「第10回 水都大阪70kmウルトラマラニック」西條さんの完走記です

 2018年4月22日第10回水都大阪マラニック70K走ってきました。
走り始めて13年目にして初のウルトラ、たくさんの人の応援、声援、励ましのおかげでなんとか完走できました。ほんとうにありがとうございました。
 この時期体調が思わしくないことが多く、毎年お誘いをうけながら「走るつもりはないです」と拒んできました。
今年は新年から体調が良かったことと、もし、ウルトラを走るなら毎年一つずつ年を取ることを考えれば、今しかないと思いエントリーしました。
伴走は、この大会を何度も走っているエミューさんにお願いしました。

 当日朝はやいので、エミューさんとルンナさんが4時前に車で自宅に向かえに来てくれ、途中でSさんとTさんが乗って会場に行きました。
5時過ぎに会場につくとアーリースタートのひとたちをはじめ多くのランナーが来ていました。そこにHさんや新大阪のHさんたちも応援に来てくれていて驚きました。
毎年こんなに早く来てくれてるのですかと尋ねたら昨年からですと言われました。
それにしてもマッサージの準備、運営を長時間しなくてはならないことを考えれば、頭が下がる思いで感謝に絶えません。
スタート付近はわーわーずの人たちでいっぱいで練習会のような和やかな雰囲気でリラックスできました。

 6時半に号砲とともに一斉にスタート。大阪城内をまわり、中之島を越え淀川に向かいました。
淀川河川敷も春爛漫とてもすがすがしく気持ちよく、あちらこちらから「ほぉーほけきょ」と鶯も声援してくれてるようでした。鶯がいることに驚きました。
このころはまだ涼しく足も軽く快調に走ることができました。
みなさんが言われるように、しんどくない自分のペースで走り続けることに心がけました。
この日は大変暑く30K手前の枚方エイドを過ぎて、折り返しの往復10Kが、長く、暑くもっともつらかったですね。
暑さにばてることなく快調に50Kまでは歩くことなく走り続けることができました。
各エイドに備えてくれた食べ物や飲み物が元気とパワーをあたえてくれました。
特にたこ焼き、そうめん、ミックスジュース、オレンジなどあまりのおいしさにおかわりしてしまいました。
いやしさに食べ過ぎて走りずらいこともありました。
また、わーわーずメンバーも多く走っていましたので、すれ違うたびにエールをかわし、元気を分かち合いました。
エイドスタッフもランナーが多いため、知り合いもたくさんいてほんとうに和やかな楽しい大会でした。

 2度目の豊里エイド、残り18キロ、3時間30分。そう思うと気が緩んだわけではないですが、それ以後、疲れもでてきて走ったり歩いたりとなってしまいました。
残り5Kあたりでなんとなく気分が悪くなり走れなくなり、完全に歩いてしまいました。
時間内完走心配しながらのやっとのゴールでした。
ゴール前にはたくさんの人たちが「おかえりなさい」の声にとても暖かく迎えてくださり、初フルの時とはまた違ったうれしさと感動をいただきました。
多くの人から祝福の言葉をいただき心からお礼申し上げます。
また、Nさんにしていただいたマッサージ、とても気持ちよく疲れがいやされました。
長時間にわたり伴走してくださったエミューさんありがとうございました。
どこからともなく「エミューさん」と呼ぶ声がきこえてくる、かおの広さを実感しました。
そうそう忘れてはなりません。えんちゃんにいただいた完走祈願おまもりのおかげで無事完走できましたよ。えんちゃんありがとうございました。

