12月17日の自由練習会

[投稿者] 松原市ガイドさかい さん

今年もあと2週間ほどを残すだけとなりました。
年末に向け何かとお忙しいと思います。そんな中、われらわーわーずの自由練習会が普段と変わらずとり行われました。
 参加者33名。当日ドタ参のガイドのおかげで、なんとかブラインドランナーには、待ち時間が無い状態でスムーズにガイドランが出来たと思います。ありがとうございます。
ミーティングの様子です、伴走者が足らないかと思われましたが、大丈夫でした

 さて、自己紹介、ミーティングも終わり、自由練習会は、各自ペアーで任意に声を掛け合い、と言っても、ガイドがブラインドに声をかけるスタイルですが、私はセッキーとペアー、拷問ダッシュスタートの刑が待ち受けていました。
 セッキーに声をかけた時点で、覚悟はしています。セッキーに鍛えてもらうと、自分に言い聞かせ、ファイト!!
1周目、13分7秒。2周目、13分30秒。3周目、13分23秒。4周目、12分44秒。
途中にセッキーへの取材インタビューが入り、何とか4周して生還しました。途中、朝食べたものが、口から出かけましたが。
 5周目は藤井寺の藤〇さんとのペアーでスタート。藤〇さんは次のレースに向け、すでに4周ノンストップで走り終えていました。ダウンを兼ねて、ゆっくりペースで、二人で藤〇さんがわーわーずに来た当初からの話をしながら、二人で冬ランを楽しみました。
 末息子の長居相撲教室の年末大掃除があるために私は11時30分にあがらせて頂きました。すもう道場の大掃除中に、練習中のわーわーずメンバーに声をかけさせて頂きました。
 練習会へご参加のみなさまお疲れ様でした。お体ご自愛ください。

「第27回福知山マラソン・第18回全日本盲人マラソン選手権」ひらけんさんの完走記です

11月23日、自身4年連続4回目の福知山マラソンを走ってきました。伴走者は昨年に続き、ウルトラランナーがべちゃんです。今回の42.195キロも、いろいろなドラマがありました。レース当日の様子をご紹介します。

今年の福知山も昨年までと同様、いつもお世話になっている賀茂パのKさんの車に乗せていただき、会場入りしました。ブラインドランナー受付を済ませ、スタート時間までは、エネルギー補給しつつ、受付場所と同じ控室で待機することにしました。近くにいらっしゃるのはAさんと奥様。そこへNさんとなんちゃんがやってきました。
「Nさん勝負!」とAさんがNさんへ宣戦布告。「いや、俺は不調やから」と控えめなNさん。「いや、俺の方が先にばてるかもしれへん」となんちゃん。宗平さんとKさんは、ランシューズを見るため外のショップへ出かけて行きました。後ろの方から、Fさんのほんわかした声が聞こえてきます。そこへうすちゃんとがべちゃんも到着し、役者がそろった感じです。

スタート時間が近づき、準備とストレッチをして、がべちゃんとスタート整列へ向かいます。気温8度~11度。明け方まで雨で心配だった天候も、スタート前には晴れ間が出てきました。アームウォーマーは装着せず、ビニールのカッパも脱ぎました。目標は自己ベスト更新&3時間15分切り!号砲がなり、Aブロックからスタート。周りは早いランナーばかりです。とここであるランナーが、「お~い!○○さ~ん!」と離れたところにいる仲間に声をかけつつ、斜め横から突然がべちゃんの前に割り込みました。「ほら!ちゃんと前見て走って!」と切れるがべちゃん。昨年のてらやんに続き(笑)。割り込みランナーは「ごめん」と言って前方へ去っていきました。

初めの1、2キロは足が重く憂鬱だったものの、徐々に体が温まり、よく動いてくれるようになりました。不思議と想定よりかなり早いペースで刻んでいきます。1キロあたり、昨年より10秒~15秒も早いラップです。自分の体との相談が始まります。“こ
のままのペースで行けるのか?後半持つのか?”。正直後半のことは心配でしたが、簡単な受け答えや会話ができる程度の余裕があったので、行けるところまでこのまま押し切ろうと決めました。がべちゃんからも時々、「ひらけん、まだ余裕あるか?」、「去年と同じくらいの余裕あるか?」と聞かれました。私のコンディションを詳細に確認してくださっていたのだと思います。「後半は声かけまくるけど、前半はあまりかけへんから自分のペースで走って」とも言われました。

