大阪マラソン2014 じゅんちゃんの参加記です

和歌山のじゅんちゃんです。

大阪マラソン大会の感想を書かせて頂きます。

10月26日、日曜日いいお天気に恵まれて良かった!

伴走者のUさんと組んでKブロックに入り、お話をして気持ちを落ち着かせました。ド
キドキはしなかった。不思議!
9時になってスタートまで10分ほどかかってやっと、スタート時点をしました。
いよいよ、本番だぁー!!
落ち着いて走りました。
応援からがんばれー!と声をもらいながら進んで気持ちよく走りました。
だんだんと太陽がきつく浴びて暑くて・・・
19K時点、Aさんに教えてくれた和菓子屋さんを見つけてそこへ寄りました。
その時に急にめまいがしてふらつきになってしまいました。
大福もちとお茶を頂いて嬉しかった。トイレをお借りしました。 
中間時点頃、だんだんと調子が悪くなってきて限界がきて、
もう、無理やろー!やめようかと考えました。
救護へ何回も氷を貰って走りました。
もう、苦しくてUさんが、閉鎖時刻を気にしながら、あと8分閉まるよーとかいろい
ろと励まされた。
ぐっときたあたしは考えました。
その時に亡き父から「負けるな!あと少しだぞ!頑張れ!頑張れ!」と伝わってきま
した。
空を見上げると うん、頑張るよ!
少し元気になって覚悟をして走り続けました。
平林駅付近にいた応援団とわーわーずの方々、Tさんから「がんばれーがんばれー!
」と強く励まされました。
あと3Kでゴールに迎えます。
あまりにもしんどくて、歩いたり走ったりと繰り返してゴールが見えてきました。
ラスト!頑張って走りました。
ついにゴールにたどりつきました。
ばんざい!ばんざい!
Uさんがよく頑張ったよ!嬉しいね!と言って頂いて思わず涙がこぼれました。
本当にうれしかった!完走が出来たのが信じられなかったでした。
良かった!メダルをもらいました。
最高でした。
Uさん、本当に有難うございました。感謝しています。
一生、忘れません。

何ヶ所、ドリンクエイドがもう無くなっていた。
早くも無くなったって、ショックでした。
飲み物がほしかった。
あたしはエイドがたくさんあるから大丈夫だろうと思い、お金を持っていなかった。
考えが甘かった。
自分で少しでもお金を持ってたら自動販売機で飲み物を買えたなぁ。
Uさんにお金をお借りしてお水を買って飲みました。
少しは回復しました。
最後の給食があって、バナナを貰って食べました。
やっぱり、ウエストポーチに小さいドリングパックと塩分タブレットと少しお金を入
れて走ると良いかと思います。
ドリンクエイドがなくなって喉がカラカラになり、水分がなくなって脱水状態になる
可能性があるかと思います。
反省はお金を携帯していなかった事です。
今度から、お金を持って走ります。

応援をかけつけてくれた方々、励ましをありがとうございました。

長文ですみません。誤文がございましたら、お許し下さい。

お礼まで
               じゅんちゃんより

第6回水都大阪ウルトラマラニック(70km)中さんの参加記です

++第6回水都大阪ウルトラマラニック(70km)参加記
                         〔ガイド〕 中 寛佳(ナカ ヒロカ)
 ウルトラマラソンを走る人を“宇宙人”と人は呼ぶ。
今回の挑戦で自分も改めてそう思った。

長居わーわーずには、そんな宇宙人がたくさんいる。
皆さん、経験豊富な熟練者ばかりだ。

つまり、マラソン経験が1年にも満たない自分があのスタートラインに立ったこと自体、
先ず以って、“無謀”以外何ものでもないのだ。
わーわーずの諸先輩方に異口同音に言われた。
「普通、頼まれても、断わるでしょ・・・???」って・・・。(笑)
「そうですよねえ~」と自分も返事をにごすしかない。
でも、好奇心旺盛な自分は、「何が楽しいのか・・・」「ウルトラには何があるのか・・・」
「しんどいのはみんな一緒のはずなのに、何故、また走りたいと思うのか・・・」
自分で体験してみて、自分で確かめてみたいと思ったのも、事実である。

