「2016函館マラソン」野尻さんの参加記です

~北海道新幹線開業記念~2016函館マラソン大会
2016年6月26日(日) 9:00 フル・ハーフ同時スタート

4時間前後の完走を目指して、かつて住んでいた函館の町を楽しんで走ろうと、金曜日の夜に函館入り。伴走の方とさっそく乾杯をしながら、当日の打ち合わせ。
「3時間半までなら伴走できると思う。半切りを目指して、キロ5分でいこう」と。
ありがたいことではあるが、そうなると急に心の準備を変更しなければならない。
そうこうして、当日を迎える。かなりの確率で雨の予報であるが、朝起きるとなんとか雨は落ちていないようだ。しかし風が強く吹いていて、海岸線は大変な道のりになりそう。
ハーフとフルを合わせて、約8千人のランナーが9時に競技場を一斉にスタート。
全国的にも有名な湯の川温泉街を抜け、函館空港の手前を折り返して海岸線を今度は函館山方面に向かう。約8キロほど、案の定強烈な向かい風だ。天気がよければ最高の景色、そしてウミネコの鳴き声も聞かれるのだが。
前日の土曜日は旅館が取れず、知り合いのところにお世話になる。色々とおもてなしをいただいて、夕食も朝食もたらふくよばれる。
そんなこともあってか、体が重い感じ。25キロの再びの折り返し辺りでトイレを見つけて駆け込む。体も軽くなったので、さてさて、後半頑張ろう。
30キロを過ぎて、函館湾にかかるともえ大橋に差し掛かる。これは大変、一層の向かい風。
なんとかかんとか橋を越えて港地区、金森倉庫街の石畳を行く。
沿道ではねぶた祭りの踊りをやっているらしい。
36キロのエイドにはメロンや塩ラーメンや、函館の名産がいっぱい。チーズオムレットをむしゃむしゃ食べたもので、またまた時間をかなり浪費してしまう。
帰りのともえ大橋は追い風になる、やれやれ。そして無事に競技場に戻ってくる。雨にも負けず風にも負けず、3時間45分のゴール。
飛行機が4時なので、少しでも早いゴールにこしたことはない。
今回北海道新幹線には乗れなかったが、それはまた後日のこととして、本当に良い思い出の大会となった。

「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2016神戸」 ほりちゃんの参加記です

ほりちゃん(ブラインド)です。
リレーフォーライフイン神戸では、とりまとめや早い時間からの準備そして後片付けなどして下さったAさん夫妻をはじめ、参加された皆さんにたくさんお世話になり、楽しいひとときをありがとうございました。
このイベントへはいつも仕事を終えてからで、イベントが始まって少し遅れてからの参加ではあるのですが、公園内の地面はウッドチップでできていて走るのに足にやさしく、ステージでは色んな音楽演奏チームの方々が色々と演奏されていて(今回はジャズもあったかな。)、その演奏を聞きながら走っているとウキウキしてくるし、久しぶりに出会うラン仲間の方々と再会することができるので、毎年楽しみにしているイベントのひとつです。
サポートしていただいたガイドの皆さん、一緒にたすきをつないだブラインドの皆さんにいっぱい支えていただいて、今年も楽しく過ごすことができたことに、すごく感謝しています。
来年もたくさんの方々と一緒に、リレーフォーライフイン神戸へ参加することができたら嬉しく思っています。

「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2016神戸」 アラらんさんの参加記です

平成28年6月11日(土)21時~12日(日)9時まで
リレー・フォー・ライフ・ジャパン2016神戸
に参加をしてきました。長居わーわーずチームは、
ブラインド10名で申し込み、ガイド18名と一緒に参加。

まずは、19時30分からキャンドル点灯式に参加。
がん征圧、がん患者や家族を支援、
がんで亡くなった大切な人を偲び、追悼します。

21時にキャンドルランスタート。
12時間のリレーマラソンです。
沢山のチームが一斉にスタート。
リレー・フォー・ライフは本来、24時間歩いて襷を繋ぐのですが、
夜間は歩く人が少ないためランナーが代わって襷を繋ぎます。

あくまでチャリティー募金が目的です。ランニングはその手段です。
募金協力 チーム総走行距離(Km)×10円(伴走者も含めて1人)
沢山走るほど、募金額が増えます。

コースは、450mの周回ジョギングコースフィールドは綺麗なコース。
キャンドルライトが灯されています。
リレーは、夜の時間は一人5周~6周で繋ぎました。
0時を過ぎると逆回りに走ります。
ペアリングも毎回替り、仮眠を取りながら走ります。
陣地は、キャンプ場のような雰囲気でワイワイ。

朝の5時前には夜が明けだします。
お湯を沸かし、各自目覚めのお味噌汁、
コーンスープ、コーヒーなどを飲みました。
残り時間30分を切るとカウントダウン的に走ります。
最後は全員で走り、9時にゴール。
結果、自己チェックのカウント表の集計では、合計で250周。
主催者集計でチーム合計112㎞の距離を走ることができました。
(去年の116㎞にすこし及ばず)

閉会式終了後に解散。銭湯行メンバーは、なぎさの湯へ移動。
汗を流し、食事会。このイベントは素晴らしい企画。
健康の大切さを改めて感じることができました。
有難うございました。来年もぜひ、沢山の皆さんで参加しましょうね。(文:参加取りまとめ役 アラらん)

参加者の集合写真2枚と陣地の様子

「第8回水都大阪ウルトラマラニック」はなてんちゃんの完走記です

4月24日(日)。水都大阪ウルトラマラニックの100キロを走りました。去年のリベンジです。
雨上がりのさわやかな朝でした。走るのにはもってこいの気温です。
スタート地点の大阪城公園はすでに熱気むんむん、午前5時30分前に受付を済ませて100キロのアーリースタートを見送って準備をし、早朝にもかかわらず応援にかけつけてくださったみなさんとスタート時間の6時30分までおしゃべりをして過しました。全く緊張感がないところがこの大会のいいところでしょうか。

大会の諸注意を聴き、みんなでカウントダウンをしてスタート。
スタッフの方々や応援のみなさんの「行ってらっしゃ~い」の声を背中で聞きながらゆっくりスタートしました。伴走はSちゃんさん、ウルトラの先輩ランナーです。
ツツジの香りを楽しみながら大阪城公園を周り、歩道橋を渡って中之島のバラ園で第1チェックポイントゼッケンにハンコをもらいます。ほのかな草木のにおいと大川の水のささやきを楽しみながら毛馬のエイドへ。Tちゃんが声をかけてくれました。巻きずしとお茶をもらって長柄橋の第2チェックポイントへ、ハンコをもらって再び毛馬へ、ここから淀川の河川敷を枚方まで行ったり来たり2往復します。枚方の先が第3第4チェックポイントです。エイドは豊里、鳥飼、新橋、枚方にあり、知り合いのランナーさんがボランティアでてつだいをされてるので元気をたくさんもらえます。
もちろん食べ物も充実してるので楽しみです。

コースはアスファルトなので走りやすいですがときどき大きなみぞがあります。水はけをよくするためでしょうか?時間の経過とともに気温も上がり少し暑く感じられましたがときおり吹く風がさわやかなのでたすかります。それでも疲れがたまってくると飲み物ばかり欲しくなりあまり食べられなくて胃がきりきりと痛くなるし、突然すごく眠たくなって目をつぶって走ってたこともありました。(笑)
ちょっと歩いたり走ったりを繰り返しSちゃんさんに励まされ、すれ違うわーわーずの仲間に気合を入れてもらい、午前中の練習会を終えて応援ランしてくれてる仲間に元気をもらって懸命に走り、折り返してきたHさんの「関門アウトまであと10分」の声にスイッチが入って、去年タイムアウトした72キロの枚方の関門をダッシュで走り抜けてなんとかぎりぎりセーフで通過、あとは大阪城に帰るのみですがちょっと安心してしまい、また歩いてしまいました。エイドボランティアをしていたKちゃんが励ましてくれてエイドで胃ぐすりをもらって復活、残り26キロくらいでしょうか?
それでも関門アウトにならないように懸命に走りました。気温も下がり、夕暮れが近づき周囲が暗くなってもどのエイドでも食べ物や飲み物を用意して笑顔で待っててくださいます。それだけで涙が出そうです。そして私たちの周りには応援ランの仲間が7人並走してくれてます。こんなことってあるでしょうか。

