和歌山の野尻(ブラインド)です。
12月13日、第19回視覚障害者マラソン宮崎大会、兼 第24回青島太平洋マラソン大会に行ってきました。
この日は最高の天気に恵まれ、昼間は20度近くまで気温が上がり、上着もいらないくらいの暖かさ。走ると暑いような1日でした。
この大会は3年連続で出場していて、フルのコースもかなり熟知してきた感じです。
3時間27分と、このコースで初めて3時間半を切ることができました。そして、障害区分別(B1クラス)で第1位をいただくことができました。
前半はキロ4分半から40辺りのペースでいけるところまでいってみましたが、やはり30キロを過ぎてからとても苦しくなり、かなりのペースダウンで地獄のような道のりでした。後半をいかに走るか、この辺りが大きな課題ですが、まあ前半の貯金がなんとか功を奏したのかなというところです。
コースは全体を通してアップダウンは少なく、特に宮崎市内中心部では沿道からたくさんの盛大な応援がいただけます。後半の10キロはすばらしい景色の青島海岸を行くのですが、足元が石畳であったり狭いところがあったりと、少し走りにくい感じがあります(もう疲れきっていますので、あまり関係はないのですが)。給水所は13箇所あり、宮崎の特産品や名物がたくさん。大会名物の日向夏ゼリーは37キロ辺りにあります(記録を狙う場合はゆっくり食べている余裕がないのでちょっと残念!)。
国際視覚障害者マラソン協力会という組織が宿泊や伴走者の斡旋などをしてくださり、宿泊場所である宮崎観光ホテルは、チェックインの際に大会の受付ができたり、また豪華な夕食や温泉大浴場や、朝は大会会場まで送迎バスがあるなど、とてもすばらしい、視覚障害者にとってとても参加しやすい大会です。
これからマラソンシーズン本番ですね。また頑張って走りたいと思いますので、皆さんよろしくお願いします。
カテゴリー: 大会参加記
目次は こちら 。
第5回神戸マラソン 宗平さんの完走記です
今日は第5回神戸マラソンに行ってきた。
昨年の福知山マラソンからちょうど1年ぶりのフルマラソンだ!
神戸は学生時代の6年間過ごした地であり、まさかその10数年後にそこを走っているなどとは考えもしなかったことなので、実に不思議なものである。
今回の伴走は平日練習で大いに鍛えてもらっているゆうさんだ。
なかなか手厳しいことも言うけれど、たいへん頼りになる存在なのだ。
朝9時。スタートはしたが、18000人が走るため、僕のいるFコーナーが出発できたのは13分後。
その後も団子状態で最初の1キロを通過するのに9分かかるという状況であった。
これはこれで、最初に飛ばしすぎるのを防げて個人的にはありがたい面もある。
しばらくはずっとこんな感じかと思っていたら、少し団子が解消してきたのか、ゆうさんのロープさばきがうまいのか、3キロを過ぎた辺りから、それなりに進めるようになってきた。
沿道にはかなり大勢の人が、温かい声援を送ってくれ、その声援も途切れることがないので、一体何人の人がエールを送ってくれているのだろうと思うくらい、なんともありがたい限りだった。
今回の目標は1キロ6分半のペースで最後までいってなんとか4時間半あたりを目指すことであったが、この辺りから6分半のペースで進めるようになってきた。
この秋は、山城・万灯呂山マラニックに始まり、わーわーずや神戸の方との神戸マラソン試走会、かもぱの姫路合宿と30キロぐらい走るマラニックにも参加させてもらったので、どれだけ持久力がついたのか楽しみだった。
三宮・元町・神戸を過ぎると、道が狭くなり、しばしば団子状態になった。
パンダちゃんのランナーについていって、7キロ地点で新長田駅を通り、巨大な鉄人28号に迎えてもらった。
「よし、この辺りでエイドがありそうだから、バナナでももらおう」と思っていたのだが、まだエイドはないらしい。
その後も、快調に走ったり、団子に入ったりを繰り返しながら、須磨に入ったようだ。
やはり老若男女のみなさんがエールをくれたり、太鼓やならしもので応援してくれたり、子供やチアリーダーのエネルギーをもらったりしながら、いつぞや国道2号線を、JRと山陽電車に囲まれながらそれなりにペースを保って、海の風を感じながら快走していた。
この辺りは試走会で走ったなぁという記憶がよみがえる。
ゆうさんが僕の手をとって、「宗平さん、手を右に出してみて」というので、そうしてみたら、沿道のみんなも手を出してくれていたようで、順にタッチしてくれた。
これは面白いよね!
「3番目の人の手はえらい大きかったなぁ」と聞いてみたら、「あれは猫のぬいぐるみやった」とのこと。
なるほど、いろんなのが応援してくれてるわけね。
そのままパチンパチンとタッチを楽しんでいたら、前にランナーがいたらしく、その人の背中にはい、タッチ、なんてこともしてしまったけど…。
ふと、「泥棒さん頑張ってー!」という声が何度か聞こえる。
ゆうさんに「泥棒って何やろねぇ?」と聞いてみたら、泥棒の格好で走っている人が近くにいらっしゃるらしい。
と聞いた瞬間、「泥棒です。頑張りましょうね!」と声をかけてくださった。
泥棒というにはかなり優しそうな人だった。
垂水の辺りまで来たらしいけれど、まだエイドがない。
密かに楽しみにしてるのに、そう簡単には食べ物を出してもらえないようだ。
ときどき、ブラインドランナーの人を見かけては声をかけて励まし合った。
わーわーずの方にも会ったようだけれど、どなただったのかわからなかったなぁと思っていたら、たくちゃんと、ブラインドの方がどなたかわからなかったのだが、お会いできて嬉しかった。
今回は、「伴走さん、頑張って!」という声も幾度となく聞いた。
今まではあまり聞いたことがなかったのだけど、少しずつ伴走というものが認知されてきたようで非常に嬉しい話である。
ゆうさんも、そんなふうに言ってもらえて、なかなか嬉しそうやった。
おっ、いよいよ折り返し地点の明石海峡大橋が近づいてきて、ただでさえ大勢の応援隊がなお一層手厚くなっている。
「応援もありがたいんやけど、そろそろ腹がへってきたので、食べ物のあるエイドを開いてくれ。折り返しまでに一カ所もエイドなしはいくらなんでも…」と心の中で唱えていた。
前半はなかなか快調に楽しみながら走れているぞ!