ジョーこと西條洋

ゴール後に完走証を手にするジョーさんと エミューさんが並んでいるショットです。 目標達成して晴れ晴れしいお二人の表情が素晴らしいです。

「第10回 水都大阪100kmウルトラマラニック」ランタナさんの完走記です

ランタナ(ブラインド)です。
先日の大阪水都マラニック、何とか完走させていただきましたが、
本当にやっとの完走でした。
ゴールしたもののボロボロで皆さんがかけてくださる言葉にお答えする力は残っていませんでした。
たくさんの方にお声掛けいただきながらお礼も言えずにすみませんでした。
伴走してくださったムックさん、マッサージ・やお迎えやおしぼりなど沢山のサポートをいただき言葉にならないほどの感謝です、本当にありがとうございました。
ゴールしてからお手洗いにから荷物、着替えとぜぜっちさんにずっとサポートをしていただきました。
疲れているだろうと椅子も探してきてくださり本当に助かりました。
ぜぜっちさん、ありがとうございました。
今回は走れ切れる自信はなく、初めて電車代を忍ばせてスタートに立ちました。
水都の凄さは、どこのエイドにも知っている方がいて、励ましの言葉をいただけることです。
もう、ダメかもと思っていても、大丈夫、まだまだ時間は十分あるからと励ましてくださるのです。
単純な私は、その気になって走り出せるのです。
そして、最後の折り返しがスタートになり、もう走り切るしかないと腹を決めてゴールへ向かうのです。
私にとって水都100キロは、皆さんの助けがなくてははゴールできない大会です。
かかわってくださった皆さん本当にありがとうございました。
色々ありましたが、又気持ちを新たにして走り始めます。
皆さんありがとうございました。
今後とも宜しくお願いいたします。
感謝です

スタートして大阪城をまわって会場前、 ランタナさんが手をあげてエールに応えながら走ってるところです

「第25回KIX泉州国際マラソン」大久保さんの完走記です

岸和田のブラインドの大久保です。
僕は、2月18日に行われました泉州国際マラソンを走ってきました。
私の今シーズンの目標は、現在、市民ランナークラブにも入っていますので、その市民ランナークラブの代表選手として、地元の駅伝大会に出場することと、個人的目標はフルマラソンで3時間10分を切ることでした。

今シーズンは、福知山と加古川を走りましたが、いずれも目標を達成することはできず、今回の泉州を迎えることとなりました。
ところが、大会の約1か月前の1月16日に交通事故に遭い、約2週間走ることができなくなりました、
その走れない間の1月21日に地元の岸和田市民駅伝があり、私は光栄にもこのクラブの選手に選んでいただいていましたが、欠場という大変残念な結果となってしまいました。

その駅伝の伴走者だった(岸和田健康クラブの方で、今回の泉州マラソンの前半を伴走して下さる方)Wさんから、この悔しさを泉州マラソンで果たそうと励ましをもらって、2月18日の当日を迎えることになりました。

今回も、目標タイムを3時間10分にしましたが、その時に怪我をしてから走り始めたのが、1月28日からで大会の3週間前でしたので、調整が遅れて、非常に厳しいレースを迎えることになりました。
その中で目標を達成するには、できるだけ最初の20キロを抑えて走り、粘っていこうと思ってはいましたが、スタートをしてからほぼキロ4分20秒と今までフルマラソンを走った中で一番早い入りとなってしまいました。

ただ、20キロを超えても4分30秒を超えることがあまりなく、気力を振り絞って走っていましたが、最終の難関のモンスターブリッジの2つ目くらいから、足にきてしまい、残り7キロはキロ5分を維持することですらできませんでした。

結果、3時間13分27秒。
苦しんだラスト7キロでしたが、自己ベストは更新することができたことと、どんな状況であっても、あきらめない心をもって大会に挑めば達成できると感じたところが、何よりもの収穫だったと思っています。

それから、沿道で応援をしてくださった、わーわーずの皆様、勇気づけられるご声援、本当にありがとうございました。 

以下は 今回のタイムです。
ラップとカッコの中はスプリット

5キロ21:19(21:19)
10キロ21:31(43:02)
15キロ21:42(1:04:44)
20キロ21:48(1:26:32)
ハーフ通過1:31:21
25キロ22:25(1:48:57)
30キロ23:03(2:12:00)
35キロ23:56(2:35:56)
40キロ25:47(3:01:43)
ゴール11:44(3:13:27)

伴走者 前半 岸和田健康クラブ Wさん、後半 てらやん

伴走交代地点で ロープがてらやんにバトンタッチされるところ。3人がほぼ横並びで写っています。 (写真:さんちゃん)

「第1回 京都ふれeyeブラインドマラソン」まーやんさんの伴走記です

朝方まで雨が強く降る祝日、京都ふれe y e ブラインドマラソンに参加させていただきました。
京都に着いた頃には青空になり、色づく樹々がお日様にあたってきれいでした。
今日は、はなてんちゃんの伴走です。
レースでの伴走経験ほとんどない私でいいのかなーー、と、お返事するまで悩んでいましたが、今日の伴走は 学ぶことがいっぱい。
いいペースで走ることができ、ゴールした時には なんとも言えない感動と達成感でした。

