2016別府大分毎日マラソンでの和田選手と福永選手

2月7日日曜に行われた2016別府大分毎日マラソン、今大会はパラリンピックマラソン代表最終選考レースとしても実施され、その代表選考レースのIPCの男子の部に、長居わーわーずからは和田伸也選手と福永智洋選手が出場しました。

まずは、代表推薦枠の最後の1つを、2015IPCマラソン世界選手権5位(2時間37分48秒)の熊谷豊選手と争うことになると目された和田選手。

その座を和田選手が獲得するには、熊谷選手より先着したうえで、熊谷選手が2015IPCマラソン世界選手権(ロンドン)でマークしたそのタイムを上回ることが求められました。

両者の争いは予想通りに激しいものとなりましたが、軍配は、2時間33分46秒(男子T11日本記録)をマークした和田選手に上がり、和田選手が代表推薦枠の最後の1つを獲得しました。

なお、パラリンピックの視覚障害マラソンで、各国に割り当てられる選手枠は原則3名ですが、代表の正式決定は6月末以降となります。

また、2時間58分42秒(2011年福知山)の自己記録を持つ51歳の福永智洋選手は、今大会の目標タイムは3時間8分。
1ヵ月半前の防府マラソンを3時間12分27秒でまとめた時には、今大会に向けての準備は万全かと思われました。

しかし、1月に風邪をひいた影響などで思い通りのレース運びができません。
それでも、持ち味の堅実な走りで、安定したラップを刻んでいき、3時間13分32秒でフィニッシュしました。

大会史上最多の3402名のランナーがスタートラインを越えて行った2016別府大分毎日マラソン。
スタートの12時の気象コンディション(主催者発表)が、気温6.5度・北北西の風0.8メートルと、数字上はやや低い気温ながらも、この大会にしては風が穏やかな晴天の下でレースが始まりました。

それでは、両選手によるレポートをご覧ください。

■和田選手の完走記

今回のレースは、13名のIPC登録男子選手が出場し、リオに向けて走りましたが、推薦順位第3位の座をかけての、熊谷選手(T12)と私との実質的な一騎打ちのレースとなりました。推薦順位第1位はすでに堀越選手(T12)が決めていて、推薦順位第2位は岡村選手(T12)が確実視されていました。
序盤から先行した熊谷選手に私が終盤追い上げ、ようやく追いつけたのは41Kすぎでした。私はレース序盤から中盤にかけ、冷静に自分のペースを想定通りにリズムよく刻み、後半にくるだろう勝負どころで、いつでもいける心の準備をしていました。
最初から前を走る熊谷選手は全く見えないものの、35Kの折り返しくらいからじわじわギアを変えていき、追い風にも乗っかり、かなり体は動いていました。
前半20K伴走のGさんとのリズムもっぴったりで、中盤までのペースがよかった証拠ですね。
当初、40Kまでのどこかでは、熊谷選手の姿を捉えたいなと思ってはいました。
しかし、行けども行けども姿がありません。折り返しでも、後半伴走のNさんが熊谷選手の姿を見なかったということでしたし、一瞬、棄権でもしたのかなとも思ったくらいでしたが、39K地点の沿道にいた私の妻が、熊谷選手との差が1分だと情報をくれました!!
「え、そんなに前にいるのか、残り3Kしかない。万事休すか…」と心が折れそうになりましたが、「いや、いくしかない。」、見えない相手に対してすでにペースはあげていましたが、ここからは大爆発させるぞ!と気合を入れ直し、ギアをもう一段階あげました。
すると、40K手前くらいで、熊谷選手の姿がやっと遥か遠くに見えてきました!!
「見えた!見えた!!」とのNさんの声。まだかなり遠いようでしたので、残り距離で追いつけるのか、競技場勝負くらいにもちこめるか、でも、あれこれ考えずにもういくしかないとまた気合を入れなおしてギアを更に入れ直して追いかけました。更に力をこめてペースアップですね!!まだまだいけると自分に言い聞かせて。
41K地点くらいだったでしょうか。現地に応援にきてくれてたTさんがでっかい声で、「16秒差!!」と叫んでくれました。
「おお!!確実に縮められてる!!これはもう一発ギアをかえていくしかない!」苦しいけど、更に更にあげるしかないと、そこからまたがつんといって、何度ペースをあげたことでしょうか、ラスト1K付近で熊谷選手をとらえることができました!!
追いつきはしましたが、熊谷選手も私も気合十分、どちらも譲りません。
ここで勝って、リオに1歩でも近づきたいという気持ちは同じで、このレースにかける思いは他のどんな選手にも負けていなかったと思います。
結局、熊谷選手も自己ベストを3分42秒更新する素晴らしい走りでしたし、私も1分53秒の自己ベスト、T11の日本記録更新でしたので、お互いに最高の準備をして、非常にハイレベルな競り合いができたと思います。
競技場でのラスト勝負にまでもちこまれると、私よりもスピードのある熊谷選手の方が有利になりますので、追いついてからは一気に勝負をしかけました。またまた更にペースアップです!!残りの最後の力をふりしぼって。
前に出たとしても、ぴったりつかれると今度はこちらが苦しくなるので、もう無我夢中でのラストスパートでした。その甲斐あって、ゴールの競技場に入る前に順位をあげることができました。感動的なフィニッシュを迎えることができ、ゴール後、Nさんと喜びを分かち合いました。
結果的には、私がわずか20秒先着することができましたが、ほぼ互角の闘いで、ともに全力を出し尽くしました。私の今回の好記録は、強いライバルと競り合ったおかげでマークできたものであることは間違いありません。選考レースにふさわしい、歴史に残る白熱した名勝負でした。
これで私は、推薦順位第3位の座を獲得できたわけですが、マラソンでの代表枠はまだ確定ではありませんので、5000mで代表権(T11)をきっちり獲得できるよう、春以降のIPC公認大会にも挑戦していきます。
日本代表メンバーの公式発表までにはまだ時間がありますので、それまでにやれる
ことはすべてやっていきます!
いつもたくさんご声援、ありがとうございます!!今回のレースでナイス伴走してくださり、強化合宿でも厳しいトレーニングをしてくださっているGさんとNさんはもちろんですが、これまでに一緒に走ってきてくださった皆さんのおかげで、今回の好結果があったと思っています。大変感謝しています。ありがとうございます。
まだまだここからもがんばっていきますので、今後ともご声援、どうぞよろしくお願いいたします。