少し腰の辺りが痛くなってきたけれど、まだまだいける。
そのとき、ようやっと、待ってましたのエイドが現れた。
本日一本目のバナナなり(朝ご飯にも食べたから2本目かもしれないけど)。
チョコパンももらったのでエネルギーが補給された。
その後、また沿道に手を出して、何人かの人とタッチを交わして大いに元気をもらった。
勢い余って、気づけばその手を前のランナーのおっちゃん(だと思う)の脇の下へと入れてしまっていた。
えっらい汗かいてはる。
失敬しました。
それにしても、天気予報では雨の心配をしていたのだけれど、雨は家から駅まで降られた程度ですんだのだけれど、天気予報に反して、どうも陽射しがきつくてなんでやねん!
おまけに、海岸沿いはビル街とは違って、陽射しの影響をもろに受けるので、体感温度的にはちと暑くて、なかなか厳しい様相を見せてきた。
だからというわけかどうかは定かでないが、エイドの間隔が狭くなってきて、先程食べ損ねたどら焼きをもらい、走り出そうとしたとき、元気な声が呼びかけてくれていた。
なんと、おけいはんさんである。
やはり、知ってる人に会うとそれだけで嬉しいし、お互いに目標を言い合って、エールを送り合うのも実に楽しいものだ。
30キロの辺りにきた頃だろう。
ゆうさんが「宗平さん、ちょっと疲れてきてるやろ」と聞いてきた。
まさにズボシである。
腰だけでなく、ふくらはぎも膝も痛くなってきて、後12キロが途方もなく長く感じられてしまうというのが正直なところだ。
1年前の福知山のときも「30キロの壁」が大きかったが、やはり今年もまだまだその壁は手強かった。
まだまだ持久力が足らず、修行不足を痛感してしまう。
そんなとき、エイドでいただいたみかんの酸味がなんともおいしかった。
その横のおっちゃんに手を出すと、塩昆布をどっさり乗せてくれた。
そして、塩飴をもらったのだが、僕は飴はかまずにずっと口の中に入れておきたいもので、これがその後の苦境との良きパートナーとなってくれた。
30キロ付近ではまだ6分半のペースをなんとかキープしていたが、33キロ辺りではもう完全にペースダウンである。
給水所で水を飲んでは、屈伸して、アキレス腱を伸ばし、エアサロンパスを吹きかけてもらって、だましだまし走るしかないというきつい状況である。
そんなとき、ちょっとしたくぼみがあって、おっととっとどっこい!
少しふんばるも、あぁ、これは間違いなくこけるパターンだ!
とふんばりながらも覚悟を決めた瞬間、なんとゆうさんのスーパーこけたらあかんミラクル必殺技が発動され、どういうわけかバランスが徐々に回復した。
おそるべきゆうさん!
35キロで噂に聞いていた上り坂がやってきた。
ちょっと坂を上る気力が出せず、歩くことにした。
普段ならなだらかな上り程度に思う坂だとは思うが、この地点で遭遇すると話は別だ。
それにしても、この辺りは1キロがなんと長いことか。
でも、声援が途切れないのだから、ペースダウンしててもひたすら進むしかない。
足もかなり限界だが、あと5キロ。
昨年もそうだったが、その5キロが果てしなく遠いのだ。
そうして迎えた37キロ。
「あぁ、宗平さん、また坂があるわ」とゆうさん。
「え?坂って二つもあるんかいな」と一応スローペースで走ろうとしたのだけれど、そのペースでは歩いているのと変わらないとのことで、歩くことにした。
一度歩くと安きに流れてしまう。
その瞬間、なんと5時間のペースメーカーに追い抜かれてしまった。
これはまずい!と思える気力は残っていたようで、給水した後、赤くなっている腰に鞭打って、何とか力を振り絞ろうと試みる。
「あと4キロですよ」
「お、あと4キロ、うーん微妙な距離だな」
300メートルぐらい走ったところで、「頑張れ!あと4キロやで」
「おいおい、さっきも4キロって言ってたけど、どういうことやねん」
たくさんの声援をいただいているけれど、なかなかそれに応じるエネルギーがなく、ゆうさんの「後2キロや」という一言に元気をもらい、あと2キロならなんとかいけるかも、いやここでやらんかったらあかん、という気が出てきて、1キロ7分ペースに近づけることができた。
41キロ付近で、「100%勇気」の歌が流れてきた。
「100%勇気 もうやりきるしかないさ」
そのフレーズに励まされ、ペースを乱さずになんとかやり切れそうな気がしてきた。
「おかえりなさい」の声援が増えてきて、直進コースに入って、ゴールイン!
目標タイムには届かなかったが、4時間57分48、正味で4時間45分31だった。
福知山のときよりは正味で10分程短縮できたかな。
バスタオルとメダルをかけてもらい、炊き出しのスープと神戸スイーツをいただいて終了!
ゆうさんには練習のときからたくさんはっぱをかけてもらい、安心して走ることができ、感謝感謝である。
次の目標はやはり4時間半だろうか。
今シーズンは1月の高槻ハーフ、2月の視覚障害者マラソン、3月の篠山にエントリーしている。
今後もみなさんにいろいろ教えてもらいながら、ともに楽しく走って行きたいので、どうぞよろしく!