8キロ過ぎに突如時雨れ出し、腕や足が一気に冷やされました。“聞いてねえ”と思いつつ、水を得たスイマーひらけんはひるまず、淡々とペースを刻みます。このあとも、時雨れては晴れ、晴れては時雨れるの繰り返しが続きました。さすが、がべちゃんは周りのランナーと違い、ウルトラ仕込みのコース取りで、緩いカーブが続くところでは「徐々に右に寄って」、「次は左に~」と最短ルートへ誘導してくださいます。「ここから150mくらい緩い上りが続くよ。そのあと150mくらい緩い下りね」と遠距離解説も冴えわたります。14キロ過ぎ、がべちゃんのマルチポケットパンツに預かっていただいていたジェル1号を補給。

毎回のことながら、今回のレースは今までにないほど多くのランナーからマークにあいました。前半、ある女性が一人、真後ろをぴったり付いてきているのを感じました。他にも、がべちゃんや私の知り合い数名を含め何人も。がべちゃんもあとあと、「あの人数は半端じゃなかった」と言っていました。私の蹴り上げた足や後ろへ引いた肘に時々接触してきます。しかし、余計なエネルギーを使いたくなかったので一度も振り向かず、一切気にしませんでした。

由良川沿いをひた走る賀茂川の閃光ちゃんは着々とイーブンペースを刻み、20キロ地点、ハーフ地点も気持ちよく通過。がべちゃんは1キロごとのラップタイムと、フル3時間15分のイーブンラップを基準に、現時点でどのくらい貯金ができているかについても教えてくださいます。もう大大大感謝です!着々と貯金を蓄え、ハーフ通過時点でちょうど3分のアドバンテージを得ました。

24.5キロ地点の折り返しが近づき、対向車線を走るランナーとのエール交換が始まります。ずーみんさんたちサブスリーペースのランナーが駆け抜けていきます。じきに私も折り返しを迎えました。恒例の太鼓演奏が行われています。“行きはよいよい 帰りはきつい”、復路の戦いの始まりです。対向車線を走ってくる、Aさん・うすちゃんペア、Nさん・なんちゃんペア、ジム仲間と、多くの方からエールをもらいました。私も右手を挙げて答えます。賀茂パの方々を判別できず(泣)。ここでアクシデント発生!がべちゃんにジェル2号を依頼したところ、取り出したがべちゃんの手からジェルがストン…。さらに足でパーンと蹴りました。ジェルが右前方、対向車線のランナーたちの方へすっ飛んでいきます。幸いセンターラインあたりで停止。T12ひらけん、とっさにロープを放し、ジェルに向かって猛然と突っ込みました。一瞬しゃがんでジェルをスパーンとキャッチ。立ち上がってランの体制に戻ろうとした瞬間、左ふくらはぎがビギーンと痙攣。“やべっ!”っと思いましたが走り出し、元の動きに戻ったところ何とか収まってくれました。やれやれ。ジェル2号をジュルル。

28キロくらいから徐々に体に疲労を感じるようになりました。若干のペースダウンが始まるも、腕はまだよく動いてくれています。ここからがスイマーの力の見せ所です。“ピッチさえ変えなければそれほどペースは落ちひん”と、自分の腕ふり、ストライドのリズムのみに集中しました。がべちゃんがエイドで思うようにドリンクが取れず、時々イライラカリカリしています。また、これまで経験したことがなかったのですが、がべちゃんより私が半歩前へ出ることが何度かあり、ロープに重さも感じました。ついには30キロあたりで、がべちゃんの息が上がり始めます。私から、「あせらず、ゆっくりでいいですよ」、「がべちゃんファイト!」、「がべちゃんナイス伴走!」と何度かお声かけしました。それでもさすが、百戦錬磨のがべちゃんです。その後、エイドのバナナを補給しきっちり持ち直してくださいました。