スタートラインでは、主催者が、「大阪水都マラソン、6回目にしてやっと晴天に恵まれました~!!」と説明している。
「晴れ女がここにいますよ~」と楽しそうに叫んでいる自分が横にいて、北井さんの内心は、「えらいヤツに伴走頼んでもうた・・・」と後悔しつつ、すぐに「時、既に遅し!」と諦めに変わったはずである。

いざ、スタートして、前半はいつもの調子で走れている。
「いつもの10kmを7回走ったら、しまいや!」とたかをくくっている生意気な自分もいたが、後半になると、真のウルトラマラソンの過酷さを実感した。
やっぱり、ウルトラは、人間が簡単に“足”を出してはいけない領域であった。
でも、不思議と “棄権”という文字は、頭に浮かんでこなかった。
必ず、ゴールはしてやる!という負けん気だけは残っていたようである。

そうなると、今度は、自分と一本の伴走ひもを持っている北井さんとの“気持ちの根くらべ”である。
「単独走はまさに己との戦いだけど、長い距離を二人で走るのは、それぞれのしんどくなるポイントが違うから、一人で走るより気持ちのコントロールが難しい。孤独ではないけれど、しんどくなる時間のずれが、二人走の難しいところ・・・」と先輩の言葉を思い出した。 まさに、このことなんだと実感する場面が続いた。
後半の歩きが響いて、目標タイム10時間どころか、制限時間11時間もあやしくなってくると、さすがに焦りが生じてきた。ロープを通じてこの“焦り”が北井さんに伝わらないだろうか・・・とまた不安になる。
でも、走りたくても走れない足の状態に、はがゆさや悔しさを一番感じているのは、北井さんご自身であることには間違いないのだ。
だから、追い討ちをかけるようで、自分から時間を伝えることができなかった。
やっと聞いてきてくれたのは、大阪城エリアに戻ってきた時だった。
「(制限時間まで)あと7分位です。」と伝えると、「もう無理じゃん・・・走らない。」と、試合放棄状態!?
「え~っ!? 68km頑張ってきて、ここで投げ出すなんてことある?」と、自分の耳を疑った。
「どう、走る気力を取り戻してもらえるか・・・。」
「自分には、心の伴走はできないのか・・・。」
と、この時ほど、悔しさを感じたことはなかった。
そんな時、わーわーずの仲間達が声をかけてくれたことで、気力を失っていた北井さんが、自分自身を取り戻してくれた。
そして、制限時間を9分越えてのゴールとなった。

自分にとっては、にがい経験となった。自ら歩いてしまったあの36km地点は悔やまれる。でも、失敗を重ねて、その経験が次につながるはずだと信じたい。

そして、もしリベンジのチャンスを北井さんが与えてくれるならば、今度は、“完走”を目標に挑戦したい。
そして、今度こそ、“宇宙人の赤ちゃん”くらいにはなりたいものだ。

あえて、収穫は?と聞かれたならば、フルマラソン42・195kmの距離観が変わったことだ。 いままでゴールだった42・195kmが、“通過地点にすぎない”という環境の変化から生じる受けとめ方には大きな違いがある。

最後に、こんなど素人の自分を伴走者として使ってくれて、ありがとう。
きっと、自分は二人でなかったら、走れなかったと思う。
                                     以上

第6回水都大阪ウルトラマラニック(70km) 北井さんの参加記です

第6回水都大阪ウルトラマラニック(70km)参加記
〔ブラインド〕 北井 清次(キタイ キヨツグ)

「ホンマにしんどかった・・・」
いつ聞かれても、誰に聞かれても、この一言に尽きる!!
それ以外の感想がでてこないというのが正直なところだ。

わーわーずの某氏に言われた 「ウルトラは楽しいでえ~」 の言葉についつい、勢いで、エントリーしてしまったが、「えらいことしてもうた・・・」と内心焦りつつ、当日を迎え、走る前から「いやだなあ・・・」「しんどいな・・・」と思っているのに、隣でロープを持っている伴走者は、なんでか、ウキウキしているような様子の変わり者!?

