「第27回福知山マラソン・第18回全日本盲人マラソン選手権」ひらけんさんの完走記です

11月23日、自身4年連続4回目の福知山マラソンを走ってきました。伴走者は昨年に続き、ウルトラランナーがべちゃんです。今回の42.195キロも、いろいろなドラマがありました。レース当日の様子をご紹介します。

今年の福知山も昨年までと同様、いつもお世話になっている賀茂パのKさんの車に乗せていただき、会場入りしました。ブラインドランナー受付を済ませ、スタート時間までは、エネルギー補給しつつ、受付場所と同じ控室で待機することにしました。近くにいらっしゃるのはAさんと奥様。そこへNさんとなんちゃんがやってきました。
「Nさん勝負!」とAさんがNさんへ宣戦布告。「いや、俺は不調やから」と控えめなNさん。「いや、俺の方が先にばてるかもしれへん」となんちゃん。宗平さんとKさんは、ランシューズを見るため外のショップへ出かけて行きました。後ろの方から、Fさんのほんわかした声が聞こえてきます。そこへうすちゃんとがべちゃんも到着し、役者がそろった感じです。

スタート時間が近づき、準備とストレッチをして、がべちゃんとスタート整列へ向かいます。気温8度~11度。明け方まで雨で心配だった天候も、スタート前には晴れ間が出てきました。アームウォーマーは装着せず、ビニールのカッパも脱ぎました。目標は自己ベスト更新&3時間15分切り!号砲がなり、Aブロックからスタート。周りは早いランナーばかりです。とここであるランナーが、「お~い!○○さ~ん!」と離れたところにいる仲間に声をかけつつ、斜め横から突然がべちゃんの前に割り込みました。「ほら!ちゃんと前見て走って!」と切れるがべちゃん。昨年のてらやんに続き(笑)。割り込みランナーは「ごめん」と言って前方へ去っていきました。

初めの1、2キロは足が重く憂鬱だったものの、徐々に体が温まり、よく動いてくれるようになりました。不思議と想定よりかなり早いペースで刻んでいきます。1キロあたり、昨年より10秒~15秒も早いラップです。自分の体との相談が始まります。“こ
のままのペースで行けるのか?後半持つのか?”。正直後半のことは心配でしたが、簡単な受け答えや会話ができる程度の余裕があったので、行けるところまでこのまま押し切ろうと決めました。がべちゃんからも時々、「ひらけん、まだ余裕あるか?」、「去年と同じくらいの余裕あるか?」と聞かれました。私のコンディションを詳細に確認してくださっていたのだと思います。「後半は声かけまくるけど、前半はあまりかけへんから自分のペースで走って」とも言われました。

8キロ過ぎに突如時雨れ出し、腕や足が一気に冷やされました。“聞いてねえ”と思いつつ、水を得たスイマーひらけんはひるまず、淡々とペースを刻みます。このあとも、時雨れては晴れ、晴れては時雨れるの繰り返しが続きました。さすが、がべちゃんは周りのランナーと違い、ウルトラ仕込みのコース取りで、緩いカーブが続くところでは「徐々に右に寄って」、「次は左に~」と最短ルートへ誘導してくださいます。「ここから150mくらい緩い上りが続くよ。そのあと150mくらい緩い下りね」と遠距離解説も冴えわたります。14キロ過ぎ、がべちゃんのマルチポケットパンツに預かっていただいていたジェル1号を補給。

毎回のことながら、今回のレースは今までにないほど多くのランナーからマークにあいました。前半、ある女性が一人、真後ろをぴったり付いてきているのを感じました。他にも、がべちゃんや私の知り合い数名を含め何人も。がべちゃんもあとあと、「あの人数は半端じゃなかった」と言っていました。私の蹴り上げた足や後ろへ引いた肘に時々接触してきます。しかし、余計なエネルギーを使いたくなかったので一度も振り向かず、一切気にしませんでした。

由良川沿いをひた走る賀茂川の閃光ちゃんは着々とイーブンペースを刻み、20キロ地点、ハーフ地点も気持ちよく通過。がべちゃんは1キロごとのラップタイムと、フル3時間15分のイーブンラップを基準に、現時点でどのくらい貯金ができているかについても教えてくださいます。もう大大大感謝です!着々と貯金を蓄え、ハーフ通過時点でちょうど3分のアドバンテージを得ました。

24.5キロ地点の折り返しが近づき、対向車線を走るランナーとのエール交換が始まります。ずーみんさんたちサブスリーペースのランナーが駆け抜けていきます。じきに私も折り返しを迎えました。恒例の太鼓演奏が行われています。“行きはよいよい 帰りはきつい”、復路の戦いの始まりです。対向車線を走ってくる、Aさん・うすちゃんペア、Nさん・なんちゃんペア、ジム仲間と、多くの方からエールをもらいました。私も右手を挙げて答えます。賀茂パの方々を判別できず(泣)。ここでアクシデント発生!がべちゃんにジェル2号を依頼したところ、取り出したがべちゃんの手からジェルがストン…。さらに足でパーンと蹴りました。ジェルが右前方、対向車線のランナーたちの方へすっ飛んでいきます。幸いセンターラインあたりで停止。T12ひらけん、とっさにロープを放し、ジェルに向かって猛然と突っ込みました。一瞬しゃがんでジェルをスパーンとキャッチ。立ち上がってランの体制に戻ろうとした瞬間、左ふくらはぎがビギーンと痙攣。“やべっ!”っと思いましたが走り出し、元の動きに戻ったところ何とか収まってくれました。やれやれ。ジェル2号をジュルル。

28キロくらいから徐々に体に疲労を感じるようになりました。若干のペースダウンが始まるも、腕はまだよく動いてくれています。ここからがスイマーの力の見せ所です。“ピッチさえ変えなければそれほどペースは落ちひん”と、自分の腕ふり、ストライドのリズムのみに集中しました。がべちゃんがエイドで思うようにドリンクが取れず、時々イライラカリカリしています。また、これまで経験したことがなかったのですが、がべちゃんより私が半歩前へ出ることが何度かあり、ロープに重さも感じました。ついには30キロあたりで、がべちゃんの息が上がり始めます。私から、「あせらず、ゆっくりでいいですよ」、「がべちゃんファイト!」、「がべちゃんナイス伴走!」と何度かお声かけしました。それでもさすが、百戦錬磨のがべちゃんです。その後、エイドのバナナを補給しきっちり持ち直してくださいました。