大川沿いを抜け歩道橋を渡りいよいよ大阪城公園、一度ゴール地点を通過します。ここではわーわーずのマッサージボランティアのみんなの応援も聞こえてきました。
梅林の坂を上り天守閣の傍の最終チェックポイントでハンコをもらって梅林の坂を下ってると、常に先を走ってたわーわーずのMやんペアに追いつくとMやんが「4人で手をつないでゴールしようよ」と言ってくれて4人でゴール。感動の瞬間でした。
タイムは13時間39分48秒。長い長い100キロの旅が終わりました。

完走メダルをもらいお弁当をもらい仲間の待つマッサージブースに行くとたくさんの「おめでとう」の声にまたも涙が・・・。Nちゃんが入念にマッサージをしてくれてぱんぱんに張ってた足や腰も軽くなって疲れもすっかりとれました。
ボランティアスタッフのみなさん、応援をしてくれたみなさん朝早くから夜遅くまでほんとうにお疲れ様でした。そしてありがとうございました。お互いを思いやり励ましあえる仲間がいることに感謝の1日でした。

「第18回長野マラソン大会」サケもっとさんの完走記です

2016年4月17日、念願の長野マラソン走ってきました。
2011年4月の大会にエントリーしていたのですが、東日本大震災の直後だったので中止になって、その後なかなかご縁がなかったのですが、昨年の駅伝で長野視覚障がい者マラソン協会のHさんにぜひ長野マラソンへとお誘いを受けて、ずっと走ってみたい大会だったので、今年の長野マラソンにエントリーしました。

大会前日、ビッグハットの受付会場でHさんとも出会うことができました。
受付の時にカテゴリB1は、3名の参加で、ゴールできればメダルがもらえるとゆうことでした。
前日土曜日は、めちゃええお天気で、朝の大阪は寒くて、長野はもっと寒いかなと思っていましたが、けっこう日差しがきつくて暑かったです。

宿泊はHさんにお世話になって、障がい者福祉センターの「サンアップル」とゆう施設でした。
視覚だけでなく、他の障がいの方も宿泊してはって、スタッフの方など合わせると40名ほどだったようです。
こちらでもスタッフの皆さんに大変お世話になりました。
皆さんに聞いたところ、明日のお天気は雨の確率が70~90%とのこと。
+暴風との予報でした。

朝準備をしてると風はあるものの雨はまだ降ってないようです。
雨風対策をして会場へ向かいました。
会場でも曇りで風もそないきつくなくて、このままで1日もってと願いつつ、最後にみんなで風がきついから帽子はかぶらずに行こうとなりました。
(これがピーカンのお天気にやられて、唇まで日焼けすることになるとは…!)
そして、スタートラインへいって、各ブロックへ分かれてゆきました。
高橋尚子さんのスタート前の準備運動のレクチャーを受けて、ばっちり!です。
2月の泉州マラソンが途中リタイヤだったので、必ずゴール!を目指して、キロ6分半で最後までいけたらと…。
スタートロスも2分30秒くらいで、混んではいるものの流れに沿って順調に走ってゆくことができました。
前半はほんと曇り空で、風もきついものの気になるほどでもなかったです。
南風のせいか、暑いくらいで、すぐにゴミ袋は脱ぎました。
このまま続くものと思ってましたが…。
中盤、15キロくらいから雨が降り出して、いつの間にか風もめっちゃきつくなって向かい風は前に進まないし、追い風は足がおっつかないし、
横風は、足がもつれそうで、どこから風がやってくるのやら!です。
ハーフを過ぎたころにはこの雨風いつまで続くんやろって、気持ちも足もフラフラでした。
28キロくらいからは雨も上がって、風も少しましになって、さ~!後半!これからだ~とゆくはずが、雨のせいで体も冷えて、腰痛も、神経痛も足の疲れも…。
ペースもだんだん落ちてきてました。
それでも日差しが出てきて体もあったまってきたら痛みもましになって、走ったり歩いたりとゴール目指しました。
後半30キロを過ぎて、またもやえらい風が吹いてきました。
川の土手を走るのですが、伴走のNAMIさんの声も聞こえないほどの暴風でした。
突風が吹いたときはしがみついてしまいましたわ~。
この土手でまたもや精も魂も尽きてしまって、キロ8分も越えて、歩きも増えてきて、ゴールまでだんだん余裕がなくなってきました。
NAMIさんがトイレにいかはった時に座り込んでしまって、もうあかん!と気持ちは思いましたが、足は動いてくれました。
NAMIさんがずっとゴールまでの計算してくれはって、あと3キロで24分だったかな?
ほんまに長い3キロでしたが、制限時間5時間の約1分前にゴールできました。
やっとゴールできて、時間内に完走できて、めっちゃうれしかったです。
走り終わって、表彰状は、やっぱ3位の銅メダルを頂きました。
NAMIさん、伴走ありがとうございました。

長野マラソンは応援が多いと聞いていましたが、
めちゃすごい雨風で、そんな中でも応援や演奏などがありました。
そんなときに応援の声だけでなく、聞こえてきたのが、「長野マラソン走りに来てくれてありがとう!」って、感謝の言葉をかけてもらいました。
それに視覚障碍者部門があるせいか、伴走への応援もいっぱいありましたし、ランナーからの応援もいっぱいもらいましたが、なんだか女性ランナーの声が多かったような気がします。
高橋尚子さんが10キロくらいだったかな?後ろから走ってきはって、ハイタッチをして応援してくれました。ラッキー!
長野に来てよかった!と…こんなうれしいことはなかったです。

長野まで、名古屋で乗り換えで約4時間。
おしゃべりしながらあっちゆう間に長野につきました。
お昼は早速おそばをいただいてから、受付会場へ向かいました。
その後、善光寺へ行って、明日の無事完走をお願いしました。
その夜は、新大阪のHさんの行きつけのお店で山菜三昧のメニューで、おひたしやら天ぷらやら美味しかったです。
Hさんおすすめのからし大根のぶっかけそばが時間がなくて食べられずで、残念!でした。
電車の時間に乗り遅れないように駅に向かっていたら、なんとワイナイナさんが前から走ってきはるではないですか!
明日のレースに備えて、ジョグしてはったようです。
久しぶりの再会を喜びつつ、握手と一緒に明日がんばりましょうと応援もらいました。
ぶっかけそばあきらめたかいがありました。(笑み)
レース後は、駅までのバスが最終便だったので、ばたばたと過ぎましたが、駅ビルで、いろいろと買い込んで、帰りのしなの号では、みんなでめちゃうま!ビールで盛り上がって、久しぶりの遠征でしたが、皆さんと楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。

書いてるとあんなこと、こんなことと思い出して来て、いっぱいありすぎて、伝えきれませんので、ぜひ一度長野マラソンを走ってみてくださいませ。
ほんとにええ大会でした。