走り出して、しばらくは調子良かったものの、後半は、走ろうとすると、足が”つる”状態。
何度このままやめてしまおうかと思ったことか・・・。

大阪城に戻ってきて、初めて伴走者に時間をきいた。
制限時間まであと7分・・・。 
「制限時間内、無理じゃん。もう走らない!」と、気持ちが切れた・・・。

が、わーわーずの仲間の声が聞こえて、心に熱いものを感じた。
最後の力をふりしぼって、やっとゴール・・・。
ゴール後、ガイドのAちゃんに、「北井さん・・・泣いてたやろ・・・?」と。
その言葉で、また、心にこみ上げるものが沸いてきた・・・。 
あの感情だけはしっかりと記憶に残っている。
しかし、あの時の想いは何だったのか・・・今でも不思議な感じがする。

差し入れしてくれた「お疲れさん」のビールを喉に通していると、みんなが声をかけてくれる。
が、口から出てくる言葉は、「もーいや!」 「もうマラソンは、しない・・・」 
心底、そう思った。

しかし、3ヶ月経った今、またわーわーずの練習会に参加している自分がいる。
「他にやることないから・・・」と言ってしまえば、それまでだが、
何故か、わーわーずに来ると、元気をもらって帰ってくる・・・。 
不思議な仲間達だ・・・。

「来年は100キロやな・・・」と、また自分をそそのかそうとする仲間がいる。(笑)
「絶対に走らない。」と返答しているが、
「いける、いける!」と皆に言われると、その気になってしまう自分が恐い・・・。
さて、半年後、申し込みをしている自分がいるだろうか・・・。
                                                            以上

第24回かすみがうらマラソン なかちゃんの完走記です

2014年4月20日、Fさんの伴走で、かすみがうらマラソンを走ってきました。 気温は7度の曇り。絶好のラン日和でした。 今回の目標は、6週間前に初フルで4時間35分だったので、その5分を切って4時間半でした。 でも名古屋も結構必死に走っていた私には、この5分という数字はかなり高い壁でした。名古屋より微妙にタイムをあげて狙いました。 盲人はAブロック横からのスタートなので前半ペースに巻き込まれないようにFさんにお願いしていました。でもやはり5キロ30分で通過。このペースだと最後までもたない。 ハーフの頃には左足に痛みもあり、ちょっと心が折れました。Fさんにもう少し落としても大丈夫と励ましてもらいながら、エイドもジョグしながら食べたり、紙コップをすぼめて飲むのも慣れたので、ほとんどロスタイムなく30キロあたりまで耐えました。 二回程エネルギーゼリーで補給したので、30キロ過ぎてからは精神的にカウントダウンで楽になり、そんなに極端なラップ差はなく、4時間24分36秒と初フルマラソンの名古屋より10分半ベスト更新して完走しました。

ゴール後、盲人女子B1で3位になったので表彰式に来てくださいと言われ驚きました 。 疲れと緊張と突然の出来事に恥ずかしさもありましたが、生まれて初めての表彰とメダルは感無量でした。 かすみがうらは伴走者さんも一緒に表彰してもらえるので、私としては伴走者としての初メダルをお渡し出来たので、それが嬉しくて表彰式に一緒に立てた瞬間のことは一生忘れることができない思い出になりました。 Fさんには途中、私設エイドにあった少ない数のおにぎりやグレープフルーツを私の分だけもらってくださいました。終盤、大通りでは追い越しをかけていた時に疲れていた私の足には中央分離帯がキツくて位置交代などのワガママを言いましたが、安全を考えて分離帯を避けながらランナーの合間を抜けて、安全に私を最後までゴールまで導いてくださいました。