[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
18分40秒、18分32秒、18分03秒、18分13秒、
18分20秒、18分18秒、18分37秒、17分42秒、7分21秒
*35キロ~40キロの17分42秒は35番目、40キロ~フィニッシュまでの7分21秒は13番
目(男子完走者2854人中)。
*なお、以降に掲載の順位は、いずれも男子完走者2854人中。
・前後半
前半:1時間17分29秒 後半:1時間16分17秒

[順位の推移]
中間点 1時間17分29秒    184位
35キロ 2時間08分43秒    127位
40キロ 2時間26分25秒    102位
フィニッシュ 2時間33分46秒 88位

■福永選手の完走記

福永@ブラインドです。

自分は、別大マラソンに参加させていただき、
吉本さんが書いてくださったように、3:13:32でした。

今回は、積極戦法で、前半からいったつもりでしたが、
思うようにペースが上がらず、
後半から終盤、多少の落ち込みは覚悟のうえでしたが、
踏ん張りきれなかった、という感じです。

要因としては、
1月に入ってから、かぜをひいてしまい、
疲労は、完全にとりのぞけましたが、
パフォーマンスも、下がってしまった

自分は一切取材など受けてないのですが、
毎日新聞やTBSテレビなどの雰囲気にのまれてしまった

別大国道のバンクで、余分に脚を使った

35km以降、走路が狭くなり、前のランナーさんを
ぬきにくくなった

などなど、ひとつひとつは数十秒レベルだと思うのですが、
いろんなことが積み重なって数分レベルのロスになったかなと思っています。

結果的に、防府のほうが速かったので、
あらためて、フルマラソンの奥の深さを実感しています。

それでも、てらやんが沿道から応援くださったり、
走行中にいろんなかたが声をかけてくださり、
関西で走っているような気分でした。

また、今回の前半伴走のかたを紹介してくださったかたの
沿道応援が、40kmすぎにあり、
最後の最後まで、気持ちをきらすことなく
燃えに燃えて走りきることができました。

3:13:32は、自分の別大コースレコードですし、
記録をねらって複数走ったシーズンの平均タイムが
3:12:59.5というのは、過去最速なので、またがんばろうと思います。