私の後ろをマークしていたひらけん軍団の面々もだいぶ振り落とし、中には「付かせてもらって助かったわ。がべちゃん、ひらけんありがとう!」と言ってパーッとペースアップしていく人も。“こらー!俺はサブ3時間15分のペーサーとちゃうぞー!”(笑)。粘りの走りが続きます。コース上のランナーはまばら。落ちてくる人ばかりです。「この調子。一人一人拾っていこう」とがべちゃん。36キロ過ぎに大久保さんペアを交わしました。ところで、30キロ過ぎからずっと私の真後ろ両側に男性が一人ずつ。しばらく余裕がなかったものの、37キロ過ぎにジェル3号が効いてきたおかげか体がふっと楽に。気持ちで体を前へ押し出し、最後の二人をちぎりました。

いよいよレース終盤。40キロ地点で最後の給水。ゴクリと飲んだ次の瞬間、右わき腹に激しい差し込みがきました。あまりの痛さに右手で押さえながら、「いてて!いてて!おえおえ」とわめく私。“ここにきてこれかよ。ゴールまでの残り2キロ、こんなのが続くのか”とパニックになりそうでした。ここでもがべちゃんに救われました。「この1キロはこのペースで落ち着いていこう。最後の上り1キロで頑張ったらいいから。大丈夫!15分は絶対切れるからな!」。この言葉で冷静になれ、長く息を吐くことを意識し呼吸を整えました。幸い、やがてわき腹の痛みは消えたのです。さあクライマックスの上り坂。沿道のおっちゃんが私に、「1位や!」と叫びました。これは、絆を結んだ伴走ペアとしてトップで帰ってきたという意味です。一人、また一人とランナーを交わしながら上っていきます。斜面がきつくなり、前に進んでいる感じがしない。とにかく大きく腕を振りました。フィニッシュソング、「希望の轍」が聞こえてきました。意識が遠のきます。がべちゃんが私に、繰り返し発破を掛けてくださいます。「ひらけん、上りはあと200!あと200!」呼吸のテンポをマックスまで上げました。坂を駆け上がり右折、ゴール前の直線!ラスト数十メートルはロープを手放し、ゴールゲートへ突っ込みました。がべちゃん笑顔でガッツポーズ!私はゴール地点のマットを駆け抜け、停止すると、当然ながら前屈しもうがっくりでした。それでもJBMAの鈴木邦雄常務理事に迎えられ、がべちゃんとのツーショットを撮ってくださるということで、次の瞬間には笑顔になれました。

タイム3時間14分32秒で目標クリアでした。想像以上の走りができたという気持ち4割、練習の成果がしっかり出せたという気持ち4割、もっとタイムを出したかったという気持ち2割といった感じです。また、昨年に続きT12の部優勝ということで、T11の部優勝のOさんたちと一緒に表彰台へ上がらせていただきました。伴走してくださったがべちゃんにも、少しですが恩返しできたかなと思います。最高に楽しい42.195キロでした!今後も練習し、さらに記録更新を目指します!

「第27回福知山マラソン・第18回全日本盲人マラソン選手権」岸和田ちかちゃんの完走記です

こんにちは 岸和田ちかちゃんブラインドです。
神戸 福知山マラソンお疲れ様でした。
私も初めて福知山マラソンに参加させていただきました。結果は目標には届かず、4時間28分でした。
27キロまでは順調でこのままいけば目標を達成できるかもとおもいましたが、途中足の痙攣などで走ることもままならなくなり、それでも絶対にゴールしたいと競歩並みに歩き?でも足が動かなくなりコールスプレーを何回も吹き付けていただき小走りくらいまで走れるようになりなんとかゴールまでたどりつけました。
初フルは苦い経験となりました。しかし沿道の応援は本当に力をもらいました。名前のはいったTシャツにめっちゃ大きな声で 「ちかちゃんの頑張れ!」と呼んでくださり思わず涙。とっても力をいただきました。ひょっとしてわーわーずの方だったのかしら?本当にたくさんのエールをいただきました。
今回走った私の初フルマラソン!たくさんの経験ができました。伴走していただいたお二人にもとても感謝です。そしてT12カテゴリーで2位と嬉しい結果です。
2月には泉州マラソンをはしります。みなさんいろいろアドバイスくださいませ。
また練習会に参加しました時にはよろしくお願いします。

「第27回福知山マラソン・第18回全日本盲人マラソン選手権」といちゃんの完走記です

皆さん、こんにちは!ブラインドのといちゃんです。
今回の福知山は、去年に続いて2回目のフルマラソン。1年半前、単に体力を取り戻そうと思って始めたジョギングだったが伴走者のNさんに「福知山マラソン走りませんか?」と聞かれ、軽い気持ちで参加することにした。
去年の福知山は一日中雨が降っており最悪の天気の中、初フルのタイムは4時間59分でなんとかゴールすることができた。
去年は週に2回の練習をしていたが今年は週に1回程度しか走れていないため、完走できる自信はなかった。
それに今回の練習では最長で25キロまでしか走れていない。それも30キロ走ろうと思っていたのだが体力と根性がないため25キロでリタイアしてしまった。これではいけないと思い、1週間後に再度25キロ走ることにした。今度は余裕で走れるようになっていたが、あとの17キロ体力が持つか不安だった。
半年前から同じ豊中に住むMちゃんに伴走をお願いし、近所の公園で10キロずつ走り込んできたが本番ではTちゃんに伴走をお願いしている。上記に「25キロを2回走った」と書いたがこの時に伴走してくれたのはTちゃんである。
ともあれ今年の大会も体調的には、すこぶる良い状態で望むことができた。
去年の福知山での目標は6時間以内に完走することだったが、今年の目標は最低でも5時間半以内での完走、あわよくば自己ベスト更新と考えていた。
大会当日、スタート前後は天気も良く、去年とは打って変わってマラソンには最高の日和となったと思っていたのだが、10キロか15キロ過ぎた頃から雨が降ってきた。雨・くもり・晴れ・突風とめまぐるしく変わる天気の中、途中エイドでバナナ・おにぎり・でんがく・ケーキ・チョコ・飴・ホットレモン・スポドリを頂きその都度元気をもらった。また、今年はニックネーム入りのTシャツを着て走ったので、多くの方から「といちゃんファイト!」の声援を頂いた。本当に元気が湧いてくる感じがして非常に気持ち良かった。
去年と同様に35キロ時点でサブ5の団体の後ろについていたので、この団体から離されないようにと思うのだが練習不足がたたったのか、単に根性がないからなのかわからないが頑張ろうとしているのに足が上がらない。サブ5の団体からは、いつの間にか離されてしまい、スピード的には歩いている人と変わらないのではないかという感じでゴールを切った。今回のタイムは5時間4分だったが気持ちよく楽しんで走ることができたと思う。Tちゃん本当にありがとうございました。そしてMちゃんを初め練習を手伝ってくれた皆さんありがとうございました。