今回のかすみがうらでは銅メダルしか渡せなかったですが、練習を積んでFさんに伴走者としての金メダルを渡すのが私の夢です。

名古屋ウィメンズマラソン2014 なかちゃんの完走記です

河内長野での初ハーフ完走から約1年後の3月9日、初フルマラソンで名古屋ウイメンズマラソンを完走しました。
名古屋ウィメンズマラソン2014の今年の出走者数、14,675人。「世界最大の女子マラソン」としてのギネス世界記録を今年も更新した女性の憧れの大会です。私も一度は走ってみたかった大会でした。
本来であれば昨年11月の福知山マラソンが初フルマラソンの予定でした。しかし台風18号の影響で中止になりました。
初ハーフを完走したあと、初フルマラソンまで4回のハーフを完走しました。
昨年の夏は猛暑でもあり、外ランでの練習が思うように進まず、ジムでのトレーニングが中心でした。体調を崩した時期もあり、本格的にフルマラソンの練習に取り組めたのが大会三ヶ月前からでした。
平日はジムでトレーニング、日曜日の練習会を精力的に参加し、30キロ走もガイドランナー(伴走者)さんのご協力を得て三回、年末から一月にかけて走りました。今年に入ってからハーフの大会をフルの速度を前提に走りました。
一月、毎週ロング走をしていたせいか、初フルの三週間前、右足を痛めました。
大変焦りました。整形外科でMRIを撮ってもらい疲労骨折ではないことがわかり、かかりつけのスポーツ整骨院でアイシング、電気、マッサージなどをしてもらい、なんとか大会に出走できるまでに回復しました。故障中もジムではバイクやボディトレックなど痛めてる部分に負担をかけないトレーニングを地道に続けました。

3月8日
今回の伴走者、賀茂川パートナーズのIさんと一緒に前日受付のために名古屋に現地入りしました。
私が初フルマラソンであると同時に、Iさんにとっても初フル伴走でした。昨年、岐阜清流ハーフマラソンで伴走してもらい二度目の大会伴走です。
Iさんの初フル伴走に華をそえてあげたい気持ちもあり、私も万全の体調で現地入りしました。

3月9日
この日の気温はスタート時は一桁後半ではなかったでしょうか。手袋をしようかどうか悩んだ末、昼ごろには暑くなりそうだったので手袋をせずに走ることにしました。これが後々、必要になるとはこの時点では想像出来ませんでした。
9時10分にフルはスタートしました。
1万5千人近くの女子ランナーが一斉にスタート。私は陸連登録をしていたのでAブロックからのスタートでほとんどロスタイムなくスタートできました。

沿道にはたくさんの応援、途切れることのない地元の方や吹奏楽、子どもたちの一生懸命練習してくれた声援が大きな励みになりました。大都市マラソンの素晴らしい部分です。

Iさんには、キロ6分半のペースでお願いしていました。前半はペースを維持して後半余力がありそうなら、6分ぐらいまであげることも話し合っていました。

Iさんは終始、私の気を紛らわすために、周囲の仮装ランナーの様子や周囲の応援ボードを読み上げてくださりながら、私を励ましてくれました。
ハーフまでは給水含めてずっと同じ6分半ペースで、口の中に持参した飴をふくみながらガマン。ハーフを過ぎてから空いている部分では少しペースアップしました。でもハーフ以降に給食があったので歩きながら食べていると結局プラスマイナスゼロでイーブンペースを保てました。
30キロ地点まではペース的には6分前半で快調に走りました。
30キロ地点を過ぎた時点で、欲深い私はこのまま行けば4時間半を切れるかもしれない。モチベーションがあがりました。快調に足の痛みも想定範囲で走り続けました。

ところが、33キロ地点で、どういう状況だったかは不明ですが道の継ぎ目につまずいたのか右側に転倒しました。右手の手のひらが出血。右肘、右太もも、右の腰を打撲。
出血はメディカルランナーさんがすぐにテープを貼ってくれました。転んだときにわーわーず仲間のルビーさんがちょうど近くにいてて「大きいテープ持ってるよ!」と言って下さいました。すぐ出血は止まるだろうと。この時に手袋をしていたら怪我ももう少し緩和されていたのかもしれません。出血はなかなか止まらず痛みもジンジンと。腰の痛みも響いていたので、速度を少し落としても最後まで走りたい!痛みなんて必死のときは気にならないものです。
先輩ガイドランナーさんに後半、転倒しやすい部分があるので気をつけたほうが良いとアドバイスを頂いていたのに油断していました。

中盤よりは若干速度は落ちましたが、残り5キロは止まると痛みが増しそうだったので給水をスルーして走り続けました。痛み止めも持っていましたが薬が効
くまでにゴールしそうだったので飲みませんでした。
極端に落ちることなく40キロも通過。残りの2.195キロも応援の声援に手が痛くて広げることができなかったので応えることができませんでしたが声はしっかり届いていました。
4時間35分09秒でゴールしました。
途中で欲深い考えをした4時間半は転けたことでのロスタイムもあり叶いませんでしたが、当初は5時間完走が目標だったので達成できました。

