「福知山マラソン(第15回全日本盲人マラソン選手権)」 田中まさるさんの完走記です

午前3時30分起床、シャワーして、ご飯を食べ、二日前にスポーツ店に駆け込んで買い求めた足と骨盤をサポートしてくれるマラソン用のタイツを身に着けた。あれは10月中旬のことだった。練習会で25キロを過ぎたあたりから急に右膝が痛み出し、走れなくなり、けっきょくそこから10キロの道のりを歩くことになったことがあった。それから長い距離は走らずにいたこともあって、膝の痛みを感じることはなかったけれど、本番は大丈夫だろうか?っていう不安はずっとあった。だから、かなり高額ではあったが、このタイツを手にいれずにはいられなかったのだ。ところで、これをはくのにはちょっとしたコツがいる。きっちり足首から膝関節、股関節、骨盤までをサポートするためのものだから、弾力性も大きいので、足先から少しずつたぐり上げるようにしなきゃならず、しっかりと筋肉の走行にも合わせなきゃならない。しかし、前日にも練習しつつ試しに部屋ではいてもいたので、それほど時間はかからず、うまく身に付けられた。あー、やれやれだ。 まだ真っ暗な中、いよいよ出発。大阪駅のホームで伴走してくれるTさんと待ち合わせた。僕が始発電車に乗って大阪駅に到着したのは5時半、彼はもっと早くに到着していて、福知山行きの列車を待つ人たちの列にならんでくれていたのだ。5時50分発の福知山行き列車は福知山マラソンに出場するランナーたちでいっぱいだ。ならんでもらっていなければ福知山まで2時間40分くらい立ちっぱなしってことになっていたかもしれなかった、Tさんのおかげで無事席を確保し、ようやくほっと一息ついたのだ。長い1日の始まり、フルマラソンはすでに始まっているんだなあと感じた。
昔っから陸上競技が好きだったので、一度はフルマラソンを完走してみたいと思っていた。わーわーずっていうマラソン練習の団体にもずいぶん長く所属しているにもかかわらず、なかなかフルへの挑戦となると腰がひけてもいた。ともあれ、2年前に、このわーわーずの15周年の記念の曲を作ったことが、そんな僕の背中をおしてくれたのだ。せっかく歌作ったんだから、この流れにのってフルに挑戦してみたいなと思った。そんな気持ちを受け取ってくれたのがTさん、それはちょうど1年ほど前のこと。それからすぐに練習を始めたかといえばそうでもなく、CDのことやら仕事のことやら体調やら・・・、本格的には5月くらいからだったか・・・、そんなこんなで、福知山マラソン当日をむかえたのだ。
無事福知山駅に到着、会場までのバスに乗るため少し歩いた。やや寒い、僕は長そでのシャツは持ってきていないと言った。「えっ?このあいだ打ち合わせしておいたのに、持ってきてないとは・・・」とTさん。シャツ1枚のことだから、そんなに荷物になるわけじゃないし、持って来ておけば寒さにも対応できたのだ。やれやれ、タイツのことを気にしすぎたのか、すっかり頭から飛んでいた。っていうか、もう少ししっかり準備しなければね。そういえば手袋さえも忘れてきてしまっているのだった。こうなったら、走る時、それほど寒さがきびしくないよう祈るばかりだ。
バスの席に座ってぼんやりしていると、後ろの席のランナーたちの声が自然と聞こえてきた。彼らは外科医のようで、久々の再会らしかった。海外で行われた学会に参加した時のことやら、大変だった心臓の手術のことやら、別世界の話しが展開していた、それにマラソン大会にも多々参加しているようだった。元気でタフな人たちだなあ、やはりフルを走ろうって人たちはすごいなあって思いつつ、今日が終わる頃には僕はいったいどうなってるんだろうか、フルマラソンランナーの仲間入りがかなっていればいいなあって思った。
会場はまるでお祭りさわぎだった。ものすごい数のランナーたち、早く受付をすませてくださいっていうアナウンスがずーっと聞こえていた。42.195キロを走るっていうのはそんなにも楽しいことなんだろうか・・・、どうしてこれだけの人たちがわざわざここまでやってきて、フルマラソンっていう難関に挑戦しようとするんだろうか・・・、この場におよんでも、まだ自分にもよく分からないのだった。