第1回金沢マラソン はなてんちゃんの完走記です
11月15日に開催された第1回金沢マラソンを走ってきました。
エントリーは障がい者枠で優先的に走れるということでなんのストレスもなく申し込みが完了しました。第1回ってどうなんだろ?運営面や交通アクセス、コースの状況はどんなだろ?と不安はありましたが、SNSなどから得られる情報はとても細やかで当初の不安はどこ吹く風、楽しみと期待感でいっぱいに胸を膨らませて前日受付に行きました。
わーわーずからもたくさんのブラインドランナーがエントリー、私は伴走のUさん、Yさん、Nさん、Kさんご夫妻の6人で向かいました。
数十年ぶりに訪れた金沢駅はまるで大阪駅の様な広さ、受付会場も駅構内?と思えるほどの近さで、障がい者受付ブースは別になっていてスムーズでした。
日曜日、土曜日から引き続いての雨にテンションは下がり気味。
マラソン会場は兼六園の側、シャトルバスもあったけれど駅から歩いても20分ほどなのでウォーミングアップを兼ねて歩いて行きました。スタート地点とゴール地点は離れているので手荷物はトラックに預けます。ここでも障がい者専用のトラックがあり、荷物を預けていると別行動のわーわーずメンバーと自然に合流できました。そしてろう者の方もぞくぞくとやって来られました。聞けばろう者だけでも70名のエントリー、視覚障がい者を含めると120名のエントリーがあったそうです。素晴らしいですね。
このマラソンでの目標は5時間を切ること。
8月中旬に腰を痛めてかばってると膝も痛くなって歩くのもひょこひょこ状態から徐々にジョグができるようになって10月に入ってようやく休みなしで15キロをゆっくりペースで走れるようになったばかりでしたから最悪7時間かかってもという気楽な気持ちでした。雨も止んでいい感じ?と思ったのもつかの間、また、激しく雨が降ってきました。
開会のセレモニーが終わってようやくスタート、なんと雨もぴったり上がりました。
Bブロックからだったのでスタートロスは約2分いい感じでスタートできました。
沿道は応援の人たちでいっぱい、途切れることなく声を限りに「がんばれー」「いってらっしゃーい」の声と楽器の演奏、小さな子供たち、年配の方々や野球少年チームなどなど、コースの途中に長いトンネルが2か所あるんですがその中にも応援の人たち、住宅街でも家から出てきての応援、金沢のみなさんの熱いあったかい応援に支えられどんどん走ることができて自分でもびっくりでした。
それでも練習はうそをつきませんね。15キロを過ぎたころから足は重たくなってペースダウンし足が動かなくなってきました。でもここであきらめたくはありません。実は30キロ辺りにカレーエイドがあるとのことで、前日に伴走のUさんと「金沢カレーって有名だからたべなきゃね」と話してました。私の初フルは2009年、しんどくなったら次のエイド次のエイドと言いながら走ったことを思い出し口の中でぶつぶつ言いながら、そしてUさんにも励ましてもらいカレーエイドに到着、ところが私はカレーの香りで満足(笑)Uさんに食べてもらいました。次は洋菓子エイドとスタートしたものの太ももが痙攣しそうで歩きが入ってしまいました。まあ、この頃はよくあることです(涙)
でも歩いていると徐々に復活、そんなとき後ろから男性が声を掛けてきました。聞けば東京からの参加、自分も若いころ少しだけ伴走をしたことがあるとか、年齢を聞くと75歳とか、元気で愉快なおじさんに助けられて私も元気をもらいました。
どの大会でもそうですが見知らぬランナーさんが走りながらエールを送ってくださいます。東京のばんばんクラブの方や他県の伴走者さんなどたくさんの方にエールを送ってもらえて元気をもらって走ってます。みなさん本当にあたたかいですね。
私も沿道での応援には「ありがとう」と声を出しています。そうすると自然と元気がでるからです。
洋菓子エイドでは有名なお菓子を食べて大満足、おかげで走れてました。
エイドはコーラ、果物、おにぎり、和菓子、洋菓子とおもてなしでいっぱい、特にコーラはとてもありがたかったです。応援もほぼ途切れることなく私たちの背中を押してくださってます。しんどいときに「がんばってるねー」の声が聞こえてきてはじめて涙が出てきました。そしていよいよゴール、Uさんと両手を挙げてゴールゲートをくぐったときも涙が、、、 感動のゴールでした。そしてタイムは4時間36分36秒と上出来。
しんどいときもあったけど楽しい金沢マラソンでした。コースは緩やかなアップダウンはあるけれど道幅も広くて走りやすいコースでした。
来年も走りたい大会がまた一つ増えました。
「2015大阪マラソン」サケもっとさんの大吉さん応援レポートです
大吉さん応援記
大吉さんは今までずっと大阪マラソン落選だったそうで、
今年もやはり落選だったそうです。
今年80歳の大吉さんは、3月の篠山マラソンで、
朝から1日中降り続く雨の中で、足がつってしまい、
制限時間の厳しい篠山マラソンでは、やむなくリタイヤとなりました。
そのこともあって、1度は走ってみたい大阪マラソン!
今後いつ当選して走れるかわからないので、チャリティランナー枠で申込みをしたそ
うです。
抽選の大会で、視覚障がい者枠などありますが、
80歳以上は抽選なしで、走れるようにしてほしいものですね。
長居の練習会を早めに終えて、地下鉄で、34キロ地点に移動しました。
四つ橋線は応援の人が多く、
住之江公園駅では、ニュートラムへの乗り換えが行列になっていました。
なんとか平林駅からてらやん達の応援隊と12時半過ぎに
合流して、大吉さんを待っていました。
ランナーズ・アイで大吉さんの場所を確認したところ、
1時過ぎに通過予定でした。(間に合ってよかった~!)