たくさんのランナーに混じって、Tちゃんの伴走で走るといちゃん。
(写真撮影:大久保さん)

第26回福知山マラソン 宗平君の完走記です

23日の祝日、久しぶりの4時半起きをした。
福知山マラソンに出場するためだ。
京都駅6時33分の臨時快速列車、その名も「福知山マラソン号」にて丹波路を北上した。

2時間ほどして、車掌さんの「健闘をお祈りします」の放送が入り、福知山駅に着いた。

福知山は少し雨がぱらついていて、結構寒く、会場までのシャトルバスを待つ時間がちときつい。

さて、僕にとっては今回が4回目のフルマラソンで、福知山マラソンは初フルのときに続いて2回目だ。
今回の伴走は、いつも平日練習をしてもらったり、初フルの福知山のときも伴走してもらったとんさんだ。
これまで3回のフルマラソンの結果は、4時間58分、4時間45分、4時間29分と13分ずつぐらい速くなっているので、今回は4時間20分を切れたらいいかなと思い、いざスタート!

やはり雨はぱらぱらながら降っていて、必ずしもコンディションはよくなさそうだ。
コースはしばらく福知山の街中を通り、橋を越えたらひたすら由良川沿いを走り折り返してくることになっている。
今回も帽子にボイスコーチを付けて走ったので、1キロごとにどれぐらいのペースで走っているかを声で知らせてくれる。
それによると、最初の1キロは5分30秒台だと通知している。
最初の下り坂はセーブをかけたはずなのだが、予定よりも速くなっている。
4時間20分を切る目標なら1キロ6分のペースで走り続ければいいわけだ。
そこで、とんさんに「ちょっとこれは速いペースなのでスピードを落としましょうか」という相談をして一瞬は遅いペースにするのだが、どうも自然と速い速度に戻ってしまう。
その時、あることに気づいてしまった。
どうも後ろから聞き覚えのある声がするなぁと思っていたら、加茂川パートナーズのテツさんとガイドOさんペアがぴったり後ろについているのだ。
まぁ、すぐに追い越して行ってしまうだろうけれど、仲間が近くにいてくれるのは心強い。
そんなことで、ペースが若干落としにくい状況になってしまった。
後で苦しむ結果になるかもしれないけれど、とりあえず5分40秒台をキープすることにした。

そして、迎えた10キロ。
あれ?まだテツさんとOさんが真後ろにいるではないか。
テツさんにペースメーカーにしてもらって光栄ではあるけれど、こうなるとペースを簡単には落とせない空気になってきて、いや困った!
Oさんからも何やかやのチャチャが入る。
そこで、とんさんと相談する。
「テツさんに抜いてもらって、ペースを予定の1キロ6分ペースに落としますか?」
僕もとんさんもどうにも判断がつかず、それはすなわち自動的に現状維持ということになってしまう。
川沿いの道は風が強く、ときおり冷たい向かい風に苦しめられるが、ブラバン隊や子どもの応援に癒やされながら、そこそこ快調に走っている。
少し前にてらやんの福知山向け練習会に行って鍛えてもらった効果がありそうだ。

そして迎えた20キロ。
真後ろには…依然テツさんとOさんがいらっしゃるではあーりませんか!
とんさんと「えらい人達に後ろをつかれましたねぇ」と苦笑しながら、結局ペースを6分に落とすことはせず、後半戦を迎えることとなった。
この頃はまだ気持ち的にはゆとりがあって、楽しく走れていたのであろう。
そのとき、向こう側からてらやんの大きな声。
今回全盲女子で優勝したなつみん&てらやん組…超快走のようだ。
ところで、前回出たときは、いくらなんでもこの辺りまでにもうバナナのエイドがあったはず。
なんで今回は食べ物のエイドがないのだろうか。

24キロを過ぎて折り返しコースに入った。
雨は弱いながらも降り続いている。
普段の練習会で20キロまでは練習できるが、それ以上の距離はなかなか練習が難しいため、やはり今回も20キロ代後半になってくると足が少しずつ痛くなってきた。
いよいよここからが勝負だ。
すれちがう、わーわーずのたかちゃん、ルビーさん、いもちゃん&松りんペアや、かもぱのミッキーさんペアやMさん、ミントの方などからエネルギーをもらってありがたい限りである。
そして、28キロ、ついに出ました待ってましたの食べ物エイドでバナナをいただく。
さすがにお腹もすいてきていたのでありがたい。
黒棒や飴やゼリーもいただいて、よし30キロを目指そう。

後ろには…依然としてテツさん&Oさんがいる。
ぴったりついてくれはったおかげで、ここまでいい調子で走らせてもらった。
しかし、いよいよ抜いてもらわざるを得ない状況になってきた。
だいぶ冷えてきたせいか、トイレに行きたくなってきたため、仮設トイレに行くことにした。
レース中のトイレは初体験であった。

再び走り始めると、今回密かに期待していた福知山スイーツエイドがあった。
子ども達が「手を出してください」と言うので差し出してみたら、栗のお菓子と求肥の入ったどら焼き風のお菓子をくれた。
甘党の僕にはこの両方ともがかなりのヒット。
思わず立ち止まってじっくり食べていた。
タイムロスにはなるけれど、それと同じくらいエイドの食べ物を楽しみに走っているのでどうしようもない。
どのくらいのヒットだったかというと、実はレース後、思わず売店でそれらしいお菓子を探してもらい、おそらくこれだろうとおぼしき「十三里」なるものを買ってしまったほどだ。
サツマイモでコーティングされたマロングラッセといった感じで、「栗(九里)よりうまい十三里」ということだそうだ。

