「第8回水都大阪ウルトラマラニック」はなてんちゃんの完走記です

4月24日(日)。水都大阪ウルトラマラニックの100キロを走りました。去年のリベンジです。
雨上がりのさわやかな朝でした。走るのにはもってこいの気温です。
スタート地点の大阪城公園はすでに熱気むんむん、午前5時30分前に受付を済ませて100キロのアーリースタートを見送って準備をし、早朝にもかかわらず応援にかけつけてくださったみなさんとスタート時間の6時30分までおしゃべりをして過しました。全く緊張感がないところがこの大会のいいところでしょうか。

大会の諸注意を聴き、みんなでカウントダウンをしてスタート。
スタッフの方々や応援のみなさんの「行ってらっしゃ~い」の声を背中で聞きながらゆっくりスタートしました。伴走はSちゃんさん、ウルトラの先輩ランナーです。
ツツジの香りを楽しみながら大阪城公園を周り、歩道橋を渡って中之島のバラ園で第1チェックポイントゼッケンにハンコをもらいます。ほのかな草木のにおいと大川の水のささやきを楽しみながら毛馬のエイドへ。Tちゃんが声をかけてくれました。巻きずしとお茶をもらって長柄橋の第2チェックポイントへ、ハンコをもらって再び毛馬へ、ここから淀川の河川敷を枚方まで行ったり来たり2往復します。枚方の先が第3第4チェックポイントです。エイドは豊里、鳥飼、新橋、枚方にあり、知り合いのランナーさんがボランティアでてつだいをされてるので元気をたくさんもらえます。
もちろん食べ物も充実してるので楽しみです。

コースはアスファルトなので走りやすいですがときどき大きなみぞがあります。水はけをよくするためでしょうか?時間の経過とともに気温も上がり少し暑く感じられましたがときおり吹く風がさわやかなのでたすかります。それでも疲れがたまってくると飲み物ばかり欲しくなりあまり食べられなくて胃がきりきりと痛くなるし、突然すごく眠たくなって目をつぶって走ってたこともありました。(笑)
ちょっと歩いたり走ったりを繰り返しSちゃんさんに励まされ、すれ違うわーわーずの仲間に気合を入れてもらい、午前中の練習会を終えて応援ランしてくれてる仲間に元気をもらって懸命に走り、折り返してきたHさんの「関門アウトまであと10分」の声にスイッチが入って、去年タイムアウトした72キロの枚方の関門をダッシュで走り抜けてなんとかぎりぎりセーフで通過、あとは大阪城に帰るのみですがちょっと安心してしまい、また歩いてしまいました。エイドボランティアをしていたKちゃんが励ましてくれてエイドで胃ぐすりをもらって復活、残り26キロくらいでしょうか?
それでも関門アウトにならないように懸命に走りました。気温も下がり、夕暮れが近づき周囲が暗くなってもどのエイドでも食べ物や飲み物を用意して笑顔で待っててくださいます。それだけで涙が出そうです。そして私たちの周りには応援ランの仲間が7人並走してくれてます。こんなことってあるでしょうか。

大川沿いを抜け歩道橋を渡りいよいよ大阪城公園、一度ゴール地点を通過します。ここではわーわーずのマッサージボランティアのみんなの応援も聞こえてきました。
梅林の坂を上り天守閣の傍の最終チェックポイントでハンコをもらって梅林の坂を下ってると、常に先を走ってたわーわーずのMやんペアに追いつくとMやんが「4人で手をつないでゴールしようよ」と言ってくれて4人でゴール。感動の瞬間でした。
タイムは13時間39分48秒。長い長い100キロの旅が終わりました。

完走メダルをもらいお弁当をもらい仲間の待つマッサージブースに行くとたくさんの「おめでとう」の声にまたも涙が・・・。Nちゃんが入念にマッサージをしてくれてぱんぱんに張ってた足や腰も軽くなって疲れもすっかりとれました。
ボランティアスタッフのみなさん、応援をしてくれたみなさん朝早くから夜遅くまでほんとうにお疲れ様でした。そしてありがとうございました。お互いを思いやり励ましあえる仲間がいることに感謝の1日でした。

水都大阪にマッサージボランティアで参加!

2016年4月24日に
「第8回水都大阪100kmウルトラマラニック」が開催されました。
私たち長居わーわーずもマッサージボランティアとして協力させていただきました。

各地の大会へ参加した際、マッサージブースがあって、選手がマッサージを受けてはりました。
私たちも自分たちにできるマッサージで大会ボランティアとして、協力できないかとずっと考えていました。
2009年に大阪で初めて100キロの大会
「水都大阪100kmウルトラマラニック」が開催されることになって、
主催者の方へお話したところ、快く私たちの思いを承諾していただきました。
第1回からゴール地点にマッサージブースを設けていただいて、わーわーずのマッサージの有資格者が参加者の方へマッサージをさせていただいて、この大会へ長居わーわーずとして協力させていただいています。

最初は不慣れな面もあって、準備もままならなかったりして、お天気によっていろんな状況になって、スムーズに行かなかったこともありました。
回を重ねていって、いろんな状況にも少しずつ対応できるようにもなってきました。
毎年いろんなことがありましたが、今年は、13時過ぎから会場の設営にかかりましたが、70キロの完走者が早々にマッサージを希望され椅子で待機されるようになりましたので、13時30分より開始しました。
マッサージスペースは5席用意しましたが、マッサージ担当者がたくさんいたことと、スペースに余裕があったこともあり、14時30分より6席で対応いたしました。
マッサージ希望者は殆ど途絶えることなく、6人から7人の方が順番待ちで並ばれることもしばしばありました。
長く並ばれた方でも、マッサージ終了後には笑顔で感謝の言葉を述べていただきました。ゴール制限時間の20時30分過ぎにはマッサージも終了しましたが、マッサージ開始から終了までの7時間で、マッサージ担当者11名で、およそ136名のランナーにマッサージを行いました。
内訳は男性96名、女性40名でした。

これからも年に1度ではありますが、大会が続く限り自分たちにできることで協力していけたらなーと思っています。

「第18回長野マラソン大会」サケもっとさんの完走記です

2016年4月17日、念願の長野マラソン走ってきました。
2011年4月の大会にエントリーしていたのですが、東日本大震災の直後だったので中止になって、その後なかなかご縁がなかったのですが、昨年の駅伝で長野視覚障がい者マラソン協会のHさんにぜひ長野マラソンへとお誘いを受けて、ずっと走ってみたい大会だったので、今年の長野マラソンにエントリーしました。

大会前日、ビッグハットの受付会場でHさんとも出会うことができました。
受付の時にカテゴリB1は、3名の参加で、ゴールできればメダルがもらえるとゆうことでした。
前日土曜日は、めちゃええお天気で、朝の大阪は寒くて、長野はもっと寒いかなと思っていましたが、けっこう日差しがきつくて暑かったです。