こんな好成績を出せたのも、ハーフや30キロ走、前週まで練習でもたくさんの方にロープを持ってもらったおかげです。
本当に皆さんにチカラをつけてもらいました。

わーわーずに入って2年半、故障などで走れなかった時期もあり実質2年ほどでの初フル。初ハーフが河内長野のアップダウンのキツいコースだったので、それを思うと今回はコース的にかなりラクだったので、このタイムが出せたのだと思います。
ゴールしたとき感動で泣いてしまいました。

この結果に満足せず、楽しく走力を伸ばし、今後も細く長く続けていければと思います。

2014年3月9日 ナゴヤドーム発着名古屋ウィメンズマラソンコース(愛知県名古屋市)

第31回視覚障害者京都マラソン大会 浪速の武蔵さんの参加記です

こんにちは。
浪速の武蔵(盲ろう者)です。
第31回視覚障害者京都マラソン大会の感想文を投稿したいと思います。

3月2日(日)京都市西京極総合運動公園にて「第31回視覚障害者京都マラソン大会」3Km男子 弱視の部に出場しました。
伴走者は小学2年のヨシキ君でした。見事に伴走デビューを飾れました。

トラックで手をつなぎ、握りこぶしを掲げる二人(写真の説明:トラックで手をつなぎ、握りこぶしを掲げる二人)

「おめでとう!」「よく頑張りました!」だけ言葉が足りないほど、感慨無量でした。
当日までの経緯を話しておきます。
昨年12月の第4日曜日、定例練習会の時、「伴走」のビブスを着ているヨシキ君を見て、気に入りました。小さい体に大きな「伴走」の文字が・・・かわいい!
ヨシキ君に伴走をお願いしました。
伴走の経験は、まず視覚障害者京都マラソン大会から出発しようかと思っています。
しかし、大会実行委員会が戸惑いながら委員たちを集めて検討していたそうです。
やっと実行委員会から承認されました。
針小路さん、谷尾@総監督、いつも元気なしょうちゃん、ご協力してくださって本当にどうもありがとうございました。
ヨシキ君を起用した理由は、
テーマ「『子供虐待』『学校いじめ』『先生による体罰』をなくそう!盲ろう者90kg級柔道家を誘導する最年少の伴走坊や!人間愛(絆)の大切さをアピール!災害時の避難誘導に役立つためのモデル!」
です。
当日までヨシキ君との伴走練習がわずか1回だけでしたが、私は不安もなく「ヨシキ君が必ずできる!」と信じています。
前日、雨が降っていたが、当日は良いお天気でした。
ヨシキ君は伴走の合図を覚えました。
スタートの号砲がだんだん近づいていると、ワクワク!ドキドキ!
号砲!
後ろに、サブとしていつも元気なしょうちゃんが走っていました。
何人かを抜けてスムースに走れました。

コースを走る二人の後姿(写真の説明:コースを走る二人の後姿)

ヨシキ君との伴走は息ピッタリ!
ぶつかりもなく転倒もなく、無事にゴール!

ゴールに向かってトラックを走る二人
(写真の説明:ゴールに向かってトラックを走る二人)

二人の両手を高くあげて、万歳!
ゴール直後、私はヨシキ君を高くあげて抱き締めました。

IMG_0950(写真の説明:ヨシキ君を抱き上げる浪速の武蔵さん)

制限時間内で完走ができて、タイムは18分。
ヨシキ君は伴走が上手です。合格!
ヨシキ君はウルトラマンと仮面ライダーを超えるヒーローだ!
これからも距離を少しずつ伸ばしながら色々な大会で伴走を経験して成長させていきたいと思います。
将来の夢は、ヨシキ君との伴走でフルマラソンを完走することです。

父子関係(いつも元気なしょうちゃんとヨシキ君)を見て、パパが子供たちへのしつけをしっかりしていると感激しました。幸せいっぱい家庭だと思います。
私も将来、家庭を持ちたいと考えており、いつも元気なしょうちゃんパパとしてのしつけを学ばせていただきました。

ヨシキ君伴走の動画を見ましょう。
YouTube
動画No.1

動画No.2

どうもありがとうございました。

2014年3月2日京都市西京極総合運動公園陸上競技場(京都府京都市)