「第23回泉州国際市民マラソン」まえっちの完走記です

この前の日曜日、泉州国際市民マラソンに参加しました。
自分にとっては今シーズン最後のフルマラソンだし、比較的フラットで走りやすいコースだと聞いていたので、自己ベスト更新を目指して練習していました。にも関わらず、大会5日ほど前に風邪をひいてしまい、一気にテンションダウン。
 そして当日。体調は完全復活できてなかったので「20kmに満たずにギブアップしてしまうのでは」などと弱気なことを思いながら、はじめの10kmを走りました。
ですが、ガイドのフーヤンさんが読み上げてくれる1kmごとのタイムを聞いているとそんなに悪くない感じ。10km付近の関門では10分近くの余裕を持ちながら通過することができました。
13km付近でガソリンスタンドのトイレを拝借。
その後も胃のむかつきみたいなのがあり、エイドで胃薬と痙攣止め、ジェルなどを服用。
そんなことをしながら走っていると「関門閉鎖まで2分半ですよ」という沿道の声が聞こえてきます。
「えっ、まだまだ余裕あると思ってたのに」、さすがにここでの関門アウトは悔しいと思い、約200m余りをペースアップして走りました。そして何とか関門閉鎖の40秒手前で通過。
 その後は、先ほど飲んだ胃薬とジェルが少しずつ効いてきたのか、気分が上向きになってきました。さすがに20kmを超えた辺りからペースアップという訳にはいきませんでしたが、はじめのペースを保ちながら30km、35kmと通過することができました。
そして、フーヤンさんが教えてくれるタイムを聞いているとどうやら自己ベストを更新できそうなことが分かり、最後は気力を振り絞りました。
 グロスタイムでは福知山の自分の記録に数秒及ばなかったものの、おそらくスタートロスが3分以上あったのでネットタイムでは自己ベストを出すことができました。
自分にとっての今シーズン最後のレースをいい形で終えられて本当によかったです。
当日伴走してくださったフーヤンさん、そして練習に協力してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

「第36回篠山ABCマラソン大会」宗平さんの完走記です

第36回篠山ABCマラソンに参加した。
フルマラソンを走るのは、一昨年の福知山、昨年の神戸に続いて3回目である。
福知山でも神戸でも30キロを超えたあたりで足が動かなくなって歩いてしまったので、今回は歩かずに完走したいという思いがあった。
ネットタイムの目標としては、福知山が4時間58分、神戸が4時間45分だったので、やはりここは4時間30分を目標にして、なんとかサブ4.5を目指したい。
それと、もう一つ今回新しい試みがある。
実は妻からの誕生日プレゼントにGPSボイスコーチなるものを買ってもらった。
これはわーわーずメンバーの中でも最近持ち始めている人が増えているもので、僕も体験させてもらって、一つほしいなぁと思うようになった。
何キロ走ったかや、ペースはどのくらいで走っているかなどを登録した設定にしたがって音声で教えてくれるのだ。
これを帽子に付けてレースに出るのは初めてとなるので、わくわくである。
今回の伴走は、平日の夜練にも付き合っていただいているとんさんだ。
とんさんにとっては篠山マラソンは過去に何度も走られたマラソンだということで、たいへん心強い。

会場まではマラソンバスも出ているようだが、とんさんが車を出してくださるとのことで、朝5時に迎えに来ていただいた。
さすがに4時20分起床はきつかったが、思ったより目覚めはよいようだ。
とんさんのご友人ともご一緒させていただいて、3人で亀岡経由で篠山へと向かった。
道はすいていて、6時40分に到着した。

さて、走り出すのは10時50分だから、おっと、まだ4時間以上あるではないか!
どうやって時間をつぶそうか。
市役所のロビーに荷物場所を確保して、散歩に出かけることにした。
少し空気はひんやりしているものの、3月としてはかなり暖かいようである。
天気予報では、うまい具合にこの日だけ雨マークとなっていた。
ほんとうまい具合に。なんでやねん!
しかも、この篠山マラソンは雨になることが多いマラソンのようで、昨年はひどい本降りの寒いレースだったと聞かされていたので、それなりに覚悟して臨むことにした。
7時を過ぎて、広場にはどんどん人が増えてきて、おにぎり・うどん・唐揚げなどあちこちから屋台の美味しそうなにおいが漂ってくる。
このマラソンは、事前にゼッケンやICチップが送られてきて、受付は必要ないというありがたい大会である。
前日受付のマラソンはやはりどうにもめんどくさい。
7時半に大会Tシャツをもらったら、でかんしょ節の歌詞がプリントされていて、丹波篠山感がよく出ている。
京都キャロットの店が出ていて、いろんなランニングアイテムが安値で販売されていた。
今履いているランニングシューズはそろそろ3年ほど履いているだろうか。
走り心地はいいので、ずっと履き続けているのだが、随分すり減ってきているのもたしかなので、とんさんの勧めてくれたアシックスのシューズを買うことにした。
1万何千円のものが6900円で買えたのでお買い得である。
それから、これまたとんさんが以前より一つ持ってたらいいんじゃないかと言っていたアームウォーマーもゲットした。

持ってきていた十六穀米おにぎりを食べて、腹ごなし。
さて、誰か知り合いは来てないかなと思い、再びとんさんとぶらぶらしていると、オリーブさん、ヨッシーさん、福場さん&ミントまっちゃんペア、カモパの方々といった具合に会うことができた。
1万人規模のレースの人混みの中、やはり知り合いに会えるのはなんとも嬉しい瞬間であり、落ち着ける瞬間でもあり、パワーをもらえる瞬間でもあるのだ。

いよいよ10時50分がやってきた。
申込時の申告タイムにより、一番後ろのDブロックからの出発だったので、ピストルがなってからスタートラインに行くまでに6分40秒かかった。
今回の目標である、ネットタイム4時間30分を切るために、1キロあたり6分15秒では行けるようにしたいなぁととんさんと話していた。
そうこうしていると、帽子に付けているGPSボイスコーチがアナウンスをしている。
1キロ通過。
うん、このガイドはありがたい!
やはり、人だらけで思うようには走れないが、そんなときによく見知らぬランナーが「頑張ってくださいね」など言ってくださって嬉しいものである。
そしてまたボイスコーチのアナウンスが聞こえてくる。
「距離2キロ。ラップタイム5分45秒。」
この1キロは予定していた6分15秒よりもだいぶ速くなっている。
少しペースをゆるめるが、混雑をうまく二人分の幅ですり抜けていくには多少ペースを上げて抜いていく必要もあり、少し速いペースになりがちになる。
それにしても、とんさんはさすが慣れたもので、うまい具合に「右から抜かせてください」と言って混雑をすり抜けていく。
なかなか6分15秒のペースには戻せないのだが、まぁ自然なペースで無理をしている感じでもなく、とんさんも6分15秒にぜひとも戻そうという感じでもないように思えたので、おおよそ5分50秒台で進むことにした。
「このペースでずっと行けるといいですね」と言うと、とんさん曰く「30キロまでは行けるでしょう」
なんとも重みのある言葉だ。
田んぼや住宅街が続くおおむね平坦なコースで、混雑していることを別にすれば、わりあい走りやすい。
最高気温はやはりこの時期としては暖かい18度になるとのことであったが、結構風が吹いていて、暑いという感じではない。
雨もなんとかもってくれていて、コンディションは思っていたよりもよさそうだ。

事前に、とんさんに走るコースの地図を説明してもらっていたので、なんとなくのイメージができて助かった。
やはり、地形や景色や方角などどんなところを走っているのかがわかった方がおもしろさは倍増する。
それから、今回はHPで過去に走られた人の感想をいくつか読んで、17キロ地点に恒例のブラバン応援隊がいること、20数キロのところに丹波黒豆おにぎりの私設エイドがあるという情報を得ていた。
こういったものを楽しみに走れたらこれまたおもしろさ倍増である。

5分50秒のペースで、16キロまでやってきた。いい調子だ!
しばらくして、太鼓の音が聞こえてきた。
「あれ?17キロにブラバン応援隊がいると聞いていたが、今年は太鼓隊に変わってるのかな?」と思いながら通過した。
いやいや、そんなことはないようで、17キロを通過したら、大所帯のブラバン隊が元気よく「ランナー」を演奏していた。
「走る~走る~おれ~た~ち」と思わず歌い出したくなる。
やはり、この歌は定番ながら元気が出る曲だ。

20キロに近づいてきたところで、とんさんが「有森さんがいるから手を右に出して」と言う。
そして、有森裕子さんとハイタッチ!
有森さんはランナー一人ひとりに「頑張ってください」と言ってハイタッチしてくださるのだ。
いやぁ、嬉しい!俄然やる気が出てくる。