宿泊はHさんにお世話になって、障がい者福祉センターの「サンアップル」とゆう施設でした。
視覚だけでなく、他の障がいの方も宿泊してはって、スタッフの方など合わせると40名ほどだったようです。
こちらでもスタッフの皆さんに大変お世話になりました。
皆さんに聞いたところ、明日のお天気は雨の確率が70~90%とのこと。
+暴風との予報でした。

朝準備をしてると風はあるものの雨はまだ降ってないようです。
雨風対策をして会場へ向かいました。
会場でも曇りで風もそないきつくなくて、このままで1日もってと願いつつ、最後にみんなで風がきついから帽子はかぶらずに行こうとなりました。
(これがピーカンのお天気にやられて、唇まで日焼けすることになるとは…!)
そして、スタートラインへいって、各ブロックへ分かれてゆきました。
高橋尚子さんのスタート前の準備運動のレクチャーを受けて、ばっちり!です。
2月の泉州マラソンが途中リタイヤだったので、必ずゴール!を目指して、キロ6分半で最後までいけたらと…。
スタートロスも2分30秒くらいで、混んではいるものの流れに沿って順調に走ってゆくことができました。
前半はほんと曇り空で、風もきついものの気になるほどでもなかったです。
南風のせいか、暑いくらいで、すぐにゴミ袋は脱ぎました。
このまま続くものと思ってましたが…。
中盤、15キロくらいから雨が降り出して、いつの間にか風もめっちゃきつくなって向かい風は前に進まないし、追い風は足がおっつかないし、
横風は、足がもつれそうで、どこから風がやってくるのやら!です。
ハーフを過ぎたころにはこの雨風いつまで続くんやろって、気持ちも足もフラフラでした。
28キロくらいからは雨も上がって、風も少しましになって、さ~!後半!これからだ~とゆくはずが、雨のせいで体も冷えて、腰痛も、神経痛も足の疲れも…。
ペースもだんだん落ちてきてました。
それでも日差しが出てきて体もあったまってきたら痛みもましになって、走ったり歩いたりとゴール目指しました。
後半30キロを過ぎて、またもやえらい風が吹いてきました。
川の土手を走るのですが、伴走のNAMIさんの声も聞こえないほどの暴風でした。
突風が吹いたときはしがみついてしまいましたわ~。
この土手でまたもや精も魂も尽きてしまって、キロ8分も越えて、歩きも増えてきて、ゴールまでだんだん余裕がなくなってきました。
NAMIさんがトイレにいかはった時に座り込んでしまって、もうあかん!と気持ちは思いましたが、足は動いてくれました。
NAMIさんがずっとゴールまでの計算してくれはって、あと3キロで24分だったかな?
ほんまに長い3キロでしたが、制限時間5時間の約1分前にゴールできました。
やっとゴールできて、時間内に完走できて、めっちゃうれしかったです。
走り終わって、表彰状は、やっぱ3位の銅メダルを頂きました。
NAMIさん、伴走ありがとうございました。

長野マラソンは応援が多いと聞いていましたが、
めちゃすごい雨風で、そんな中でも応援や演奏などがありました。
そんなときに応援の声だけでなく、聞こえてきたのが、「長野マラソン走りに来てくれてありがとう!」って、感謝の言葉をかけてもらいました。
それに視覚障碍者部門があるせいか、伴走への応援もいっぱいありましたし、ランナーからの応援もいっぱいもらいましたが、なんだか女性ランナーの声が多かったような気がします。
高橋尚子さんが10キロくらいだったかな?後ろから走ってきはって、ハイタッチをして応援してくれました。ラッキー!
長野に来てよかった!と…こんなうれしいことはなかったです。

長野まで、名古屋で乗り換えで約4時間。
おしゃべりしながらあっちゆう間に長野につきました。
お昼は早速おそばをいただいてから、受付会場へ向かいました。
その後、善光寺へ行って、明日の無事完走をお願いしました。
その夜は、新大阪のHさんの行きつけのお店で山菜三昧のメニューで、おひたしやら天ぷらやら美味しかったです。
Hさんおすすめのからし大根のぶっかけそばが時間がなくて食べられずで、残念!でした。
電車の時間に乗り遅れないように駅に向かっていたら、なんとワイナイナさんが前から走ってきはるではないですか!
明日のレースに備えて、ジョグしてはったようです。
久しぶりの再会を喜びつつ、握手と一緒に明日がんばりましょうと応援もらいました。
ぶっかけそばあきらめたかいがありました。(笑み)
レース後は、駅までのバスが最終便だったので、ばたばたと過ぎましたが、駅ビルで、いろいろと買い込んで、帰りのしなの号では、みんなでめちゃうま!ビールで盛り上がって、久しぶりの遠征でしたが、皆さんと楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。

書いてるとあんなこと、こんなことと思い出して来て、いっぱいありすぎて、伝えきれませんので、ぜひ一度長野マラソンを走ってみてくださいませ。
ほんとにええ大会でした。

大吉さん、2015大阪マラソンで年代別1位

こんにちは。わーわーずガイドの平野です。
本日(4/22)発売された雑誌『ランナーズ6月号』に、昨シーズンの全日本マラソンランキングの速報が載ってました。

全日本マラソンランキングというのは、このランナーズ誌の編集部が主催している企画です。ランキングの集計対象に加わるのは簡単、というか、何も手続きしなくても対象大会(≒公認フル大会)を完走すれば自動的に集計されます。集計は、年度ごとの男女別で一歳刻みで順位づけされます。
全国のランナーが、それぞれのシーズンベストタイムで比べあいますから、ランナー全体の中でのフルの走力がどれぐらいかをはかるには、たいへん公平でわかりやすいものだと思います。

同い年ランナーのなかで100位以内に入れば、氏名を掲載してもらえます。
私がランニングを初めて間もない頃、先輩ランナーからまず最初に教えてもらったことは、この1歳刻みランキングで100位以内に入ることのスゴさです。その先輩ランナーは、毎年名前が載る100位以内の常連さんでした。

高齢になれば落ちていくスピードを、どこまで食い止められるか。
ラニンングを生涯スポーツとして位置づけるとき、この集計はモチベーションになってくれます。またこのランキングは、同年齢で同性のランナーとだけで競ってるようでいて、その実、年齢性別を越えて順位を比べてもなんら公平さを欠かないのですから説得力があります。100位以内ランクインは、広い裾野を持つランナー全員にとってステイタスとなりうるものだと思います。

で、前置き説明が長くなりましたが、2015大阪マラソンを、5時間17分7秒で走られた大吉さん。

絶対的なスピードとはまた別の極み、(失礼ながら)
「ご高齢なのに速い!」
「普通ならそのお歳で元気に歩けるだけでスゴいのにフル完走!」
という極みに向かって挑戦されています。
健常者も含めて全てのランナーがいずれ向き合わざるを得ない壁に向かって。