それでも、わだっちの2:33は、当てられるのに
自分の3:08は外すっていうのは、なんでやねんって感じですけどね。

自分のフルマラソンは、今シーズンはこれでおわりなので
これからはトラックでしっかり走っていこうと思っています。

そして、ゼロからまたつくりなおして、
来シーズンのフルも、またがんばろうと思っています。

お世話になりますが、
よろしくお願いいたします。

[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
22分32秒、22分57秒、22分49秒、22分59秒、
22分44秒、22分43秒、23分22秒、23分20秒、10分06秒
・前後半
前半:1時間36分18秒 後半:1時間37分14秒

[順位の推移]
中間点 1時間36分18秒    2177位
35キロ 2時間40分06秒    2002位
40キロ 3時間03分26秒    1882位
フィニッシュ 3時間13分32秒 1834位

参考
[大会開催時間帯の大分市の天候] *気象庁観測値
12時 気温6.0度 北北東の風2.3m/s 湿度59%
13時 気温6.3度 北北東の風2.4m/s 湿度61%
14時 気温7.0度 北北東の風1.6m/s 湿度53%
15時 気温7.6度 北北東の風2.5m/s 湿度54%

■代表枠争いの行方(IPC男子の部)

2016リオパラリンピックマラソン代表の推薦順位2位・3位を決定するこの大会、まずは、序盤から岡村正広選手が推薦順位2位の座を着々と固めていき、2時間27分24秒で、IPC男子の部の1位でフィニッシュします。

一方、白熱化したのは、和田選手と熊谷選手の推薦順位3位争い。
パラリンピック代表に必要な2時間37分48秒はもちろん、自身の持つT11男子の日本記録(2時間35分39秒)を更新するペースでレースを進める和田選手に対し、熊谷選手はその差を徐々に広げていき、35キロでの和田選手と先行する熊谷選手の差は2分14秒。

これまでは終盤の走りに課題があった熊谷選手でしたが、今大会ではそれを克服してきたことを示し、この時点での2人の勝負の決着は、熊谷選手に分があるように見えました。

しかし、和田選手は、35キロから、その熊谷選手をさらに上回る走りを見せます。

まず、40キロまでの5キロを17分42秒と大幅にペースアップ。
そして、さらにその勢いを増した和田選手は、大分川に架かる舞鶴橋への上りにも気付かなかったほどの勢いで猛追して、熊谷選手を逆転。

フィニッシュまでの2.195キロは7分21秒でカバーして、そのままIPC男子の部の2位に入り、和田選手が同代表推薦順位3位を確定させました。

大会公式サイト
https://www.betsudai.com/

第9回京都陸協記録会5000mに出場の和田選手

2015年12月6日、京都市西京極陸上競技場補助競技場で行われた第9回京都陸協記録会(日本陸連公認競技会)において、5000mに出場した和田伸也選手は15分50秒87をマークし、自身が持つ同種目(男子T11クラス)の日本記録を1秒07更新しました。

なお、この大会はIPC(国際パラリンピック委員会)公認競技会ではありませんので、自身の持つアジア記録更新とはなりません。

[参考]和田選手の5000mの日本記録(男子T11クラス)更新の軌跡
2011年10月10日 16分10秒26 関東選手権(上尾)
*従来の日本記録は16分49秒26
2012年9月7日  15分55秒26 パラリンピック(ロンドン)
*アジア記録/銅メダル
2013年4月13日  15分51秒94 大阪陸協記録会(長居第2)
2015年12月6日  15分50秒87 京都陸協記録会(西京極補助)