私の後ろをマークしていたひらけん軍団の面々もだいぶ振り落とし、中には「付かせてもらって助かったわ。がべちゃん、ひらけんありがとう!」と言ってパーッとペースアップしていく人も。“こらー!俺はサブ3時間15分のペーサーとちゃうぞー!”(笑)。粘りの走りが続きます。コース上のランナーはまばら。落ちてくる人ばかりです。「この調子。一人一人拾っていこう」とがべちゃん。36キロ過ぎに大久保さんペアを交わしました。ところで、30キロ過ぎからずっと私の真後ろ両側に男性が一人ずつ。しばらく余裕がなかったものの、37キロ過ぎにジェル3号が効いてきたおかげか体がふっと楽に。気持ちで体を前へ押し出し、最後の二人をちぎりました。

いよいよレース終盤。40キロ地点で最後の給水。ゴクリと飲んだ次の瞬間、右わき腹に激しい差し込みがきました。あまりの痛さに右手で押さえながら、「いてて!いてて!おえおえ」とわめく私。“ここにきてこれかよ。ゴールまでの残り2キロ、こんなのが続くのか”とパニックになりそうでした。ここでもがべちゃんに救われました。「この1キロはこのペースで落ち着いていこう。最後の上り1キロで頑張ったらいいから。大丈夫!15分は絶対切れるからな!」。この言葉で冷静になれ、長く息を吐くことを意識し呼吸を整えました。幸い、やがてわき腹の痛みは消えたのです。さあクライマックスの上り坂。沿道のおっちゃんが私に、「1位や!」と叫びました。これは、絆を結んだ伴走ペアとしてトップで帰ってきたという意味です。一人、また一人とランナーを交わしながら上っていきます。斜面がきつくなり、前に進んでいる感じがしない。とにかく大きく腕を振りました。フィニッシュソング、「希望の轍」が聞こえてきました。意識が遠のきます。がべちゃんが私に、繰り返し発破を掛けてくださいます。「ひらけん、上りはあと200!あと200!」呼吸のテンポをマックスまで上げました。坂を駆け上がり右折、ゴール前の直線!ラスト数十メートルはロープを手放し、ゴールゲートへ突っ込みました。がべちゃん笑顔でガッツポーズ!私はゴール地点のマットを駆け抜け、停止すると、当然ながら前屈しもうがっくりでした。それでもJBMAの鈴木邦雄常務理事に迎えられ、がべちゃんとのツーショットを撮ってくださるということで、次の瞬間には笑顔になれました。

タイム3時間14分32秒で目標クリアでした。想像以上の走りができたという気持ち4割、練習の成果がしっかり出せたという気持ち4割、もっとタイムを出したかったという気持ち2割といった感じです。また、昨年に続きT12の部優勝ということで、T11の部優勝のOさんたちと一緒に表彰台へ上がらせていただきました。伴走してくださったがべちゃんにも、少しですが恩返しできたかなと思います。最高に楽しい42.195キロでした!今後も練習し、さらに記録更新を目指します!

「第1回京都ふれeyeブラインドマラソン」なつみんさんの完走記です

 11月23日、西京極総合運動公園で開催された、第1回京都ふれeyeブラインドマラソンに参加した。
この大会は2016年を最後に終了してしまった京都視覚障害者マラソン大会の復活を求めるたくさんの声から生まれた大会だ。
復活と言っても全く同じことをするわけではない。
よかったところは引き継ぎながら、問題点を少しでも改善しようと考えられた大会だ。
 さて、今回の私の伴走は立命館大学の日野さんだ。
10キロにエントリーして優勝を目指す。
スタート前に突風が吹き、計測器のトラブルなどでスタートが15分遅れた。
スタートしてトラックを2周と少し回って外周コースへ。
この外周コースを7周回ってまたトラックに帰ってきて直線を走りきったら10キロだ。
トラックから出た段階で私の前には男性が二人。
外周に出てからもう一人に抜かれたが、その人を3周目に抜きかえしてあとはひたすらゴールを目指す。
外周は1周1.25キロなので走っている間にたくさんのランナーと声を掛けあうことができて、苦しいときには元気をもらった。
最後まで女性のトップを守りきり思わず両手を上げてゴールした。
 優勝おめでとうとたくさんの人に言ってもらえたのはうれしかったが、それ以上に他の選手たちが楽しそうだったのが印象に残った。
選手としてだけではなく裏方としてもやってきて本当によかったと思う。
また来年開催する時にはたくさんの方々に参加していただけるように私も多少なりとも役立ちたい。


以下、編集により追記。
10キロの部、入賞者の集合写真です。

大会主催者「一般財団法人角谷建耀知財団」さんサイトの
大会紹介ページはこちら。
https://www.kakutanikenichizaidan.com/blank-8