伴走をしていていつも思うことですが、独走の時には ほぼ感じない、段差や、でこぼこ、カーブや溝蓋やアップダウン、タイミングよく、お伝えするのは、ほんと難しいです。
今日のコースは、結構走りづらい箇所がたくさんあり、7周回というのが、とってもいい練習になりました。

参加者少ない大会ですが、弱視女子の部1位で、伴走の私も一緒に表彰していただきました。

帰り際に「初伴走、完走おめでとー」と、はなてんちゃんのメダルをプレゼントされ、嬉しすぎた1日でした。

まだまだ経験不足、頼りないガイドですが、大阪での伴走に勇気とちょこっと自信をもらえ、充実の日になりましたーー

はなてんちゃん、ご一緒していただいた わーわーずのみなさん、応援していただいた皆様、ありがとうございました。

「第8回 淀川国際ハーフマラソン」杉島さんの伴走記です

淀川国際ハーフ伴走記「やっぱり、セッキーは速かった」

 わーわーず屈指の高速ランナー、セッキ―の伴走で3月18日(日)淀川国際ハーフマラソンに参加してきました。この大会は、有森裕子が代表理事を務めるNPO法人ハート・オブ・ゴールドが高石ともや(同じく同法人理事)と一緒にカンボジアの学校に体育用品を送るというチャリティー支援を兼ねて開催されています。

 セッキーが速いことは知っていました。
昨年の12月、彼の伴走者募集メールに返信し、ありがたく選んでもらいました。ぼくにとってわーわーずに来て約1年、初めての本格レースでの伴走です。しかし、その後改めて話を聞いてみるとハーフの自己ベストは私の持ちタイムより速いことが判明。早々に自己ベスト更新はあきらめてね、と情けないお願いをすることになってしまいました。

 地下鉄守口駅で合流し、会場に向かった11時ころは薄曇りで、まずまずのコンディションだったのですが、スタート時間の12時半ころには、すっかり晴れあがり日差しもかなり強烈でした。
この日の最高気温は18℃。スタート・ブロックはもちろんカテゴリーA、これは申告タイム順でセッキーは何でも1時間26分と申告したらしい。
スタート・ラインについて頭に浮かんでくるのは「キロ5分、1時間45分くらいかな」とか「ちょっと右足のふくらはぎに違和感が」とか「セッキーも寝屋川、寛平の連戦明けだねー」とか聞こえるように言うネガティヴな独り言アイデアの数々。
しかし、これらを全てのみ込んで、自分の力を出し切る、そして冷静に伴走すると心に決めてスタートしました。

 最初の1kmは4分12秒と恐らく個人のレースも含めて最速。スタートもほぼ最前列近くで、抜かれるも自分たちのペースで位置取りができていたと思います。
進むに従い4分30秒切りくらいでペースは落ち着きました。
後続のランナーに抜かれながらのレースとなりストレスを感じましたが、こちらの走行の妨げになるような場面はほとんどありませんでした。
かなり暑くてスタート直後の給水はパスしましたが、その後は必ず取るようにしました。
最初の給水ではセッキーの手に手渡しの紙コップがぶつかり、ほとんど水が飛び出してしまい、次からは少しスピードを緩めてもしっかり取っていくようにしました。
セッキーは、もう少し速いペースで行きたいのかな?と思うも、こちらはこれ以上上げると最後までは持たないであろうという不安があり、ただできるだけペースを落とさないように必死に手を振り足を動かしました。

 コースは途中、折り返しが3回、未舗装道が2か所×4で8回通るのがポイント。往復を重ねる毎に足に来て舗装道に出ても思うようにペースが戻せず苦労しました。
12km以降は4分40秒から50秒くらいまでペース・ダウン。
イモちゃん・まつりん、といちゃん・うえさんのペアとすれ違うたびに互いに激励、沿道からもセッキーの知り合いや、いろんな方から応援の声、それらにひとつひとつ反応していくセッキー、こっちは、もう、声出ません。伴走ロープを離さないよう伴走(?)のセッキーについていくだけです。

