩かせて」。どうしたのかと聞くと、脚が吊ってしまったらしい。
新しい靴でまだ足に慣れてなくて、長距離で足が吊ってしまったらしいのです。数m歩き、ストレッチしました。
ここでルビーさんが「脚が吊った時に即効性のある漢方薬を持っているから飲みますか?」と。
そこまで用意してるとはすごい。近くに35キロの給水があったので、それで飲みました。そしてまたゆっくり走り出しました。痛みは何とか大丈夫みたいでした。

まもなくコース最大の難関、南港大橋にかかりますが、この頃には周りのランナーの殆どが歩いていて、それを縫うように私達はゆっくりですが頑張って走りました。
南港大橋を無事に走って渡り、39キロ地点で、ルビーさんがカメラマンのさんじゅうこさんと大久保さんを発見!ヨレヨレじゃなく、元気な姿を写してもらいました。ありがとうございます!

残りの距離を数えて、あと長居1周、あと1k、もうちょっとです、と励ましながら、最後の角を曲がってようやく見えたフィニッシュゲート。
3人一緒に手を挙げてフィニッシュゲートをくぐりました!感動のゴールでした!

ネットタイムで5時間17分、グロスタイムで5時間26分、でした。
大吉さん、お疲れ様でした。脚が吊りそうになった時にはどうなるかと思ったけど、乗り越えて完走されました。

そして私も無事にフルの初伴走が果たせました。
と同時に、2年7ヶ月振りにフルが走れて、ちょっと自信も付きました。
単走とは別で、フル伴走というのは、やっぱりそれだけの醍醐味がありますね。
もう少し余裕で走れるようになったら、またフル伴走したいなと思いました。

最後に、今回の大阪マラソンではいろんな地点で、本当に沢山の応援を頂きありがとうございました。私達もそれを目指して走りました。
また大吉さんと一緒ということで、写真も沢山写して頂きまして感謝です。
また、ゴール地点まで来てくださった、平野さん、サケもっとさん、ありがとうございました。