昨年10月に参加された大阪マラソンでは、男子80代前半の部で1位の表彰を受けられました。あらためて、おめでとうございます。
賞状を練習会にご持参いただくようお願いしました。
賞状の額縁のなかには2枚の写真が添えてありました。1枚は、伴に走られたオリーブさん、ルビーさんとのコース上での写真。もう1枚は、追っかけ応援されたサケもっとさんも加わってのゴール会場での写真です。

このときの様子は、以下のレポートがこのHP内にありますので、リンク2つを以下にあげておきます。

▼「2015大阪マラソン」オリーブさんの伴走レポートです
https://waawaas.sakura.ne.jp/?p=719

▼「2015大阪マラソン」サケもっとさんの大吉さん応援レポートです
https://waawaas.sakura.ne.jp/?p=721

大阪マラソンでは年代別1位でしたが、全日本マラソンランキングで大吉さんが何位かは、まだ速報なのでわかりません。80歳で対象大会のフルを完走された方が、全国で39人いらっしゃいます。トップは4時間26分。サブ5達成者は6人です。日本は広いですね。
そしてこの極みはまだ先も続きます。最高齢は91歳でフルを走られた方がいます。

2015年度は、タイム的には不本意な結果に終わってしまったようですが、その前のシーズンでは、福知山マラソンの4時間35分57秒で、年代別5位に入られた大吉さんですから、偉大なチャレンジもまだまだこれからだと信じています。
わーわーずの皆さんと一緒に、ずっと応援、いつまでも応援していきたいと思います。


写真説明:
左側は、センター玄関で賞状を掲げ持つ大吉さん。
右側は、『広報ひらかた 2016年3月号』のページ。
地元の地域情報誌で、大吉さんが紹介されました。
こちらリンクから記事をご覧いただけます。
https://www.city.hirakata.osaka.jp/html/kouhou/201603html/1603/25.html

和田選手、自身の持つ1500mの日本記録を上回るタイムをマーク

2016リオパラリンピック陸上競技の日本代表入りを目指す和田伸也選手は、第1回大阪陸協記録会(2016年4月3日/長居第2陸上競技場)での1500mで4分17秒82をマークし、自身が持つ同種目(T11男子)の日本記録を約1秒上回りました。

複数の外国選手が、3月の大会で好記録をマークしたことに刺激された和田選手。
この記録会の翌週に行われる「2016大分パラ陸上」での5000mで記録を狙う決意を一層固くし、今回の1500mでは、そこへの足がかりとなるレースを目指しました。

しかし、試合会場へ向かう交通機関が乱れた影響で、ウォーミングアップ不足のままスタートすることになり、また、レース中は思ったほど集団がばらけず、いつも以上に外側のレーンを走ることを強いられます。

それらの影響もあって目標タイムには3秒ほど及ばなかったものの、ラスト300メートルからのスピードの切り替えなど、内容的には目標タイムに十分に匹敵するもので、翌週の大分パラ陸上での好記録に期待を持たせる走りでした。

■公式結果
男子1500m(第1組9時30分競技開始)
和田伸也(若ちゃんFRC)4分17秒82 2組6着  

グラウンドコンディション
9時半 天候曇り 気温18.5度 湿度66% 北東の風0.6m/s

上記結果へのリンク
http://www.oaaa.jp/r_16/rikkyou_1kai/nagai/rel060.html

[注]
今回のタイムは、日本パラ陸連による新記録認定の審査をパスすることで、正式なT11男子1500mの日本記録となります。

遠征地で山田選手、パラリンピックポイントを獲得

2016年3月20日に、世界パラトライアスロン競技会(WPE)バファローシティ大会=南アフリカ=に出場した山田敦子選手は、PT5(視覚障害)女子で6位に入り、パラリンピック出場権を決定するパラリンピックポイントランキングを10位にアップさせました。
なお、総合タイムは1時間25分13秒、スイムのタイムは出場7名中4番目でした。

■大会公式結果
山田敦子 6位
総合タイム  1時間25分13秒
・スイム750m   14分51秒
・トランジション1 1分44秒
・バイク20k    41分39秒
・トランジション2 1分41秒
・ラン5k     25分18秒

コンディション
水温17度 気温18度

優勝
アリソン・パトリック(イギリス)1時間07分31秒

*今大会のバイクのコースについて
高低差60メートルの丘を上って折り返してくる10キロのコースを2周。2キロ~5キロ、12キロ~15キロは最大斜度9%の坂を含む上り。

■優勝者の横顔;ランが武器のアリソン・パトリック(イギリス)
1987年生まれで、陸上競技を怪我により断念後、2013年からトライアスロンに挑戦。
その翌年からWPEに参戦すると、短期間で実力を伸ばし、4戦目の2014世界選手権から5連勝。
スイム750m・バイク20キロを終えてのラン5キロでも20分程度でカバーし、PT5女子で一二を争う走力を持つ。
なお、陸上選手時代には、サンパウロ2007IBSAワールドゲームズ(ブラジル)で、B3女子800m金メダル(2分27秒64)、1500mでも2位(5分03秒27)の実績がある。
今大会の優勝でパラリンピックポイントランキング6位以上を確定させ、イギリス代表に決定。パラリンピックでは有力なメダル候補。

■参照リンク
大会結果
http://www.triathlon.org/results/result/2016_buffalo_city_itu_world_paratria
thlon_event/280685
ITU(国際トライアスロン連合)公式サイト
http://www.triathlon.org/

■山田選手パラリンピック出場枠獲得に向けて

リオ2016パラリンピックのパラトライアスロンでは、実施される各カテゴリーに与えられた出場枠は7名。主催者枠が若干名追加されたとしても、山田選手が所属するPT5女子で、出場権を与えられる選手は10名以下となるもよう。

山田選手は、今年6月末までの一連のパラリンピックポイント対象大会でランキングをアップさせる必要がありますが、中でも4月29日(祝・金)のアジア選手権(広島県廿日市市)と5月14日(土)のWPE横浜大会は、特に重要な大会となるでしょう。

■世界選手権がパラリンピックに先立ち7月下旬に開催

今年はパラリンピックイヤーであることから、パラトライアスロン世界一を決める大会として、リオ2016パラリンピックに大きな注目が集まっていますが、一方、世界選手権も7月23日~24日にロッテルダム(オランダ)で開催されることになっています。

なお、パラトライアスロンの障害クラスには男女計10カテゴリーありますが、リオ2016パラリンピックで実施されるのは、そのうちの男女3ずつ計6カテゴリーのみとなっており、例えば、PT5(視覚障害)男子は実施されません。
一方、世界選手権では、全カテゴリーの競技が実施されますので、パラリンピックで実施されないカテゴリーの選手にとっては、今年の最も重要な大会は世界選手権となります。