さて、再び走り出すと、まぁ当たり前だが、テツさん&Oさんの姿はない。
追いかけられていると苦しいが、一緒に走ってきたのに近くにいないとなるとこれはこれでまた寂しいものである。
今度は隣にマリオがやってきた。
そのマリオとの再会を喜んで、少し話をしたところで、実はここでちとまずいことになってしまった。
とんさんの足の様子がどうもおかしいのである。
「とんさん、大丈夫ですか?」と聞くと、「大丈夫じゃない」とのこと。
足がつってしまったとのことで、これは困ったという状況だが、ブラインドとガイド、お互いにパートナーとしてチームプレイをしているわけだから、当然こういうことはありえるわけだ。
しかし、とんさんはここで機転を利かせて、そのマリオに「代わって!」と言った。
実はこのマリオ、レース伴走はまだやったことがないというのだけれど、ありがたいことに、残り10キロ程の伴走を引き受けてくれた。
とんさんとゴールまで行けないのはたいへん残念なのだが、絶妙のタイミングでピンチヒッターがすぐ近くにいるという状況もまたすごいことである。
で、このマリオは何者かということであるが、なんと徳島のKさんだ。9月にはるばるわーわーずの練習会に来てくださったときに、一緒に走ったこと
があるのだ。
また、かもパでお世話になったふくちゃんが仕事の都合で徳島に行くことになり、徳島の地でブラインド・ガイドランナーの練習会「阿波を共に走る会(あわとも)」をふくちゃん達と盛り上げている中心メンバーなのだ。
人の縁というのはほんとに面白いものである。

さて、30キロを過ぎると足もじわじわと痛み出してきて、ペースは6分から6分半となった。
ただ、これまで3回のフルマラソンでは30キロ代前半でどうにも足が痛くて歩いてしまったことを考えると、今回はなんとか粘っている。
それにしても、仮装しながら伴走してもらうというのは僕にとっては初めてのことで、しかもマリオに伴走されているとはなんとも面白いではないか。
それから、見ている人達からすると、マリオがブラインドランナーを伴走している光景はなかなかインパクトがあるのではないだろうか。
単純に構図としても印象に残るだろうし、伴走について知ってもらう良いアピールにもなっているかもしれない。
マリオというのは子どもだけでなく、大人もよく知っているから沿道からマリオコールがあちこちから聞こえてきて、僕の方もマリオ気分を味わわせてもらったのであった。
それにしても、福知山のコースは思っていたよりアップダウンがある。
30キロ代を走る足にとってはかなりきつい。
上っては下り、上っては下りの繰り返しが続いていくにつれて、37キロ辺りからは足の上半分全面が痛い状況であった。
もはや応援に応える気力が出ない。

そして、39キロ。
いよいよ足が動かなくなってきた。
これまでのレースでは、この状態になってしまったときに歩いてしまったのだと思う。
今回についても、あと7キロほどまだあるのであればやはり歩いていたかもしれない…が、今回はあと3キロ…もうちょっとでゴールに足が届くではないか。
ちょうどそのとき、なんともありがたいことに給水所へやって来た。
ラッキー!命の水を飲んで、ちょっとエイドのおばちゃんと言葉を交わして、少し気分的に生き返った。
そうすると、1キロ7分ペースにはなるが、あと2キロは行けそうに思えてきた。
応援の声が「がんばれ」から「おかえりー」に変わると気持ち的に随分とラクになる。
そして、41キロにさしかかり、ここからは最後の難所である長い上り坂だ。
ただ、ここは応援隊がたくさん声をかけてくれるので、「あと1キロでゴールだ」という少しほっとし始める気分にもなれるため、無理ができて、上り坂が走れるのだから不思議なものだ。
とはいっても、「あと少し」…しばらく行っても「あと少し」…もうちょい行っても「あと少し」…おいおい、「あと少し」が長いぞぉ!と全身必死になって…
おっ、サザンの「希望の轍」が聞こえてきた…これはほんまにあと少しだ。右に曲がって…ゴールイン!

10キロごとのタイムは
0:56:16
0:55:54
1:03:44
1:05:37
最後2.195キロが0:14:38。
結果は4時間16分21秒。

1キロ6分ペースの速さにはまだ達していないが、前回の篠山よりも13分速かったので、自己ベストである。
本来なら、とんさんとゴールするはずで、それがかなわなかったのはたいへん残念なのだが、ありがたいことに、うまい巡り合わせで、交代伴走者が見つかり自己ベストも出せた。
とんさんに最初の30キロをしっかり伴走してもらって、うまい具合に調子に乗せていただき、Kさんに30キロを越えてからの苦しい道のりを軽やかに伴走していただき、ほんとにお二人の絶妙な合わせ技のおかげで、自己ベストが出せて、すごく感謝している。ありがとう!

年明けは枚方ハーフをヨッシーさんと、高槻ハーフをミントまっちゃんと、京都マラソンをオリーブさんと出場する予定なので、今シーズンもしっかり走って楽しむぞ!

第26回福知山マラソン いもちゃんの完走記です

ブラインドの、いもちゃんです。

福知山マラソンを走られたみなさん、お疲れ様でした。

私も、福知山マラソンに参加してきました。
初めての福知山。わーわーずの練習会で、みなさんから福知山マラソンは、いい大会だよと聞いていたので、すごく楽しみでした♪
雨がぱらついたり、晴れ間が出たり、また、雨がぱらついたりと、へんな天気でした。
寒いのが苦手な私は、手袋をはめ、ビニール袋を着て走りました。
伴走者は、いろんな大会で、いつもお世話になっている 松りん。
10月にあった モンテ・オウ・コスモスの大会から、左膝を痛めていたので、どの辺から、痛みが出てくるか、とても心配でした。
心の中で、膝に頑張って、頑張ってと言いながら、走りました。
始めは、キロ5分半ペース。
後ろからすれ違いざまに、ほっとさんや、たかちゃんに声をかけてもらい、いい調子で、前半は走れました。
20キロあたりから、だんだんペースが落ちてきて、キロ6分ぐらいになっていました。息切れもなく 足もまだ大丈夫。お腹がすいてきたのが原因でした。
松りんに次のエイドでしっかり食べようと言ってもらったのですが、次のエイドには 飲み物しかなくて、その次のエイドまで我慢することに。
折り返してきた、なつみんと、てらやんペア。てらやんの大きな声! すごいスピードで 走り抜けていきました。
なかなかエイドが出てこない。お腹がすくと、こんなにも、ペースが落ちるんだなと、びっくりでした!
やっと、食べ物があるエイドに着き、おにぎりやバナナを食べ、おしるこを飲んで 元気回復。とっても美味しかったです。ペースも戻り、いい感じ。
30キロちかくなると、足全体が重くなり、痛くなってきました。幸いにも 心配していた左膝の痛みは、なかったです。
前に 宗平さんが歩いてると、松りんが教えてくれました。
私たちがエイドに寄っているあいだに、宗平さんの姿は、見えなくなっていました。
ここからは、足の痛みとの闘い。すると、松りんが、このペースで最後まで行けたら、僕も自己ベストが出るかもしれないとのこと。これは、頑張らねば。その言葉で力をもらい、大きなペースダウンがないように 足の痛みをこらえながら、走りました。
だんだん、1キロ1キロがとても長く感じるようになっていました。沿道からの声援もあり、なんとか歩かずに、ゴールすることができました。
タイムは、4時間18分でした。
二人とも、自己ベストを更新することができました。
前回の泉州マラソンより、40分ほど速い記録でした。
マイクで名前を呼ばれていると思ったら、3位入賞だったみたいで、びっくりでした!
松りんと、わーわーず1年生同士、いっしょに成長していきましょうと言っていたのを思いだしました。
今回も、思い出に残る大会となりました。