スタート地点の近くに、視覚障害者用の準備場所が用意されていた。僕らはそこで走る準備をした。ゼッケンを付け、靴をはき、ストレッチした。視覚障害者の仲間たちとも再会、何だか心強い。トイレには何度か行った。朝おにぎりをふたつほど食べただけなんだが、腹は数回痛くなり、もうそろそろスタート地点に移動するっていう直前まで、僕はトイレの中でとじこもり、自分のおなかと会話していたのだ。まったく大事な時に・・・、便意っていうのはやっかいだ。こんなことが真に迫って気になるのもマラソンならではだろう。ともあれ、何とかおり合いをつけ、どたばたと、Tさんにしっかりガイドしてもらいながらスタート地点にたどりついたのだ。
「田中さん、大丈夫やからね!」ってベテランのブラインド・ランナーさんが声をかけてくれた。一般のランナーたちは予測タイムに応じて、並ぶ位置が決まっている。当然タイムの速いランナーは前の方に並べるし、タイムが遅いランナーはずいぶんと後ろに並ぶのだ。けれど、この大会では視覚障害者ランナーである僕らはスタートラインに最も近い位置に並ぶことができた。すごい!それにしても、あー、やっとここまで来たのだ、福知山、Tさんにも練習から何からずいぶんお世話になっている、膝は痛み出さないだろうか、走り切れるだろうか・・・、不安はつきない。いったいどうなるやら。けれどそれより大きな興奮が高まる。こんな時の僕は根っからのおちょうしものなのだ。どきどきする~!何とかなる~!これから始まる冒険に心震えるばかり~!Tさんと握手、いよいよ始まり、みんなでカウントダウン、そしてスタート!
曇り空、しかし雨は降っていない。思ったよりも暖かい空気、半そでシャツ、手袋も無しの僕だが、この天候は幸運だ。まったく僕はついている!そして、みんなやたらと速いのだ。そりゃそうだ、この位置に並んでいる人っていえば、むちゃくちゃ速いランナーさんたちなんだから。信じられないスピードで走っていく。それに、後ろから僕らを抜いていくランナーさんたちもやたらと速いのだ。そりゃそうだ、2時間台や3時間台で走ろうって人たちばかりなんだからね。僕からすればみんな怪物だ。なにしろ僕の目標タイムは、精一杯速く見積もっても4時間30分なのだ。ともかく自分のペースを守らなければ。いくらおちょうしものとはいっても、このペースにつられて走ってしまったら、つぶれてしまうのは目に見えている。ゆっくりゆっくりと走る。
Tさんの伴走のスキルはこの時点ですごかった。後ろから抜いていくランナーたちのじゃまになたないようにしながら、スタート直後のいくつかの曲がり角をアウトコースからしっかり曲り、人波の中を安全に走ることができた。僕を抜こうとして転倒するランナーがいた。スタートして数分なのに、仮設トイレに向かうランナーもいた。僕らはほんとうにたくさんのランナーにかわされながら、ようやく落ち着いて走れるようになっていったのだ。福知山の空気はとても新鮮だ!緑のにおいで気持ち良し!こんなに遠くまて来たかいもあるってもんだ。この時間をまるごとぜんぶ味わおう!
Tさんとは夏あたりから週に一度くらいのペースで長居公園で練習した。彼はフルはもちろん、100キロマラソンも何度も完走したことのあるランナーだ。
僕の力を考えながら、無理のない範囲で練習してくれた。いろんな話をしながら毎回少しずつ距離を伸ばしていった。お互いの仕事やら、これからの夢やら、音楽の話やら・・・。そういえばTさんが40歳代になって本気で走り始めたのは村上晴樹さんの「走ることについて語る時に僕が語ること」っていう本がきっかけだったと聞いて、僕もその本を読んでみたりした。走ることは僕にとっても昔っから大切なことだから、すごく共感できた。今回の目標は何といっても完走だ。また次も走ろうって思えるような完走なのだ。Tさんはたくさんのブラインド・ランナーの伴走者としてレースに出場している。一人で走るマラソンもよいけれど、二人でゴールして喜びを分かち合えるのがうれしいと話してくれた。そして、完走できたら、ぜひその経験を歌にしてほしいと彼は言った。練習の後はほぼ必ずビール飲みながら夜ご飯、ともかくランナーっていうのは元気な人たちなんだなあって思った。ところで、走ることが生活の一部になると、ただでさえ大好きなビールが、めったやたらとうまいのだ。練習後の風呂屋っていうのも何とも心地よいのだ。体もずいぶん変化した。少しずつ引き締まってくるのだ。特に大臀筋辺り。ともあれ、ちょっと霧がかかったような福知山の道を快調に走った。曇り空に時々太陽がのぞく。雨はやっぱり降っていない。タイツのはき心地も上々だ、これならいけるかも!