「第1回京都ふれeyeブラインドマラソン」なおちゃんの完走記です

思い出の西京極で開催された京都ふれeyeブラインドマラソンで3km走りました。
伴走は、わーわーずに入った時からずっとお世話になっているTさんです。

私の初レースは、同じ西京極で開催されていた視覚障害者京都マラソン大会の3kmで、今回も同じ3kmでした。
どうなるのか見当もつかないまま会場に到着しました。

開会式で京都光華女子中学校・高等学校のブラスバンドの演奏を聞いている時からTさんは笑わせてくださって、それほど緊張することなくスタートしました。
ゲストランナーのわかちゃん(若林順子さん)とも話しました。

スタート前は寒かったのですが、走り出したら日が当たって暖かく、半袖で正解でした。
さぁ今回はスイッチが入るのかどうか…
最初は久しぶりの走路でマンホールなどが気になり慎重に進みましたが、途中から私なりにスイッチが入りました。
と言っても、身体が重くて必死でした。
走る前にエネルギー摂りすぎたかな(笑)。
すれ違う人に名前を言うのも苦しかったです。
とにかく周りのことは気にせず前進するのみでした。

もうすぐ最後のトラックに入る頃、3km女子弱視の部で表彰されるだろうということがわかり、給水はせずに最後まで頑張ることに決めました。
タイムは19分7秒、初レースより25秒早くゴールしました。
そして、3km女子弱視の部で優勝しました。
練習不足だったのに嬉しいです。
Tさんはお楽しみ抽選会でブルーベリーアイドリンクが当たり、思い出に残るレースになりました。

視覚障がい者が気軽に参加出来るこの大会、今後も是非開催して頂きたいと思います。

アフターはコミュニケーション会に参加し、その後久しぶりに近くの喫茶店へ。
和やかに一日が終わりました。
西京極のブラインドマラソン大会はやはり特別です。
今回もわーわーずにいて良かったと感謝の気持ちで一杯になりました。
皆さん一日ありがとうございました。


以下、編集により追記。

●大会からの写真2点。
 閉会式のあとと、コミュニケーション会での写真です。

大会からの写真。競技場での集合写真。

大会からの写真。コミュニケーション会での集合写真。

12月10日の定期練習会

[投稿者] 松原市ガイドさかい さん

わーわーずのみなさまいつもお世話になっております。
 12月10日は定期練習会です。その定期練習会参加報告と、同日午後に実施され、は〇てんちゃんと私、そして柔道団体で出席の松〇さんが参加した、大阪市障がい者スポーツミーティングの報告です。

 早朝は、寒かったですね。雲が多くて。しかし、練習会開始時刻には、晴天で風もなくぽかぽか陽気模様。
 定刻の9時35分、ミーティング開始。参加者は約60名。今週の全体メールを見る限り、ガイド不足でした、しかし、ここは一発、きっしー先生、多くの学生さんを引き連れてのご参加、いつもありがとうございます。助かります。きっとこれからの人生、先生には素晴らしいことばかりの連続だと思います(私の個人的意見ですが)

 さて、ミーティングでは参加者自己紹介から始まり、お初さんかの自己紹介。今日もお初のご参加の方が3名いらっしゃいました。ありがとうございます。連絡事項では、今日午後からの忘年会のスケジュール予定のガイダンス、ドタ参加できますよなど。また、まえっちの囲碁将棋の案内などありました。
ミーティングの様子です

 定期練習会は、今日の走り始めのペアが発表されます。発表されたペアを確認して順次練習会はスタートです。
 私は松〇さんとペアーでした。久しぶりです。一緒に走るのは、去年の和歌山ジャズマラソン以来です。私は初めて、松〇さんに目の具合をお聞きしました。緑内障で今の医療技術なら何とか全盲までは無かったかもしれないが、当時の技術では、仕方ないです。と言っていました。そして、今日のスポーツミーティングに出席するでとの事でした。2周完走。しかし昨夜の宴会がたたり今一歩のペースでした。
 エイドに戻りどんどんペアを代わってください。との指示で、3週目からはパロちゃんとちょうど良いペースで3周。気持ちよかった。
 エイドに戻り、11時30分、あと1周できます。
「はい。行きます」と言ってくれたのが、まーくん。二人で、長居公園の日和日を楽しむかのように、今話題の相撲協会の話で盛り上がり、11時53分エイドに帰還。
今日の練習会は終了です。