以下は、和田君の感想レポートです。

2015年度第9回京都陸上競技記録会5000mに出場して
2015年12月6日(日) 西京極陸上競技場サブトラックにて
2組目13時15分スタート

10月のIPC陸上競技世界選手権ドーハ大会で銅メダルを獲得して、好結果を残して帰ってこれたのは大変喜ばしいことでありましたが、記録はといえば、16分31秒04と、自身の持つT11日本記録には遠く及びませんでした。
10月のドーハは、蒸し暑いタフなコンディションでしたので、それはしかたのないところはありましたが、この間、夏合宿などでも、せっかく5000mに向けた強化、厳しいトレーニングにも取り組んできていましたので、
この秋・冬のトラックで5000mの記録を狙おうと準備していました。
前日の12月5日の大阪陸協記録会にもエントリーしていましたが、伴走の皆さんの都合や、自分の体調などからこちらは回避し、12月6日の京都陸協に1発かけようと気合をいれました。
前日は棄権し、自宅周辺で調整でした。
伴走は、2014仁川アジアパラ3冠伴走のI君です。
I君には、これまでにも国内の記録会で伴走をお願いすることが多く、15分台も3度マークでき、記録更新の立役者です。
2013年4月にT11の日本記録を更新した時もI君のガイドでした。
組37人で走るという大混雑レースを、もうなんて言ったらよいか分かりませんが、今回も巧みなロープさばき・位置取りでした。
最初は20人くらいの先頭集団の一番後ろについていました。
前半、目標ペースくらいのかなりイイペースで、よしよしと思っていましたが、3000mくらいで少し集団のペースが遅くなって、ちょっとこれでは記録が出ないなあと思っていたところ、徐々にあげてあげて、ラスト1000mのときには、先頭の二人の真後ろに入ることができました。
I君も、たぶん、ラスト1000mは先頭もあげてくるからしっかりついていこうと声をかけてくれ、よし、と心の準備をして、4000mを通過していきました。
4000mを12分48秒から49秒くらい、これは目標よりもちょっと遅れていましたが、その分、力はためられていました。
残り900mのホームストレートにきて、前の2人、お互いに様子を見ているのか、あまりあげてきません。
なら、こちらからいくかと、I君もちょっとしかけが早いかと思ったそうですが、いや、ここで一気に前へ出るとロープで合図し、ラスト2周に入る手前で一気にトップに立ち、そのまま突き放していこうとギアをかえました。
ついてくるかなあと思いましたが、ここでのスパートが想定外だったのか、すぐに離れてくれて、ぐんぐんオレの体も動き、そのままフィニッシュ!!
ラスト1周も最後まで失速することなく、気持ちよくゴールお駆け抜けると、2年8ヶ月ぶりの自己ベスト!!15分50秒87、1.07秒更新でした。
おお、間に合った、あそこであげてよかったと、気持ちよかったです。
いつも皆さんにはたくさん応援していただき、大変感謝しています。ありがとうございます。
5000mでは、この2年くらい記録に悩み、アキレスけんやかかとの具合にも悩んできましたが、ようやく、アキレスけんの状態も元に近いくらいに戻ってきて、そして、ようやく記録も戻ってきました。
リオデジャネイロパラリンピックも近付いてきています。
またここからしっかりあげていき、ロンドンパラリンピックに続き、2度目のパラリンピック出場、そして、世界一を目指してがんばっていきたいと思っています!!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