「福知山マラソン(第15回全日本盲人マラソン選手権)」 田中まさるさんの完走記です

午前3時30分起床、シャワーして、ご飯を食べ、二日前にスポーツ店に駆け込んで買い求めた足と骨盤をサポートしてくれるマラソン用のタイツを身に着けた。あれは10月中旬のことだった。練習会で25キロを過ぎたあたりから急に右膝が痛み出し、走れなくなり、けっきょくそこから10キロの道のりを歩くことになったことがあった。それから長い距離は走らずにいたこともあって、膝の痛みを感じることはなかったけれど、本番は大丈夫だろうか?っていう不安はずっとあった。だから、かなり高額ではあったが、このタイツを手にいれずにはいられなかったのだ。ところで、これをはくのにはちょっとしたコツがいる。きっちり足首から膝関節、股関節、骨盤までをサポートするためのものだから、弾力性も大きいので、足先から少しずつたぐり上げるようにしなきゃならず、しっかりと筋肉の走行にも合わせなきゃならない。しかし、前日にも練習しつつ試しに部屋ではいてもいたので、それほど時間はかからず、うまく身に付けられた。あー、やれやれだ。 まだ真っ暗な中、いよいよ出発。大阪駅のホームで伴走してくれるTさんと待ち合わせた。僕が始発電車に乗って大阪駅に到着したのは5時半、彼はもっと早くに到着していて、福知山行きの列車を待つ人たちの列にならんでくれていたのだ。5時50分発の福知山行き列車は福知山マラソンに出場するランナーたちでいっぱいだ。ならんでもらっていなければ福知山まで2時間40分くらい立ちっぱなしってことになっていたかもしれなかった、Tさんのおかげで無事席を確保し、ようやくほっと一息ついたのだ。長い1日の始まり、フルマラソンはすでに始まっているんだなあと感じた。
昔っから陸上競技が好きだったので、一度はフルマラソンを完走してみたいと思っていた。わーわーずっていうマラソン練習の団体にもずいぶん長く所属しているにもかかわらず、なかなかフルへの挑戦となると腰がひけてもいた。ともあれ、2年前に、このわーわーずの15周年の記念の曲を作ったことが、そんな僕の背中をおしてくれたのだ。せっかく歌作ったんだから、この流れにのってフルに挑戦してみたいなと思った。そんな気持ちを受け取ってくれたのがTさん、それはちょうど1年ほど前のこと。それからすぐに練習を始めたかといえばそうでもなく、CDのことやら仕事のことやら体調やら・・・、本格的には5月くらいからだったか・・・、そんなこんなで、福知山マラソン当日をむかえたのだ。
無事福知山駅に到着、会場までのバスに乗るため少し歩いた。やや寒い、僕は長そでのシャツは持ってきていないと言った。「えっ?このあいだ打ち合わせしておいたのに、持ってきてないとは・・・」とTさん。シャツ1枚のことだから、そんなに荷物になるわけじゃないし、持って来ておけば寒さにも対応できたのだ。やれやれ、タイツのことを気にしすぎたのか、すっかり頭から飛んでいた。っていうか、もう少ししっかり準備しなければね。そういえば手袋さえも忘れてきてしまっているのだった。こうなったら、走る時、それほど寒さがきびしくないよう祈るばかりだ。
バスの席に座ってぼんやりしていると、後ろの席のランナーたちの声が自然と聞こえてきた。彼らは外科医のようで、久々の再会らしかった。海外で行われた学会に参加した時のことやら、大変だった心臓の手術のことやら、別世界の話しが展開していた、それにマラソン大会にも多々参加しているようだった。元気でタフな人たちだなあ、やはりフルを走ろうって人たちはすごいなあって思いつつ、今日が終わる頃には僕はいったいどうなってるんだろうか、フルマラソンランナーの仲間入りがかなっていればいいなあって思った。
会場はまるでお祭りさわぎだった。ものすごい数のランナーたち、早く受付をすませてくださいっていうアナウンスがずーっと聞こえていた。42.195キロを走るっていうのはそんなにも楽しいことなんだろうか・・・、どうしてこれだけの人たちがわざわざここまでやってきて、フルマラソンっていう難関に挑戦しようとするんだろうか・・・、この場におよんでも、まだ自分にもよく分からないのだった。
スタート地点の近くに、視覚障害者用の準備場所が用意されていた。僕らはそこで走る準備をした。ゼッケンを付け、靴をはき、ストレッチした。視覚障害者の仲間たちとも再会、何だか心強い。トイレには何度か行った。朝おにぎりをふたつほど食べただけなんだが、腹は数回痛くなり、もうそろそろスタート地点に移動するっていう直前まで、僕はトイレの中でとじこもり、自分のおなかと会話していたのだ。まったく大事な時に・・・、便意っていうのはやっかいだ。こんなことが真に迫って気になるのもマラソンならではだろう。ともあれ、何とかおり合いをつけ、どたばたと、Tさんにしっかりガイドしてもらいながらスタート地点にたどりついたのだ。
「田中さん、大丈夫やからね!」ってベテランのブラインド・ランナーさんが声をかけてくれた。一般のランナーたちは予測タイムに応じて、並ぶ位置が決まっている。当然タイムの速いランナーは前の方に並べるし、タイムが遅いランナーはずいぶんと後ろに並ぶのだ。けれど、この大会では視覚障害者ランナーである僕らはスタートラインに最も近い位置に並ぶことができた。すごい!それにしても、あー、やっとここまで来たのだ、福知山、Tさんにも練習から何からずいぶんお世話になっている、膝は痛み出さないだろうか、走り切れるだろうか・・・、不安はつきない。いったいどうなるやら。けれどそれより大きな興奮が高まる。こんな時の僕は根っからのおちょうしものなのだ。どきどきする~!何とかなる~!これから始まる冒険に心震えるばかり~!Tさんと握手、いよいよ始まり、みんなでカウントダウン、そしてスタート!