リオ選考レースに挑んだ和田・近藤・福永の3選手

※この記事は以下の2つの記事をまとめたものです。
2016別府大分毎日マラソンでの和田選手と福永選手
2016別府大分毎日マラソンで自己ベストの凛々さん

2月7日に、2016リオパラリンピックマラソン代表最終選考レースとしてIPCの部が実施された2016別府大分毎日マラソン。

和田伸也選手が2時間33分46秒(男子T11日本記録)、近藤寛子選手は3時間18分05秒で、各同男女の部で2位に入り、その結果、2016リオパラリンピック視覚障害マラソン代表推薦順位のそれぞれ3位と2位を確定させ、同代表入りに大きく近づきました。
また、同男子の部に出場した福永智洋選手は、調子が良くなかったものの、いつもの粘り強さを発揮して、3時間13分32秒でした。

なお、パラリンピックの視覚障害マラソンの各国選手枠は原則3名ですが、代表の正式決定は6月末以降となります。

■和田選手・近藤選手、代表推薦順位枠内へ

まず、男子。代表推薦枠の最後の1つを、和田選手と熊谷豊選手での争いになるとの事前の予想通りにレースが進んでいきます。
和田選手が代表推薦枠入りするには、熊谷選手が2015IPCマラソン世界選手権(ロンドン)でマークした2時間37分48秒を上回り、同選手に先着することが条件となってきました。

求められていたペースは十分に上回っていた和田選手ですが、その和田選手に先行する熊谷選手は、今大会では、課題だった中盤以降のペースダウンを克服してきた走りを見せ、後半以降も徐々に差を広げていきます。
そして2人の差は、35キロ地点では2分14秒までに広がり、この時点での勝負の行方は熊谷選手に分があるように見えました。

しかし、和田選手は、35キロから、その熊谷選手をさらに上回る走りを見せます。

40キロまでの5キロを17分42秒と大幅にペースアップした和田選手は、熊谷選手との差を一気に詰めていき、いよいよ終盤になったところで、代表推薦枠を巡る勝負は一気に白熱化。
さらに勢いを増した和田選手、舞鶴橋東詰への上りにも、ものともせずに熊谷選手を猛追していき、ついに2人の順位が入れ替わります。

その後も和田選手のスピードは全く衰えることなく、フィニッシュまでの2.195キロは7分21秒でカバー。
なお、35キロからフィニッシュまでの7.195キロの25分03秒は、別府大分マラソン男子全完走者2854名中26番目のタイムでした。

一方の女子。代表になるには、既に代表推薦順位1位を決めている道下美里選手を除くトップでフィニッシュするしかない、と決意していた近藤選手。
序盤から、2か月半前の防府読売マラソンでマークした自己記録を上回るペースで、積極的にレースを進めていきます。

5キロを23分台のラップを刻み続け、25キロ過ぎでは、道下選手に次ぐ2位と目標としていた順位に上がった近藤選手でしたが、30キロからの5キロは24分台に落ちてしまいます。

しかし、続く40キロまでの5キロを再び23分47秒と盛り返すと、後ろの選手との差をさらに広げていき、目標とする順位を確実なものにしていきました。
フィニッシュタイムは、防府マラソンでの自己記録を約3分更新するものでしたが、40キロまでの全ての5キロごとの区間で、その時のタイムを上回るものでした。

大会史上最多の3402名のランナーがスタートラインを越えて行った2016別府大分毎日マラソン。
スタートの12時の気象コンディション(主催者発表)が、気温6.5度・北北西の風0.8メートルと、数字上はやや低い気温ながらも、この大会にしては、風が穏やかな晴天の下でレースが始まりました。

それでは、各選手のレポートをご覧ください。

■和田選手の完走記

今回のレースは、13名のIPC登録男子選手が出場し、リオに向けて走りましたが、推薦順位第3位の座をかけての、熊谷選手(T12)と私との実質的な一騎打ちのレースとなりました。推薦順位第1位はすでに堀越選手(T12)が決めていて、推薦順位第2位は岡村選手(T12)が確実視されていました。
序盤から先行した熊谷選手に私が終盤追い上げ、ようやく追いつけたのは41Kすぎでした。私はレース序盤から中盤にかけ、冷静に自分のペースを想定通りにリズムよく刻み、後半にくるだろう勝負どころで、いつでもいける心の準備をしていました。
最初から前を走る熊谷選手は全く見えないものの、35Kの折り返しくらいからじわじわギアを変えていき、追い風にも乗っかり、かなり体は動いていました。
前半20K伴走のGさんとのリズムもっぴったりで、中盤までのペースがよかった証拠ですね。
当初、40Kまでのどこかでは、熊谷選手の姿を捉えたいなと思ってはいました。
しかし、行けども行けども姿がありません。折り返しでも、後半伴走のNさんが熊谷選手の姿を見なかったということでしたし、一瞬、棄権でもしたのかなとも思ったくらいでしたが、39K地点の沿道にいた私の妻が、熊谷選手との差が1分だと情報をくれました!!
「え、そんなに前にいるのか、残り3Kしかない。万事休すか…」と心が折れそうになりましたが、「いや、いくしかない。」、見えない相手に対してすでにペースはあげていましたが、ここからは大爆発させるぞ!と気合を入れ直し、ギアをもう一段階あげました。
すると、40K手前くらいで、熊谷選手の姿がやっと遥か遠くに見えてきました!!
「見えた!見えた!!」とのNさんの声。まだかなり遠いようでしたので、残り距離で追いつけるのか、競技場勝負くらいにもちこめるか、でも、あれこれ考えずにもういくしかないとまた気合を入れなおしてギアを更に入れ直して追いかけました。更に力をこめてペースアップですね!!まだまだいけると自分に言い聞かせて。
41K地点くらいだったでしょうか。現地に応援にきてくれてたTさんがでっかい声で、「16秒差!!」と叫んでくれました。
「おお!!確実に縮められてる!!これはもう一発ギアをかえていくしかない!」苦しいけど、更に更にあげるしかないと、そこからまたがつんといって、何度ペースをあげたことでしょうか、ラスト1K付近で熊谷選手をとらえることができました!!
追いつきはしましたが、熊谷選手も私も気合十分、どちらも譲りません。
ここで勝って、リオに1歩でも近づきたいという気持ちは同じで、このレースにかける思いは他のどんな選手にも負けていなかったと思います。
結局、熊谷選手も自己ベストを3分42秒更新する素晴らしい走りでしたし、私も1分53秒の自己ベスト、T11の日本記録更新でしたので、お互いに最高の準備をして、非常にハイレベルな競り合いができたと思います。
競技場でのラスト勝負にまでもちこまれると、私よりもスピードのある熊谷選手の方が有利になりますので、追いついてからは一気に勝負をしかけました。またまた更にペースアップです!!残りの最後の力をふりしぼって。
前に出たとしても、ぴったりつかれると今度はこちらが苦しくなるので、もう無我夢中でのラストスパートでした。その甲斐あって、ゴールの競技場に入る前に順位をあげることができました。感動的なフィニッシュを迎えることができ、ゴール後、Nさんと喜びを分かち合いました。
結果的には、私がわずか20秒先着することができましたが、ほぼ互角の闘いで、ともに全力を出し尽くしました。私の今回の好記録は、強いライバルと競り合ったおかげでマークできたものであることは間違いありません。選考レースにふさわしい、歴史に残る白熱した名勝負でした。
これで私は、推薦順位第3位の座を獲得できたわけですが、マラソンでの代表枠はまだ確定ではありませんので、5000mで代表権(T11)をきっちり獲得できるよう、春以降のIPC公認大会にも挑戦していきます。
日本代表メンバーの公式発表までにはまだ時間がありますので、それまでにやれる
ことはすべてやっていきます!
いつもたくさんご声援、ありがとうございます!!今回のレースでナイス伴走してくださり、強化合宿でも厳しいトレーニングをしてくださっているGさんとNさんはもちろんですが、これまでに一緒に走ってきてくださった皆さんのおかげで、今回の好結果があったと思っています。大変感謝しています。ありがとうございます。
まだまだここからもがんばっていきますので、今後ともご声援、どうぞよろしくお願いいたします。