 午後1時より、大阪市障がい者スポーツミーティングがありました。
出席者は、は〇てんちゃん、私。そして長居スポーツセンター柔道クラブからの参加の、松〇さんです。
 基調講演でロンドンパラリンピックで金メダル。そして昨年のリオパラリンピックで銅メダルをとった正木選手の講演がありました。晴眼者としての柔道から、障がい者としての柔道。当時の葛藤やその時の生きざまなど大変貴重なお話をして頂きました。比較的苦労がなく、ロンドンで金メダルを取り、その次のリオで金メダルを逃し、涙が止まらなく悔しかった思い出などお話頂きました。
 続いての講演は、正木選手の恩師でもある大山先生の講演でした。多くの選手を輩出している先生の、柔道にかける熱い気持ちや、障がい者スポーツにかける情熱に感動しました。そして、大阪市障がい者スポーツ振興室長の小山先生を中心にした、「次世代を担う、競技団体における新たなパラ選手の発掘へ」と題したパネルディスカッションへと移ました。全体的になかなか進まない、現状対応など、さまざまな問題も議論、協議されました。
 そんな論議のなか、パネルディスカッションの大山先生から、松〇さんに障がい者柔道を、長く現役として続けている事を参考に聞かせて頂きたいと言った質問がありました。松〇さんは、少しでも自分が長く続けることで、出来るだけ多くの方、特に障がいを持つ人に自分でもやれば出来るのではないかと言った気持ちをもってほしと答えていました。
大阪市障がい者スポーツミーティングの会場全景です
大阪市障がい者スポーツミーティングで発言する松〇さん
 大変貴重で、勉強になる会に出席させて頂きました。ありがとうございます。次回もぜひ出席したいです。

11月19日の自由練習会

[投稿者] 松原市ガイドさかい さん

わーわーずのみなさまいつもお世話になっております。
今日は神戸マラソン、そのほかのレースや各行事にご参加のみなさまお疲れ様です。
大荒れでなく、天気コンディションもまずまずでみなさまのお力を十分に発揮されたと思います。参加報告メールが楽しみです。
さて、われらのベースフィールド長居でも、自由練習会参加のみなさまもしっかり周回を重ねました。参加者は32名、最終全体メールで、ガイドが全くの不足、しかし、当日ガイドさんのありがたいドタ参などあり、何とかブラインドさんの待機はなかったです。みなさまありがとうございました。
ミーティングの様子です

11月26日の定期練習会

[投稿者] 松原市ガイドさかい さん

わーわーずのみなさまいつもお世話になっております。
11月26日定期練習会参加報告です。
大阪マラソンの為でしょうか、参加者は、少し少な目の40人弱、ガイドも不足で、ブラインドにはお待ちいただく状況でした。
ミーティングも自己紹介、連絡事項などスムーズに進行し、今日の練習会はLMでも案内があった、佐〇印刷さんの取材の件などの連絡もありました。
ミーティングの様子です

そして、その佐〇印刷さんの、取材スタッフの方が、実際に伴走も体験したいとの事でしたので、初心者伴走ミーティングがありました。それを横から聞いていましたが、その説明の中で、ブラインドの方は、その人それぞれです。全盲の方もいれば、弱視の方もいます。弱視の方も、その度合いが全く違います。伴走時に先ずは、差支えなければブラインドの方の見え具合を、確認したら良いです。と言っていました。私はハッとしました。そうなんだ、ブラインドは、皆さんそれぞれなんだ、見え方は、それぞれ違うんだ。いつも一緒に走っていて、全盲の方、そして弱視の方、位しか認識していませんでした。聞くのもなんだか少し悪いのではないかなとも思っていました。
そして、はなて〇ちゃんとペアーで練習開始、私は、早速彼女に見え方の具合をお聞きしました。彼女は、光は感じます。ある程度の形、例えば人なら人の形は見えます。しかし、男女の区別などはつきにくいと言って答えてくれました。それも、日中夜間といった光の具合、バックとのコントラストや、ご自身のその時のコンディションで、かなり差があるとの事です。勉強になりました。これからは、伴走時には、その方の見え方に合うような、伴走ができればと思います。
はなて〇ちゃんとは1周してエイドへ、そしてお待ちのブラインドの方と交代、その後も1周して交代するを繰り返し、最後のペアーは、福〇さんでした、福〇さんのレース報告の「はずかしながら帰ってきました」のタイトルのメール報告を、いつも楽しみに見ているといった話をしながら、リズム感ある走りの福〇さんの伴走をさせて頂きました。
今日の練習会もいろいろ勉強させて頂きました。皆様ありがとうございました。