曇り空、しかし雨は降っていない。思ったよりも暖かい空気、半そでシャツ、手袋も無しの僕だが、この天候は幸運だ。まったく僕はついている!そして、みんなやたらと速いのだ。そりゃそうだ、この位置に並んでいる人っていえば、むちゃくちゃ速いランナーさんたちなんだから。信じられないスピードで走っていく。それに、後ろから僕らを抜いていくランナーさんたちもやたらと速いのだ。そりゃそうだ、2時間台や3時間台で走ろうって人たちばかりなんだからね。僕からすればみんな怪物だ。なにしろ僕の目標タイムは、精一杯速く見積もっても4時間30分なのだ。ともかく自分のペースを守らなければ。いくらおちょうしものとはいっても、このペースにつられて走ってしまったら、つぶれてしまうのは目に見えている。ゆっくりゆっくりと走る。
Tさんの伴走のスキルはこの時点ですごかった。後ろから抜いていくランナーたちのじゃまになたないようにしながら、スタート直後のいくつかの曲がり角をアウトコースからしっかり曲り、人波の中を安全に走ることができた。僕を抜こうとして転倒するランナーがいた。スタートして数分なのに、仮設トイレに向かうランナーもいた。僕らはほんとうにたくさんのランナーにかわされながら、ようやく落ち着いて走れるようになっていったのだ。福知山の空気はとても新鮮だ!緑のにおいで気持ち良し!こんなに遠くまて来たかいもあるってもんだ。この時間をまるごとぜんぶ味わおう!
Tさんとは夏あたりから週に一度くらいのペースで長居公園で練習した。彼はフルはもちろん、100キロマラソンも何度も完走したことのあるランナーだ。
僕の力を考えながら、無理のない範囲で練習してくれた。いろんな話をしながら毎回少しずつ距離を伸ばしていった。お互いの仕事やら、これからの夢やら、音楽の話やら・・・。そういえばTさんが40歳代になって本気で走り始めたのは村上晴樹さんの「走ることについて語る時に僕が語ること」っていう本がきっかけだったと聞いて、僕もその本を読んでみたりした。走ることは僕にとっても昔っから大切なことだから、すごく共感できた。今回の目標は何といっても完走だ。また次も走ろうって思えるような完走なのだ。Tさんはたくさんのブラインド・ランナーの伴走者としてレースに出場している。一人で走るマラソンもよいけれど、二人でゴールして喜びを分かち合えるのがうれしいと話してくれた。そして、完走できたら、ぜひその経験を歌にしてほしいと彼は言った。練習の後はほぼ必ずビール飲みながら夜ご飯、ともかくランナーっていうのは元気な人たちなんだなあって思った。ところで、走ることが生活の一部になると、ただでさえ大好きなビールが、めったやたらとうまいのだ。練習後の風呂屋っていうのも何とも心地よいのだ。体もずいぶん変化した。少しずつ引き締まってくるのだ。特に大臀筋辺り。ともあれ、ちょっと霧がかかったような福知山の道を快調に走った。曇り空に時々太陽がのぞく。雨はやっぱり降っていない。タイツのはき心地も上々だ、これならいけるかも!
1キロ6分10~20秒くらいを刻みながら心地よく走り続けた。これなら目標の4時間30分も夢ではない。いっしょに走るランナーたちの足音が360度周囲から聞こえてくる。良い音だ、みんな修行僧みたいに自分と向き合いながら、遠いゴールを目指しているのだ。時々、僕のゼッケン番号を呼んでくれるランナーさんがいた。僕がブラインド・ランナーと気づいて応援してくれているのだ。「ファイト!」って僕も声を返す。5キロごとにあるエイド地点、水をしっかり補給しながら、10キロを過ぎ、15キロを過ぎ、20キロを過ぎていった。道端では応援してくださる人たちがいたり、バンドの演奏があったり。個人的にエイドの準備をしている人たちもいたなあ。この道をまた帰ってくる頃には僕はどうなっているのかなあ、元気にまた帰ってきたいなあ、おいしいものを食べさせてくれるんだろうか、楽しみだなあなんて、今思えば、ほんとうに呑気に走っていたのだ。
ゆるやかなアップダウンがあったけど、心臓も肺も足も自然にそれを受け入れてくれた。木々の中を走るのも心地よい。25キロを過ぎても調子はかなり良い。わーわーずのメンバーさんや知り合いのランナーさんたちの声に励まされながら、まるで大人の遠足みたいな気分だったな。この時期からすれば気温はかなり高いようで、暑さにばて気味のランナーもいるようだった。半そでシャツで調度良し!そして、折り返しポイントの28キロ地点に到着したのだ。大きなコーンにタッチして、いよいよこれから帰り道、ゴールまで残り約14キロ、そこから長い長い道程が待っていたのだ。
折り返してからすぐにエイドがあって、お汁粉をいただいた。甘さがたまらなくありがたくて、ここからも頑張れるって思った。のも束の間・・・。
30キロを目前にしてすっかりペースダウンしてしまった。突然のこと、両足を激しいだるさが襲ったのだ。あんなに軽々と走れていたのが嘘のようだ。まるで両足が大きな大きな重りみたいだ。前に踏み出す旅にその重だるさと闘わなくちゃいけない。
そういえば、このレースに向けての練習で走った最長距離は28キロ程度なのだ。神戸でのマラニックに参加した時のことだ。神戸から明石大橋の間の道をみんなで走った。9月末っていうのにむちゃくちゃ暑かったな、コンビニに寄って、その度にガリガリくんを買って食べた、これがまたうまかった。
Tさんとの練習での最長距離は35キロになる予定だったが。第2京阪道路にそっての道、福知山のアップダウンのある道を想定しつつ、ここで35キロいければ大丈夫っていう予定であった。10月中旬のことだ。その時は25キロ辺りで右膝が痛み出し、走ることができなくなってしまい、Tさんと二人、10キロ程度歩くことになってしまった。みんなはすっかりゴールして、僕らはずいぶん遅れてしまった。途中で電車があれば乗ることもできたのだが、近くには駅もなく、いっしょに歩いてもらうほかなかったのだ。Tさんには迷惑かけちゃったなあ、申し訳ないなあと感じながら、それでもお互いに家族の話などしながら、僕はその時いちばん気にかかっていた父のことを話してたと思う、ともかく、長い長い道を最後まで歩いたのだ。みんなとの打ち上げには間に合わず、たった二人で王将で打ち上げした。Tさんにはほんとうに感謝した。そんなこんなで、いよいよ未知の距離に入って、体はそれに反発しているのかもしれない。やれやれ、すっかりブルーな気持ちと体を引きずりながら30キロを通過した。