少しタイムが遅くなってきていたけれど、
大吉さんオリーブさんペアとルビーさんが元気に走っていきました。
ランナーズ・アイで、大吉さんたちのゴールタイムをチェックしながら
後の皆さんを応援して、2時半くらいにゴール地点に移動しました。
平林から中ふ頭までの電車もえらい混雑していて、
ベビーカーもあったり、子供たちも応援にたくさん来てるようでした。
ゴール地点は応援者は入れないようになっていて、
手前(42キロくらいかな?)で大吉さんたちを待っていました。
ここでもランナーズ・アイで場所や時間を確認しました。
少しペースが落ちていて、ゴールタイムは、5時間を超えていました。
大吉さんたちを見つけたときは、前に何人かの人がいてはって、
思わず白杖を振り上げて応援していました。
最後オリーブさん、ルビーさんが気づいてくれて、
ゴールに向かって3人で走ってゆきました。
ゴール後3人に会えないかなと会場を散策していたら、
ゴールした皆さんが向かってくる中、大吉さんたちを探して逆行していたら、
ちょーど荷物を受け取った大吉さんたちと出会いました。(よかった~!)
そこで、ゴール間もない3人とおまけでウチも一緒に写真を撮りました。
大吉さん、オリーブさん、ルビーさん、皆さんめちゃ元気でした。
大吉さんとオリーブさんは着替えてから住之江のスパスミノエで汗を流して、
住之江近くのサイゼリアでプチ打ち上げをしました。
大吉さんには、ちとイタリアンは食べれるメニューが少なかったようです。
レースの模様やいろんなお話をお聞きしました。
レース中、後半ペースが落ちたのは、
娘さんからランニングシューズをプレゼントしてもらって、
そのシューズで走らはったのですが、試し履きもしてなかったので、
足にマメができてペースが落ちたようです。
そんな中でも5時間17分でゴールはすごい!です。
福知山では、今までのシューズを履いて、も1度がんばると力強く話されてました。
伴走もですが、他の若いランナーと一緒に走ることができて、
うれしいとも、そして、すごく感謝もしてはりました。
きっと大吉さん以外、全員が若いですよね。(笑み)
走れる体にも感謝してはって、日々の努力もすごくしてはって、
それを普通に話はるので、
ほんとうすごい人だな~と感心するばかりでした。
篠山マラソンは、無念のリタイヤ、
大阪マラソンで、ネットタイム 5時間17分で完走。
福知山では、サブ5達成!
レース後お話を聞いて、
福知山でのサブ5達成が、きっとではなく、必ずできると確信しました。
最後にランナーのタイムがわかるサービスを大阪マラソンでは、
ケイ・オプティコムが提供している、ランナーズ・アイがありました。
個人の5キロごとの通過タイムがわかるだけでなく、
地図上にランナーの場所がわかるようになっていて、
プラス、登録した全員のランナーの場所も一緒にわかるようになっていました。
大吉さんを追っかけていて、その画面を見ると
近くにだれがいるかとゆうのもわかるのです。
ルビーさんがずっと一緒だとゆうこともわかりました。
途中誰を抜いたとか、抜かれたとか、
応援には大助かりなサービスで、待っている間の楽しみも倍増でした。
「2015大阪マラソン」オリーブさんの伴走レポートです
先日の大阪マラソン、80歳の大吉さんと一緒に走ってきました。
その前に・・・
抽選は落選でしたが、どうしても大阪マラソン走りたいということで、チャリティランナーとしてエントリーされました。
7月のわーわーず練習会に参加した時に「大阪マラソン、多分走れると思うから伴走お願いします」と言われて、半信半疑でしたが、そういう方法があるのかとびっくりしました。
とは言っても、私自身10月というまだ暑い時期にフルを走ったことがなく、おまけに故障明けでゆっくりしか走れないので、その事も伝えましたがが、「オリーブさん、4時間以内で走れるやん」と。どうも私は速いと思われてるようでした。でもそれは2年半前の話ですから・・・
最初は「5時間でいいから」と言われたけど、それは無理と言うと「ゆっくりでいいから。福知山で頑張るから6時間でもいいから」何度も仰るので、それならと伴走をさせて頂くことにしました。
それにしても時間がない。確定したのが8月、正味2ヶ月で20キロ走数回、神戸マラニック、大吉さんとのロング走、4時間走で30キロ走るなど、速習的に調整しました。
心配だったのはやはり30キロ以降でした。膝の古傷が出るかもしれない、ヨレヨレになるかもしれない、など不安は一杯でしたが、もう走るしかない。(笑)
そういう諸々があって迎えた大阪マラソン当日。
大吉さんはチャリティランナーなので、一般ランナーとは違って専用エリアというのがありました。森之宮から徒歩約20分の西の丸庭園内北端にあり、更に歩いて10分程でやっと到着。
まずはスタッフさんたちのお出迎えで、写真写されました。
トイレ、更衣室、バナナの給食完備のVIP待遇。
用意して、荷物預け、バナナを頂いていよいよ行こうとすると、またスタッフさんに写真を写されて、お見送りを受けてチャリティランナー専用出口から、大吉さんのGブロックへ移動です。
天満のドーンセンター前が丁度Gブロックでした。8時20分頃にスタンバイ。
そこでわーわーずあっちゃんと伴走されるお仲間の3人にばったり会って、エール交換。大吉さんと立っていたら、少し前方でキョロキョロしているルビーさん発見、手を振ったら気づいてくれてこちらに移動。
そこで「一緒に走りましょうか」となりました。
号砲は鳴ったものの、スタートロスに9分かかり、ようやく走り出しました。
大吉さんはなるべく水分は採らんようにすると言われて、しばらく給水ポイントはスルーしました。
ペースは最初6分半くらい、速めに感じたので手綱引き気味に走って丁度よい感じ。
沿道は応援で凄い人、御堂筋を32000人のランナーが走る、壮観でした。
15kで給水取り損ねて、17,5キロでようやく最初の給水、生き返ってまたスタート。
この時、このペースで行ければもしかしたら5時間以内可能か?と一瞬頭よぎったけど、それはとても甘かった。
ハーフで2時間半くらい、大吉さんも「今何キロ?」「今何時?」と気になる様子。
23キロ地点からやっと給食があって、バナナとクッキー、給水。
その後も給水と給食採りながら走るけど、ちょっとペースが落ちてきた感じ。
29キロくらいでエミューさんのエイドをルビーさんが見つけてくれて、ありがたくコーラを頂きました。ありがとうございます!
