長井選手、世界パラトライアスロン横浜大会を過去最高タイムでフィニッシュ

2016年5月14日に、横浜トライアスロン大会のエリートパラの部として行われた「世界パラトライアスロン横浜大会」のPT5(視覚障害)男子の部に、長居わーわーずメンバーの長井敬二選手が出場し、3位(1時間17分08秒)に入りました。

今年で57歳になる長井選手は、この大会には初開催の2011年から連続出場し、毎回タイムを短縮させ続けてきましたが、今回も前回のタイムを上回ってのフィニッシュとなりました。

ちなみに、年齢による衰えを全く感じさせない長井選手、この大会1か月前には、全日本宮古島トライアスロン(アイアンマンレース)でも、上位30%の順位に入っています。

さて、世界パラトライアスロン横浜大会は、空は晴れているものの、やや波があるコンディションの中、スイム750mで競技が開始されると、長井選手は、スイムセクションを17分24秒と、昨年よりも10秒速いタイムで、バイクへのトランジションにかかります。
バイクセクションでは、転倒もあって、ややタイムを要したものの、それでも昨年よりも約30秒速いスプリットでランセクションに入りました。

マラソンから、トライアスロンにも挑戦の幅を広げてきた長井選手は、現在でもフルマラソン3時間台の走力を持っています。
その長井選手は、最後のラン5キロを23分12秒と、過去この大会最高のランラップタイムをマークし、昨年の総合タイムを2分15秒短縮させました。

なお、優勝は中澤隆選手、2位は米岡聡選手でしたが、米岡選手は、2016年2月の別府大分マラソンで2時間50分をマークし、同年4月にロンドンマラソンと同時開催されたIPCマラソンワールドカップに日本代表として出場しています。

■絶対にゴールする!

この大会での長井選手のガイドは、同じ長居わーわーずのメンバーでもある田中相司さん。4月29日に広島県廿日市市で行われたアジア選手権に続き、この大会でも長井選手のガイドを務めます。

この時のアジア選手権では、バイクのメカトラブルにより、棄権に追い込まれても全く不思議でない事態に追い込まれましたが、それでも2人で必死にゴールを目指し、先頭からは大きく遅れたものの、フィニッシュにこぎつけました。

アジア選手権での難局を、共に力を合わせて乗り越えたことで、互いの絆をさらに強固なものにして迎えたこの大会、相当な意気込みで臨んだ2人ですが、同じバイクセクションで、今度は転倒に見舞われ2人とも負傷します。

ガイドの田中さんの負傷内容からは、今回はまさに途中棄権が頭によぎる状況となりましたが、長井選手が気遣う中、ガイドの田中さんは「絶対にゴールする」と、そのままレースを続行します。

ゴールへの強い意志を見せる田中さん、その後のランでは、長井選手のこの大会での過去最高ランラップタイムをサポートします。
それが、フィニッシュタイムでもこの大会最高を導き、最後は、いつものように二人で両手を力強く挙げ、ゴールの歓喜を全身で表現してフィニッシュゲートをくぐりました。

■公式結果
[PT5男子]
3位 長井敬二
総合タイム 1時間17分08秒
スイム(750m) 17分24秒
トランジット1 2分17秒
バイク(20キロ) 33分35秒
トランジット2 0分40秒
ラン(5キロ) 23分12秒

[コンディション]
スイム;水温20.7度、バイク;気温20.5度、ラン;北北西の風2m/s

[結果へのリンク]
http://www.jtu.or.jp/results/2016/2016yokohama_para_result-J.pdf

■参考
世界パラトライアスロン横浜大会での長井選手のタイムの推移
2011年大会 1時間36分18秒
2012年大会 1時間32分04秒
2013年大会 1時間28分19秒
2014年大会 1時間22分34秒
2015年大会 1時間19分23秒
2016年大会 1時間17分08秒

