10月29日の自由練習会。
駅伝が台風で中止になった翌週、あいにくこの日も雨でした。
エイドを軒下に移すのは年に数度なのですが、この日はそれに該当。
ヤンマースタジアムのひさしを借りました。
そこそこ降る雨の中、大切なカメラをタオルでかばいつつ、
ランナーさんではないのに走り去っていくランナーを追いかけながら、
熱心に取材されていたのは「ボランティア・市民活動情報誌COMVO」の縄さん。
ランのあとは福山楼でランチと歓談をともにしていただき、
長居わーわーずのいつもの様子、長居わーわーずらしさをたっぷり見てもらえました。
わーわーずの活動の源となっているブラインドランナーの走りたい気持ちを聞き出し書きとめて、
それが伴走者募集活動につながるようにと、情報誌「COMVO 2018年1.2月号(223)号」にて紹介してくださいました。
掲載の承諾をいただけましたので文面を以下に転載します。
なおボランティア・市民活動情報誌「COMVO」さんのHPでは、
情報誌全体の閲覧ができます。URLはこちら。
https://ocvac.osaka-sishakyo.jp/comvo/
「ふたりでかける自己ベストへの道」
視覚障害者マラソン練習会 長居わーわーず
雨降りの日曜日。長居公園(東住吉区)の周回コースを、しなやかに腕を振り颯爽と走るランナーの姿がありました。視覚障害者マラソン練習会「長居わーわーず」は、第2、4日曜日に視覚障がいのあるランナー(以下、ブラインドランナー)と、晴眼者のランナー(以下、伴走者)の伴走練習会を行っています。始まりは、ひとりのブラインドランナーが、「私と一緒に走ってくれませんか」というメッセージをインターネットで発信したことでした。その声に応える形で関西から有志が集まり、1999(平成11)年3月に第1回目の練習会が行われました。現在、高校生から80歳を超える現役ランナーまで幅広い年代の約400人が登録しています。
定期練習会に加えて、隔週で自由練習会を行い、希望者は、ほぼ毎週走れるように伴走者の人数を調整しています。多い時は30人以上のブラインドランナーが関西各地から集まり、まだまだ伴走者が足りない状況です。
「雨が降ったくらいでは休めません。今日休むと2週間以上も空いてしまうことになるから」とブラインドランナー。一番求めているのは、普段の練習相手です。伴走者は、一緒に走り切った時の達成感があり、苦しさ半分、喜び2倍。ジョギングやウォーキングを楽しんでいる人なら十分、伴走者として参加できます。
ブラインドランナーと伴走者を繋ぐ”きずな”
ブラインドランナーと伴走者は、長さ1mのロープを結んで輪にした”伴走ロープ”を握って走ります。伴走ロープを、弛ませたり、ピンと張ったりし、それぞれの好みに合わせて持ち方を変えます。スタート地点の混雑時は短く持つなど状況に応じて調整しています。伴走者は、方向や段差などを知らせ、ブラインドランナーが安全に走行できるよう周囲の景色や状況を説明します。「まるでひとりで走っているような感覚で、気持ち良く走ってもらえることが究極の目標です」と伴走者で、日本ブラインドマラソン協会理事の中山敏郎さん。
高校生の時に、緑内障を発症し、20歳で両眼の視力を失ったという松本義和さんは、「当初は手引きで歩くだけで怖かった」と言います。道路の縁石に足がのって転倒する恐怖心と闘いながら、自己ベストを目指して走り続けています。「前の走者との距離を、音で感じています。前の人が転んだときに、巻き込まれないように5メートルほど広めに間隔をあけて走る必要があります」と耳で周囲の状況を感じとっています。実は、松本さんは、2000年シドニーパラリンピックの柔道100キロ級のメダリストです。
ブラインドランナーの中には、パラリンピックや世界パラ陸上のメダリストの姿も。トップレベルの選手たちも伴走者とともに日々練習を積み重ねています。
[同ページに写真2点]
●パロちゃん・しょうちゃんペアが走ってるところ。
説明:ブラインドランナーと伴走者は、「視覚障害」と「伴走」と書かれたカラフルなビブスを着用し、走り込みます
●伴走ロープの写真
説明:“きずな”と呼ばれる伴走ロープ