 けれど最後の折り返しを過ぎて残り約5kmのエイドで水を飲み、セッキーもジェルを補給し、少し体に生気も戻ってきました。
そして最後の未舗装道が終われば残りはもう6~700mです。ようやくここで「セッキーお待たせ。もう、まくっていいよ。」と声をかけました。ただ、ここでセッキ―も「ちょっと足に来ている。」と。
ここからは最後のあがき。先行するランナー2人を視界にとらえ「前の2人抜くよ」と2人で力を振り絞りました。1人を何とか抜いてゴール、記録は1時間37分09秒。
最初から突っ込んだのとセッキ―のペースにしては遅いのではという思いもあって、とにかく最初から最後まできつい走りでしたが、自分としては、力を出し切った、何というか爽快感というより、とにかくやりましたという脱力感にレース後は支配されました。
着替えを済ませ、みんなと駅に向かって一緒に歩くころには、なんとも形容しがたい心地よい疲労感を感じました。セッキー、どうもありがとう。
「やっぱり、セッキーは速かった・・・」

終わり

「第25回KIX泉州国際マラソン大会」藤井さんの完走記です

2018年2月18日、第25回泉州国際マラソンを走ってきました。

この大会に当選したのは3カ月前の11月のこと。
小山さんとの激走の末に5時間40分でゴールした淀川市民マラソンの1週間後。
泉州国際マラソンの制限時間は5時間、
大会までの3カ月で自己ベストを40分以上も縮めないとゴールできないという、
この時期のレベルでは難しい大会でした。
入金締切のギリギリまで走るか止めるか悩んだ結果、
「ダメだったらダメでその時考えよう!」と走る事を決意。
すみたくさんにガイドをお願いしたら快諾してくれて、
時間が合えば早出練習や走り方のアドバイスなどコーチとしても協力してくれました。

そして3ヶ月が経ち、いよいよ本番。
関門アウトの不安はゼロになり、
5時間以内に絶対にゴールできるという自信もついた。
目標を5時間と設定すると置きに行く走りになると思い、
キロ6分半で止まらなければ達成できる目標をと、
3カ月前のPBを1時間短縮する『4時間40分』に設定。

大会前から緊張感も大会の実感も湧かず、前日もすぐ寝れた。
当日の朝になっても実感がなく、
すみたくさんと新今宮の駅で会っても練習に行くようなリラックス状態。
スタートラインに着いても…、スタートして5kmほど走っても…、
全く高揚感がない。
すみたくさんは走りながら路面の変化や周りのランナーのことを常に教えてくれ、
練習会と全く同じように安心して走れた。

歩道橋からのエールにこたえて手をあげる藤井さん。 (写真提供:さんちゃん)

ペースはキロ6分5秒から6分15秒で坦々と走る。
予定より少し速いが心地よく走れるのでそのペースをキープ。
10km1時間3分、20km2時間7分、
ここまで来ても大会だという実感が湧かず練習会のような精神状態。
そして30kmを3時間12分で通過、
やまちゃんに教えてもらってた30kmの通過タイムの目安ピッタリ。

楽しみにしてた32km地点のエミューさんのエイドでコーラを貰い、
皆からの応援を受けて元気が出た。
わーわーずの練習会のエイドのようで気持ちもホッコリ、まだまだ平常心。

しばらくしてすみたくさんからモンスターブリッジが見えてきたと言われたとたん、
全身に震えがきて急に気持ちが切り替わった。
ボイスコーチは33km3時間31分と読み上げた。
残り9km、モンスターに負けなければサブ4.5も射程距離、
チカラがどんどん湧いてきた…けど!?

やっぱり30kmを越えてからのモンスターは手ごわい、
試走会の時のような向かい風はないのに身体が重い、坂が長く長く感じる。
下りで体力を回復させるも平均ペースは落ち、
それでも何とか2つのモンスターを歩かずに退治、そして折り返す。

残り5kmの看板を越えた頃、
娘たちから貰ったリストバンドで汗を拭いた時、
急にいろんな人への感謝の気持ちがこみ上げてきた。
すみたくさんに、「今まで本当にありがとうございました」と伝えたら、
『それはゴールの手前までとっといてくれ』と怒られた(笑)

体力が底を尽きそうになってきたけど、残り2つのモンスターを越えるとき、
道を譲ってくれる他のランナーにお礼を言いながらエールを送り続けたら
自分も元気が出た。
何とか歩かずに最後のモンスターも登りきり、
そこでもわーわーずの仲間からの応援を受け、
ここまで来たんだなぁと3カ月を振り返り涙が出そうになりながら走った。