(以上、和田選手の完走記)

[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
18分40秒、18分32秒、18分03秒、18分13秒、18分20秒、18分18秒、18分37秒、17分42
秒、7分21秒
・前後半
前半:1時間17分29秒 後半:1時間16分17秒

■近藤選手の完走記

凛々@滋賀です。

リオから採用された視覚障がい女子マラソン。
最終の選考レースの別府大分毎日マラソンにすべてをかけて取り組んでまいりました。
これまでわーわーずの多くの皆さんの激励をいただき、関西のブラインド女子の心意気をもって全力で走りました!
3位のポイント争いになれば、ポイントを持たない私には不利な状況、とにかく自力で2位の座を勝ち取るしかリオへの道はありませんでした。

序盤、自分のペースを守り3番手をキープ、20キロでもまだ疲れはなくほぼイーブン、25キロすぎでまさかの2番手に。
このままいけばリオへの切符を手にできるかもしれない?
終盤、年明け早々のレースで転倒して橋の欄干で頭を強打した名残のむちうちが影響したのか、首に力が入らず上体がふらふらと今にも倒れそうになりながらも、あと少しでリオを手にできると力を振り絞ってゴールに向かいました。

ゴールの瞬間、私を支えてくださったすべての方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

タイムは3時間18分05秒の自己ベストでした。
ポイント争いになることなく推薦順位第二位内定となりました。

ほんとうにありがとうございました!

また、直接皆さんにごあいさつにうかがいたいと思いますが、まずはこちらでの御礼とさせていただきます。

正式決定は6月以降となりますが、リオまでの日々を大切に怠りなく過ごしていこうと思います。

今後ともよろしくお願いいたします!

追伸
関西では放送されなかった別大の一時間延長放送。
中継車がずっと等間隔で前を走る、生まれてはじめての経験をしました(笑)
追い付こうとしたわけではないけど、中継車めがけてはしったせいか38キロからペースあがってました。
私のゴールが番組終了のタイミングだったので、けっこう感動的で、何度みても泣けます(笑)。

(以上、近藤選手の完走記)

[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
23分12秒、23分30秒、23分02秒、23分15秒、23分26秒、23分29秒、24分07秒、23分47
秒、10分17秒
・前後半
前半:1時間38分03秒 後半:1時間40分02秒

■福永選手の完走記

福永@ブラインドです。

自分は、別大マラソンに参加させていただき、
吉本さんが書いてくださったように、3:13:32でした。

今回は、積極戦法で、前半からいったつもりでしたが、
思うようにペースが上がらず、
後半から終盤、多少の落ち込みは覚悟のうえでしたが、
踏ん張りきれなかった、という感じです。

要因としては、
1月に入ってから、かぜをひいてしまい、
疲労は、完全にとりのぞけましたが、
パフォーマンスも、下がってしまった

自分は一切取材など受けてないのですが、
毎日新聞やTBSテレビなどの雰囲気にのまれてしまった

別大国道のバンクで、余分に脚を使った

35km以降、走路が狭くなり、前のランナーさんを
ぬきにくくなった

などなど、ひとつひとつは数十秒レベルだと思うのですが、
いろんなことが積み重なって数分レベルのロスになったかなと思っています。

結果的に、防府のほうが速かったので、
あらためて、フルマラソンの奥の深さを実感しています。

それでも、てらやんが沿道から応援くださったり、
走行中にいろんなかたが声をかけてくださり、
関西で走っているような気分でした。

また、今回の前半伴走のかたを紹介してくださったかたの
沿道応援が、40kmすぎにあり、
最後の最後まで、気持ちをきらすことなく
燃えに燃えて走りきることができました。

3:13:32は、自分の別大コースレコードですし、
記録をねらって複数走ったシーズンの平均タイムが
3:12:59.5というのは、過去最速なので、またがんばろうと思います。

それでも、わだっちの2:33は、当てられるのに
自分の3:08は外すっていうのは、なんでやねんって感じですけどね。

自分のフルマラソンは、今シーズンはこれでおわりなので
これからはトラックでしっかり走っていこうと思っています。

そして、ゼロからまたつくりなおして、
来シーズンのフルも、またがんばろうと思っています。

お世話になりますが、
よろしくお願いいたします。

(以上、福永選手の完走記)

[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
22分32秒、22分57秒、22分49秒、22分59秒、22分44秒、22分43秒、23分22秒、23分20
秒、10分06秒
・前後半
前半:1時間36分18秒 後半:1時間37分14秒

■上位選手を含む結果
・IPC男子の部
1位 岡村正広 2時間27分24秒
2位 和田伸也 2時間33分46秒(T11男子日本記録)
3位 熊谷豊  2時間34分06秒
12位 福永智洋 3時間13分32秒

・IPC女子の部
1位 道下美里  3時間03分42秒
2位 近藤寛子  3時間18分05秒
3位 藤井由美子 3時間24分06秒

■大会開催時間帯の大分市の天候 *気象庁観測値
12時 気温6.0度 北北東の風2.3m/s 湿度59%
13時 気温6.3度 北北東の風2.4m/s 湿度61%
14時 気温7.0度 北北東の風1.6m/s 湿度53%
15時 気温7.6度 北北東の風2.5m/s 湿度54%

