「第45回丹波篠山ABCマラソン」まっちゃんの完走記です

まっちゃんです。
第45回丹波篠山ABCマラソン、
とにかく完走、といえるかどうかわからんけど、6時間8分でゴール。

1年半前、2023年10月に柔道の練習中に膝を脱臼。
もともと膝も腰も悪かったけど、運動する時は特に問題はなかったものの、
それからは歩くこともよちよち状態。
結局10月・12月と国際大会に敗れて、パリパラリンピックの出場もだめになり、柔道選手としても引退となった。

その頃は長居公園を1周走るのもなんとか。わーわーずの練習に行ってもウォークだけで終わることもしょっちゅうだった。

1月の大阪ハーフマラソンも出場しなかったものの、いつも奥さんと応援に来てくれていたアカネパパが「まっちゃんの応援ができないのは寂しい」と言ってくれてたことや、アカネママが体調を崩して入院してたこともあり、「来年こそは大阪ハーフを走りたい」とマラソンのためのリハビリをすることにした。

昨年1月からはほとんど走れないので、
長居障がい者センターに行ってエアロバイクに乗る。
これだったら膝に負担がかからないので痛みも出ない。
最初は10分から始め、週に1・2回。
20分、30分、60分、ついには90分もすることがあった。
そして次の段階はランニングマシンでのウォーク。
走るとまだまだ膝や腰が痛いので、とにかく歩く。
これも5分から始まり、徐々に時間を伸ばしていき、60分まで増やしていった。
スピードも5.5キロから始め、最終的には8キロ強まで速くした。

そしてようやくランニングマシンでも5分ほど走れるようになり、
10分、20分と走れるようになったのが昨年6月。

これでようやく外(長居公園)ででも走れると思ったら、
柔道の練習で首を痛めてしまい、
軽く走っただけでも首や腕が痛くしびれて走れない。
また最初に戻って、エアロバイクとウォークをする日々。

約2か月で首もなんとか治り、
今度こそようやく走れるようになってきたのが9月から。
日曜日のわーわーずの練習以外で、週一回個人練習をするようにした。

最初は9月19日にごえもんさんと長居を3周。
いくらまだ暑い季節とはいえ、3周(8.4キロ)を1時間11分もかかった。キロ8分24秒ペース。
限界までがんばったのにこんなペース。
練習後は膝痛も再発するし、体もぼろぼろ。

それからは週一回、だいたいは土曜日に個人練習してもらう。
ごえもんさん、東住吉のひろちゃん、ふじさん、えっちゃん、ちかりん、なすびちゃ
ん、じろうさん、とりとりさん、一度は息子の瑛太と走ったこともあった。

どうせマラソンの練習をしてることもあり、
藤井さんから「篠山で鬼ごっこしよう」とMLでお誘いもあることもあり、
関門が6時間半に伸びたこともあって、篠山を申し込んだ。無謀なる挑戦。
ちなみにフルを走ったのは2018年の篠山マラソン、
それ以降は練習でもハーフを走ったことはない。
大阪ハーフマラソンには何度か出場したものの、
ずっと途中関門に引っかかってばっかり。

11月い長距離の練習もかねて淀川市民ハーフマラソンに初大会伴走の
とりとりさんと出たものの、走り込み不足のせいか、
7キロでふくらはぎをいためてしまい、残り14キロは歩いてゴールする。

年が変わり、今年1月3日の万博記念マラソン10キロに出たものの、
キロ7.5分でしか走れなかった。

次は1月13日の枚方走ろう会の10キロ。
めっちゃがんばったのに65分、キロ6.5分でしか走れなかった。
この時点で次の大阪ハーフは完走できないことを自覚する。

そして1月26日の大阪ハーフ。
13キロ地点で応援してくれてるアカネパパ・アカネママに会いたくて
がんばったものの、直前の12.6キロ関門であえなくストップ。
でも、そこに来てくれてたあかねパパ・ママと会えて、
めっちゃうれしかったし、がんばってきてよかったと思った。

この時点でも、練習の最長距離は長居5周の14キロどまり。
篠山をひと月後にしてめっちゃ不安。

2月1日、とりとりさんと長居を7周。ようやく新記録。
2月8日、えっちゃんと長居を7周半。ようやくハーフの距離。
2月15日、ちかりんと長居を10周(28キロ)。
なんとか走れて、フルの2/3まで走れたので、
フルもなんとかなるような気がしてきた。