以下は、長井選手の大会レポートです。

内容は、1日目;大会前日、2日目;このダイジェストの内容の世界パラトライアスロン横浜大会、3日目;横浜トライアスロン大会エイジの部、となっています。

【長井選手本人による大会レポート】
5月13日(金)は、世界パラトライアスロン横浜大会に出場のため、午前8時30分に新大阪駅で、ガイドの相ちゃんと待ち合わせ。
午前8時57分発の「のぞみ」で、新横浜駅へ。
午前11時11分に新横浜駅に到着して、菊名で東急東横線に乗り換えて、終点の元町・中華街駅で下車して、スターホテルに到着。
横浜中華街で昼食後、僕たちのタンデムバイクを車で運搬してくれたOさんたちと合流して、タンデムバイクの調整をして、ホテルの部屋で着替えをして試走。
それから、横浜スタジアム近くのNTT東日本光館まで、相ちゃんとランニングで行き、パラトラトークに14時45分から20分ほど出演して、15時30分から試泳をするためにホテルに戻ってから、横浜港のスイムスタートをするポンツーン(浮き桟橋)へ。
  パラトラトーク収録シーン
ポンツーンの上で、ウェットスーツに着替えて、相ちゃんと翌日のスイムコースを1周750mの試泳をしました。
水温は、約20℃ほどで、4月29日(金)の廿日市でのアジア選手権の時よりも4℃ほど高くて、泳ぎやすかったです。
試泳終了後、18時からホテルモントレーでの競技説明会に出席しましたが、全て英語での説明なので、今回もほとんど判らずに眠くなってしまいました。
説明会終了後、中華料理食べ放題のところで、5人で夕食をして、翌日の準備をしようと僕たちの宿泊しているスターホテルへ戻りました。
そこで、僕のタンデムバイクのギアチェンジに少し不具合があるとOさんに言ったら、調整してくれると工具で調整してくれたのですが、なかなか調整に手間取って、22時を過ぎても調整できなくて、明日は、タンデムバイクで走れるのかな?と不安になりました。
でも、Oさんは、根本的に調整し直すと言うので、できるのを待っていると、きちんと調整してくれたので、良かったです!
これで、14日のパラエリートのレースに臨む事ができるので、一安心。O監督、ありがとうございました。

5月14日(土)は、世界パラトライアスロン横浜大会の当日で、午前4時に起床。
午前5時にホテルのロビーに集合して、5時30分に大会の受付へ。
視覚障害のPT5の全盲クラスは、バイクヘルメットは勿論、ブラックアウトのスイムゴーグルとバイク・ランもブラックアウトのゴーグルを装着しなければならないし、レースウェアも僕のNAMEやJAPANが入っているかなどとチェックも受けなければなりません。
伴走ロープや伴泳ロープの長さや色もチェックを受けてから、ICタグとスイムキャップをもらって、ウェットスーツを着て、スタート近くの堤防へ。
  相ちゃんとタンデムと
午前6時40分ころから大会セレモニーが行われて、出場者が一人ひとり名前のコールを受けて、スイムスタートのポンツーン(浮き桟橋)へスロープを下って行きました。
午前6時55分に第1ウェーブがスタートして、次に、僕たちのクラスが、入水して、立ち泳ぎをして6時58分に僕たちがフローティングスタート。
前日の試泳の時よりも波がありましたが、水温も20.7℃とまずまずの温度だったので、予定どおり750mを泳げたかな?
スイムアップして、ポンツーンに上がり、伴泳ロープを外して、走りながらスイムキャップとゴーグルを外して、ガイドの相ちゃんに渡し、トランジットへ。
この時点では1位でした。

ウェットスーツを脱いで、シューズを履き、ヘルメットをかぶって、バイクのスタートエリアまで二人で押して行きましたが、トランジットで時間がかかり、2位でバイクスタート。
  タンデムバイクで激走中
1周5kmのコースを4周するのですが、Uターンが3回あって、1周目で、前方に1位のチームに追いついて来たので、みなとみらいの交差点のUターンのところで差をつめようとあまりスピードを落とさずにターンした瞬間に転倒してしまいました。
一瞬何が起こったのか?と頭が真っ白に!

僕は、右半身を強打して、肘と膝が痛かったんですが、ダメージは少ないと感じたので、レース続行できると思いました。
でもガイドの相ちゃんが、転倒した時に頭を打ったので、意識がありましたが、頭がふらふらするようでしたので、相ちゃんの様子では、無理はできないと思い、レースを続けましたが、しばらくはスピードを上げずに走りました。
相ちゃんは、このレースだけは、絶対にゴールすると強い意志で、行ってくれたので、僕もベストを尽くしてゴールしようとランに移りました。
ランの5kmは、コースを2周するのですが、キロ4分35秒ほどで走り、22分台でフィニッシュしたかったのですが、23分12秒でゴール。
総合タイムでは、1時間17分8秒で、5年連続自己ベストを更新して、3位の銅メダルでした。
ゴールした時に思わず相ちゃんと抱き合って、お互いの健闘を讃え合うました。
5年連続自己ベストを更新してゴールできたのも練習に付き合ってくださったTRI6WESTや長居わーわーずのガイドの皆さんやサポートや応援してくれた方々のおかげだと感謝感謝!です。
アメリカチームに勝てたのも嬉しかったです。本当にありがとうございました。

