和歌山県各地で行われた2015全国障害者スポーツ大会・紀の国和歌山大会、長居わーわーずメンバーは、和歌山市紀三井寺陸上競技場で10月24日(土)~26日(月)に行われた陸上競技に各地の代表として6名が出場し、この大会に向けて練習してきた成果を発揮すべく、それぞれの種目に挑みました。
出場したメンバーの中には、怪我や故障で調整に苦労した選手もいたものの、6名全員がメダルを獲得し、その中でも、初出場ながら大会記録を上回る投てきを見せたり、過去に出場したいずれの大会でも惜しくもメダルに及ばなかったものの、今回念願の初メダルを獲得した選手もいました。
しかし、記録の面では、特に、私たちが応援に行った大会2日目25日日曜に出場した選手は、近畿地方で木枯らし1号と発表されたほどの冷たく強い風が一日中競技場を吹き抜けていたこともあり、思い通りの結果が出せなかった選手が多かったようでした。
今回出場した長居わーわーずメンバー6名は、2名が現在の大会記録保持者、1名が元保持者、他にも新たな大会記録保持者になることを期待された選手がおり、このうちの5名が、強風の下で実施されたこの日の各種目に出場し、記録へと挑んでいきました。
しかし、トラックを周回する種目や立幅跳では、向かい風の影響で、選手自身が期待していたほどの記録が出なかったり、一方では、追い風となった100mでは、従来の大会記録を大幅に上回るタイムで走るも追い風参考記録となったりしました。
さらに、競技や試技開始までの待機中に、冷えて体が思うように動かなくなり、記録を狙うには難しい日となってしまいました。
一方、今回こそ大会初メダルとの意気込みで出場した選手は、1種目目の午前中の800mではまたもやメダルに手が届かず、望みは2種目目の夕方の1500mとなりましたが、この1500m出場選手は、4位に終わった800mとほぼ同じ顔触れとなっており、残念ながらメダルはまたもや次回に持ち越しかとも思われました。
しかし、その1500mがスタートすると、序盤はメダル圏外だったものの、夕陽の照らすトラックで、中盤から徐々に順位を上げ、最後の1周をトップで通過した時は、応援の私たちの興奮も最高潮。
結局、トップ争いには敗れたものの、3位に7秒差の2位でフィニッシュラインに駆け込んでの待望の初メダル獲得となり、木枯らし吹く日の、長居わーわーずメンバー最終出場種目となったこの1500mは、朝からスタンドで応援してきた私たちが、最も大きく沸いた時でした。
ところで、全国障害者スポーツ大会の理念は、障害者スポーツの普及と障害者の社会参加の推進となっており、以前は、この理念の基に、個人競技の参加は1回のみとされていましたが、現在は複数回の出場も認められています。
しかし、個人競技での代表選考においては、現在もこの理念を尊重し、大会初参加となる選手を中心に選手団を構成するところもあります。
この大会の陸上競技などの個人種目に出場するには、まず、都道府県や政令指定都市単位で行われる選考会に出場する必要があります。なお、各地域の選考会の大半は開催年の春に行われますが、一部、前年の秋に選考会を行うところもあります。
そして、選考会での上位の選手の中から、過去の同大会出場歴や、選手団内での障害クラス・居住地などのバランスを考慮して、代表選手が選考されます。
選考会は、参加は無料で、陸上競技の場合は、普段なかなか走る機会のない陸上競技場で行われることが多いです。
ルールは、原則的に全国障害者スポーツ大会と同じもので行われますが、全国障害者スポーツ大会の競技規則は、パラリンピックや一般のものと一部異なっています。
例えば、短距離走ではスターティングブロックの使用義務はなく、フライングは1回目のスタートまでは許容、2回目からはその選手のフライングの回数に関係なく失格などとなっています(パラリンピックや一般の大会では、フライングは一発失格、短距離走ではスタブロ必須)。
なお、以前、全国障害者スポーツへの個人競技への参加は1回のみだった頃、大会の素晴らしさに感動する一方、2回目の参加が叶わないことを非常に残念に思っていた選手が多かったようです。
筆者も、過去に陸上競技の選手団の役員としてこの大会に同行したことがありますが、他競技の選手・役員や開催県のスタッフの方との交流には、刺激になることがとても多く、機会があればまた選手団に同行したいと思ったことがありました。
役員として参加した私ですらそう思ったほどですから、当時の選手がもう一度参加したいと願うのも当然で、その思いは私が思ったものよりもはるかに強かったことでしょう。
その全国障害者スポーツ大会の今後の開催地は、2016年岩手、2017年愛媛、2018年福井の予定となっています。
大会公式サイト
http://www.wakayama2015.jp/