1キロ6分10~20秒くらいを刻みながら心地よく走り続けた。これなら目標の4時間30分も夢ではない。いっしょに走るランナーたちの足音が360度周囲から聞こえてくる。良い音だ、みんな修行僧みたいに自分と向き合いながら、遠いゴールを目指しているのだ。時々、僕のゼッケン番号を呼んでくれるランナーさんがいた。僕がブラインド・ランナーと気づいて応援してくれているのだ。「ファイト!」って僕も声を返す。5キロごとにあるエイド地点、水をしっかり補給しながら、10キロを過ぎ、15キロを過ぎ、20キロを過ぎていった。道端では応援してくださる人たちがいたり、バンドの演奏があったり。個人的にエイドの準備をしている人たちもいたなあ。この道をまた帰ってくる頃には僕はどうなっているのかなあ、元気にまた帰ってきたいなあ、おいしいものを食べさせてくれるんだろうか、楽しみだなあなんて、今思えば、ほんとうに呑気に走っていたのだ。
ゆるやかなアップダウンがあったけど、心臓も肺も足も自然にそれを受け入れてくれた。木々の中を走るのも心地よい。25キロを過ぎても調子はかなり良い。わーわーずのメンバーさんや知り合いのランナーさんたちの声に励まされながら、まるで大人の遠足みたいな気分だったな。この時期からすれば気温はかなり高いようで、暑さにばて気味のランナーもいるようだった。半そでシャツで調度良し!そして、折り返しポイントの28キロ地点に到着したのだ。大きなコーンにタッチして、いよいよこれから帰り道、ゴールまで残り約14キロ、そこから長い長い道程が待っていたのだ。
折り返してからすぐにエイドがあって、お汁粉をいただいた。甘さがたまらなくありがたくて、ここからも頑張れるって思った。のも束の間・・・。
30キロを目前にしてすっかりペースダウンしてしまった。突然のこと、両足を激しいだるさが襲ったのだ。あんなに軽々と走れていたのが嘘のようだ。まるで両足が大きな大きな重りみたいだ。前に踏み出す旅にその重だるさと闘わなくちゃいけない。
そういえば、このレースに向けての練習で走った最長距離は28キロ程度なのだ。神戸でのマラニックに参加した時のことだ。神戸から明石大橋の間の道をみんなで走った。9月末っていうのにむちゃくちゃ暑かったな、コンビニに寄って、その度にガリガリくんを買って食べた、これがまたうまかった。
Tさんとの練習での最長距離は35キロになる予定だったが。第2京阪道路にそっての道、福知山のアップダウンのある道を想定しつつ、ここで35キロいければ大丈夫っていう予定であった。10月中旬のことだ。その時は25キロ辺りで右膝が痛み出し、走ることができなくなってしまい、Tさんと二人、10キロ程度歩くことになってしまった。みんなはすっかりゴールして、僕らはずいぶん遅れてしまった。途中で電車があれば乗ることもできたのだが、近くには駅もなく、いっしょに歩いてもらうほかなかったのだ。Tさんには迷惑かけちゃったなあ、申し訳ないなあと感じながら、それでもお互いに家族の話などしながら、僕はその時いちばん気にかかっていた父のことを話してたと思う、ともかく、長い長い道を最後まで歩いたのだ。みんなとの打ち上げには間に合わず、たった二人で王将で打ち上げした。Tさんにはほんとうに感謝した。そんなこんなで、いよいよ未知の距離に入って、体はそれに反発しているのかもしれない。やれやれ、すっかりブルーな気持ちと体を引きずりながら30キロを通過した。
マラソンは30キロからが勝負、本当のマラソンは30キロからだといわれている。それをいやというほど実感しながら走った。両足の重さは腰辺りまで広がり、やがて重さが苦痛に変わっていった。