30キロ過ぎ、大吉さんに引っ張られたのでどうしたのかと見ると、走りながらウェストポーチからパンを取り出して食べながら走られました。
お腹空いては走れないですよね。
大吉さんは走る時腕を大きく前後に振られます。伴走している私の腕はそれに合わすか、なすがままになるのですが、長時間力強い振りが続くとこれが結構疲れるのです。
さすがに30数キロ伴走していると、私の腕が疲れてきて、ルビーさんに伴走を代わって貰おうかとも思いました。
ルビーさんも「伴走代わろうか?」と言って下さったのですが、そこで思ったのが「この伴走ロープが私にとっても命綱になっている、ここで放したらもしかしたら私は走れなくなるかもしれない」と。
それで「このまま行きます。ロープが命綱になってるので、放したらヤバイです」
ルビーさんも分かって下さいました。
そしてようやく32,5キロ地点に到着、大阪マラソン名物の「まいどエイド」のご馳走です。いなり寿司、しば漬け巻き、アイスきゅうり(冷えたきゅうりが美味!)、栗まんじゅう、たこ焼き、冷やしパイナップル、らっきょ、などなど食べました。
他にもあったけどそう食べられない。大吉さんも一杯食べて、また元気を取り戻して走り出します。が、ルビーさんが周囲探しても居ない、仕方ないので、ゆっくりスタートしてると、しばらくしてまた見つけてくれて3人旅になりました。
また走り出したけど、どうも30キロ過ぎから、大吉さんがまさかのペースダウン気味になっていました。
「34キロ過ぎにわーわーず応援隊が居るからね、頑張ろうね」と励まし、ゆっくり走ります。
この1,5キロ程が非常に長く感じ、わーわーずはまだかまだか、と沿道の応援する人を見ながら走りますが、中々です。
そしてやっとのことで、向うの方にわーわーずの幟を見つけた時には、やっとたどり着いたって感じ。
10人程のわーわーず応援隊が待っててくれました。本当に嬉しく、思わず大吉さんのロープを放して、ハイタッチしてしまった。
Sさんが、私のリクエストした飲料を用意して下さってて、飲みました。ありがとうございます!
応援隊からのエールで元気を頂いて、あと8キロ程頑張ります。
しかしここにきて、本当に大吉さんのペースが落ちてきました。走ってはいるけれど、ゆっくりジョグです。歩いてしまいそうな錯覚に陥ります。
そしてついに35キロくらいで「ちょっと歩かせて」。どうしたのかと聞くと、脚が吊ってしまったらしい。
新しい靴でまだ足に慣れてなくて、長距離で足が吊ってしまったらしいのです。数m歩き、ストレッチしました。
ここでルビーさんが「脚が吊った時に即効性のある漢方薬を持っているから飲みますか?」と。
そこまで用意してるとはすごい。近くに35キロの給水があったので、それで飲みました。そしてまたゆっくり走り出しました。痛みは何とか大丈夫みたいでした。
まもなくコース最大の難関、南港大橋にかかりますが、この頃には周りのランナーの殆どが歩いていて、それを縫うように私達はゆっくりですが頑張って走りました。
南港大橋を無事に走って渡り、39キロ地点で、ルビーさんがカメラマンのさんじゅうこさんと大久保さんを発見!ヨレヨレじゃなく、元気な姿を写してもらいました。ありがとうございます!
残りの距離を数えて、あと長居1周、あと1k、もうちょっとです、と励ましながら、最後の角を曲がってようやく見えたフィニッシュゲート。
3人一緒に手を挙げてフィニッシュゲートをくぐりました!感動のゴールでした!
ネットタイムで5時間17分、グロスタイムで5時間26分、でした。
大吉さん、お疲れ様でした。脚が吊りそうになった時にはどうなるかと思ったけど、乗り越えて完走されました。
そして私も無事にフルの初伴走が果たせました。
と同時に、2年7ヶ月振りにフルが走れて、ちょっと自信も付きました。
単走とは別で、フル伴走というのは、やっぱりそれだけの醍醐味がありますね。
もう少し余裕で走れるようになったら、またフル伴走したいなと思いました。
最後に、今回の大阪マラソンではいろんな地点で、本当に沢山の応援を頂きありがとうございました。私達もそれを目指して走りました。
また大吉さんと一緒ということで、写真も沢山写して頂きまして感謝です。
また、ゴール地点まで来てくださった、平野さん、サケもっとさん、ありがとうございました。
「2015 第18回 村岡ダブルフルウルトラランニング」ランタナさんの参加記です
ランタナ(ブラインド)です。
初めての、村岡ダブルフルウルトラランニング66キロに参加してきました。
皆さんに、どうだったたと聞かれますが、先ず一言しんどかったですと答えています。
翌朝起きたら、足が痛くて歩けませんでした。
初めての、フルマラソンを走った時より、水都大阪の100キロを走った時より、疲労は大きかった様です。
大会前日に、車に乗せて頂き、現地迄行きましたが、車中ではおしゃべりが楽しくて、本当に走れるだろうか、噂の難コースを完走出来るのだろうかとずっと不安に思っていた事等、忘れていました。
受付会場に着いたら、沢山の知り合いに声を掛けていただき、久しぶりにお会いした方が多く嬉しくて明日の事はすっかり忘れていました。
宿の部屋は17人か18人位が一緒の大きな部屋でしたが、100キロから44キロコースとそれぞれのスタート時間が違うので、食事、お風呂とあわただしく終え、早目の消灯でしたが、なかなか寝付けませんでした。
前日に急遽伴走して頂くことになった、Hちゃんと一緒に宿の車で送って頂きスタート地点で待機していると、早くも100キロコースの方達が走って通過していきました。