そして残り1km、ここで体力がカラッポに…、
呼吸ができない、息が吸えない。
ここまできて悔しいけど歩いてしまった。
1年前の初フルの最後と同じ締めくくり、
あの頃と何も変わってない最後の踏ん張りが足りない自分を悔やみながら歩き、
最後の10mだけ走ってゴール。

ゴールタイム『4時間43分59秒』、目標に4分届かず。
最後の2kmで20分かかってたので、最後の1kmが悔しい結果となりました。
でも3カ月で1時間近くも自己ベストを更新できたのは嬉しい結果、
自分の事も褒めてあげなきゃね(エライエライ)

大会までの3カ月、大会伴走からコーチまで全面的にサポートしてくれたすみたくさん。
応援に来てくれた皆さん、練習にお付き合いしてくださった皆さん、
いつも温かく励ましてくれた皆さん。
厳しいでぇ~、難しいでぇ~、無理ちゃうか~と
プレッシャーをかけ続けてくれたライバルの小山さん。
本当にありがとうございました。

最後に、身体を作るための日々の食事からサポートし続けてくれた嫁さん、
遊びに行けなくても我慢して応援してくれた3人の娘たち、本当にありがとう!!
皆のおかげでパパは頑張れました(^^v

「京都マラソン2018」オリーブさんの伴走記です

2月18日の京都マラソン、Sちゃんを伴走して走らせて頂きました!(長文です)
伴走依頼があったのは昨年11月、本番まであまり時間がなく、私も早く走れないけど、ボチボチで完走目標でいいです、ということで受けました。
私もSちゃんも初めての京都マラソン、2人でのロング走は2回、後は自主トレで何とか間に合わせた感じでした。

当日7時過ぎに阪急西京極駅で無事にSちゃんと合流、競技場へ。
実は指定された集合場所があって、それが私達のスタートのサブトラックから一番遠い場所の競技場横の階段前。(笑)
時間ギリギリまで食べたり走る準備してから、8時15分に荷物預けトラックへ。
ごった返すランナーと一緒にサブトラックのHブロックに移動。
すぐ横に仮設トイレが設置されてるので便利でした。

8時45分にセレモニー始まったけど声のみ。
東日本大震災追悼の黙祷もあったはずだけどわからず、号砲もわからず。
10分足らずで競技場に入れて、スタートゲート通るけど、ここで前のランナーの多くがスマホでゲート写す人続出、こちら伴走なのであぶなくて思わず「止まらないで~」って叫びました。気持ち分かるけど・・・
沿道の声援を受けながら五条通に出て京都マラソンスタート。

西方面、桂川・嵐山に向かうけど、四条通の途中から道幅が狭くなり、前は詰まるわ、横から越されるわ、それも殆どが何故かSちゃんの左横を行くので、その度にSちゃんが左腕をサッと前に出してぶつからないようにガードしていた。周囲を確保するのが大変だった~。
渡月橋まで行くのかと思いきや手前で右折、嵐山高架道路というの初めて知ったし結構な登り。
広沢の池、一条山越えも初めてでした。同じ京都でも西は殆ど知らないのだ。
きぬかけの道、平野神社、今宮神社と曲がり角多し。
走っていたらいつの間にやら前に鴨川が見えた!御園橋でした。
けどまだ20k行ってない、ここからが長いのだ。

Sちゃんが少し前からトイレ行きたい言って適当に探すけどどこも長蛇の列。
それが17.6の給水で仮設トイレがあって偶然空いてたので並んだら、そこのスタッフが「奥に空いてるトイレありますよ」と言う、断ったのに奥の横道入ったトイレ行かされ、足元危ないのに。それも1つしかないトイレ。親切心だとは思うけど、こういうの困るなあ。
しかもそこには給食あったらしかったのに、わからなくて食べ損ねてしまった。