ふと、Tさんが口癖のように言ってた言葉が僕の頭に浮かんできた。「マラソンは走って完走してこそマラソンだ」。確かにそうなんだけど、それはそうなんだけど、この苦しさは耐えがたく・・・、ついに歩くこととなった。折り返し前とはすっかり世界が変わってしまった。楽しさはどこへやら、苦しさだけがここにあるのだ。「走り続けていれば、それを超えられるよ、楽になるよ」ってTさんはこれまでの経験から出てくる言葉をくれた。でも、苦しみにどっぷりつかっている僕の気持ちはその言葉を受け入れなかった。これはきつすぎる、あと10キロ以上もある。無理かもしれない・・・。でも、ここであきらめるわけにはいかない、絶対にあきらめたくない理由が僕にはあった。
実はこの福知山マラソンは僕にとっては2度目のフルマラソンへの挑戦だったからだ。9年ほど前だったか、宮崎県で行われた青島太平洋マラソンに参加したことがあった。これが僕の初フルマラソン体験だった。レース前日に同僚のブラインド・ランナーと飛行機で宮崎に乗り込んだ。調子よくビールを飲み、ところが夜どうしても寝付けなくて・・・。当日は33キロまで何とか走ったものの、全身の疲労感に耐え切れず、ついにリタイアしたのだ。33キロの制限時間には十分間に合っていたのだが、あまりの疲労感に心まで折られてしまった。ゆっくり海を見ていたい、それが正直な気持ちだったっけ。バスに乗りゴール地点まで運んでもらった。その時はしかたないって思ってた。同僚は5時間20分くらいで完走した。ゴールした人たちを見ていると、どうにもくやしくなってきた。レースのあとで食べた宮崎鳥も、完走していたらもっとおいしかったかもしれなかった。ともかく、どうしても33キロは絶対に超えたい。まずは33キロまで行こう。そんな気持ちで何とか走りだした。
そして、何とか33キロを超えた。やっとここまで来たんだな、まったく青島太平洋マラソンから何年かかったんだろうか・・・、とはいえ、このフルマラソンから解放されるまでにはまだまだ苦しまなくちゃいけないのだ。幸いにも右膝のどうにもならない痛みは出ていない。自分の体とは思えないくらいに足腰が重くて痛いだけだ。ここからは歩いたり、走ったり、また歩いたり・・・。4時間30分での完走は難しくなってきた。いやそれどころか、5時間を超えてしまうかもしれない。
Tさんにはひとつの考えがあった。ゴールまでの道、最後の2キロくらいは上り坂だ。5時間を超えてしまうと、交通規制が解かれてしまい、道の真ん中を走ることができなくなるのだ。車が走る道端を走らなきゃいけなくなる。Tさんは僕の初フルマラソン完走を、しっかり最後の坂道のど真ん中を走ることで終えたいって考えてくれていたのだ。
その気持ちはとてもありがたかった。しかし、体の方はいうことをきかない。何とか心をつないでゆっくりゆっくりと走る。Tさんはたまりかねてペースをあげる。ロープが引っ張られる。けれど、僕はそのペースにはついていけないのだ。確かに5時間以内でゴールしたい、けれど、引っ張られながら走ることは、さらに僕の気持ちをつらくするのだ。自分の意思で走っていると思えなくなる、走らされている感覚になってしまうからだ。そして、走り続ける限り、ブラインドの僕はそのロープを手放すことはできないのだ。たまらずに、「ひっぱらないでください」とTさんに伝える。Tさんはペースを落とし、僕らはまた歩いたり、走ったりを繰り返しながら進んだ。
35キロ、36キロと進んでいく。暖かな日でほんとうによかった。こんなにゆっくり進んでいたら、体はすっかり冷え切ってしまう。寒い日だったらって想像したら、ぞっとしたのだ。エイド地点にはスタッフの人たちがいて応援してくれるのだが、ここで元気出さなきゃって思うのだけど、やっぱりペースは上がらない。外からの働きかけにはどうしても気持ちは反応してくれなかった。
