「第8回 淀川国際ハーフマラソン」杉島さんの伴走記です

淀川国際ハーフ伴走記「やっぱり、セッキーは速かった」

 わーわーず屈指の高速ランナー、セッキ―の伴走で3月18日(日)淀川国際ハーフマラソンに参加してきました。この大会は、有森裕子が代表理事を務めるNPO法人ハート・オブ・ゴールドが高石ともや(同じく同法人理事)と一緒にカンボジアの学校に体育用品を送るというチャリティー支援を兼ねて開催されています。

 セッキーが速いことは知っていました。
昨年の12月、彼の伴走者募集メールに返信し、ありがたく選んでもらいました。ぼくにとってわーわーずに来て約1年、初めての本格レースでの伴走です。しかし、その後改めて話を聞いてみるとハーフの自己ベストは私の持ちタイムより速いことが判明。早々に自己ベスト更新はあきらめてね、と情けないお願いをすることになってしまいました。

 地下鉄守口駅で合流し、会場に向かった11時ころは薄曇りで、まずまずのコンディションだったのですが、スタート時間の12時半ころには、すっかり晴れあがり日差しもかなり強烈でした。
この日の最高気温は18℃。スタート・ブロックはもちろんカテゴリーA、これは申告タイム順でセッキーは何でも1時間26分と申告したらしい。
スタート・ラインについて頭に浮かんでくるのは「キロ5分、1時間45分くらいかな」とか「ちょっと右足のふくらはぎに違和感が」とか「セッキーも寝屋川、寛平の連戦明けだねー」とか聞こえるように言うネガティヴな独り言アイデアの数々。
しかし、これらを全てのみ込んで、自分の力を出し切る、そして冷静に伴走すると心に決めてスタートしました。

 最初の1kmは4分12秒と恐らく個人のレースも含めて最速。スタートもほぼ最前列近くで、抜かれるも自分たちのペースで位置取りができていたと思います。
進むに従い4分30秒切りくらいでペースは落ち着きました。
後続のランナーに抜かれながらのレースとなりストレスを感じましたが、こちらの走行の妨げになるような場面はほとんどありませんでした。
かなり暑くてスタート直後の給水はパスしましたが、その後は必ず取るようにしました。
最初の給水ではセッキーの手に手渡しの紙コップがぶつかり、ほとんど水が飛び出してしまい、次からは少しスピードを緩めてもしっかり取っていくようにしました。
セッキーは、もう少し速いペースで行きたいのかな?と思うも、こちらはこれ以上上げると最後までは持たないであろうという不安があり、ただできるだけペースを落とさないように必死に手を振り足を動かしました。

 コースは途中、折り返しが3回、未舗装道が2か所×4で8回通るのがポイント。往復を重ねる毎に足に来て舗装道に出ても思うようにペースが戻せず苦労しました。
12km以降は4分40秒から50秒くらいまでペース・ダウン。
イモちゃん・まつりん、といちゃん・うえさんのペアとすれ違うたびに互いに激励、沿道からもセッキーの知り合いや、いろんな方から応援の声、それらにひとつひとつ反応していくセッキー、こっちは、もう、声出ません。伴走ロープを離さないよう伴走(?)のセッキーについていくだけです。

 けれど最後の折り返しを過ぎて残り約5kmのエイドで水を飲み、セッキーもジェルを補給し、少し体に生気も戻ってきました。
そして最後の未舗装道が終われば残りはもう6~700mです。ようやくここで「セッキーお待たせ。もう、まくっていいよ。」と声をかけました。ただ、ここでセッキ―も「ちょっと足に来ている。」と。
ここからは最後のあがき。先行するランナー2人を視界にとらえ「前の2人抜くよ」と2人で力を振り絞りました。1人を何とか抜いてゴール、記録は1時間37分09秒。
最初から突っ込んだのとセッキ―のペースにしては遅いのではという思いもあって、とにかく最初から最後まできつい走りでしたが、自分としては、力を出し切った、何というか爽快感というより、とにかくやりましたという脱力感にレース後は支配されました。
着替えを済ませ、みんなと駅に向かって一緒に歩くころには、なんとも形容しがたい心地よい疲労感を感じました。セッキー、どうもありがとう。
「やっぱり、セッキーは速かった・・・」

終わり