第27回 京都チャリティ・ファンラン まえっちさんの完走記です

どうも、まえっちです。
梅雨入りして、蒸し暑さが増してきた今日この頃ですが、昨日私は自身初のレースを走ってきました。大会は京都チャリティーマラソンというもので、京都市内北部にある宝が池公園の周回コースで行われました。私がエントリーしたのはハーフの部で1周2.5kmの周回コースを8周してから、約1kmのおまけコースを走ってゴールです。
 スポーツする上で大切なのはコンディション管理ですよね。ということで、前日は10時前に寝床に入り、しっかり熟睡。……といきたいところでしたが、ブンブンと蚊が飛び回り、何箇所かさされて目が冴えてしまうという事態に。戦いは、前夜から熾烈を極めました。
 当日、無事7時にガイドのOさんと新今宮駅で合流し、京都へレッツゴー。スタート時刻は10時半。緊張に弱い私。スタート時刻が近づくに釣れ、トイレに行くペースが上がります(笑)。
 ワーワーズの皆さんから聞いた話では、けっこうはしりにくいコースとのこと。初めの1週はコースの雰囲気をつかむためにかなりゆっくり走りましたが、確かに砂の地面のところがあったり、大きな石が転がっているところがあったり、上り下りの坂があったり、小さな段差があったりと、なかなかの難コース。そして、人の密集具合もなかなかでした。
 「5メートル先を3時にターン」
「大きな石が多いから注意して」。などなどガイドのOさんが的確に指示を出してくれたおかげで、難しいコースでしたが気持ちよく走れました。
 2.5kmの周回をおよそ17分のタイムで走ることができ、前半はそれなりにいい感じにいってました。
 ですが後半。ペースを上げて行きたいところですが、蒸し暑さや連続する坂のせいか、思うように走れません。15km過ぎたあたりではかなり心拍数が上がり、本当に苦しかった。
「まえっち、気持ちで走っていきましょう」とガイドのOさんが何度かかけてくださった言葉が、心に響きました。
 最後は、かなり失速してしまい、タイムは2時間20分53秒かかってしまいました。ですが、ワーワーズに入って約5ヶ月が過ぎ、初めは3kmのジョギングで必死だった自分が、ハーフを完走できたことがすなおに嬉しいです。そして、レース初めから最後まで変わらず丁寧にガイドしてくださったOさん、本当にありがとうございました。そして、練習のときにお世話になっている皆さん、激励の言葉をかけてくださった皆さん、本当に感謝しています。

大会サイトはこちらです

第20回共生・共走リレーマラソン まえっちさんの参加記です

どうも、まえっちです。
5月26日は、共生・共走リレーマラソンの日でした。
私事ですが初めての大会イベント、初めてのリレーマラソン参加だったので何となくドキドキ。午前4時半気象でしたが、パッチリと目覚めることができました。
 8時過ぎに会場の鶴見緑地公園に到着すると、すでに大勢の人。天気はさわやかな晴れ。テンションはさらに上昇。
「障害の有無に関わらず、夢と希望と共に走ろう!」というのがこの大会のキャッチコピー。我が視覚障害マラソンのワーワーズだけでなく、障害の有無や種類に関わらず多くの団体の方が参加されていました。
 この大会は6時間のリレーマラソンということで、朝9時から午後3時まで鶴見緑地公園の周回コースをグルリグルリ、ひたすらタスキをつなぎます。
私のチームナンバーは79。5人のチームメイトでタスキをつなぎました。
 第2走者としてタスキを受け取った私。1周約1.2kmのコースをまずは2周。ワーワーズに加入するまでは、1kmを超える距離は長距離やと思っていましたが、今はとても短い距離に感じられるようになりました。特にこのイベントでは、周回コース沿いでギターやらウクレレやらのバンド演奏があったり、マジックショーがあったり。また走っている人の仲には、大きな竹馬に乗っている人がいたり、この暑さの中犬のキグルミで仮装をしている人がいたり、どこかの男前が絶世のセクシー美女に扮していたり。ほんまにおもろいなぁ。
 ただ暑さはかなりこたえました。日陰のところに待機場所を陣取って下さったHさん、そしてエイドでドリンク等のお世話をしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
チーム79はおそらく50週ほど、距離にすると約60kmほど走ることができたと思います。とても当たり前のコメントですが、みんなで走るのって楽しいですね。共生・共走リレーマラソンばんざい!
 走り終わった後はお待ち兼ねの青空宴会。タコヤキ、お好み焼き、焼きそば、ポテトサラダ、ゴボーサラダ、お寿司、焼き鳥……。他にも何か食べたけど、何を食べたか分からないほどいっぱいいただきました。そして何といっても、ビールが最高!
 本当に楽しい1日になりました。チーム79の皆さんをはじめ、ランのときのガイドやエイドのお世話、宴会の準備など多くの方にお世話になり、ありがとうございました。

