10キロの伴走で参加しました。
「視覚障害者京都マラソン大会」が3年前の2016年2月の第33回大会でもって終わると知ったときはショックでしたが、このように、名称は変わりましたが、実質同じような大会が続いていることは嬉しい限りです。
名称が変わって、主催が角谷建耀知(かくたにけんいち)財団になっています。恥ずかしながら最近まで、そのお名前を知りませんでした。ブルブルくんと並んでピースサインを出して写真撮ったりしてたのに(笑)。
わかさ生活の創業者であり社長さんなんですね。
私にとって「わかさ生活」と言えば、この大会を除けば、甲子園球場のスタンドに広告看板が確かあったな、というのが一番に思いつく接点です。その程度の理解ですので、わかさ生活さんがなぜこのような大会を厚く支援されているのか知りませんでした。先の「視覚障害者京都マラソン大会」に、たびたび参加させてもらってはいたのですが。
それを知ったのは図書館で借りた本、『角谷建耀知 人生は蒔いた種のとおりに実を結ぶ』を読んでです。
第1回大会のとき、視覚に障害をもつ近所のランナーさんを誘って参加したのですが、そのかたに主催者について説明できるようになっておくために読みました。本を読んで、角谷建耀知さんとブラインドマラソンのつながりがわかりました。それだけでなく、いろんな意味で得るものいっぱいの一冊でした。
そこで、この本を簡単に紹介したいと思います。角谷建耀知さんと視覚障がい者マラソンのつながりがどこにあるのか、のみならず、この大会の魅力を伝えるよい方法だとも思うからです。
かなりやんちゃなガキだったようです。私が、じゃなく角谷建耀知さんがですよ。
6歳のときに親が離婚して、父親に、また母親にも見捨てられるかのように立ち去られてしまいます。そして、おばあちゃんに引き取られます。おばあちゃんには、弱い立場でも負けずに強く生きなさい、という方針で育てられました。そのおかげか、貧しい生活をあざける周囲からのイジメに屈することなく、負けん気の強い子に育ったそうです。
小学校4年の夏、それは起こりました。その後の人生を変えるできごと。
当時流行っていた仮面ライダーの真似をして、自転車で川を飛び越えて「ライダージャンプ!」でキメるという遊び。仲間にカッコイイところをみせようと勇んで挑んだところ、ジャンプを失敗して大転倒。顔面血だらけになります。「大変や」「病院いかな」と心配する仲間に「大丈夫や」と強気でこらえたものの、そのあとすぐ血を吐いて気を失う事態に。
病院のベッドで一週間、意識不明。しかし奇跡的に生還。意識を取り戻します。
クモ膜下出血との診断。頭部を切開しないと損傷度合いも把握できないと説明され、しかもその手術は年齢的に無理でした。退院して家に帰りましたが、元の状態に治るわけではありませんでした。それ以降、頭痛が日常茶飯事になり、視野の中心に見えないゾーンができました。運動は禁止。倒れるほどの激しい頭痛に見舞われもしました。
貧しさに加えて病の苦。多くのことに耐えながら大学生になります。この頃から広く普及しはじめたMRIで精密検査を受けると、大変。脳腫瘍があって、すぐに入院、すぐ手術が必要と診断されてしまいます。このままでは命が危ない。手術すれば半身不随や言語障害が残るかもしれないけど命は助かる、と告げられてしまいます。ただ、ただ、途方に暮れるばかり。大学生活がさぁ始まるというときに、夢も希望もなにもかも消されてしまいました。
17時間におよぶ命がけの大手術を受けて、ふたたび生還。しかし、この手術で視野の右半分を失いました。
これまでは前向きの楽天的な思考で幾多の困難をも乗り切ってきましたが、術後に立ちはだかった現実はあまりに厳しく、ついには絶望感がまさって自殺を考えるようになりました。そして自殺未遂をおこします。屋上からの飛び降り。フェンスを乗り越えて、あと一歩のところで看護師さんに引き戻されました。
生きることを説得する先生の、その真剣なまなざし、真摯な言葉に心揺さぶられます。『もう一度がんばってみよう』、自分のためにこれほど一所懸命になってくれている人がいるんだから。乾いた心は涙で潤されて、温かい気持ちを取り戻しました。
それからはリハビリに励み、気力で病と闘い、なんとか退院できるまでに漕ぎ着けました。
「一度は死にかけたのだから、死ぬ気になったら何でも出来る。頑張れよ!」と先生から言葉をかけてもらって病院をあとにします。
しかし、退院したものの迎えてくれる所はありません。休める状況でもありません。奨学金百万円の借金かかえて寝床と職探しからです。