8時いよいよスタートです。なぜか思っていたより緊張はありませんでした。
走り出して直ぐ上りで、それが、路面に滑り止めのギザギザがあり、私の苦手な路面で、3キロ位上り切った時には、すでに足に来ていました。
後は兎に角、上ったり下ったりだけのコースなのですが、下りでも急坂は怖くて走れない所がありブレーキを掛けながらの下りですから、ここでもまた足に来ました。
エイドでは、88キロの方や、100キロの方と出会い声を交わしますが、皆さんあっという間にいなくなってしまいました。
私は何時も走りながら殆ど残りの距離の事は考えません。ひたすらゴールを目指すだけでした。でも、今回は44キロの方の伴走予定だったHちゃんが急遽私の伴走をして下さる事になったので、何としても44キロは走ろうと決めていました。
朝の天気は、曇りがちで走り易い天候でしたが、お昼の太陽が真上に来るとさすがに暑かったです。
何キロ走って、何キロ歩いたのか判りませんでしたが、44キロに出走のSちゃんと長~い上り坂の手前のエイドで合う事が出来、なぜかホットして道路の隅に並んで座りこみました。それまでのエイドではおにぎりを食べたり、あまり好きではなかったおはぎも美味しく頂いたりしてきましたが、ここで小さい巻きずしを食べようとすると、それが、えずいて食べられなくなりました。スポーツドリンクも気持ち悪くて喉を通らなくなっていました。コーラだけは美味しかったので、後は殆ど塩とコーラとオレンジで通しました。
スタートしてからずっとエイドは沢山あり、本当に色々の食べ物が、最後のエイド迄、豊富にありました。カレーもお好み焼きも食べられませんでした。でも、冷たいお素麺がめちゃくちゃ美味しくて御代りをして思わずごちそうさまでしたと手を合わせていました。それくらい生き還ったようになり、ありがたかったです。
Sちゃんと並んで座りこんだエイドを後に走りだしましたが、直ぐに走れなくなり、歩いたり走ったりを繰り返していると行けども行けども上りが続きます。やがてあたりが夕暮れ模様になり山の中ですから直ぐに暮れてしまったような感じでした。
最後の頂上のエイド迄の上りが本当に長かったです。この上りは永遠に続くようにも思いました。之が最後の上り、後は下ってゴールするだけ、4キロか3キロだったかは判りませんでしたが、ノンストップで駆け下りました。真っ直ぐの下り坂の目の前
に、満月の大きな月がお帰りと出迎えてくれているように輝いていました。やがてゴール会場の音が大きく聞こえてきます。やっと終わります。もう走らなくてもいいのだ、伴走のHちゃんと手を上げてゴールテープに駆け込みました。
伴走のHちゃんとは練習会でもロープを持って頂いた事は無かったと思いますが、前日急に一緒に走って頂くことになったのにもかかわらず、本当に素晴らしい伴走をして下さいました。途中何度も痙攣が来ましたが、私の走り方に根気よく付き合って下さり、しんどい、痛い、この坂いつまで続くのと嘆く私をリードしながら、最後迄、明るく元気に励まして下さりました。
本当にありがとうございました。感謝で一杯です。お蔭で憧れだった村岡66キロを完走出来ました。
村岡は、町全体が大会一色で学生さんから住民全員が大会に関わって下さっているようで、お家に残っているらしい、おじいちゃん、お祖母ちゃんとお孫さんが沿道に出て声援を送って下さいました。応援の小さい手と握手をすると本当に癒されました。
日暮れの冷え込んできたであろう沿道に椅子を出し、声援を送り続けてくださっているお年寄の方達と、近づいてくるゴール会場の音に、今までの辛さが消え、やり切った安堵感で満たされていきました。
私には最高の素晴らしい大会経験となりました。これも最後迄ロープ持って、下り坂では腕を組み、曲がり角ではしがみつく私を支えて下さった伴走のHちゃんのお蔭です。そして、前日から帰りの遅い時間迄車を運転して下さったEさん、宿でお風呂から全てをサポートして下さったRさん、宿の手配をして下さったもう一人のRさん、一緒に走りながら応援して下さった、わーわーずの方、途中何度も声を掛けて下さった方々のお蔭と深く感謝です。
皆さんのお蔭で素晴らしい思い出を作る事が出来ました。
あの時、夜空に輝いていたまん丸のお月さまは一生忘れる事は無いでしょう。
村岡ダブルフルウルトラランニングの大会サイトはこちらです
「大阪駅から明石まで、夜中のマラニック」野尻さんの参加記です
和歌山の野尻です
大阪駅から明石まで、夜中のマラニックは大変お世話になりました。
参加されたみなさんお疲れ様でした そしてガイドの皆さん、本当にありがとうございました。
感想など少し長文失礼します。
11時に大阪駅に集合 東西線北新地駅改札前で参加者21名が顔を合わせ、自己紹介とペアリング。京都のまみこさんが伴走です。
12時前に北新地を出発。
新地を行き交う人たちには、「いったい何の集団だろう?」と、不思議に見られてるだろうねと話しながら、夜明けの神戸を目指します。
心配した雨はほとんど小降りです。
走り始めて1時間近く、コンビニで最初の休憩をしようとしていると、目前の神埼川を渡る辺りで関門があるとのこと。どうやら何かの訓練が行われるらしく1時頃から通行止めになるようです。なんとか関門すれすれに無事通過です。
こんな街中でも、さすがに夜中の1時や2時にもなると、行き交う人はありません。それでもコンビには開いていて、心強さと便利さを実感します。
尼崎、西宮、芦屋を通過。
3時頃には新聞配達の人が動き始めるようです。2号線をそれて住宅街を走っていますので、まだまだ世界は寝静まっています。