■大会公式サイト
https://www.betsudai.com/

2016別府大分毎日マラソンで自己ベストの凛々さん

2016年2月7日に行われた別府大分毎日マラソン(リオパラリンピック視覚障害女子マラソン日本代表選考レース)、IPCの部に出場した近藤寛子選手は、前年12月にマークした自己記録をさらに3分短縮する3時間18分05秒で、同部門2位に入りました。

この結果、近藤選手は、日本盲人マラソン協会が定めた同代表選考規程により推薦順位2位を確定させ、パラリンピック女子視覚障害マラソン日本代表に大きく近づきました。

■近藤選手の完走記

凛々@滋賀です。

リオから採用された視覚障がい女子マラソン。
最終の選考レースの別府大分毎日マラソンにすべてをかけて取り組んでまいりました。
これまでわーわーずの多くの皆さんの激励をいただき、関西のブラインド女子の心意気をもって全力で走りました!
3位のポイント争いになれば、ポイントを持たない私には不利な状況、とにかく自力で2位の座を勝ち取るしかリオへの道はありませんでした。

序盤、自分のペースを守り3番手をキープ、20キロでもまだ疲れはなくほぼイーブン、25キロすぎでまさかの2番手に。
このままいけばリオへの切符を手にできるかもしれない?
終盤、年明け早々のレースで転倒して橋の欄干で頭を強打した名残のむちうちが影響したのか、首に力が入らず上体がふらふらと今にも倒れそうになりながらも、あと少しでリオを手にできると力を振り絞ってゴールに向かいました。

ゴールの瞬間、私を支えてくださったすべての方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

タイムは3時間18分05秒の自己ベストでした。
ポイント争いになることなく推薦順位第二位内定となりました。

ほんとうにありがとうございました!

また、直接皆さんにごあいさつにうかがいたいと思いますが、まずはこちらでの御礼とさせていただきます。

正式決定は6月以降となりますが、リオまでの日々を大切に怠りなく過ごしていこうと思います。

今後ともよろしくお願いいたします!

追伸
関西では放送されなかった別大の一時間延長放送。
中継車がずっと等間隔で前を走る、生まれてはじめての経験をしました(笑)
追い付こうとしたわけではないけど、中継車めがけてはしったせいか38キロからペースあがってました。
私のゴールが番組終了のタイミングだったので、けっこう感動的で、何度みても泣けます(笑)。

(以上、近藤選手の完走記)

■レースデータ
[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
23分12秒、23分30秒、23分02秒、23分15秒、23分26秒、23分29秒、24分07秒、23分47秒、10分17秒
・前後半
前半:1時間38分03秒 後半:1時間40分02秒

[大会開催時間帯の大分市の天候]*気象庁観測値
12時 気温6.0度 北北東の風2.3m/s 湿度59%
13時 気温6.3度 北北東の風2.4m/s 湿度61%
14時 気温7.0度 北北東の風1.6m/s 湿度53%
15時 気温7.6度 北北東の風2.5m/s 湿度54%

■近藤選手の代表選考レースの結果
2015世界選手権マラソン(2015年4月26日)  出場せず
2015北海道マラソン(2015年8月30日)    3時間36分39秒 
2015防府読売マラソン(2015年12月20日)  3時間21分16秒  
 *パラ参加標準記録(3時間27分)突破 
2016別府大分毎日マラソン(2016年2月7日) 3時間18分05秒
 *自己記録3分更新 

「第23回泉州国際市民マラソン」まえっちの完走記です

この前の日曜日、泉州国際市民マラソンに参加しました。
自分にとっては今シーズン最後のフルマラソンだし、比較的フラットで走りやすいコースだと聞いていたので、自己ベスト更新を目指して練習していました。にも関わらず、大会5日ほど前に風邪をひいてしまい、一気にテンションダウン。
 そして当日。体調は完全復活できてなかったので「20kmに満たずにギブアップしてしまうのでは」などと弱気なことを思いながら、はじめの10kmを走りました。
ですが、ガイドのフーヤンさんが読み上げてくれる1kmごとのタイムを聞いているとそんなに悪くない感じ。10km付近の関門では10分近くの余裕を持ちながら通過することができました。
13km付近でガソリンスタンドのトイレを拝借。
その後も胃のむかつきみたいなのがあり、エイドで胃薬と痙攣止め、ジェルなどを服用。
そんなことをしながら走っていると「関門閉鎖まで2分半ですよ」という沿道の声が聞こえてきます。
「えっ、まだまだ余裕あると思ってたのに」、さすがにここでの関門アウトは悔しいと思い、約200m余りをペースアップして走りました。そして何とか関門閉鎖の40秒手前で通過。
 その後は、先ほど飲んだ胃薬とジェルが少しずつ効いてきたのか、気分が上向きになってきました。さすがに20kmを超えた辺りからペースアップという訳にはいきませんでしたが、はじめのペースを保ちながら30km、35kmと通過することができました。
そして、フーヤンさんが教えてくれるタイムを聞いているとどうやら自己ベストを更新できそうなことが分かり、最後は気力を振り絞りました。
 グロスタイムでは福知山の自分の記録に数秒及ばなかったものの、おそらくスタートロスが3分以上あったのでネットタイムでは自己ベストを出すことができました。
自分にとっての今シーズン最後のレースをいい形で終えられて本当によかったです。
当日伴走してくださったフーヤンさん、そして練習に協力してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

「第36回篠山ABCマラソン大会」宗平さんの完走記です

第36回篠山ABCマラソンに参加した。
フルマラソンを走るのは、一昨年の福知山、昨年の神戸に続いて3回目である。
福知山でも神戸でも30キロを超えたあたりで足が動かなくなって歩いてしまったので、今回は歩かずに完走したいという思いがあった。
ネットタイムの目標としては、福知山が4時間58分、神戸が4時間45分だったので、やはりここは4時間30分を目標にして、なんとかサブ4.5を目指したい。
それと、もう一つ今回新しい試みがある。
実は妻からの誕生日プレゼントにGPSボイスコーチなるものを買ってもらった。
これはわーわーずメンバーの中でも最近持ち始めている人が増えているもので、僕も体験させてもらって、一つほしいなぁと思うようになった。
何キロ走ったかや、ペースはどのくらいで走っているかなどを登録した設定にしたがって音声で教えてくれるのだ。
これを帽子に付けてレースに出るのは初めてとなるので、わくわくである。
今回の伴走は、平日の夜練にも付き合っていただいているとんさんだ。
とんさんにとっては篠山マラソンは過去に何度も走られたマラソンだということで、たいへん心強い。

会場まではマラソンバスも出ているようだが、とんさんが車を出してくださるとのことで、朝5時に迎えに来ていただいた。
さすがに4時20分起床はきつかったが、思ったより目覚めはよいようだ。
とんさんのご友人ともご一緒させていただいて、3人で亀岡経由で篠山へと向かった。
道はすいていて、6時40分に到着した。