マラソンは30キロからが勝負、本当のマラソンは30キロからだといわれている。それをいやというほど実感しながら走った。両足の重さは腰辺りまで広がり、やがて重さが苦痛に変わっていった。
ふと、Tさんが口癖のように言ってた言葉が僕の頭に浮かんできた。「マラソンは走って完走してこそマラソンだ」。確かにそうなんだけど、それはそうなんだけど、この苦しさは耐えがたく・・・、ついに歩くこととなった。折り返し前とはすっかり世界が変わってしまった。楽しさはどこへやら、苦しさだけがここにあるのだ。「走り続けていれば、それを超えられるよ、楽になるよ」ってTさんはこれまでの経験から出てくる言葉をくれた。でも、苦しみにどっぷりつかっている僕の気持ちはその言葉を受け入れなかった。これはきつすぎる、あと10キロ以上もある。無理かもしれない・・・。でも、ここであきらめるわけにはいかない、絶対にあきらめたくない理由が僕にはあった。
実はこの福知山マラソンは僕にとっては2度目のフルマラソンへの挑戦だったからだ。9年ほど前だったか、宮崎県で行われた青島太平洋マラソンに参加したことがあった。これが僕の初フルマラソン体験だった。レース前日に同僚のブラインド・ランナーと飛行機で宮崎に乗り込んだ。調子よくビールを飲み、ところが夜どうしても寝付けなくて・・・。当日は33キロまで何とか走ったものの、全身の疲労感に耐え切れず、ついにリタイアしたのだ。33キロの制限時間には十分間に合っていたのだが、あまりの疲労感に心まで折られてしまった。ゆっくり海を見ていたい、それが正直な気持ちだったっけ。バスに乗りゴール地点まで運んでもらった。その時はしかたないって思ってた。同僚は5時間20分くらいで完走した。ゴールした人たちを見ていると、どうにもくやしくなってきた。レースのあとで食べた宮崎鳥も、完走していたらもっとおいしかったかもしれなかった。ともかく、どうしても33キロは絶対に超えたい。まずは33キロまで行こう。そんな気持ちで何とか走りだした。
そして、何とか33キロを超えた。やっとここまで来たんだな、まったく青島太平洋マラソンから何年かかったんだろうか・・・、とはいえ、このフルマラソンから解放されるまでにはまだまだ苦しまなくちゃいけないのだ。幸いにも右膝のどうにもならない痛みは出ていない。自分の体とは思えないくらいに足腰が重くて痛いだけだ。ここからは歩いたり、走ったり、また歩いたり・・・。4時間30分での完走は難しくなってきた。いやそれどころか、5時間を超えてしまうかもしれない。
Tさんにはひとつの考えがあった。ゴールまでの道、最後の2キロくらいは上り坂だ。5時間を超えてしまうと、交通規制が解かれてしまい、道の真ん中を走ることができなくなるのだ。車が走る道端を走らなきゃいけなくなる。Tさんは僕の初フルマラソン完走を、しっかり最後の坂道のど真ん中を走ることで終えたいって考えてくれていたのだ。
その気持ちはとてもありがたかった。しかし、体の方はいうことをきかない。何とか心をつないでゆっくりゆっくりと走る。Tさんはたまりかねてペースをあげる。ロープが引っ張られる。けれど、僕はそのペースにはついていけないのだ。確かに5時間以内でゴールしたい、けれど、引っ張られながら走ることは、さらに僕の気持ちをつらくするのだ。自分の意思で走っていると思えなくなる、走らされている感覚になってしまうからだ。そして、走り続ける限り、ブラインドの僕はそのロープを手放すことはできないのだ。たまらずに、「ひっぱらないでください」とTさんに伝える。Tさんはペースを落とし、僕らはまた歩いたり、走ったりを繰り返しながら進んだ。
35キロ、36キロと進んでいく。暖かな日でほんとうによかった。こんなにゆっくり進んでいたら、体はすっかり冷え切ってしまう。寒い日だったらって想像したら、ぞっとしたのだ。エイド地点にはスタッフの人たちがいて応援してくれるのだが、ここで元気出さなきゃって思うのだけど、やっぱりペースは上がらない。外からの働きかけにはどうしても気持ちは反応してくれなかった。
そんな時に僕の心をよぎったのは、いつも僕の周りにいてくれる人たちのことだった。フルマラソンを走るってことで、自分を支えてくれた人がいる。マッサージをしてくれた人もいる。いっしょに練習した人たち、特に右膝を悪くしてから、ランニングフォームについてアドバイスしてくれたランナーさんもいた。たまたま京都の練習会に参加した時のことだった、あれから自分なりにも工夫して、膝への負担を減らせるように股関節で体を支えながら走るフォームを意識できた。肩甲骨を前後にしっかり動かしながら、それによって腹筋を使ってのひねり運動が生まれ、股関節から自然に足が前に出るようになる。本当にそれができているかどうかは分からないけれど、全身を使って走っている実感が持てるようになったのだ。膝の痛みが出てから後の練習のほうが、実際には充実した時間だったかもしれないなあと感じさえする。ライブでもフルを走ることはみんなに話してきた、僕の音楽を応援してくれている人たちの顔がうかんでくる。学校でも、フルを走ることはネタにしてきた、学生さんたちの声が聞こえてくる。やれやれ、リタイアしたなんて到底言えないだろうなあ・・・。ちょっとした意地みたいな感情もこの場合には大きな支えになるらしい。フルマラソン完走、自分一人では成しえない、僕はとても弱い存在なんだな、いっぱいの人たちに支えてもらっているんだなあと実感したのだ。
そういえば、とある方のアドバイスで、痛みそうな場所にはパイオネックスっていう小さな鍼を張り付けていた。膝がとことん痛まないのはそのおかげかもしれない。これまた幸運だ。全身の疲れを取ることができるっていう合谷っていう経穴にも貼り付けている。手の裏側、親指と人差し指の間だ。それをぐーっと押しながら、こんな時はもう神頼みっていう心境で、ゆっくりと先を目指した。
苦しい気持ちばかりに捉われていてはいけない、気持ちを切り替えなければ・・・。そんな時、道端から大きな応援の声が聞こえた。わーわーずのメンバーさんたちだ!その声が背中を押してくれた。そこから数キロは良い感じで走ることができた。あー、涙が出そう、ほんとにきつい。でもゴールは確実に近づいてきた。そして、またもや歩く、そしてまた走る・・・。