そんな時に僕の心をよぎったのは、いつも僕の周りにいてくれる人たちのことだった。フルマラソンを走るってことで、自分を支えてくれた人がいる。マッサージをしてくれた人もいる。いっしょに練習した人たち、特に右膝を悪くしてから、ランニングフォームについてアドバイスしてくれたランナーさんもいた。たまたま京都の練習会に参加した時のことだった、あれから自分なりにも工夫して、膝への負担を減らせるように股関節で体を支えながら走るフォームを意識できた。肩甲骨を前後にしっかり動かしながら、それによって腹筋を使ってのひねり運動が生まれ、股関節から自然に足が前に出るようになる。本当にそれができているかどうかは分からないけれど、全身を使って走っている実感が持てるようになったのだ。膝の痛みが出てから後の練習のほうが、実際には充実した時間だったかもしれないなあと感じさえする。ライブでもフルを走ることはみんなに話してきた、僕の音楽を応援してくれている人たちの顔がうかんでくる。学校でも、フルを走ることはネタにしてきた、学生さんたちの声が聞こえてくる。やれやれ、リタイアしたなんて到底言えないだろうなあ・・・。ちょっとした意地みたいな感情もこの場合には大きな支えになるらしい。フルマラソン完走、自分一人では成しえない、僕はとても弱い存在なんだな、いっぱいの人たちに支えてもらっているんだなあと実感したのだ。
そういえば、とある方のアドバイスで、痛みそうな場所にはパイオネックスっていう小さな鍼を張り付けていた。膝がとことん痛まないのはそのおかげかもしれない。これまた幸運だ。全身の疲れを取ることができるっていう合谷っていう経穴にも貼り付けている。手の裏側、親指と人差し指の間だ。それをぐーっと押しながら、こんな時はもう神頼みっていう心境で、ゆっくりと先を目指した。
苦しい気持ちばかりに捉われていてはいけない、気持ちを切り替えなければ・・・。そんな時、道端から大きな応援の声が聞こえた。わーわーずのメンバーさんたちだ!その声が背中を押してくれた。そこから数キロは良い感じで走ることができた。あー、涙が出そう、ほんとにきつい。でもゴールは確実に近づいてきた。そして、またもや歩く、そしてまた走る・・・。
40キロをいよいよ超えた。あと2キロ、ここからが最後の坂道だ。ようやくここまでやって来た、しかし、感動なんてまだまだ感じられなかった。途方もなく長い坂道なんだろうと思えた。この時点で、交通規制はまだ解除されていないようだった。最後まで今日は幸運だ。僕はかなりついている!そして、この福知山マラソンのひとつの名物になっている企画があった。地元の小学生さんがゴールまで坂道をいっしょに走ってくれるのだ。僕といっしょに走ってくれたのは5年生だったかな?の女の子だった。さすがにここまで走ってきたあとの坂道はハードで、やはり歩いたり走ったり・・・。もう力は残っていない。「最後は走ってゴールしましょう!」とTさん、そうだなあ、そうでなければフルマラソンを完走したっていえないなあ・・・。
そんな時、ゴール地点から音楽が聞こえてきた。ブルース・スプリング・スティーンのボーン・トゥー・ラン!パワフルでしわがれたボーカルだ!うわあ、いいなあ!帰ってきたんだなあ!ゴールはもうすぐそこなんだなあ!いきなりに気持ちが動きだした!恐るべし、音楽の力!最後の400メートルくらいを僕とTさん、そして小学5年生の女の子でしっかり走ることができた。分けの分からない涙が出てきた。胸が熱くなり、体中にその熱が伝わって、ふわっと宙に浮いているみたいだ。きたきたきた、ぐーっときた!ここまで帰って来れたこと、ゴールできること、ようやく苦しさから解放されること、たくさんの人たちに支えられている実感・・・、いろんな想いが混ぜこぜになっている。3人でしっかり両手を挙げて、ゴール!あー、ありがたや~!