そんなこんなのおかげで、ハーフ地点でも5分50秒のペースを保てている。
ここで、とんさんが腕が痛くなってきたので、ロープを持つ手を逆にしてほしいと言う。
「いいですよ」と言って、右手でロープを持って走り始めたのだが、実は右手でロープを持つのは初めてのことであり、どうにも走りにくい。
しばらくすると慣れるかなと思って2キロぐらい走ったと思うのだが、どうも左肩もこってきて、これはまずいという感じになってきたので、やはりロープは左手で持たせてもらうことにした。
後ろから「宗平さん」と呼んでくれている。
おぉ、たかちゃんだ。
久しぶりに仲間の声を聞けて、それだけで随分大きなパワーになる。

さて、20数キロのところに出ているという話のあった、丹波黒豆おにぎりの私設エイドはまだかいな~。
と思っていたとき、とんさんが「おにぎりのエイドがある」と。
おぉ、待ってました~!
まずはとんさんがお茶を渡してくれて…「あれ…おにぎりがないみたいだね~」
「そ、そんなぁ~」
テンションがた落ちである。
売り切れてしまったのか。
おにぎりの恨みは大きいゾ!おいっ!
気持ち的にとぼとぼ走りになってしまう。
しかし、篠山のみなさん、そんなことでは終わらせないぞということで(かどうかはわからないけれど)、またおにぎりの私設エイドがあり、今度は子どもが配ってくれている黒豆おにぎりをゲットした。
うまい!俄然やる気が出てくる。単純なものだが、食いしん坊の僕にはこれがあるかないかで大違いなのだ。

24キロのところに、このマラソンの名物であるしし汁のエイドがある。
これはぜひ飲みたいのだけれど、器とお箸でしっかり食べるようなものであり、食べるのに結構時間がかかるのでどうしようかと思っていたところである。
ただ、このしし汁、ゴールした後にも振る舞ってくれるというので、そちらでゆっくりいただくことにして、スルーすることにした。
ゲストのかつみ・さゆりのさゆりの甲高い応援の声が聞こえる。
ゲストランナーの野々村真は速すぎて姿すら見えないのだろう。

25キロからは5キロゆるやかに上って、5キロゆるやかに下る折り返しコースが始まる。
なので、全体的にランナー密度が高くなって、走りにくくはなるが活気はある。
と、対抗レーンから「宗平くーん」というひときわ大きい叫び声が聞こえてくる。
やはり、てらやんの声は迫力がある。
長井さん&てらやんペアは、10キロほど前を行ってるのだから、やはり速い!

さて、28キロのあたりで、ついに腰のあたりに違和感が出始めた。
福知山や神戸のときにはハーフを超えてわりとすぐに痛みが出始めたので、多少は遅らせることはできただろうか。
ただ、これまでは足首やふくらはぎから痛みが出ることが多かったのだが、今回はなぜか腰からだ。
スクワットをして少しはトレーニングをしたつもりだが、まぁどこから痛み始めるかはその時々で違うようである。

30キロを超えてなんとかまだ5分50秒のペースで走っている。
エイドで給水して停まると、足の痛みがひどくなるので、エイドをパスした方がいいのかなと思わなくもないのだが、やはりスポーツドリンクはとることにした。
私設エイドがたくさんあって、飴やチョコレートや梅干しなんかもいただきながら走っているのだが、どんどん足が重くなってきて、うーん、「1キロが果てしなく長く感じられる」ゾーンに突入してしまった。
おにぎりのエイドがあったのだが、「いらない」と言ってしまった。
なぜだ!おにぎりのエイドなら真っ先に飛びつくはずなのに。
食をこよなく愛する僕にとって、食欲がないというのは重症だ。
風邪をひいても食欲はいつでも万全なのに。

そして、34.5キロ。ついに今回もやってきてしまった…足がどうにも動かない。
なんでこうなるの…と思いながらも、しばし歩かせてもらうことにした。
うーん、今回も歩いてしまったかぁ!
とぼとぼ歩くこと1キロ以上。
GPSボイスコーチによると、1キロ10分のペースらしい。
隣で歩いてるおっちゃん曰く「もう、はよ終わりたいなぁ」「ほんまにねぇ」なんてなやりとりをして、その場をやり過ごした。
次の給水ポイントまで歩かせてもらうことにした。
エイドを出るときに、後ろから元気な声が。
ヨッシーさんが見つけてくれて、力強いエールをくれた。
そのおかげで、少し元気が出てきたので、再び走り出した。
すると、とんさんが「痛い」と言って停まってしまった。
ふくらはぎがピクピクして走れないのだという。
伴走ボランティアではなくパートナーとして走っているわけだから、伴走者の方に故障が起こって、二人で対処するということもやはり大事なことだろう。
「無理せずに歩きましょう!」と言って、もう少し歩くことにした。
ちょうどとんさんのご友人の方が通りかかられたので、少しだけその方にロープを持ってもらったのだが、とんさんのすごいところは、そのわずかな時間の間に、長年の経験に基づいて足を動かすことによって、とりあえずの復活を果たされたということだ。
かなり痛いということのようであったが、それをどのようにして治されたのかはやはり経験のなせるわざなのだろう。

そして、37キロあたりから最後の5キロを走り出した。
しかしまぁ、痛む足にとっては「1キロが果てしなく長く感じられる」ゾーンは続いていて、GPSボイスコーチが1キロ通過を示す音が待ち遠しくて仕方がなかった。
まだかいな、まだかいな…といった具合に。
「がんばれ!がんばれ!おかえり!」など沿道から様々なる声援を送ってくれて
いるのだが、とてもじゃないけれど、返す気力がない。
ついには横腹まで痛くなってきて、「おい、もう十分頑張ったので、これでよしとしてくれぇ」なんて沿道に叫びたい気分である。
40キロまで来たのに、まだ嬉しさが感じられない。
GPSボイスコーチをスタートラインから計測すればよかったのかもしれないが、そこから数100メートル手前で並んでいたところから開始してしまったため、ボイスコーチが40キロだと告げていても実はまだ40キロには数100メートル達していないのだ。
うーん、ただだましだまし足を動かすだけの苦行が続く。
給水をとる気力もない…というか、エイドで足を停めてしまうともう走れなくなりそうでもあったのだ。
ボイスコーチが42キロと言ったとき、ようやくこの苦行の終わりが見えたように感じた。
ところが、その数100メートルも実に辛く、「はよ終わろ!」と思ったその時、うしろから「宗平、とんさん」という元気な声。
おぉ、ここで登場か、オリーブさんだ。
元気に颯爽と駆け抜けてゴールインされた。
その元気をもらって、我らもなんとかゴールイン!
グロスタイム4時間35分44秒、ネットタイム4時間29分3秒だった。
ネットタイム4時間半はもう厳しいと思っていたので、やったぁである。
前半のいわゆる貯金のおかげだ。
1キロあたり5分50秒がよかったのかどうかわからないが、それほど無理な感じでもなく、自然な感じだったし、逆に1キロ6分15秒で走ってたとしても35キロあたりでやはり足は痛くなっていたかもしれないので、まぁこれで今の自分のベストにはなったのではないかなと思う。
歩かずにゴールという目標は次回になったが、やはり持久力不足は否めない。

学生さんに完走メダルをかけてもらうととにかく嬉しい気持ちと、ほっとやれやれの心地よい疲労感に包まれる。
このメダル、丹波焼きで作られているそうで、ここにも篠山らしさがよく出ているのだ。
さて、ゴールした後のお楽しみにとっておいたのがしし汁だ。
が、やはりみんなこれを楽しみにしているから長蛇の列で30分はかかりそうだ。
しばし休憩と着替えをしに行ってから、再度チャレンジすると、もうすいていてラッキーなタイミング!
うーん、具だくさんの豚汁風で実に美味しい!
完走後だから一層美味しい!
足が痛いとんさんにご無理を言って、黒豆ソフトクリームを食べて、黒豆ひねり餅をお土産に買って、家路についた。
帰ってきたら、文字通りばたんきゅー!
いやぁ、フルマラソン42キロはまだまだ長い旅だ。
ようやく余韻にひたりながら…あぁ、来シーズンは何に出ようかな。
とんさん、辛くも楽しい篠山お世話になりました&ありがとう!