「第27回福知山マラソン・第18回全日本盲人マラソン選手権」岸和田ちかちゃんの完走記です

こんにちは 岸和田ちかちゃんブラインドです。
神戸 福知山マラソンお疲れ様でした。
私も初めて福知山マラソンに参加させていただきました。結果は目標には届かず、4時間28分でした。
27キロまでは順調でこのままいけば目標を達成できるかもとおもいましたが、途中足の痙攣などで走ることもままならなくなり、それでも絶対にゴールしたいと競歩並みに歩き?でも足が動かなくなりコールスプレーを何回も吹き付けていただき小走りくらいまで走れるようになりなんとかゴールまでたどりつけました。
初フルは苦い経験となりました。しかし沿道の応援は本当に力をもらいました。名前のはいったTシャツにめっちゃ大きな声で 「ちかちゃんの頑張れ!」と呼んでくださり思わず涙。とっても力をいただきました。ひょっとしてわーわーずの方だったのかしら?本当にたくさんのエールをいただきました。
今回走った私の初フルマラソン!たくさんの経験ができました。伴走していただいたお二人にもとても感謝です。そしてT12カテゴリーで2位と嬉しい結果です。
2月には泉州マラソンをはしります。みなさんいろいろアドバイスくださいませ。
また練習会に参加しました時にはよろしくお願いします。

ニューヨークシティマラソンでランタナさん「F70」、YoJo(じょう)さんのレポートです

10月の中頃、久しぶりに針小路さんからメールをいただきました。時期が迫りつつあったニューヨークシティマラソンに、今年もわーわーずからランナーさんと伴走者さんのお二人がご参加というご紹介でした。そこで、ニューヨークのコーディネーターさんに連絡して、ランタナさんと寺本さんのメールアドレスをお伺いし、ご挨拶のメールを差し上げてみたのですけど、頂いていたランタナさんのメールアドレスが間違っており、寺本さんにのみ届いたという形になりました。

私は在米日本人で、ニューヨークシティーマラソンでの視覚障害の方の伴走は15回ぐらいになります。主に日本からのランナーさんですけど、他にもトルコの人、地元フィラデルフィアの視覚障害の方の伴走としてもニューヨークシティーは走ってきています。今回は、大会のオフィシャルペーサー(日本人で初めてです)に選んでいただいたので、主催者側の一員として走り、伴走参加ではありませんでした。しかし、自分のスポンサーをしてくださってる会社がエキスポでブースを開いており、そこの店頭におりましたので、ランタナさんと寺本さんには事前にお知らせしていて、お目にかかることができたら、と思っておりました。

そうして、大会前にエキスポでお二人にお目にかかることができました。ランタナさんは前週に金沢マラソンを走られたということで、ニューヨークでは楽しく完走したいということ。お二人とも、長旅のお疲れを感じさせられない心地よい雰囲気を醸し出されておられました。

大会当日は、私は、4時間半のペーサーということで仕事に従事しました。ハーフ通過が設定よりも6秒早い通過となり、またゴールは2秒早かったのですが、ペーサー63名中、6位の成績でした。ハーフ、ゴールの誤差が1秒、2秒のペーサーも数名おり、世界で屈指のニューヨークシティマラソンのペーサーというのは抜群の精度を誇ります。

ランタナさんとは、エキスポ以来お目にかかれず、同時に私のレースが終わった翌日の月曜日から普通に出勤ですので、そのままお別れもできぬままになってしまいました。

エキスポ会場で記念撮影するランタナさん、YoJoさん、仲間たち。

それから2週間ほど経ったある日のこと。

朝起きて、紅茶を飲みながら、愛読しているあるサイトの記事を読み始めました。このサイトは、マラソンでの不正を告発する有名なサイトなんです。例えば、コースカットをして42キロを走らずにゴールをして入賞してしまっている人。カラーコピーのゼッケンをつけて大会を無料で走る人。そんな人たちの不正を暴きます。不正をしたという疑いをかけられたら、サイトの運営者は本人に連絡をし、不正を認めて、大会に自分で連絡をして記録を削除してもらうなどの行為があれば、記事にされませんが、開き直ったり、繰り返される不正の場合には、ここで暴かれるのです。