気を取り直して後半は、賀茂街道から北山大橋と鴨川はマイガーデンでホームコース。
ついペースが上がり、Sちゃんから、ちょっと落として下さいと言われ。(笑)
その辺りでやっと給食にありつけた。必死でつかんだプチトマト1個。
その後も京風あんぱんも食べられた。何とその後にあんぱんの箱持った人がずらーっと10人くらい並んでて、1個貰っておいた。
それが、20k過ぎた頃からSちゃんがペースダウン、どうやら腰に来てるようでペースは7分前後まで落ちて、Sちゃんがいつも言うトコトコペースに。
予想より早くに腰に来たようです。
ついに25k過ぎ、給水所で屈伸とストレッチしてると、救護のスタッフが飛んできてマッサージありますよと言うが、Sちゃん何とか大丈夫と、再スタート。
大幅にペースダウンして、様子見ながらジョグでトコトコ行く。
その辺りで生八つ橋も食べられた。
念願の植物園に入るも予想よりコース狭いし、クネクネで走りにくい。
植物園の温室前に、舞妓さんのステージがあって小太鼓演奏の応援やっててスマホで撮るランナーいたけど、何とか避けられた。
ついにSちゃん、今度は脚が吊りそうと言って、携帯していた脚吊り防止の「コムラケア」を歩きながら服用。
少し歩いてしまったけど、植物園出たらまたトコトコペースで再スタート。

そして北大路橋からメインイベント?の賀茂川河川敷に降りた。
賀茂パの練習コース、見慣れた風景、足元も土でフラットに整備されていた。
しかし走路は狭い、歩くランナー多しで、走路の確保が大変。
つい声大きくして「すみません、右に寄ってください!」を連発。
そして、やっと30k通過、でもまだ12kもある・・
もうすぐ賀茂大橋だなあ、賀茂パの誰かいるかなーって沿道見ながら、走ったけど知り合いが誰も居なさそうで・・・寂しい。
賀茂大橋南でMさんがエード出してたけど止まれず。

丸太町で上がって終盤、Sちゃんとトコトコ頑張る。
お馴染みの御所、市役所、百万遍、銀閣寺。
御所では34k地点の沿道に、ホンダの応援の横断幕があって、実は受付時にホンダのブースで二人で応援メッセージをシールに書いて貼った、その横断幕が貼られてたので自分の書いたメッセージを確認、もう少しだ!頑張ろうって励ます。
今出川通りでは前方に大文字山が見えて、火床が綺麗に見えた。
脚も結構疲れてきたけど、給水しながら、トコトコ進む。
もはや半分以上のランナーが歩いていて、避けながら走った。
40k地点通過、もうちょっとだ!あと2kちょっとだ!
東大路通りを南下、疎水通りを通って、京都会館の裏から、平安神宮の朱色の建物が見えた。
涙が出てきた!ゴールが目の前!
Sちゃんが「両手あげてゴールしましょうか」
二人で両手上げて、ゴール!
よう頑張った!フル走れた!思わず泣いてしまった~。
Sちゃんと「フル走れたね!良かったね!」と健闘を讃え合いました。
タイムはグロスで5時間38分、ネットで5時間28分でした。
5時間以上かかったけど、完走目標だったので、達成です。
私は、2016年のレジェンドOさんと走った大阪マラソン以来のフルでした。
Sちゃん、ありがとう!お疲れ様でした!

その後は、女子更衣室の京都会館(ローム京都)でゆっくりして、なんばでの打ち上げに参加したのだった。

この度の京都マラソンは、Sちゃんの会社枠(Wコールさん)での参加で、伴走者にもタイツが支給されて、お揃いのCWXを着用して走りました!
もちろん宣伝ですが、ラッキーでした!

オリーブさんとのゴール後のツーショット。(完走タオルと荷物でサケもっとさんのタイツが隠れてる)

ペアのサケもっとさんの完走記はこちら

「京都マラソン2018」サケもっとさんの完走記です

「初めての京都マラソン」

毎年泉州マラソンへ参加していましたが、今年は同日開催の京都マラソンへ参戦です。

京都マラソンのコースは、西京極陸上競技場からスタートです。
ウチのゼッケンはHブロック、第2競技場からのスタートで、スタート前からトコトコ歩いてる途中に9時になりましたが、号砲も聞こえなくて、いつの間にかのスタートでした。
スタートロスは、10分程度で、ゆっくりのスタートです。
2月の中旬で、お天気も良かったので暖かでしたが、朝はひんやりとして、午前中に京都市内の西から北回りで東に行きますが、風は冷たかったです。
そのせいか、お手洗いへ行きたくなって、どこもけっこう並んでいます。
マンモス大会ではお手洗いのロスも大きいですね。
20キロ過ぎると京都市内の中心へ向かって鴨川の河川敷に入ったり抜けたり、植物園のなかを走ったりとあっち行ったり折り返したりとあまり直線コースはありませんでした。
鴨川は何度か走っていますが、やはり足元が悪くて、30キロからのこの河川敷はちときつかったです。
地道もあるので、雨の日はどろどろになるかな?なんて思いながら走っていました。
後半は御所から京都市内の真ん中を行ったり来たりして距離を走って、都メッセのある平安神宮へゴールでした。