「第23回泉州国際市民マラソン」いもちゃんの完走記です

夢の泉州国際市民マラソン完走記

みなさん、こんにちは。
ブラインドの、いもちゃんです。
2月21日、泉州国際市民マラソンのフルに参加してきました。
この泉州マラソンは、私の夢でした。いつか、走りたいとずっと思ってきました。泉州で育った私。思い出がいっぱいの泉州。出場できるとわかった時は、すごく嬉しかったです。
制限時間が5時間というのが一番の問題でした。今までにフルマラソンは、2回経験していますが、完走したものの5時間30分が私の記録でした。それも、走り出して1年目より2年目のほうが調子悪くて、どの距離を走っても自己ベストが出ないんです。大会が近づくにつれて、不安とあせりしかありませんでした。日曜日の練習会では、わーわーずのたくさんの方からアドバイスをもらいました。泉州の伴走をしていただいたMさんと、12月、1月に、30キロ走をしていただきました。タイムは、あまり良いとは言えないタイム。30キロで足が棒に。不安をかかえながら大会に挑むことになりました。走れるとこまでがんばろう。
大会当日は、体調もまずまずで 天気も良くて いい感じ。Gブロック最後尾からのスタート。楽しもう。
伴走者のMさんに、この辺にこんなお店ないですか? そこをずっと入って行ったら私が通っていた小学校があるんですよーなど話をしながら前半は、順調でした。岸和田辺りでは、私の大好きなだんじりが応援をしてくれました。太鼓の音を聴いていると そのあいだだけ疲れを忘れることができました。りんくうタウンに着く頃には、だいぶタイムが落ちていました。でも、伴走のMさんがそれぞれの関門の時間を調べてくださっていました。キロ7分を越えそうなペースになると、がんばろう。絶対にゴールできるから。いけるで、いけるでと、ずっと励ましてくださいました。
問題のブリッジ。ハア ハアという声がますます大きくなっていく。頭の中は、ゴールのことだけしか考えることができませんでした。Mさんからの声かけにも、返事ができないぐらいになっていました。ブリッジを折り返してあと少し。足が痛い。ここまできたら 絶対にゴールしたい。そんな気持ちで走りました。
ここまで走ってくるあいだで 沿道からたくさんの方の声援、わーわーずの仲間からの応援、伴走のMさんからの励ましで、諦めることなく最後まで走ることができました。Mさんも私も感激で涙してました。
4時間57分。嬉しかったです。みなさんのおかげで 夢を叶えることができました。本当に ありがとうございました。