寝場所は友達を頼りました。職探しに街を歩くと、視界が狭いため人とぶつかってばかり。そのたび謝って、時にはどつかれもして。手術後の風貌が不気味だったので、なかなか雇ってくれません。ようやく得た職場では気持ち悪いと言われて屈辱を受けます。理不尽な解雇。過酷な現実に直面して絶望感に打ちひしがれ、またもや自殺未遂をおこします。線路内をぼんやり歩いて寸前のところで。
生きていく力をもらったのは、今度は友達からです。職場でうけた屈辱に対して、友達が代わって怒り心頭に発する抗議をしてくれたことが力になりました。そして、もう死ぬことは考えずに、再び頑張ることを心に強く誓いました。
職を変えて今度は英語教材の飛び込みセールスをしました。ここで営業職を学び、次に販売セールスの会社で働きはじめました。出来高制で、新米には販売機会がないのですが、ひたむきに取り組んだ掃除とお客さんの名前暗記と挨拶とふれあいだけで、営業成績をあげていきました。物を売ることのコツを習得しました。さらに、不信感をもっていた健康器具の販売に対しても、自らの頭痛が磁気枕によって本当に緩和されたという実体験を通して、本心から商品をおすすめできるようになりました。自分がつらいからお客さんのつらさもわかる。これこそ天職じゃないか!と一層うちこみました。
――ここでいちど本から話を戻しますと、
この辺りからビジネスの苦労話が続くのですが、サクセスとはほど遠く、読み進めていくと残りページはどんどん少なくなっていくのに、踏んだり蹴ったりな展開ばかり。甲子園球場のスタンドに看板を掲げるまでになったわかさ生活さんの起業はいったいどこから?と読んでるこちらが不安になってきます。
で、本のページでいえば9回裏2アウトあたりから、やっと――。
目の健康によいと注目されているブルーベリーと、視覚に障害をもつ自身の経験をかけあわせたビジネスを興す機会を得ます。ゼロからのスタートが始まります。ブルーベリー、目薬の木、八つ目うなぎ、ビタミンA、βカロテン、ポリフェノール、フラボノイド、目によいと言われているものがいろいろあるけど、どれが本当にいいのだろう、自分ならどれを選ぶか、そうだ全部だ!全部をひとつにまとめて最高の商品をつくろう!自分が絶対に自信をもって売れるものを世の中に広く届けたい。
商品開発から手掛けて、平成10年、「みんなに若々しく健康的な生活を提供し、最高の逸品(商品)を全国にお届けしたいという願いから「わかさ生活」を設立し、ブルーベリーの通信販売を始めて、軌道にのせました。
「君は目にハンディがあるんだから、目で困っている人のために頑張ったらどうだい?君はそのために生まれてきたのかもしれないよ」
筋ジストロフィーと闘いながら頑張る先生から言われた言葉を天命と感じて、視覚に障がいを持つ人のために尽くす道をすすまれています。
というのが、この本のかいつまんだ内容です。粗っぽくまとめ過ぎてますので、関心を持たれた方はそれぞれでご一読をお願いします。
大阪市の図書館には蔵書8冊ほどありました。サピエの資料詳細ページはこちらです。
https://library.sapie.or.jp/cgi-bin/CN1MN1?S00101=J00DTL04&S00102=W8b4pi!pzYz&S00103=7FHKp8R13t&S00221=66340368&S00222=3332763&RTNTME=113854297
この大会では、以前から、大きな声で名前を呼んで応援してくれる点が人気です。
知らない人から呼ばれて、こっぱずかしく感じたり、もするんですが、それ以上に響くものが心にずっと残るんですね。その声が真摯だから。一直線で迷いのない掛け声だから。
それと重なるものが本に書かれてあり、私はそこでじんときました。
今大会は天気が心配されてました。週間天気予報で確認したときは降水確率90%でした。
それが徐々によくなって、スタートのときに雨はあがって、晴れ間がのぞくほどに。
今大会に参加して、走って、楽しんで、食事して、楽しいこと沢山ありましたが、やはり強く印象に残っているのは、あの朝の雨あがりです。そして、大会に関係する人たち全員で、その喜びを共有できたことが嬉しいです。
また次回も楽しみにしています。
追記:
大会当日の様子は、わかさ生活さんがこちらのページでまとめられています。
https://www.blueberryribbon.jp/blank-8