大会サイトはこちらです

第5回大阪ウルトラマラニック 松の木さんの完走記です

第5回大阪ウルトラマラニック
2013年4月21日(日) 大阪府大阪市他
松の木さんの完走記です

 松の木です。

4月21日、水都ウルトラマラニックの70kmを走ってきました。

マラソンを始めてもう20年以上にもなりますが、なかなかウルトラまで手が出ず、
今シーズンは7年ぶりのフルマラソンを走ったこともあり、その勢いで今回水都の70kmにエントリーする事にした。

でも、エントリーして以来、「大丈夫かな?」と不安が膨れる一方。それに2ヶ月ほど前からは7年ぶりに走り込んだせいか、右足首が痛み出し、これまた不安を増幅することになった。
なんせ練習するたびに痛みが増し、まともにまっすぐあるけない状態でした。

それでもスタートするしかないので、当日は気にせずスタートを切る。

ただし、足首には鍼を貼り付け、痛み止めのシールを貼り、そして湿布まで貼った。
そしてロキソニン(痛み止め薬)も飲んだ。

今回の伴走はこっしーさん、
この大会に向けて、2ヶ月ほどは週に1度長居公園でよるランをしてもらってた。

後で聞いたけど、私も初ウルトラなら、こっしーさんも初のウルトラ伴走だそうだ。

大阪城公園を朝6時半に出発し、中之島公園から大阪市役所に行く。
そして大川から淀川へ。

走り始めて何となく足首が痛くなってくる。
でも本当に痛くなるまではだまったままでいようと思いそのまま走る。

各地点のすれ違いなどでわーわーずの人たちや多くの知り合いに声をかけられ、また声をかける。

それまで伴走のこっしーさんと二人で走ってたけど、20kmほど走ったけまの閘門の橋の上で、一人で走ってる女子ランナーと声を掛け合ったら、何となくそのまま一緒に走る事になる。

どうもその女性も初めてのウルトラで私と同じ70kmのエントリー。
ペースも同じぐらいなので、それからはずっと励まし励まされながら走ることになる。
推定50歳半ば、3人のお孫さんがいてるとか。

そうこうしていると、ふと気が付いたら足の痛みが感じられず違和感さえもなくなってた。
つまりスタートしてからずっと右足首に意識があったのに、気がつけば完全に忘れてた。

それをこっしーさんに話すと、「女性の力は偉大やなあ」やて。笑い

でも体力はどこまでもつか解らないので、とりあえず折り返しであり唯一の関門である枚方大橋(41km)までがんばる事にする。

約5kmごとにあるエイドでは笑顔で迎えられるエイドスタッフ。本当にありがたいことだ。
ガス欠を防ぐため、エイドではできるだけ食べてできるだけ飲むようにした。
フルマラソンでは決してエイドでは立ち止まらないけど、ウルトラは先が長いので、ゆっくりのんびり休憩を取るようにする。

30kmほど行くとほとんど足が上がってないのが自覚できる。
ちょっとした段差などに何度かつまづいたりする。
しかし、足は前にどんどん進み、ペースを壊すことなく走る事ができる。

枚方大橋で無事折り返し、後は帰るだけだと思うと元気も出てくる。

同行してる女性ランナーも愚痴一つ言わずに付いてくる。
途中私がしんどい事もあったけど、この女性ランナーが一緒にいる事で歩いたり休んだりするわけにはいかないのでずっと同じペースで走る。
たぶん女性ランナーも同じ心境だったのではないだろうか?