歩道のアップダウンや信号での停止など、一定のリズムで走れないことがこんなに疲れるものかと実感します。
4時半頃、5箇所目のコンビに休憩。三宮まで約6キロ、まだトータルの半分に少し達していないようです。
それでも25キロほど走ってきて、足はかなり疲れています。特にふくらはぎがだるくなっています。
夜明けを告げるように鳥たちが鳴き始めます。朝はこうしてやってくるんですね。
疲れてるはずとは思うのですが、皆さんとても元気で、本当に驚きです。
100キロのウルトラをやるためにはこういう状況に耐える必要があるんだなと強く感じながら、西を目指します。
三宮、神戸を通過。
奇跡的に雨は降りません。
コンビにでは当初は飲み物だけを買っていましたが、おにぎりで糖質とともに塩分の補給です。おにぎりがほんとに美味しいと感じます。
昨年は逆のコース、明石から新世界までを走ったようですが、夜明けとともに陽が上ってとても熱かったとのこと。今日は曇り空でとても良い条件です。ただ湿度がかなり高いのか、汗が蒸発しません。
そして8時、須磨までやってきました。43キロ、ついにフルを超えました。
ここからはもう気力です。
海岸を走り、塩屋駅を過ぎて、間もなく明石海峡大橋が見えてきたようです。
9時半に明石海峡大橋に到着。皆で写真撮影です。
道のりも時間的にも、ずいぶん遠くまできたんだなとひしひしと実感します。
さあ、後1駅、舞子にある銭湯までラストラン。黙々とゴールを目指します。
そして10時20分、ついにゴールの銭湯に到着です。約55キロとか。
皆で走りきった喜びを分かち合い、写真撮影です。
途中で2人ほど、朝の電車で帰られましたが、それにしても皆さん約10時間も、もちろん徹夜で活動し続けたことに、ただただ驚くしかありません。
55キロは自分にとって最長距離です。走りきった達成感はとても大きな喜びです。
まみこさんには最後まで伴走していただきました。同じ時間と道のりを、苦しみや喜びを共有できたことに感謝感謝です。
初めての経験はとてもすばらしい機会となりました。
色々と気をつかいながら、すばらしい企画をしてくださったてらやんには、大変
お世話になりました。
皆さん本当にありがとうございました!!
それでは失礼いたします。
2015世界トライアスロンシリーズ横浜大会 長井さんの参加記です
2015世界トライアスロンシリーズ横浜大会 エリートパラトライアスロンの部・エイジパラトライアスロンの部 長井さんの参加記です
パラトライアスロン横浜大会のエリートの部の当日は、16日(土)の午前4時に起床。
予報どおり、外は雨。
午前5時にホテルを出て、僕の所属するチームTRI6WESTの集合するスターホテルへ行くのですが、雨が降っているので、タクシーで向かいました。
午前5時半から受付開始なので、タンデムバイクをガイドの相ちゃんと傘をさしながら押して、レース会場へ行って、タンデムバイクのチェックやヘルメットのゼッケン番号のシールの貼り付け位置のチェックや僕は、全盲のためブラックアウトのサングラスを付けなければいけないので、それが、規定どおりかなどのチェックを受けて、ランニングシューズなどを所定の位置に置いて、受付に行き、スイムキャップとICタグを受け取り、ウエットスーツを着て、スタート時刻を待ちました。
午前6時半から大会開催セレモニーがあり、選手一人ずつ名前をコールされて、スイムスタートのポンツー(人口の浮島)へ港の堤防からスロープをアップダウンして移動。
6時55分にPT4のカテゴリーの選手がスタートするので、僕のスタートまでポンツーのへりに座って、待機するのですが、座ろうとしたら、雨で足がすべってしまい、海中に転落してしまいました。
急いで、ポンツーに上がり、気持ちを落ち着けて、時刻を待ちました。
僕のPT5は、第2ウェーブで6時58分にスタート。
横浜港に浮かんでいるブイを時計回りに750mを泳ぎました。
雨でしたが、波もあまり無く、前日に試泳していたので、ガイドの相ちゃんも僕もノートラブルで、昨年よりも2分ほど速くスイムアップして、バイクのトランジットに駆け込みました。
ウェットスーツを脱いで、バイクシューズとヘルメットとブラックアウトサングラスを付けて、タンデムバイクを押しながら、乗車エリアまで走り、そこから20kmのバイクスタート。
始めは、雨で路面が濡れているので、スリップして転倒しないようにゆっくり走りながら路面のコンディションを確認。
充分注意しながら、声を掛け合って、徐々にスピードアップ。
雨にもかかわらず、沿道からTRI6WESTのメンバーの方や知り合いの方々など沢山の声援を受けて、約5kmのコースを4周しました。
Uターンやカーブで、急に狭くなっているところはスピードを落とし、そこを切り抜けると僕が立ちこぎをして、またスピードアップ。
メインストリートの1000mほどの直線道路では、パイロットの相ちゃんと息を合わせて、雨にもかかわらず、時速45km以上も出たようです。
バイクもノートラブルで、昨年よりも1分?ほど速く終了。
そして、バイクの降車エリアに到着して、トランジットで、ヘルメットを脱いで、バイクシューズからランニングシューズに履き替えて、ランのスタート。
ランは、コースを3周しての5km。
でも、バイクで脚力を使いすぎたのか、力走ができず、我慢の走りとなってしまいました。
2周目で、米岡君に抜かれてしまい、ランタイムは昨年と同じで5位でゴール。
しかし、ナイスガイドの相ちゃんのおかげで、1時間19分23秒で昨年よりも自己ベストを3分ほど更新できました。
雨の中、ガイドをしてくれた相ちゃんには、大感謝です!