以上です。

「2016大阪ハーフマラソン」 野尻さんの完走記です

大阪ハーフマラソンを走ってきました

和歌山の野尻(ブラインド)です
1月31日、福士加代子選手(ワコール)が2時間22分17秒の高記録で優勝した第35回大阪国際女子マラソン。同時に開催された「2016大阪ハーフマラソン」に、どめっちさんに伴走していただき、出場しました。
1年前から、「今シーズンはハーフの90分切りを」と、ひそかに大きな目標にして練習してきました。
競走レースでもなければ自分が設定した目標にも関わらず、1月に入って今日が近づくにつれて、これまでにないような不安を感じ始めました。
和歌山国体が終わった11月から、長居公園で、90分切りに必要なキロ4分15秒のペース走に挑戦。何としても達成してやろうと強く心に刻みながら、色々とイメージトレーニングもしながら本日を迎えました。
今日の夕方はどんな状態で帰宅するのだろうと思いながら、今朝自宅を出ました。
今日は絶好のラン日和です。陸連登録組のおかげでAブロックからスターとできるのですが、それでもなお少しでも前に並ぼうと、1時間あまり前から整列します。いつもは寒くて仕方ないのですが、本日は寒さを感じないどころか、日差しが強くて「これは走ると暑いなあ」と思うくらいの天候です。
12時10分に、6000人のランナーが大阪城をスタートです。
3キロ、4キロ辺りは4分7秒前後で刻み、スタートのロスを一気に解消です。でも、自分にとっては、まるで駅伝ペースのような、こんなペースで続くはずがありません。とにかく前半からきつくてきつくて…。
西に向かって走り北浜で折り返して、6キロの手前で南に向かいます。ここはやや下りが続きます。鶴橋、桃谷の駅前を通過、沢山の沢山の沿道からの声援です。
9キロ過ぎで、同時刻に長居ヤンマースタジアムをスタートした女子マラソンのランナーたちとすれ違います。福士選手がトップのようです。
10キロ手前で東に進路を取り、JR環状線の高架をくぐります。「やっと半分だ」と思うのですが、ほとんど気持ちに余裕もなく、ゴールは果たしてやってくるのだろうかといった印象です。
11キロ過ぎで右折して勝山通りを南に向かいます。懸命にキロ4.15を刻みながらも、少し向かい風が出てきたのでしょうか。
14キロで右折、松虫通りを西に走ります。ここは少し上っている感じで、もう体も限界で、かなり走れている感じなのにキロ4分20秒辺りまで落ちています。「まだ6キロもあるのか…」、絶望的な気持ちになります。
90分は切れなくてもここまでくればなんとか自己ベストは出せるだろう…などと、少し言い訳も考えながら、弱気になるのですが、「後は気合だけですよ」と、どめっちさんの激励。
16キロ手前で左折して我孫子筋を南に、ひたすらの直線です。
息絶え絶えに後ろをついてくるランナーがいます。ここまでくると、みんな気力で走っているのだなあと。
もう距離も何も考えるまい、無の境地と言えばとても言いすぎかもしれませんが、にぎやかなはずの喧噪が「静かだなあ」と感じます。そうすると不思議なもので、JRの高架をくぐり、もう長居センター前の交差点を通過です。
ペースもキロ4分一桁まで戻し、我慢の限界は超えているのですが、とにかく残りは、ただ気力だけ。
我孫子筋を離れ、やがて長居公園内の走路に入ります。いつも練習で走っているところなので、距離感も手を取るようにわかるのですが、とにかく苦しい。そして残り1キロを通過。いつもは向かい風が強烈ですが、今日はそれがありません。ありがたいかぎりです。
ついにマラソンゲートが近づいてきました。ここにきて、ものすごい声援が聞こえます。右折してスタジアムに入ります。
「あと300メートルですよ」と、どめっちさんの掛け声。
300メートルというわずかの残りを頭に考えたとき、急に足が動かなくなりました。必死にもがくように前へ前へ。いやいや、トラック4分の3周が本当に長かったですねえ。
前を行くセッキーさんにあと10数メートル届かず。
ゴール後はしばらくもう動けません。
1時間29分27秒。
「ものすごく大きな壁を越えた」と、だんだんと実感が沸いてきました。
こんな苦しいレースは経験がないですが、後半あきらめなかったこと、気力が最後まで継続できたことが本当に嬉しいかぎりです。またひとつ、大きな自信になりました!
どめっちさんには本当に感謝感謝です!!
沢山の応援を、本当にありがとうございました!
そして本日走られた皆さん、大変お疲れ様でした。
また今後とも伴走を、よろしくお願いいたします。

大阪ハーフマラソンの大会サイトはこちらです。

「第27回 加古川マラソン」 セッキー君の完走記です

12月23日に加古川マラソンを伴走のウスちゃんと走ってきました。タイムは、3時間24分26秒とサブ3.5を初めて切ることが出きました。
初めてフルマラソンを走ったのが2年前の大阪マラソンで、その2週間前の試走会での打ち上げの時にみんなの前で「目標3時間20分を目指したいと思います!」と言ったところ、周りから「そこは大きく3時間15分を目指しますと言え!」と突っ込まれたのがとても懐かしいです。
初フルでの結果は3時間35分台と目標には遠く及びませんでした。その翌年の2月に開催された木津川マラソンで何とか3時間30分47秒と、あと一歩というところまで縮めることが出きました。しかし、その後の東京マラソン、寛平マラソン、大阪マラソン、福知山マラソン、篠山マラソンを走らせてもらいましたがサブ3.5を切ることは出来ませんでした。
いつもみんなから突っ込まれて注意されているのが、「セッキーは、最初から飛ばし過ぎて、後々に疲れてスピードが落ちるんだよ」とよく言われます。そこで、今回の加古川マラソンでは、体調が良いと言っても最初から飛ばし過ぎずキロ5分ペースを保ちつつ走ることにしました。その甲斐もあって、いつもならハーフを超えた辺りからペースダウンするのも無く、そこで、伴走してくれているウスちゃんが25kmをを過ぎたところで、もう少しペース上げても良いよと言ってくれたのですが、残り17kmもあると思ったら、いま上げてしまうと途中で足にくると思い、これまで通りの一定のペースで行こうと思いました。しかし、35km地点ぐらいに足がつりそうになり、少しペースを落としてもらい、エイドで塩分とスポドリを多くとってもらい、ジョグをするような感じでゴールを目指して進みました。その間も横で走ってくれているウスちゃんが、残り5km!長居の2周もないぞ!や残り長居1周、そう思うと頑張れるだろうなど、色々と励ましてもらい最後まで走りきることが出きました。本当にありがとうございました。
タイムを聞いて最初はビックリしました。3時間半を切るのも難しかったのに、それが、3時間24分26秒を出せるとは思いもよらなかったです。一緒の大会に出られてエールをくれたみなさん、沿道で応援してくれたみなさん、チームのみなさん、本当にありがとうございました。
これからも頑張りたいと思います。宜しくお願いします。