今回のマラニック、フルマラソンやもっと短いレースとは違い、最初から必死になって走らないので、そういう意味で精神的に余裕があったせいもあり、最初からずっとランナーやスタッフに声をかける。
そして声をかけられると、「ありがとう」と「サンキュー」とこっしーさんと交互に答える。

たぶんランナー全体の中でももっとも声をかけた一人ではなかったかと思う。

「ありがとう」「サンキゅー」と声を出しているとだんだん気分もよくなり、どんどん楽しくなって来る。

ウルトラマラニックがこんなに楽しいものだとは思わなかった市初めてそう感じた。

55.5kmのエイドでは嫁も応援にきてたし、その直後は女性ランナーの娘さんや5ヶ月になる孫さんも応援に来てた。

残り10kmを切手もペースは全然おちず、なんだか終わってしまうのがもったいない感じもしてきた。

淀川を後にして大川に入ると、残り2.4kmと言われ、「もう長居公園1周もない」と思うと本当に寂しささえも感じた。

そしてゴール時点である桜宮公園へ。

入り口ではまたまた嫁さんが待っててくれた。

そして公園内のゴールへ。
伴走のこっしーさんと女性ランナーと3人万歳をしながらのゴールイン。

もっと感動的かとも思っていたけど、感動はそれほどでもなく、それより感謝とありがとうのゴールでした。

タイムは9時間23分35秒。

エイド付近をのぞき、ほとんど走りきってのゴールはやっぱりうれしかったです。
よくもまあこれだけ体力が続いたと自分でも不思議なぐらい。

これだけの大会を作ってくれたスタッフの皆さん、
ともに走ったランナーの皆さん、
そして伴走をしてくれたこっしーさんと、途中から一緒に走ってくれた女性ランナーさん。
ほんと全ての関係者に感謝感謝です。
本当にいい気分にさせていただきました。
ありがとうございました。

ゴール後は、過去4年間マッサージボランティアをしていた事もあり、今回は5年分まとめてマッサージを受けました。
うっしーさん、これまた本当に感謝です。

走って疲れた事もあり、その後は早々に帰る事にしましたが、70kmを走った後とは思えないぐらい足取りも軽く歩くことができました。
でも、翌日になったらさすがにロボット歩きになりました。(苦笑)

最後にもう一度、全ての関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

2013年3月20日伊丹マラニック

[投稿者] ウエリン
これは去る二十日に行われた伊丹マラニックの報告と言うよりは覚書みたいなのをしてみます。
だいたい週末は10キロをめどに練習してるんですが、この日は約20キロを走ったとのこと。
jr伊丹駅で1時前に集まったのは約40名。コインロッカー周辺はけっこう賑やかでしたけど、無関係な人達からは、やかましいと思われていたかも知れませんね。
雨が降り出す中、ランの準備を整えて(急いでおにぎりを食べる人も)マラニック始まりー。
園田競馬場を超えて川の傍と言うか、河川の様な所を走りながら、5キロ強はあったでしょうね。わいわい言いながらの楽しいランでしたが、休憩したい気持ちがずいぶん沸いていました。
子一時間でやっと飛行場の近くに。降りてくる飛行機の風圧を体験。絶対引かれないのは分かってても、怖いですね。ひいひい言っていた人多数。
3回ほど見てからスカイパークに移動。どうやら飛行機の様子を見ながら遊べるように作った公園みたいですね。
高台に上がってnさんからサプライズのお八つとエミューさんからのコーヒー。ほっとしましたね。
でまた走り始めました。ちょっと豊中に差し掛かったり、稲川河川敷やメンバーさんの会社の門で撮影したり、さっと書いてますけど、河川敷は折り返しがあったり、立ち止まって吸水しないととてもしんどかったです。でやっとこさjr伊丹駅着。足も雨でぐしゃぐしゃに濡れて、銭湯へgo.けっこう体は冷え冷えだったので、みんな1時間弱は入ってたと思います。私なんかは薬草湯にも入ってストレッチまでしました。
のぼせるほど入って、アフターは、地ビールレストラン「白雪長寿倉」です。ドイツのビールとかいろいろ美味しいのがあった様ですし、料理も良かったです。
で、感想は、「しんどいけど、これがあるからやめられない」でした。次の日から風邪に見舞われることになりましたが。
企画して下さったnさん  ガイドの皆さん ありがとうございました。そして 皆さん お疲れ様でした。これからも良い思い出をいっぱい作って行けたら良いですね。