40キロをいよいよ超えた。あと2キロ、ここからが最後の坂道だ。ようやくここまでやって来た、しかし、感動なんてまだまだ感じられなかった。途方もなく長い坂道なんだろうと思えた。この時点で、交通規制はまだ解除されていないようだった。最後まで今日は幸運だ。僕はかなりついている!そして、この福知山マラソンのひとつの名物になっている企画があった。地元の小学生さんがゴールまで坂道をいっしょに走ってくれるのだ。僕といっしょに走ってくれたのは5年生だったかな?の女の子だった。さすがにここまで走ってきたあとの坂道はハードで、やはり歩いたり走ったり・・・。もう力は残っていない。「最後は走ってゴールしましょう!」とTさん、そうだなあ、そうでなければフルマラソンを完走したっていえないなあ・・・。
そんな時、ゴール地点から音楽が聞こえてきた。ブルース・スプリング・スティーンのボーン・トゥー・ラン!パワフルでしわがれたボーカルだ!うわあ、いいなあ!帰ってきたんだなあ!ゴールはもうすぐそこなんだなあ!いきなりに気持ちが動きだした!恐るべし、音楽の力!最後の400メートルくらいを僕とTさん、そして小学5年生の女の子でしっかり走ることができた。分けの分からない涙が出てきた。胸が熱くなり、体中にその熱が伝わって、ふわっと宙に浮いているみたいだ。きたきたきた、ぐーっときた!ここまで帰って来れたこと、ゴールできること、ようやく苦しさから解放されること、たくさんの人たちに支えられている実感・・・、いろんな想いが混ぜこぜになっている。3人でしっかり両手を挙げて、ゴール!あー、ありがたや~!
ゴールしたら世界が変わりますよ、自分自身が生まれ変わったような気持ちになりますよ、フル出場の前にそんなことを言ってた人がいたけれど、到底そんな気持ちにはなれなかった。控え室まで歩く時、服を着替える時、電車に乗り込んで帰る時、いやあほんとに体はむちゃくちゃきつかったですね。確かに宮崎で叶わなかった夢が叶ったわけだし、今までできなかったことを成し遂げられたわけで、それはとてもうれしいのだけれど、さてこれをもう一度やりたいかって訊かれたら、分からないっていうのがあの時の正直な気持ちだと思う。それほどに疲れ果てたのだ。ゴール手前でぐっときたあの感覚、それはとても喜ばしいものだったし、そうそう味わうことのできない感動なんだと思う。けれど、その気持ちを味わうために、あれだけの苦しみを受け入れなきゃいけないなんて、フルマラソンをやる人たちはやっぱり普通じゃないなあ、タフなんだなあって感じた。
ともかく、帰りの電車でTさんとビールで乾杯、といきたかったのだが、ビールを駅で手にいれることができず、大阪まで帰って来てから、いつもの店で乾杯したのだ。今日が無事に終えられたことにほっとしつつ、Tさんには、何から何までお世話になりっぱなしで、本当に心から感謝したのだ。気持ちに余裕を持てないままだったけれど、Tさんのおかげでフルマラソンの1日を満喫できたのだ。翌日は仕事、授業2コマにあん摩を2本、さらにその後は高槻に移動してテリー島津くんのライブに参加することになっていたから、打ち上げは軽めにおさえ、これまたいつものお風呂屋で体をいやした。ちなみにゴールタイムは5時間06分42秒だった。
じんわりと喜びを味わえるようになったのは翌日からのことだ。学校に何とか行き、筋肉痛に耐えながら、フルマラソンを完走できたと学生さんたちに報告、みんな喜んでくれた時、とりあえずゴールまで辿り着けたことをうれしく、そして誇らしく思った。と同時に、途中で歩いてしまったことや、ともすれば紙一重であきらめてしまったかもしれない自分の弱さも真に迫って感じられるようになった。けして一人ではできなかった、人は何て弱い存在なんだろうか、そして、僕の中にたくさんの人たちが存在していてくれることこそが、僕の人生のひとつずつを支えてくれているんだなあってはっきり感じられるようにもなった。
それからすっかり走ることから遠ざかった。仕事して、歌って、飲んで食べて、1か月くらいが過ぎた頃、また新たな気持ちが生まれていた。フルマラソンについて想い返す時、あれほど苦しかった感覚がすっかり消えてしまっているのだ。その代わりに、うれしかったことばかりが頭に次々と浮かんでくる。とても不思議なのだけれど、練習のひとつずつや、レース当日の経験のすべてが輝いていて、時間の経過とともにそれはさらに輝きを増していく。確かにあの時、いろんなことを心と体で感じながら、僕は生きていたんだなあって思える。そして、証拠にもなく、またフルマラソンを走ってみたいなあという気持ちがむくむくと立ち上がってきたのだ。
今はまた少しずつ体を動かしている。体調はあまりよくないのだが、だからなおさら、フルマラソンを完走できたことはまるで夢の中での話みたいに思える。とはいえ、あの苦しさを僕は体で知っているわけだから、今度フルに挑戦した時には、その苦しさをもっと良いかたちで乗り越えることができるんじゃないかなあって思うのだ。人間はこりない動物だ。来シーズンは3つくらい、フルマラソンを走ってみるっていうのはどうだろうか・・・。
最後に、あらためてTさんに心より感謝します!いっしょに福知山を走れたこと、かけがえのない経験に感謝です!

そして、こんな詞ができました~!

長い長い道の途中
頭も体も痺れてる
折れそうな足を引きずって
旅の終わりをめざす

苦しくて苦しくて苦しくて
苦しくて苦しくて苦しくて
苦しみたちの向こうには
もっと大きな喜びが待ってる

がんばれって君の声
大丈夫だよって友の顔
懸命に想いをつないで
夢の場所にたどり着いた

うれしくてうれしくてうれしくて
うれしくてうれしくてうれしくて
うれしさたちが結ばれて
新しい夢が今生まれた

苦しさのすべて
もうどこへやら
うれしさを抱いて
旅を始めよう

うれしくてうれしくてうれしくて
うれしくてうれしくてうれしくて
うれしさたちが結ばれて
新しい夢が今生まれた