ゴールしたら世界が変わりますよ、自分自身が生まれ変わったような気持ちになりますよ、フル出場の前にそんなことを言ってた人がいたけれど、到底そんな気持ちにはなれなかった。控え室まで歩く時、服を着替える時、電車に乗り込んで帰る時、いやあほんとに体はむちゃくちゃきつかったですね。確かに宮崎で叶わなかった夢が叶ったわけだし、今までできなかったことを成し遂げられたわけで、それはとてもうれしいのだけれど、さてこれをもう一度やりたいかって訊かれたら、分からないっていうのがあの時の正直な気持ちだと思う。それほどに疲れ果てたのだ。ゴール手前でぐっときたあの感覚、それはとても喜ばしいものだったし、そうそう味わうことのできない感動なんだと思う。けれど、その気持ちを味わうために、あれだけの苦しみを受け入れなきゃいけないなんて、フルマラソンをやる人たちはやっぱり普通じゃないなあ、タフなんだなあって感じた。
ともかく、帰りの電車でTさんとビールで乾杯、といきたかったのだが、ビールを駅で手にいれることができず、大阪まで帰って来てから、いつもの店で乾杯したのだ。今日が無事に終えられたことにほっとしつつ、Tさんには、何から何までお世話になりっぱなしで、本当に心から感謝したのだ。気持ちに余裕を持てないままだったけれど、Tさんのおかげでフルマラソンの1日を満喫できたのだ。翌日は仕事、授業2コマにあん摩を2本、さらにその後は高槻に移動してテリー島津くんのライブに参加することになっていたから、打ち上げは軽めにおさえ、これまたいつものお風呂屋で体をいやした。ちなみにゴールタイムは5時間06分42秒だった。
じんわりと喜びを味わえるようになったのは翌日からのことだ。学校に何とか行き、筋肉痛に耐えながら、フルマラソンを完走できたと学生さんたちに報告、みんな喜んでくれた時、とりあえずゴールまで辿り着けたことをうれしく、そして誇らしく思った。と同時に、途中で歩いてしまったことや、ともすれば紙一重であきらめてしまったかもしれない自分の弱さも真に迫って感じられるようになった。けして一人ではできなかった、人は何て弱い存在なんだろうか、そして、僕の中にたくさんの人たちが存在していてくれることこそが、僕の人生のひとつずつを支えてくれているんだなあってはっきり感じられるようにもなった。
それからすっかり走ることから遠ざかった。仕事して、歌って、飲んで食べて、1か月くらいが過ぎた頃、また新たな気持ちが生まれていた。フルマラソンについて想い返す時、あれほど苦しかった感覚がすっかり消えてしまっているのだ。その代わりに、うれしかったことばかりが頭に次々と浮かんでくる。とても不思議なのだけれど、練習のひとつずつや、レース当日の経験のすべてが輝いていて、時間の経過とともにそれはさらに輝きを増していく。確かにあの時、いろんなことを心と体で感じながら、僕は生きていたんだなあって思える。そして、証拠にもなく、またフルマラソンを走ってみたいなあという気持ちがむくむくと立ち上がってきたのだ。
今はまた少しずつ体を動かしている。体調はあまりよくないのだが、だからなおさら、フルマラソンを完走できたことはまるで夢の中での話みたいに思える。とはいえ、あの苦しさを僕は体で知っているわけだから、今度フルに挑戦した時には、その苦しさをもっと良いかたちで乗り越えることができるんじゃないかなあって思うのだ。人間はこりない動物だ。来シーズンは3つくらい、フルマラソンを走ってみるっていうのはどうだろうか・・・。
最後に、あらためてTさんに心より感謝します!いっしょに福知山を走れたこと、かけがえのない経験に感謝です!

そして、こんな詞ができました~!

長い長い道の途中
頭も体も痺れてる
折れそうな足を引きずって
旅の終わりをめざす

苦しくて苦しくて苦しくて
苦しくて苦しくて苦しくて
苦しみたちの向こうには
もっと大きな喜びが待ってる

がんばれって君の声
大丈夫だよって友の顔
懸命に想いをつないで
夢の場所にたどり着いた

うれしくてうれしくてうれしくて
うれしくてうれしくてうれしくて
うれしさたちが結ばれて
新しい夢が今生まれた

苦しさのすべて
もうどこへやら
うれしさを抱いて
旅を始めよう

うれしくてうれしくてうれしくて
うれしくてうれしくてうれしくて
うれしさたちが結ばれて
新しい夢が今生まれた