そして、サポートや応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
世界トライアスロン大会エイジパラのレース当日
前日のエリートパラのレースでは、4年連続で自己ベストを更新できたので、気持ち良く、エイジパラのレースに臨めました。
エイジパラのレースは、エリートパラとは違い、午前6時に受付をしてから、タンデムバイクを押して、ラントランジットへ行き、ランニングシューズなどを置いた後、またタンデムバイクを押して、バイクトランジットまで行って、設置しました。
エリートパラは、バイクTRもランTRも同じ場所ですが、エイジパラは、バイクTRとランTRは、別の場所でした。
そして、エリートパラは、ウェーブ(時間差)スタートでしたが、エイジパラは、7時15分に各カテゴリーの選手が同時にスタート。
始めのスイムは、エリートのコースと同じ、横浜港を右回りに泳ぐ、750mでしたが、前日よりも海に沢山のゴミが浮いていて、波も高かったので、ゴミが口の中に入りそうになって、泳ぎにくかったです。
前日よりも1分ほど遅くスイムアップして、バイクトランジットへ向かい、バイク乗車エリアからタンデムバイクでスタート。
エリートのコースは、約5kmを4周しましたが、エイジのコースは、少しアップダウンのある6.6kmほどのコースを3周しました。
そして、このバイクで、僕のカテゴリーでは、1位になり、ラントランジットへ到着。
そして、最後のラン5kmに移りましたが、昨日のエリートレースの疲れが出て、体に力が入らずに全然走れません。
コースもエリートとは違い、横濱倉庫街のドウロを走るために歩道橋のジグザグのスロープを駆け上がったりして、また段差もあったりして、見えないと非常に走りにくいコースを1周して、また別の道路を600mほど折り返してからゴールでした。
天気も昨日と違い、カンカン照りで、暑くて、ペースダウンしてしまい、残り1kmあたりで、追い越されて、2位でのゴールとなりました。
やはり、2日連続のレースはきつかったですが、自分の今の力を全部出しきれたのは、大変満足できました。
ガイドの相ちゃんも2日間のレースで、事故もなくて、僕の力を引き出してくれて、とても感謝です。
また、TRI6WESTのメンバーやサポートしてくださった方や応援してくれた皆さんにも感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございました。
レース終了後、タンデムバイク以外の荷物を回収して、ホテルへ戻り、帰阪の準備をして、11時にチェックアウトして、先日と同じ中華街の北京飯店で打ち上げをしました。
今回は、レースが全て終わったので、ビールで乾杯。
美味しいランチで打ち上げの後、タンデムバイクを回収して、レンタカーに乗せて、OさんとTちゃんは、その車で、先に大阪へ向かいました。
午後2時から表彰式に出席して、銀メダルを授与して頂きました。
それから、僕と相ちゃんも新横浜へ。
午後4時頃の新幹線で、大阪へ戻り、午後7時ころに無事帰宅しました。
本当に沢山の体験ができて、思い出に残る世界パラトライアスロン横浜大会でした。
クリスマスチャリティーランin長居 いもちゃんの完走記です
2014年12月6日(土)大阪 長居公園で行われた、クリスマスチャリティーランin長居 いもちゃんの完走記です。
私は、昨日の長居で行われた クリスマスチャリティーランに 参加しました。
1ヶ月ほど前までは フルマラソンなんて 考えられなかったのですが ひょんなことから フルマラソンに出場することが決まってしまいました。初10キロ、初ハーフが後回しになってしまい、不安だらけで迎えた クリスマスチャリティーラン。
伴走者は、なすびちゃん。お会いしたこともなかったのですが 快く伴走をひき受けてくださり、とても嬉しかったです。
昨日は 雪がちらつくほど 寒くて 二人で 鼻をすすりながらのランでした。競技場前付近の 吹き付ける風に悩まされながら なんとか 半分の距離まで走り終えて 少し、ストレッチ。
なすびちゃんの言う通り、ストレッチをすると 足が楽になり 再度 スタート。あの強風地点に来るたびに 負けそうになりましたが なんとかふんばって最後の一周。あと一周やー。早くゴールしたいという気持ちで だんだんペースが上がり ゴール間近。テープを用意してくれてるよ。あと50メートル。なすびちゃんの声。必死で走ってました。
一度も歩くことなく 5時間30分38秒でゴール。思わず涙があふれてきました。
なすびちゃん、ありがとう。寒い中、エイドで声援をおくってくれていた Hさん、ありがとう。ずっと 応援してくれた子供たち ありがとう。
忘れられない一日になりました。本当に みなさん ありがとうございました。
今月、23日は Oさんと 宝塚マラソン10キロ、27日は長居のふれあいマラソン Mさんと ハーフ。来年2月 資格障害者京都マラソン まこさんと 10キロ。4月19日 交野マラソン ヒロリンと10キロ。が、今のところ 出場が決まっている大会です。これからも 楽しんで走っていきたいと思っています。よろしくお願いいた
します。
第18回 大阪・淀川マラソン じゅんちゃんの参加記です
和歌山のじゅんちゃんです。
大阪マラソン大会完走しました。
その次週で11月2日淀川市民マラソン大会フルに参加して完走が出来ました。
2週連続完走が出来て満足しています。
河原なので、芝生だったり石ころころ道に入ったりして走りにくかった。
応援にかけてくれたのに自分もゴールまで頑張らなきゃ!と思いながらゆっくりと走
りました。
最後までエイドがまだ残っていたので嬉しくて、みかん1個分食べて、あー美味しい
!甘くて元気をもらいました。
37K閉鎖時刻に間に合ってほっとしました。
ゴールまでゆっくり出来るんだ!
ゴール2K手前、急に右ひざが痛めてしまいました。
我慢をしてゆっくり走って、1K手前でまた痛み出して、Aさんがあと1Kだよ!頑張
って!!と励まされて
ゴールにたどりつきました。
無事に完走が出来てほっとしました。
バンザイ!!
Aさん、伴走してもらってありがとうございました。
わーわーずのエイドお疲れ様でした。
応援をありがとうございました。
来年もフルに出たいと思っています。
マラソンが好きになりました。