第46回防府読売マラソン大会 福永さんの完走記です

福永@ブラインドです。

自分は、藤原新選手が優勝した防府読売マラソン
3時間12分27秒で、走らせてもらってきました。

防府マラソン、25kmの関門が102分のころから
いい大会と聞いてはいましたが、
よく伴走お願いしているみなさんの勝負レースだったので、
自分が走ることは、一生ないだろうと思っていました。

今回、IPC登録の部が開催されるということで、
このチャンスは逃がしたくないという気持ちで、
めちゃくちゃ伴走お願いしまくったところ、
日帰り対応でよければというかたが、二人いらっしゃったので、
お願いさせてもらいました。
(自分は土曜の夜ビジネスホテルに泊まりました)

最初の1kmに5分37秒もかかったときは、
せっかくの防府も、これで終わったかなとかおもってしまいましたが、
道幅も、しっかり確保されていて
思っていたペースで走れるようになってきました。

事前に、30km以降向かい風と聞いていましたし、
土曜に詳しい人から、34kmから37kmは、向かい風と聞いたので、
それまでは自重自重と思って走りました。

確かに向かい風のあるところも、ありましたが、
途中から日差しもなくなって、絶好の気象条件でした。

35kmを、2時間40分50秒で通過し
あと2km風があってもいけるだろうと、それぞれ4分32でカバー。
そこからの5.195kmは、走りに走りました。
40kmまでの3kmはペースアップでき、13分10秒でした。
ラスト2.195kmは、ほぼ4分20秒ペースの
9分23秒の自己ベストで走ることができました。
(これは、今までの9分45が福知山だったからなんですけどね)
で、ラストの7.195kmの31分37秒も自己ベストとなりました。

今シーズン初のフル、まあまあ走れたので、
来年2月の別大マラソンは、もう少し上の記録をめざして
がんばろうと思っています。

また、お世話になりますが、
よろしくお願いいたします。

第18回鈴鹿シティマラソン 赤星さんの完走記です

12月13日(日)に鈴鹿サーキット国際レーシングコースで開催された鈴鹿シティマラソン(5.6km)を走ってきました。例年は鈴鹿おろしが吹く中、寒さに耐えながら走ることの多いこの大会ですが、当日は季節外れの温かさで、汗ばむほどでした。予め視覚障害で伴走者と走ることを伝えていたからか、大会主催者の対応もとてもよく、安心して参加することができました。
コースはアップダウンあり、立体交差あり、何よりも、カーブにカントがついているので、見えていない私でも路面の状況を体全体で感じることができました。また、スタートの合図やフジテレビのF1のテーマソングを聞くだけで、気分がとても盛り上がりました。ぜひとも、この感覚は他の視覚障害の方々にも体験していただきたいと思いました。
走り終わった後、大会スポンサーのAGF(味の素グループ)の方から社内誌に乗せたいと写真を撮っていただきました。社内誌なので見ることはできませんが、よい思い出となりました。
伴走者を探してくださった、おけいはんさん、針小路さん、U先生をはじめ、主催者の鈴鹿市、そして一緒に走ってくださった三重の伴走ボランティアグループ走風のOさんに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。今後も、お世話になることがあるかもしれませんが、よろしくお願いします。