「福知山マラソン(第15回全日本盲人マラソン選手権)」 田中まさるさんの完走記です

午前3時30分起床、シャワーして、ご飯を食べ、二日前にスポーツ店に駆け込んで買い求めた足と骨盤をサポートしてくれるマラソン用のタイツを身に着けた。あれは10月中旬のことだった。練習会で25キロを過ぎたあたりから急に右膝が痛み出し、走れなくなり、けっきょくそこから10キロの道のりを歩くことになったことがあった。それから長い距離は走らずにいたこともあって、膝の痛みを感じることはなかったけれど、本番は大丈夫だろうか?っていう不安はずっとあった。だから、かなり高額ではあったが、このタイツを手にいれずにはいられなかったのだ。ところで、これをはくのにはちょっとしたコツがいる。きっちり足首から膝関節、股関節、骨盤までをサポートするためのものだから、弾力性も大きいので、足先から少しずつたぐり上げるようにしなきゃならず、しっかりと筋肉の走行にも合わせなきゃならない。しかし、前日にも練習しつつ試しに部屋ではいてもいたので、それほど時間はかからず、うまく身に付けられた。あー、やれやれだ。 まだ真っ暗な中、いよいよ出発。大阪駅のホームで伴走してくれるTさんと待ち合わせた。僕が始発電車に乗って大阪駅に到着したのは5時半、彼はもっと早くに到着していて、福知山行きの列車を待つ人たちの列にならんでくれていたのだ。5時50分発の福知山行き列車は福知山マラソンに出場するランナーたちでいっぱいだ。ならんでもらっていなければ福知山まで2時間40分くらい立ちっぱなしってことになっていたかもしれなかった、Tさんのおかげで無事席を確保し、ようやくほっと一息ついたのだ。長い1日の始まり、フルマラソンはすでに始まっているんだなあと感じた。
昔っから陸上競技が好きだったので、一度はフルマラソンを完走してみたいと思っていた。わーわーずっていうマラソン練習の団体にもずいぶん長く所属しているにもかかわらず、なかなかフルへの挑戦となると腰がひけてもいた。ともあれ、2年前に、このわーわーずの15周年の記念の曲を作ったことが、そんな僕の背中をおしてくれたのだ。せっかく歌作ったんだから、この流れにのってフルに挑戦してみたいなと思った。そんな気持ちを受け取ってくれたのがTさん、それはちょうど1年ほど前のこと。それからすぐに練習を始めたかといえばそうでもなく、CDのことやら仕事のことやら体調やら・・・、本格的には5月くらいからだったか・・・、そんなこんなで、福知山マラソン当日をむかえたのだ。
無事福知山駅に到着、会場までのバスに乗るため少し歩いた。やや寒い、僕は長そでのシャツは持ってきていないと言った。「えっ?このあいだ打ち合わせしておいたのに、持ってきてないとは・・・」とTさん。シャツ1枚のことだから、そんなに荷物になるわけじゃないし、持って来ておけば寒さにも対応できたのだ。やれやれ、タイツのことを気にしすぎたのか、すっかり頭から飛んでいた。っていうか、もう少ししっかり準備しなければね。そういえば手袋さえも忘れてきてしまっているのだった。こうなったら、走る時、それほど寒さがきびしくないよう祈るばかりだ。
バスの席に座ってぼんやりしていると、後ろの席のランナーたちの声が自然と聞こえてきた。彼らは外科医のようで、久々の再会らしかった。海外で行われた学会に参加した時のことやら、大変だった心臓の手術のことやら、別世界の話しが展開していた、それにマラソン大会にも多々参加しているようだった。元気でタフな人たちだなあ、やはりフルを走ろうって人たちはすごいなあって思いつつ、今日が終わる頃には僕はいったいどうなってるんだろうか、フルマラソンランナーの仲間入りがかなっていればいいなあって思った。
会場はまるでお祭りさわぎだった。ものすごい数のランナーたち、早く受付をすませてくださいっていうアナウンスがずーっと聞こえていた。42.195キロを走るっていうのはそんなにも楽しいことなんだろうか・・・、どうしてこれだけの人たちがわざわざここまでやってきて、フルマラソンっていう難関に挑戦しようとするんだろうか・・・、この場におよんでも、まだ自分にもよく分からないのだった。
スタート地点の近くに、視覚障害者用の準備場所が用意されていた。僕らはそこで走る準備をした。ゼッケンを付け、靴をはき、ストレッチした。視覚障害者の仲間たちとも再会、何だか心強い。トイレには何度か行った。朝おにぎりをふたつほど食べただけなんだが、腹は数回痛くなり、もうそろそろスタート地点に移動するっていう直前まで、僕はトイレの中でとじこもり、自分のおなかと会話していたのだ。まったく大事な時に・・・、便意っていうのはやっかいだ。こんなことが真に迫って気になるのもマラソンならではだろう。ともあれ、何とかおり合いをつけ、どたばたと、Tさんにしっかりガイドしてもらいながらスタート地点にたどりついたのだ。
「田中さん、大丈夫やからね!」ってベテランのブラインド・ランナーさんが声をかけてくれた。一般のランナーたちは予測タイムに応じて、並ぶ位置が決まっている。当然タイムの速いランナーは前の方に並べるし、タイムが遅いランナーはずいぶんと後ろに並ぶのだ。けれど、この大会では視覚障害者ランナーである僕らはスタートラインに最も近い位置に並ぶことができた。すごい!それにしても、あー、やっとここまで来たのだ、福知山、Tさんにも練習から何からずいぶんお世話になっている、膝は痛み出さないだろうか、走り切れるだろうか・・・、不安はつきない。いったいどうなるやら。けれどそれより大きな興奮が高まる。こんな時の僕は根っからのおちょうしものなのだ。どきどきする~!何とかなる~!これから始まる冒険に心震えるばかり~!Tさんと握手、いよいよ始まり、みんなでカウントダウン、そしてスタート!
曇り空、しかし雨は降っていない。思ったよりも暖かい空気、半そでシャツ、手袋も無しの僕だが、この天候は幸運だ。まったく僕はついている!そして、みんなやたらと速いのだ。そりゃそうだ、この位置に並んでいる人っていえば、むちゃくちゃ速いランナーさんたちなんだから。信じられないスピードで走っていく。それに、後ろから僕らを抜いていくランナーさんたちもやたらと速いのだ。そりゃそうだ、2時間台や3時間台で走ろうって人たちばかりなんだからね。僕からすればみんな怪物だ。なにしろ僕の目標タイムは、精一杯速く見積もっても4時間30分なのだ。ともかく自分のペースを守らなければ。いくらおちょうしものとはいっても、このペースにつられて走ってしまったら、つぶれてしまうのは目に見えている。ゆっくりゆっくりと走る。
Tさんの伴走のスキルはこの時点ですごかった。後ろから抜いていくランナーたちのじゃまになたないようにしながら、スタート直後のいくつかの曲がり角をアウトコースからしっかり曲り、人波の中を安全に走ることができた。僕を抜こうとして転倒するランナーがいた。スタートして数分なのに、仮設トイレに向かうランナーもいた。僕らはほんとうにたくさんのランナーにかわされながら、ようやく落ち着いて走れるようになっていったのだ。福知山の空気はとても新鮮だ!緑のにおいで気持ち良し!こんなに遠くまて来たかいもあるってもんだ。この時間をまるごとぜんぶ味わおう!
Tさんとは夏あたりから週に一度くらいのペースで長居公園で練習した。彼はフルはもちろん、100キロマラソンも何度も完走したことのあるランナーだ。
僕の力を考えながら、無理のない範囲で練習してくれた。いろんな話をしながら毎回少しずつ距離を伸ばしていった。お互いの仕事やら、これからの夢やら、音楽の話やら・・・。そういえばTさんが40歳代になって本気で走り始めたのは村上晴樹さんの「走ることについて語る時に僕が語ること」っていう本がきっかけだったと聞いて、僕もその本を読んでみたりした。走ることは僕にとっても昔っから大切なことだから、すごく共感できた。今回の目標は何といっても完走だ。また次も走ろうって思えるような完走なのだ。Tさんはたくさんのブラインド・ランナーの伴走者としてレースに出場している。一人で走るマラソンもよいけれど、二人でゴールして喜びを分かち合えるのがうれしいと話してくれた。そして、完走できたら、ぜひその経験を歌にしてほしいと彼は言った。練習の後はほぼ必ずビール飲みながら夜ご飯、ともかくランナーっていうのは元気な人たちなんだなあって思った。ところで、走ることが生活の一部になると、ただでさえ大好きなビールが、めったやたらとうまいのだ。練習後の風呂屋っていうのも何とも心地よいのだ。体もずいぶん変化した。少しずつ引き締まってくるのだ。特に大臀筋辺り。ともあれ、ちょっと霧がかかったような福知山の道を快調に走った。曇り空に時々太陽がのぞく。雨はやっぱり降っていない。タイツのはき心地も上々だ、これならいけるかも!
1キロ6分10~20秒くらいを刻みながら心地よく走り続けた。これなら目標の4時間30分も夢ではない。いっしょに走るランナーたちの足音が360度周囲から聞こえてくる。良い音だ、みんな修行僧みたいに自分と向き合いながら、遠いゴールを目指しているのだ。時々、僕のゼッケン番号を呼んでくれるランナーさんがいた。僕がブラインド・ランナーと気づいて応援してくれているのだ。「ファイト!」って僕も声を返す。5キロごとにあるエイド地点、水をしっかり補給しながら、10キロを過ぎ、15キロを過ぎ、20キロを過ぎていった。道端では応援してくださる人たちがいたり、バンドの演奏があったり。個人的にエイドの準備をしている人たちもいたなあ。この道をまた帰ってくる頃には僕はどうなっているのかなあ、元気にまた帰ってきたいなあ、おいしいものを食べさせてくれるんだろうか、楽しみだなあなんて、今思えば、ほんとうに呑気に走っていたのだ。
ゆるやかなアップダウンがあったけど、心臓も肺も足も自然にそれを受け入れてくれた。木々の中を走るのも心地よい。25キロを過ぎても調子はかなり良い。わーわーずのメンバーさんや知り合いのランナーさんたちの声に励まされながら、まるで大人の遠足みたいな気分だったな。この時期からすれば気温はかなり高いようで、暑さにばて気味のランナーもいるようだった。半そでシャツで調度良し!そして、折り返しポイントの28キロ地点に到着したのだ。大きなコーンにタッチして、いよいよこれから帰り道、ゴールまで残り約14キロ、そこから長い長い道程が待っていたのだ。
折り返してからすぐにエイドがあって、お汁粉をいただいた。甘さがたまらなくありがたくて、ここからも頑張れるって思った。のも束の間・・・。
30キロを目前にしてすっかりペースダウンしてしまった。突然のこと、両足を激しいだるさが襲ったのだ。あんなに軽々と走れていたのが嘘のようだ。まるで両足が大きな大きな重りみたいだ。前に踏み出す旅にその重だるさと闘わなくちゃいけない。
そういえば、このレースに向けての練習で走った最長距離は28キロ程度なのだ。神戸でのマラニックに参加した時のことだ。神戸から明石大橋の間の道をみんなで走った。9月末っていうのにむちゃくちゃ暑かったな、コンビニに寄って、その度にガリガリくんを買って食べた、これがまたうまかった。
Tさんとの練習での最長距離は35キロになる予定だったが。第2京阪道路にそっての道、福知山のアップダウンのある道を想定しつつ、ここで35キロいければ大丈夫っていう予定であった。10月中旬のことだ。その時は25キロ辺りで右膝が痛み出し、走ることができなくなってしまい、Tさんと二人、10キロ程度歩くことになってしまった。みんなはすっかりゴールして、僕らはずいぶん遅れてしまった。途中で電車があれば乗ることもできたのだが、近くには駅もなく、いっしょに歩いてもらうほかなかったのだ。Tさんには迷惑かけちゃったなあ、申し訳ないなあと感じながら、それでもお互いに家族の話などしながら、僕はその時いちばん気にかかっていた父のことを話してたと思う、ともかく、長い長い道を最後まで歩いたのだ。みんなとの打ち上げには間に合わず、たった二人で王将で打ち上げした。Tさんにはほんとうに感謝した。そんなこんなで、いよいよ未知の距離に入って、体はそれに反発しているのかもしれない。やれやれ、すっかりブルーな気持ちと体を引きずりながら30キロを通過した。