そして3月2日の篠山マラソン。
日頃毎日酒まみれだが、前々日の金曜・土曜と一応の禁酒。

目標は5時間から5時間半。
もしも5時間を切れたら大成功。
5時間半を超えたら大失敗。
ちなみに過去のワースト記録は7年前の篠山での4時間56分

今回も伴走ははまちさん。

スタート時点で、雨がぱらついているものの、気温も高めで特に寒くない。

スタートして、6分38秒、6分40秒とまずまずの滑り出し。
この2キロ地点までに、わーわーずの伴走ペア、アンディーさん、
セッキー、さちさん、もーりー、藤井さん、いもちゃん、おけいはん
に抜かれてしまい、後はずっと最後尾、結局ずっと私が鬼だった。

ここでもうちょっと速くして6分半を切りたいと思うものの、
なぜか足が進まず逆に7分台になってしまう。
このままのペースだと5時間切りもできないと感じる。

10キロ当たりからは早くもキロ8分ペースに後退。
とにかく体が重い。

13キロ当たりできんべえさんの応援。

17キロ当たりでわーわーずの美女軍団5人の応援。

でも、足はどんどん遅くなる。18キロあたりでキロ9分台まで落ちる。
完全につぶれてしまってる。
とにかくハーフまでは走りついて、後は適当に、と考える。

ハーフ通過が2時間42分。
このペースでさえゴールは5時間24分なので、目標を6時間切りに切り替える。

しかしもう足がぼろぼろ、キロ9分台後半になってくる。

25キロのエイドで立ち止まったら、もう走れない。
約200mほど歩いてしまう。
でもやっぱり走りたいので再度走り出す。
結局ゴールまで4回歩いてしまった。

27キロのシシ汁エイドは我々が遅すぎるのか?店じまいしており、水もない。

31キロでは、はこちゃんの個人エイドにたどり着き、お約束の稲荷寿司に
ありつけるが、それよりも水分がほしくてコーラを2杯飲ませてもらう。
結局このエイドがものすごく助かった。はこちゃん、ありがとう。

ペースはずっと9分台後半。
めっちゃしんどいけど、なんとか走り続ける。
でも、34キロのシシ汁も売り切れでないし、水もない。
その後、医療班が配ってた水のペットボトルをもらって飲んだ。これもものすごく助かった。

この辺になると、歩いてしまったら、ゴールの門限である6時間半にも間に合いはするものの、多少微妙になってくる。

残り8キロ・7キロ・6キロとなるが、フルマラソン、誰もが思うことやけど、1キロ1キロがなかなか減らない。
途中から何度も何度も「無謀な挑戦はするべきではなかった」と思ったことか。
フルマラソンを走るだけの走力、とくに足がまだまだできていなかったのを実感
する。

残り、4キロ・3キロとなってももう一度いてるはずのわーわーず美女応援団がいない。
さすがに遅すぎていなくなったんだろう。
残り2キロ・1キロを切って、ようやくゴールを感じることができてきた。
そしたらなんと美女軍団がいてる。
やっぱり元気をもらえるね。

そしてがんばってがんばってがんばったあげくのゴール
手元のタイムで6時間8分。
過去ワーストだった7年前より1時間12分も遅い。

はまちさん曰く「30キロもあるいてしもた」なんやって。それぐらいペースが遅かったわけ。
はまちさんも過去ワーストのフル伴走のタイムだそうな。
ゴールゲートを超えて、やりきった感いっぱいのまっちゃんと、伴走ハマチさんペア。

無事ゴールはできたので、達成感もあるし喜びもあった。
でも6時間を超える失敗レース。
やっぱりもうちょっと練習をして、せめて5時間そこそこで走りたいと感じた。
そんなわけで、今回の篠山は完走と言えるのか言えないのか。
このちょっとの悔しさを次に結び付けていきたいと思います。

そうそう、ゴール後のシシ汁もありませんでした。
それよりもすでにテーブルも片づけられていた。
私たちより相当前からなかった模様。
結局、シシ汁は3回ともありつけませんでした。
公式にシシ汁提供を歌っている大会やのに一度もありつけないとは。
金かえせっちゅうねん。
私はあってもそれほどほしいとはおもわなかったけどね。
でもやっぱりエイドで水もなかったのは問題有りやね。

今回7年ぶりのフルマラソン挑戦にあたり、
練習に付き合ってくれたわーわーずの皆さん、
個人練習につきあってくれた皆さん、
週に1・2度センターのエアロバイクやランニングマシンで
汗びっしょりの私を世話してくれたセンターの職員の皆さん、
そして伴走してくれたはまちさん、
応援に来てくれた皆さん、
レース中、声をかけてくれたランナーの皆さん、
ほんとうにありがとうございました。
皆さんから勇気や元気をもらって
最後までくじけることなくゴールをめざすことができたのが感謝感謝です。
ありがとうございました。
ゴール会場で。美女軍団とパワーをいただいてゴールできたまっちゃん・ハマチさんペア。