さて、走り出すのは10時50分だから、おっと、まだ4時間以上あるではないか!
どうやって時間をつぶそうか。
市役所のロビーに荷物場所を確保して、散歩に出かけることにした。
少し空気はひんやりしているものの、3月としてはかなり暖かいようである。
天気予報では、うまい具合にこの日だけ雨マークとなっていた。
ほんとうまい具合に。なんでやねん!
しかも、この篠山マラソンは雨になることが多いマラソンのようで、昨年はひどい本降りの寒いレースだったと聞かされていたので、それなりに覚悟して臨むことにした。
7時を過ぎて、広場にはどんどん人が増えてきて、おにぎり・うどん・唐揚げなどあちこちから屋台の美味しそうなにおいが漂ってくる。
このマラソンは、事前にゼッケンやICチップが送られてきて、受付は必要ないというありがたい大会である。
前日受付のマラソンはやはりどうにもめんどくさい。
7時半に大会Tシャツをもらったら、でかんしょ節の歌詞がプリントされていて、丹波篠山感がよく出ている。
京都キャロットの店が出ていて、いろんなランニングアイテムが安値で販売されていた。
今履いているランニングシューズはそろそろ3年ほど履いているだろうか。
走り心地はいいので、ずっと履き続けているのだが、随分すり減ってきているのもたしかなので、とんさんの勧めてくれたアシックスのシューズを買うことにした。
1万何千円のものが6900円で買えたのでお買い得である。
それから、これまたとんさんが以前より一つ持ってたらいいんじゃないかと言っていたアームウォーマーもゲットした。

持ってきていた十六穀米おにぎりを食べて、腹ごなし。
さて、誰か知り合いは来てないかなと思い、再びとんさんとぶらぶらしていると、オリーブさん、ヨッシーさん、福場さん&ミントまっちゃんペア、カモパの方々といった具合に会うことができた。
1万人規模のレースの人混みの中、やはり知り合いに会えるのはなんとも嬉しい瞬間であり、落ち着ける瞬間でもあり、パワーをもらえる瞬間でもあるのだ。

いよいよ10時50分がやってきた。
申込時の申告タイムにより、一番後ろのDブロックからの出発だったので、ピストルがなってからスタートラインに行くまでに6分40秒かかった。
今回の目標である、ネットタイム4時間30分を切るために、1キロあたり6分15秒では行けるようにしたいなぁととんさんと話していた。
そうこうしていると、帽子に付けているGPSボイスコーチがアナウンスをしている。
1キロ通過。
うん、このガイドはありがたい!
やはり、人だらけで思うようには走れないが、そんなときによく見知らぬランナーが「頑張ってくださいね」など言ってくださって嬉しいものである。
そしてまたボイスコーチのアナウンスが聞こえてくる。
「距離2キロ。ラップタイム5分45秒。」
この1キロは予定していた6分15秒よりもだいぶ速くなっている。
少しペースをゆるめるが、混雑をうまく二人分の幅ですり抜けていくには多少ペースを上げて抜いていく必要もあり、少し速いペースになりがちになる。
それにしても、とんさんはさすが慣れたもので、うまい具合に「右から抜かせてください」と言って混雑をすり抜けていく。
なかなか6分15秒のペースには戻せないのだが、まぁ自然なペースで無理をしている感じでもなく、とんさんも6分15秒にぜひとも戻そうという感じでもないように思えたので、おおよそ5分50秒台で進むことにした。
「このペースでずっと行けるといいですね」と言うと、とんさん曰く「30キロまでは行けるでしょう」
なんとも重みのある言葉だ。
田んぼや住宅街が続くおおむね平坦なコースで、混雑していることを別にすれば、わりあい走りやすい。
最高気温はやはりこの時期としては暖かい18度になるとのことであったが、結構風が吹いていて、暑いという感じではない。
雨もなんとかもってくれていて、コンディションは思っていたよりもよさそうだ。

事前に、とんさんに走るコースの地図を説明してもらっていたので、なんとなくのイメージができて助かった。
やはり、地形や景色や方角などどんなところを走っているのかがわかった方がおもしろさは倍増する。
それから、今回はHPで過去に走られた人の感想をいくつか読んで、17キロ地点に恒例のブラバン応援隊がいること、20数キロのところに丹波黒豆おにぎりの私設エイドがあるという情報を得ていた。
こういったものを楽しみに走れたらこれまたおもしろさ倍増である。

5分50秒のペースで、16キロまでやってきた。いい調子だ!
しばらくして、太鼓の音が聞こえてきた。
「あれ?17キロにブラバン応援隊がいると聞いていたが、今年は太鼓隊に変わってるのかな?」と思いながら通過した。
いやいや、そんなことはないようで、17キロを通過したら、大所帯のブラバン隊が元気よく「ランナー」を演奏していた。
「走る~走る~おれ~た~ち」と思わず歌い出したくなる。
やはり、この歌は定番ながら元気が出る曲だ。

20キロに近づいてきたところで、とんさんが「有森さんがいるから手を右に出して」と言う。
そして、有森裕子さんとハイタッチ!
有森さんはランナー一人ひとりに「頑張ってください」と言ってハイタッチしてくださるのだ。
いやぁ、嬉しい!俄然やる気が出てくる。

そんなこんなのおかげで、ハーフ地点でも5分50秒のペースを保てている。
ここで、とんさんが腕が痛くなってきたので、ロープを持つ手を逆にしてほしいと言う。
「いいですよ」と言って、右手でロープを持って走り始めたのだが、実は右手でロープを持つのは初めてのことであり、どうにも走りにくい。
しばらくすると慣れるかなと思って2キロぐらい走ったと思うのだが、どうも左肩もこってきて、これはまずいという感じになってきたので、やはりロープは左手で持たせてもらうことにした。
後ろから「宗平さん」と呼んでくれている。
おぉ、たかちゃんだ。
久しぶりに仲間の声を聞けて、それだけで随分大きなパワーになる。

さて、20数キロのところに出ているという話のあった、丹波黒豆おにぎりの私設エイドはまだかいな~。
と思っていたとき、とんさんが「おにぎりのエイドがある」と。
おぉ、待ってました~!
まずはとんさんがお茶を渡してくれて…「あれ…おにぎりがないみたいだね~」
「そ、そんなぁ~」
テンションがた落ちである。
売り切れてしまったのか。
おにぎりの恨みは大きいゾ!おいっ!
気持ち的にとぼとぼ走りになってしまう。
しかし、篠山のみなさん、そんなことでは終わらせないぞということで(かどうかはわからないけれど)、またおにぎりの私設エイドがあり、今度は子どもが配ってくれている黒豆おにぎりをゲットした。
うまい!俄然やる気が出てくる。単純なものだが、食いしん坊の僕にはこれがあるかないかで大違いなのだ。