二人並んで走るには、スタート後は、人も多いので、流れに合わせて、ぼちぼちと走ってゆきましたが、前半から歩き出す人もいて、要注意です。
京都の街を写真に収める人も多くて、急に止まる人、前を横切る人、イヤフォンや電話してる人、そんな人に注意しながらでした。
それと道がけっこう狭くなってる箇所がいくつかあって、とまって渋滞とゆうことはなかったですが、後ろから声かけて道をあけてもらったり、ペースを落として譲り合いながら進んだりと二人幅を確保するのが大変だったと思います。
スタート直後は人も多いので、ロープを1番短くしているのですが、結局最後までその状態で走りました。
オリーブさん、そんな中での伴走ありがとうございました。

ウチ自身のレースとしては、二人とも初京都マラソンで、オリーブさんは2年ぶり、ウチは1年ぶりのフルマラソンだったので、ゴール目標でスタートしました。
途中20キロ手前で腰痛が出てきて、「ちと速すぎるわ~!」と、足もつりそうになるし、不安がよぎりましたが、ペース落として様子見ながらぼちぼちと進んでゆきました。
30キロ過ぎて、加茂川を後にしてまだまだ先は長いな~と感じてましたが、34キロ地点の前日に記入したオリーブさんや自分自身の応援メッセージまでやってこれたことにホッとしました。
どないなるか?!でしたが、そこからはとことこと走ることができて、ゴールまでの距離がだんだん短くなってゆくとうれしくなってきて、吸い込まれるようにゴールしました。

ゴール後に雪の宿とゆうせんべいを2枚入りの袋から1枚出して、手渡しで渡されましたが、袋から出してるし、持ち帰りもできないので、食べました。
ゴール後にせんべいは、おなかの足しにもならないし、食べにくいものでした。
袋入りのままほしかったですわ~!

写真はゴール後に完走賞と京都マラソンのバスタオルをもってる、オリーブさんとのツーショットです。
お揃いのCW-Xのタイツが写ってないのが残念です。(涙)

オリーブさんとのゴール後のツーショット。(完走タオルと荷物でサケもっとさんのタイツが隠れてる)

伴走されたオリーブさんの伴走記はこちら

「第37回 いぶすき菜の花マラソン」はなてんちゃんの完走記です

はなてんちゃんです。
以前からとても気になっていた「いぶすき菜の花マラソン」にわーわーずのHさんとIさんとYさんとの4人で走ってきました。
今回は、ウルトラ並みに豪華なエイドを制覇するのが目的なのでのんきなランです。(笑)

1月13日 大阪から飛行機とバスでいぶすきへ。前日の受付を済ませてホテルにある「砂蒸し温泉」でリラックス。初体験の温泉は砂の重みで身体全体がきゅっと圧縮されて細くなったような? 背中からぽかぽかして、朝まで寝ていたいような気持よさでした。

砂蒸し風呂に入浴中のはなてんちゃん

1月14日快晴 ホテルから会場まで徒歩で10分、9時スタート。自分の走力にあった時間のところに並びます。今回は6時間の場所に並んでスタートを待ちます。
ただ、この大会はとてものんびり。スタート時間が迫っていても誰も走ることなく歩いているし、聞こえてくる会話はエイドのことばかり。それでも優勝者と準優勝者にはホノルルマラソンに招待という副賞が付いてくるのでサブスリーのランナーはタイムを狙っているようです。
参加者は1万3千人、聞くところによると3月の第1週に鹿児島マラソンが開催されるようになったので参加人数が減ったとのことです。

花火が上がってスタート。スタートのラインを越えるまで7分くらいかかったでしょうか。緩やかなアップダウンが続きます。7キロを過ぎた地点から歩いてるランナーも多数、まだまだエイドはありません。10キロ近くになってようやくスポドリや水のエイド。少し行くと人だかりの場所があり、何々っ?と覗くと手作りどうふのエイド、ちょっと人をかき分けてもらうことができました。とにかくどのエイドでも人をかき分けるか長い行列に並ぶかしないともらえません。まるで物産展の会場の様です。(笑)