ゴールした後、相ちゃんと僕は肘や膝から出血していたので、救護室へ行き、手当てをしてもらいました。
  傷の手当てをうけた2人
翌日もエイジパラのレースがあるのですが、相ちゃんは、大事を取って、休養してもらう事になり、急きょO監督が僕のガイドを引き受けてくれたので、僕は、翌日のレースも出場することができるようになりました。
それで、僕は、Oさんとホテルへ戻り、翌日のためにウェットスーツを洗って干してから、昼食。
午後3時30分からのパラエリートの表彰式に出て、銅メダルをかけてもらい、花束もいただきました。
  表彰式で3位の銅メダル

午後5時からのエイジパラの説明会には、Oさんと出席。
今度は、日本語での説明でしたが、僕は、疲労のため眠くて、ほとんど聞いていない状態でした。
終了後、山形県から来ていたパラトライアスロンチームの方々と夕食をしてからホテルへ戻り、翌日のレースのために早く就寝。

5月15日(日)は、エイジのパラトライアスロン横浜大会でした。
前日に続き、午前6時にホテルのロビーに集合。
僕は、ガイドのOさんと受付へ行き、午前7時からの大会セレモニーの後、ポンツーン(浮き桟橋)へスロープを降りてスイムスタート地点へ。
前日と違いポンツーンが波で揺れて、風と波でスイムが大変だなあと予感。
エイジパラのスタートは、パラエリートのウェーブスタートとは違い、全てのカテゴリーが一斉にスタート。
僕は、試泳を含めて3日続けてこのコースを泳いだのですが、ガイドのOさんは、このコースを試泳もしていなくて、伴泳の練習をほとんどしていなかったので、荒波に四苦八苦しながら泳ぎ、相当海水を飲んでしまったようです。
僕も前日のレースのバイクで転倒して、肘や膝に擦り傷があり、傷口が海水に触れて痛みに耐えながらのスイムだったので、タイムも相当遅れてしまいました。
スイムアップの後、トランジットでウェットスーツを脱いで、ヘルメットとシューズを履いて、タンデムバイクを乗車エリアまで押して行き、二人で乗ろうとしたのですが、スイムで腕力を消耗してしまったガイドのOさんの腕に力が入らずにバランスをくずして、タンデムバイクでうまくスタートできず、乗車エリアに戻って、3回目でやっとスタートできました。
昨日とバイクコースが違い、3周で20kmを走るのですが、1周目は、転倒しないように特にUターンのところは、ゆっくりと走り、2周目は、少しスピードアップして、3周目は、コースにも慣れたのですが、もう、すぐにバイクフィニッシュでした。
ランに移った時は、Oさんは、息が上がってしんどそうだったので、Oさんの走れるスピードに合わせて走りましたが、このコースも昨日とは違い、狭い所や歩道橋に上がる時にジグザグにスロープを走る所など全盲の僕にも非常に走りにくいコースで5km走ってゴール。
Oさんは、練習もしてなくて、急遽、ガイドの依頼をされて不安もあったと思いますが、快く引き受けてくれて、無事にゴールできて良かったです。
本当にありがとうございました。
そして、ホテルに戻り、ウェットスーツを洗って、正午までにチェックアウトを済ませて、帰阪するためにバイクを回収して、車に積み込み、僕たちは、前日に続いて3位の銅メダルだったので、午後2時からの表彰式に行きました。
Oさんたち3名は、みんなのバイクを車に搭載後、一足先に車で大阪へ。
僕と相ちゃんは、午後4時からのパラフォトの皆さんとの打ち上げに参加。
そして、午後6時12分新横浜駅発の新幹線で、大阪へ。
午後8時30分に新大阪駅に到着。
僕たちの激闘の3日間が終わりました。
この3日間は、いろんな方々と出会い、いろんな出来事やアクシデントにも遭遇しましたが、大変思い出に残る世界パラトライアスロン横浜大会でした。
ガイドの相ちゃん、O監督を始め、サポートや応援してくれた方々に大変感謝しております。
またトレーニングに励み、次回も頑張りたいと思います。
皆さん、応援と協力を宜しくお願い致します。
  チームメンバーたちと