24キロのところに、このマラソンの名物であるしし汁のエイドがある。
これはぜひ飲みたいのだけれど、器とお箸でしっかり食べるようなものであり、食べるのに結構時間がかかるのでどうしようかと思っていたところである。
ただ、このしし汁、ゴールした後にも振る舞ってくれるというので、そちらでゆっくりいただくことにして、スルーすることにした。
ゲストのかつみ・さゆりのさゆりの甲高い応援の声が聞こえる。
ゲストランナーの野々村真は速すぎて姿すら見えないのだろう。

25キロからは5キロゆるやかに上って、5キロゆるやかに下る折り返しコースが始まる。
なので、全体的にランナー密度が高くなって、走りにくくはなるが活気はある。
と、対抗レーンから「宗平くーん」というひときわ大きい叫び声が聞こえてくる。
やはり、てらやんの声は迫力がある。
長井さん&てらやんペアは、10キロほど前を行ってるのだから、やはり速い!

さて、28キロのあたりで、ついに腰のあたりに違和感が出始めた。
福知山や神戸のときにはハーフを超えてわりとすぐに痛みが出始めたので、多少は遅らせることはできただろうか。
ただ、これまでは足首やふくらはぎから痛みが出ることが多かったのだが、今回はなぜか腰からだ。
スクワットをして少しはトレーニングをしたつもりだが、まぁどこから痛み始めるかはその時々で違うようである。

30キロを超えてなんとかまだ5分50秒のペースで走っている。
エイドで給水して停まると、足の痛みがひどくなるので、エイドをパスした方がいいのかなと思わなくもないのだが、やはりスポーツドリンクはとることにした。
私設エイドがたくさんあって、飴やチョコレートや梅干しなんかもいただきながら走っているのだが、どんどん足が重くなってきて、うーん、「1キロが果てしなく長く感じられる」ゾーンに突入してしまった。
おにぎりのエイドがあったのだが、「いらない」と言ってしまった。
なぜだ!おにぎりのエイドなら真っ先に飛びつくはずなのに。
食をこよなく愛する僕にとって、食欲がないというのは重症だ。
風邪をひいても食欲はいつでも万全なのに。

そして、34.5キロ。ついに今回もやってきてしまった…足がどうにも動かない。
なんでこうなるの…と思いながらも、しばし歩かせてもらうことにした。
うーん、今回も歩いてしまったかぁ!
とぼとぼ歩くこと1キロ以上。
GPSボイスコーチによると、1キロ10分のペースらしい。
隣で歩いてるおっちゃん曰く「もう、はよ終わりたいなぁ」「ほんまにねぇ」なんてなやりとりをして、その場をやり過ごした。
次の給水ポイントまで歩かせてもらうことにした。
エイドを出るときに、後ろから元気な声が。
ヨッシーさんが見つけてくれて、力強いエールをくれた。
そのおかげで、少し元気が出てきたので、再び走り出した。
すると、とんさんが「痛い」と言って停まってしまった。
ふくらはぎがピクピクして走れないのだという。
伴走ボランティアではなくパートナーとして走っているわけだから、伴走者の方に故障が起こって、二人で対処するということもやはり大事なことだろう。
「無理せずに歩きましょう!」と言って、もう少し歩くことにした。
ちょうどとんさんのご友人の方が通りかかられたので、少しだけその方にロープを持ってもらったのだが、とんさんのすごいところは、そのわずかな時間の間に、長年の経験に基づいて足を動かすことによって、とりあえずの復活を果たされたということだ。
かなり痛いということのようであったが、それをどのようにして治されたのかはやはり経験のなせるわざなのだろう。

そして、37キロあたりから最後の5キロを走り出した。
しかしまぁ、痛む足にとっては「1キロが果てしなく長く感じられる」ゾーンは続いていて、GPSボイスコーチが1キロ通過を示す音が待ち遠しくて仕方がなかった。
まだかいな、まだかいな…といった具合に。
「がんばれ!がんばれ!おかえり!」など沿道から様々なる声援を送ってくれて
いるのだが、とてもじゃないけれど、返す気力がない。
ついには横腹まで痛くなってきて、「おい、もう十分頑張ったので、これでよしとしてくれぇ」なんて沿道に叫びたい気分である。
40キロまで来たのに、まだ嬉しさが感じられない。
GPSボイスコーチをスタートラインから計測すればよかったのかもしれないが、そこから数100メートル手前で並んでいたところから開始してしまったため、ボイスコーチが40キロだと告げていても実はまだ40キロには数100メートル達していないのだ。
うーん、ただだましだまし足を動かすだけの苦行が続く。
給水をとる気力もない…というか、エイドで足を停めてしまうともう走れなくなりそうでもあったのだ。
ボイスコーチが42キロと言ったとき、ようやくこの苦行の終わりが見えたように感じた。
ところが、その数100メートルも実に辛く、「はよ終わろ!」と思ったその時、うしろから「宗平、とんさん」という元気な声。
おぉ、ここで登場か、オリーブさんだ。
元気に颯爽と駆け抜けてゴールインされた。
その元気をもらって、我らもなんとかゴールイン!
グロスタイム4時間35分44秒、ネットタイム4時間29分3秒だった。
ネットタイム4時間半はもう厳しいと思っていたので、やったぁである。
前半のいわゆる貯金のおかげだ。
1キロあたり5分50秒がよかったのかどうかわからないが、それほど無理な感じでもなく、自然な感じだったし、逆に1キロ6分15秒で走ってたとしても35キロあたりでやはり足は痛くなっていたかもしれないので、まぁこれで今の自分のベストにはなったのではないかなと思う。
歩かずにゴールという目標は次回になったが、やはり持久力不足は否めない。

学生さんに完走メダルをかけてもらうととにかく嬉しい気持ちと、ほっとやれやれの心地よい疲労感に包まれる。
このメダル、丹波焼きで作られているそうで、ここにも篠山らしさがよく出ているのだ。
さて、ゴールした後のお楽しみにとっておいたのがしし汁だ。
が、やはりみんなこれを楽しみにしているから長蛇の列で30分はかかりそうだ。
しばし休憩と着替えをしに行ってから、再度チャレンジすると、もうすいていてラッキーなタイミング!
うーん、具だくさんの豚汁風で実に美味しい!
完走後だから一層美味しい!
足が痛いとんさんにご無理を言って、黒豆ソフトクリームを食べて、黒豆ひねり餅をお土産に買って、家路についた。
帰ってきたら、文字通りばたんきゅー!
いやぁ、フルマラソン42キロはまだまだ長い旅だ。
ようやく余韻にひたりながら…あぁ、来シーズンは何に出ようかな。
とんさん、辛くも楽しい篠山お世話になりました&ありがとう!