開聞岳と池田湖と菜の花

このマラソンの魅力はエイドだけではありません。景色も魅力。
薩摩富士と呼ばれている開聞岳と池田湖、そして一面に広がる菜の花の見事なこと!
ビューポイントではお互い写真を撮り合ってます。私たちも見事な景色をバックにパチリ。祭り太鼓を聴き、子供たちの演奏を聴き、ときおり肥料の臭いを嗅ぎながら、風もなくぽかぽかとしてまるで春のハイキングの気分でのんびり進んでるとにぎやかな音楽の音とともに聞こえてきたのは「チョコあります。飴あります」と言う高校生軍団の若い声。そして肉や魚の焼ける香ばしいにおい。鰤のカマを焼くので食べてと誘うおばさん。丁重にお断りして焼けたばかりの鰹としし肉の焼きたてを食べてお茶やコーヒーをもらってスタート。

28キロ地点で伴走のIさんと記念撮影

こんな緩やかな大会でも関門はあります。29キロ地点で6時間を超えたランナー、35キロ地点で7時間を超えたランナーはバスに収容されます。なのでそんなにのんびりしてられません。でも、エイドははずせません。(笑)

湯がきたてのブロッコリーやこれまた湯がきたてのスナックえんどう(マヨネーズ付き)、黒糖、定番はバナナとさつまいも、おにぎりや焼きそば、おもちも焼けるのを待ちました。綿菓子もあって目の前で作ってます。あつあつの豚汁、えんどうまめのスープなどなど。食べて飲んで食べて飲んでばかりしてたらおトイレに3回も入ってしまいましたぁ。

残り2キロ地点のところで7時間経過。(汗)
さすがに道路封鎖も解除されてるので歩道に上がらされて走ることができません。それでも車道に降りたり歩道を走ったりしながら7時間37分でゴール。
楽しい楽しい42.195キロでした。

1月15日は鹿児島の街をプチ観光。路面電車に乗って城跡の見学と大河ドラマの『西郷(せご)どん』のドラマ館の見学。名物の豚とろラーメンとシロクマのかき氷とさつま揚げを食べて飛行場へ。
グルメとランを満喫した鹿児島の旅でした。また、行きたいです。

『西郷どん』大河ドラマ館にて薩摩観光維新隊のかたと記念撮影 市立美術館前、西郷隆盛銅像をバックに、忠犬ハチとみんなんと。

「第41回『新春走ろうかい』ひらかたハーフマラソン(視覚障がい者ミニマラソン男子10kmの部)」間嶋さんの完走記です

1月8日の成人の日、新春ひらかたマラソン大会、視覚障害者10キロの部に出場しました。この大会では今回で4回目で3年ぶりに10キロの部を走りました。天候も大雨で風もかなり強く、コースでもその影響で水溜まりが多く、泥まみれで最悪なコンディションでした。それでも天候や最悪なコンディションにも負けずにガイドランナーのてらやん、ボランティアとして参加した枚方高校のサッカー部のイケメンの男子生徒4人と一緒に走りました。

自分自身も昨年の足の故障あがりで無理しない程度のペースで走りました。最悪なコンディションで何度も滑りそうになったり、水溜まりを踏むこともあったけど、てらやんのロープを信じて走りました。

その結果、見事に10キロの部としては初めて優勝を果たすことができました。

表彰台ではメダルと賞状、そして副賞をもらいました。今回の副賞はめっちゃ豪華でした。アシックスのボストンバッグ、大きなストレッチポールをもらいました。

表彰式が終わったら読売新聞社からのインタービューを受けました。通訳介助を通して質問にこたえました。その時に視覚だけでなく聴覚にも障害を持っているけど、そんなハンデを持っていてもみんなに負けたくない、ここまでやれると言うことをアピールしました。

翌日に読売新聞の朝刊に小さな記事やったけど、僕の記事が載りました。それで本当に光栄に思いました。こうして、盲ろうの存在、僕の頑張っている様子がみんなに伝わるとうれしいなと思いました。

この大会でまだまだ、満足せずに今後もさらになる飛躍ができるように頑張ります。

ゴールゲートを越えて。枚方高校サッカー部のメンバーと、伴走のてらやんと、間嶋さん。

読売新聞へのインタビューが翌日朝刊の紙面に。見出し「間嶋さん制す 男子視覚障害10キロ」