マラソンは30キロからが勝負、本当のマラソンは30キロからだといわれている。それをいやというほど実感しながら走った。両足の重さは腰辺りまで広がり、やがて重さが苦痛に変わっていった。
ふと、Tさんが口癖のように言ってた言葉が僕の頭に浮かんできた。「マラソンは走って完走してこそマラソンだ」。確かにそうなんだけど、それはそうなんだけど、この苦しさは耐えがたく・・・、ついに歩くこととなった。折り返し前とはすっかり世界が変わってしまった。楽しさはどこへやら、苦しさだけがここにあるのだ。「走り続けていれば、それを超えられるよ、楽になるよ」ってTさんはこれまでの経験から出てくる言葉をくれた。でも、苦しみにどっぷりつかっている僕の気持ちはその言葉を受け入れなかった。これはきつすぎる、あと10キロ以上もある。無理かもしれない・・・。でも、ここであきらめるわけにはいかない、絶対にあきらめたくない理由が僕にはあった。
実はこの福知山マラソンは僕にとっては2度目のフルマラソンへの挑戦だったからだ。9年ほど前だったか、宮崎県で行われた青島太平洋マラソンに参加したことがあった。これが僕の初フルマラソン体験だった。レース前日に同僚のブラインド・ランナーと飛行機で宮崎に乗り込んだ。調子よくビールを飲み、ところが夜どうしても寝付けなくて・・・。当日は33キロまで何とか走ったものの、全身の疲労感に耐え切れず、ついにリタイアしたのだ。33キロの制限時間には十分間に合っていたのだが、あまりの疲労感に心まで折られてしまった。ゆっくり海を見ていたい、それが正直な気持ちだったっけ。バスに乗りゴール地点まで運んでもらった。その時はしかたないって思ってた。同僚は5時間20分くらいで完走した。ゴールした人たちを見ていると、どうにもくやしくなってきた。レースのあとで食べた宮崎鳥も、完走していたらもっとおいしかったかもしれなかった。ともかく、どうしても33キロは絶対に超えたい。まずは33キロまで行こう。そんな気持ちで何とか走りだした。
そして、何とか33キロを超えた。やっとここまで来たんだな、まったく青島太平洋マラソンから何年かかったんだろうか・・・、とはいえ、このフルマラソンから解放されるまでにはまだまだ苦しまなくちゃいけないのだ。幸いにも右膝のどうにもならない痛みは出ていない。自分の体とは思えないくらいに足腰が重くて痛いだけだ。ここからは歩いたり、走ったり、また歩いたり・・・。4時間30分での完走は難しくなってきた。いやそれどころか、5時間を超えてしまうかもしれない。
Tさんにはひとつの考えがあった。ゴールまでの道、最後の2キロくらいは上り坂だ。5時間を超えてしまうと、交通規制が解かれてしまい、道の真ん中を走ることができなくなるのだ。車が走る道端を走らなきゃいけなくなる。Tさんは僕の初フルマラソン完走を、しっかり最後の坂道のど真ん中を走ることで終えたいって考えてくれていたのだ。
その気持ちはとてもありがたかった。しかし、体の方はいうことをきかない。何とか心をつないでゆっくりゆっくりと走る。Tさんはたまりかねてペースをあげる。ロープが引っ張られる。けれど、僕はそのペースにはついていけないのだ。確かに5時間以内でゴールしたい、けれど、引っ張られながら走ることは、さらに僕の気持ちをつらくするのだ。自分の意思で走っていると思えなくなる、走らされている感覚になってしまうからだ。そして、走り続ける限り、ブラインドの僕はそのロープを手放すことはできないのだ。たまらずに、「ひっぱらないでください」とTさんに伝える。Tさんはペースを落とし、僕らはまた歩いたり、走ったりを繰り返しながら進んだ。
35キロ、36キロと進んでいく。暖かな日でほんとうによかった。こんなにゆっくり進んでいたら、体はすっかり冷え切ってしまう。寒い日だったらって想像したら、ぞっとしたのだ。エイド地点にはスタッフの人たちがいて応援してくれるのだが、ここで元気出さなきゃって思うのだけど、やっぱりペースは上がらない。外からの働きかけにはどうしても気持ちは反応してくれなかった。
そんな時に僕の心をよぎったのは、いつも僕の周りにいてくれる人たちのことだった。フルマラソンを走るってことで、自分を支えてくれた人がいる。マッサージをしてくれた人もいる。いっしょに練習した人たち、特に右膝を悪くしてから、ランニングフォームについてアドバイスしてくれたランナーさんもいた。たまたま京都の練習会に参加した時のことだった、あれから自分なりにも工夫して、膝への負担を減らせるように股関節で体を支えながら走るフォームを意識できた。肩甲骨を前後にしっかり動かしながら、それによって腹筋を使ってのひねり運動が生まれ、股関節から自然に足が前に出るようになる。本当にそれができているかどうかは分からないけれど、全身を使って走っている実感が持てるようになったのだ。膝の痛みが出てから後の練習のほうが、実際には充実した時間だったかもしれないなあと感じさえする。ライブでもフルを走ることはみんなに話してきた、僕の音楽を応援してくれている人たちの顔がうかんでくる。学校でも、フルを走ることはネタにしてきた、学生さんたちの声が聞こえてくる。やれやれ、リタイアしたなんて到底言えないだろうなあ・・・。ちょっとした意地みたいな感情もこの場合には大きな支えになるらしい。フルマラソン完走、自分一人では成しえない、僕はとても弱い存在なんだな、いっぱいの人たちに支えてもらっているんだなあと実感したのだ。
そういえば、とある方のアドバイスで、痛みそうな場所にはパイオネックスっていう小さな鍼を張り付けていた。膝がとことん痛まないのはそのおかげかもしれない。これまた幸運だ。全身の疲れを取ることができるっていう合谷っていう経穴にも貼り付けている。手の裏側、親指と人差し指の間だ。それをぐーっと押しながら、こんな時はもう神頼みっていう心境で、ゆっくりと先を目指した。
苦しい気持ちばかりに捉われていてはいけない、気持ちを切り替えなければ・・・。そんな時、道端から大きな応援の声が聞こえた。わーわーずのメンバーさんたちだ!その声が背中を押してくれた。そこから数キロは良い感じで走ることができた。あー、涙が出そう、ほんとにきつい。でもゴールは確実に近づいてきた。そして、またもや歩く、そしてまた走る・・・。
40キロをいよいよ超えた。あと2キロ、ここからが最後の坂道だ。ようやくここまでやって来た、しかし、感動なんてまだまだ感じられなかった。途方もなく長い坂道なんだろうと思えた。この時点で、交通規制はまだ解除されていないようだった。最後まで今日は幸運だ。僕はかなりついている!そして、この福知山マラソンのひとつの名物になっている企画があった。地元の小学生さんがゴールまで坂道をいっしょに走ってくれるのだ。僕といっしょに走ってくれたのは5年生だったかな?の女の子だった。さすがにここまで走ってきたあとの坂道はハードで、やはり歩いたり走ったり・・・。もう力は残っていない。「最後は走ってゴールしましょう!」とTさん、そうだなあ、そうでなければフルマラソンを完走したっていえないなあ・・・。
そんな時、ゴール地点から音楽が聞こえてきた。ブルース・スプリング・スティーンのボーン・トゥー・ラン!パワフルでしわがれたボーカルだ!うわあ、いいなあ!帰ってきたんだなあ!ゴールはもうすぐそこなんだなあ!いきなりに気持ちが動きだした!恐るべし、音楽の力!最後の400メートルくらいを僕とTさん、そして小学5年生の女の子でしっかり走ることができた。分けの分からない涙が出てきた。胸が熱くなり、体中にその熱が伝わって、ふわっと宙に浮いているみたいだ。きたきたきた、ぐーっときた!ここまで帰って来れたこと、ゴールできること、ようやく苦しさから解放されること、たくさんの人たちに支えられている実感・・・、いろんな想いが混ぜこぜになっている。3人でしっかり両手を挙げて、ゴール!あー、ありがたや~!
ゴールしたら世界が変わりますよ、自分自身が生まれ変わったような気持ちになりますよ、フル出場の前にそんなことを言ってた人がいたけれど、到底そんな気持ちにはなれなかった。控え室まで歩く時、服を着替える時、電車に乗り込んで帰る時、いやあほんとに体はむちゃくちゃきつかったですね。確かに宮崎で叶わなかった夢が叶ったわけだし、今までできなかったことを成し遂げられたわけで、それはとてもうれしいのだけれど、さてこれをもう一度やりたいかって訊かれたら、分からないっていうのがあの時の正直な気持ちだと思う。それほどに疲れ果てたのだ。ゴール手前でぐっときたあの感覚、それはとても喜ばしいものだったし、そうそう味わうことのできない感動なんだと思う。けれど、その気持ちを味わうために、あれだけの苦しみを受け入れなきゃいけないなんて、フルマラソンをやる人たちはやっぱり普通じゃないなあ、タフなんだなあって感じた。
ともかく、帰りの電車でTさんとビールで乾杯、といきたかったのだが、ビールを駅で手にいれることができず、大阪まで帰って来てから、いつもの店で乾杯したのだ。今日が無事に終えられたことにほっとしつつ、Tさんには、何から何までお世話になりっぱなしで、本当に心から感謝したのだ。気持ちに余裕を持てないままだったけれど、Tさんのおかげでフルマラソンの1日を満喫できたのだ。翌日は仕事、授業2コマにあん摩を2本、さらにその後は高槻に移動してテリー島津くんのライブに参加することになっていたから、打ち上げは軽めにおさえ、これまたいつものお風呂屋で体をいやした。ちなみにゴールタイムは5時間06分42秒だった。
じんわりと喜びを味わえるようになったのは翌日からのことだ。学校に何とか行き、筋肉痛に耐えながら、フルマラソンを完走できたと学生さんたちに報告、みんな喜んでくれた時、とりあえずゴールまで辿り着けたことをうれしく、そして誇らしく思った。と同時に、途中で歩いてしまったことや、ともすれば紙一重であきらめてしまったかもしれない自分の弱さも真に迫って感じられるようになった。けして一人ではできなかった、人は何て弱い存在なんだろうか、そして、僕の中にたくさんの人たちが存在していてくれることこそが、僕の人生のひとつずつを支えてくれているんだなあってはっきり感じられるようにもなった。
それからすっかり走ることから遠ざかった。仕事して、歌って、飲んで食べて、1か月くらいが過ぎた頃、また新たな気持ちが生まれていた。フルマラソンについて想い返す時、あれほど苦しかった感覚がすっかり消えてしまっているのだ。その代わりに、うれしかったことばかりが頭に次々と浮かんでくる。とても不思議なのだけれど、練習のひとつずつや、レース当日の経験のすべてが輝いていて、時間の経過とともにそれはさらに輝きを増していく。確かにあの時、いろんなことを心と体で感じながら、僕は生きていたんだなあって思える。そして、証拠にもなく、またフルマラソンを走ってみたいなあという気持ちがむくむくと立ち上がってきたのだ。
今はまた少しずつ体を動かしている。体調はあまりよくないのだが、だからなおさら、フルマラソンを完走できたことはまるで夢の中での話みたいに思える。とはいえ、あの苦しさを僕は体で知っているわけだから、今度フルに挑戦した時には、その苦しさをもっと良いかたちで乗り越えることができるんじゃないかなあって思うのだ。人間はこりない動物だ。来シーズンは3つくらい、フルマラソンを走ってみるっていうのはどうだろうか・・・。
最後に、あらためてTさんに心より感謝します!いっしょに福知山を走れたこと、かけがえのない経験に感謝です!