その日に私が読んだ記事は「ニューヨークシティマラソンで、伝説のランナーであるキャサリン・スィッツァさんと本当の入賞者を押しのけて女子70-74歳で不正に入賞していたケース」というもの。

70-74歳の年代別で一位として入賞しいていた女性が、実は20代か何かの若い女性であったのです。そのため、元のゼッケンの持ち主である70-74歳の女性は自分が走ったわけでもないので、失格になり、そのためにそれぞれのランナーが繰り上がったということ。

そしたら、繰り上がった結果の三位にランタナさんの名前があるではないですか!びっくりしました。また、その年代の二位入賞者というのは、キャサリーン・スィッァさんというアメリカの女性ランナーの開拓者のレジェンドなんです。エキスポでも大人気で、彼女の本のサイン会とか、握手会のようなものに長蛇の列ができ、人垣が絶えない。そんなレジェンドなランナーにランタナさんは数分差に肉薄する走りとは、もう驚愕としか言いようがないです。キャサリーン・スィッツァさんは、その功績で、ドキュメンタリーの映画にも出ています。

こちらがキャサリン・スィッツァさんのことを扱った日本語記事。
▼産経ニュース
http://www.fujisankei.com/video_library/news/woman-boston-marathon.html
▼CNNのサイト
https://www.google.com/amp/s/www.cnn.co.jp/amp/article/35099965.html
▼日本経済新聞 (差別と戦うスイッツァさん)
http://college.nikkei.co.jp/article/104390513.html

また、ランタナさんの三位入賞ですが、世界のニューヨークシティーマラソンで年代別入賞というのは、ランタナさんが一般ランナーとして世界レベルのランナーだということを証明しています。これは、障害者の部ではなくて、一般レースですよね。そんな世界中からのランナーが集まるニューヨークシティマラソンで年代別入賞とは、本当の本当にすごいです。ティファニーから、クリスタルの盾が送られてきますよ。それから、来年は招待選手です。背中に「F70」という特別なエリートゼッケンもつけます。Fというのは、フィメール、つまり女子、という意味です。70というのは、70-74の年代別という意味です。なので、「F70」というのは、前年に年代別で入賞したエリートランナーになりますので、周りから心からの尊敬の視線を送られます。特に、年代が上がるにつれて、周りからの尊敬度も上がるように思います。「若くて速い」は当然ですからね。

ランタナさんには、これを機会に、ぜひとも一般の部で、エリートランナーとして、世界を舞台に大活躍をしていただきたいものです。そして、女子ランニング界のレジェンドであるキャサリン・スィッツァさんと共に、ランタナさんが走ることで様々な人に刺激を与えていって欲しいなと思います。


以下、編集により追記。

公式サイトの年代別入賞者のページ。

上は、公式サイトの年代別入賞者のページです。
YoJo(じょう)さんのレポートで、
ランタナさんの大活躍がまた広く知れるものとなりました。

ところで。
水都大阪ウルトラマラニックの前に、完走メダルを集めていたことを憶えていらっしゃるかたも多いとと思いますが、メダルはアメリカの病と闘っている子供たちへ、勇気の象徴として贈られています。メダル4メテル M4M(Medals4Mettle) Japanボランティア・コーディネーターのYoJo(じょう)さんの活動によるものです。
ランナーの頑張りがこもったメダルによって、子供たちとそのご家族が、病に打ち克つ努力と強い気持ちを得られますように ―― みなさん引き続きメダル集めのご協力をよろしくお願いします。

2017年9月の練習会【報告】

9月 3日  自由練習会
9月10日  定期練習会 ブラインド34名(そのうち初参加1名)、伴走ガイド36名(そのうち初参加4名)、手引き8名。
9月17日  自由練習会
9月24日  定期練習会 ブラインド38名、伴走ガイド41名(そのうち初参加2名)。

残暑もまだまだ続いてますが、蝉の声もちと静かになってきたかな?
練習会参加者も増えてきて、毎回にぎやかな練習会です。
今月は、警報が出て途中で終わった日もありました。