そして、こんな詞ができました~!

長い長い道の途中
頭も体も痺れてる
折れそうな足を引きずって
旅の終わりをめざす

苦しくて苦しくて苦しくて
苦しくて苦しくて苦しくて
苦しみたちの向こうには
もっと大きな喜びが待ってる

がんばれって君の声
大丈夫だよって友の顔
懸命に想いをつないで
夢の場所にたどり着いた

うれしくてうれしくてうれしくて
うれしくてうれしくてうれしくて
うれしさたちが結ばれて
新しい夢が今生まれた

苦しさのすべて
もうどこへやら
うれしさを抱いて
旅を始めよう

うれしくてうれしくてうれしくて
うれしくてうれしくてうれしくて
うれしさたちが結ばれて
新しい夢が今生まれた

「2016大阪ハーフマラソン」 野尻さんの完走記です

大阪ハーフマラソンを走ってきました

和歌山の野尻(ブラインド)です
1月31日、福士加代子選手(ワコール)が2時間22分17秒の高記録で優勝した第35回大阪国際女子マラソン。同時に開催された「2016大阪ハーフマラソン」に、どめっちさんに伴走していただき、出場しました。
1年前から、「今シーズンはハーフの90分切りを」と、ひそかに大きな目標にして練習してきました。
競走レースでもなければ自分が設定した目標にも関わらず、1月に入って今日が近づくにつれて、これまでにないような不安を感じ始めました。
和歌山国体が終わった11月から、長居公園で、90分切りに必要なキロ4分15秒のペース走に挑戦。何としても達成してやろうと強く心に刻みながら、色々とイメージトレーニングもしながら本日を迎えました。
今日の夕方はどんな状態で帰宅するのだろうと思いながら、今朝自宅を出ました。
今日は絶好のラン日和です。陸連登録組のおかげでAブロックからスターとできるのですが、それでもなお少しでも前に並ぼうと、1時間あまり前から整列します。いつもは寒くて仕方ないのですが、本日は寒さを感じないどころか、日差しが強くて「これは走ると暑いなあ」と思うくらいの天候です。
12時10分に、6000人のランナーが大阪城をスタートです。
3キロ、4キロ辺りは4分7秒前後で刻み、スタートのロスを一気に解消です。でも、自分にとっては、まるで駅伝ペースのような、こんなペースで続くはずがありません。とにかく前半からきつくてきつくて…。
西に向かって走り北浜で折り返して、6キロの手前で南に向かいます。ここはやや下りが続きます。鶴橋、桃谷の駅前を通過、沢山の沢山の沿道からの声援です。
9キロ過ぎで、同時刻に長居ヤンマースタジアムをスタートした女子マラソンのランナーたちとすれ違います。福士選手がトップのようです。
10キロ手前で東に進路を取り、JR環状線の高架をくぐります。「やっと半分だ」と思うのですが、ほとんど気持ちに余裕もなく、ゴールは果たしてやってくるのだろうかといった印象です。
11キロ過ぎで右折して勝山通りを南に向かいます。懸命にキロ4.15を刻みながらも、少し向かい風が出てきたのでしょうか。
14キロで右折、松虫通りを西に走ります。ここは少し上っている感じで、もう体も限界で、かなり走れている感じなのにキロ4分20秒辺りまで落ちています。「まだ6キロもあるのか…」、絶望的な気持ちになります。
90分は切れなくてもここまでくればなんとか自己ベストは出せるだろう…などと、少し言い訳も考えながら、弱気になるのですが、「後は気合だけですよ」と、どめっちさんの激励。
16キロ手前で左折して我孫子筋を南に、ひたすらの直線です。
息絶え絶えに後ろをついてくるランナーがいます。ここまでくると、みんな気力で走っているのだなあと。
もう距離も何も考えるまい、無の境地と言えばとても言いすぎかもしれませんが、にぎやかなはずの喧噪が「静かだなあ」と感じます。そうすると不思議なもので、JRの高架をくぐり、もう長居センター前の交差点を通過です。
ペースもキロ4分一桁まで戻し、我慢の限界は超えているのですが、とにかく残りは、ただ気力だけ。
我孫子筋を離れ、やがて長居公園内の走路に入ります。いつも練習で走っているところなので、距離感も手を取るようにわかるのですが、とにかく苦しい。そして残り1キロを通過。いつもは向かい風が強烈ですが、今日はそれがありません。ありがたいかぎりです。
ついにマラソンゲートが近づいてきました。ここにきて、ものすごい声援が聞こえます。右折してスタジアムに入ります。
「あと300メートルですよ」と、どめっちさんの掛け声。
300メートルというわずかの残りを頭に考えたとき、急に足が動かなくなりました。必死にもがくように前へ前へ。いやいや、トラック4分の3周が本当に長かったですねえ。
前を行くセッキーさんにあと10数メートル届かず。
ゴール後はしばらくもう動けません。
1時間29分27秒。
「ものすごく大きな壁を越えた」と、だんだんと実感が沸いてきました。
こんな苦しいレースは経験がないですが、後半あきらめなかったこと、気力が最後まで継続できたことが本当に嬉しいかぎりです。またひとつ、大きな自信になりました!
どめっちさんには本当に感謝感謝です!!
沢山の応援を、本当にありがとうございました!
そして本日走られた皆さん、大変お疲れ様でした。
また今後とも伴走を、よろしくお願いいたします。

大阪ハーフマラソンの大会サイトはこちらです。