「第19回視覚障害者マラソン宮崎大会 兼 第24回青島太平洋マラソン大会」野尻さんの参加記です

和歌山の野尻(ブラインド)です。
12月13日、第19回視覚障害者マラソン宮崎大会、兼 第24回青島太平洋マラソン大会に行ってきました。
この日は最高の天気に恵まれ、昼間は20度近くまで気温が上がり、上着もいらないくらいの暖かさ。走ると暑いような1日でした。
この大会は3年連続で出場していて、フルのコースもかなり熟知してきた感じです。
3時間27分と、このコースで初めて3時間半を切ることができました。そして、障害区分別(B1クラス)で第1位をいただくことができました。
前半はキロ4分半から40辺りのペースでいけるところまでいってみましたが、やはり30キロを過ぎてからとても苦しくなり、かなりのペースダウンで地獄のような道のりでした。後半をいかに走るか、この辺りが大きな課題ですが、まあ前半の貯金がなんとか功を奏したのかなというところです。
コースは全体を通してアップダウンは少なく、特に宮崎市内中心部では沿道からたくさんの盛大な応援がいただけます。後半の10キロはすばらしい景色の青島海岸を行くのですが、足元が石畳であったり狭いところがあったりと、少し走りにくい感じがあります(もう疲れきっていますので、あまり関係はないのですが)。給水所は13箇所あり、宮崎の特産品や名物がたくさん。大会名物の日向夏ゼリーは37キロ辺りにあります(記録を狙う場合はゆっくり食べている余裕がないのでちょっと残念!)。
国際視覚障害者マラソン協力会という組織が宿泊や伴走者の斡旋などをしてくださり、宿泊場所である宮崎観光ホテルは、チェックインの際に大会の受付ができたり、また豪華な夕食や温泉大浴場や、朝は大会会場まで送迎バスがあるなど、とてもすばらしい、視覚障害者にとってとても参加しやすい大会です。
これからマラソンシーズン本番ですね。また頑張って走りたいと思いますので、皆さんよろしくお願いします。

第5回神戸マラソン 宗平さんの完走記です

今日は第5回神戸マラソンに行ってきた。
昨年の福知山マラソンからちょうど1年ぶりのフルマラソンだ!
神戸は学生時代の6年間過ごした地であり、まさかその10数年後にそこを走っているなどとは考えもしなかったことなので、実に不思議なものである。

今回の伴走は平日練習で大いに鍛えてもらっているゆうさんだ。
なかなか手厳しいことも言うけれど、たいへん頼りになる存在なのだ。

朝9時。スタートはしたが、18000人が走るため、僕のいるFコーナーが出発できたのは13分後。
その後も団子状態で最初の1キロを通過するのに9分かかるという状況であった。
これはこれで、最初に飛ばしすぎるのを防げて個人的にはありがたい面もある。
しばらくはずっとこんな感じかと思っていたら、少し団子が解消してきたのか、ゆうさんのロープさばきがうまいのか、3キロを過ぎた辺りから、それなりに進めるようになってきた。
沿道にはかなり大勢の人が、温かい声援を送ってくれ、その声援も途切れることがないので、一体何人の人がエールを送ってくれているのだろうと思うくらい、なんともありがたい限りだった。
今回の目標は1キロ6分半のペースで最後までいってなんとか4時間半あたりを目指すことであったが、この辺りから6分半のペースで進めるようになってきた。
この秋は、山城・万灯呂山マラニックに始まり、わーわーずや神戸の方との神戸マラソン試走会、かもぱの姫路合宿と30キロぐらい走るマラニックにも参加させてもらったので、どれだけ持久力がついたのか楽しみだった。

三宮・元町・神戸を過ぎると、道が狭くなり、しばしば団子状態になった。
パンダちゃんのランナーについていって、7キロ地点で新長田駅を通り、巨大な鉄人28号に迎えてもらった。
「よし、この辺りでエイドがありそうだから、バナナでももらおう」と思っていたのだが、まだエイドはないらしい。
その後も、快調に走ったり、団子に入ったりを繰り返しながら、須磨に入ったようだ。
やはり老若男女のみなさんがエールをくれたり、太鼓やならしもので応援してくれたり、子供やチアリーダーのエネルギーをもらったりしながら、いつぞや国道2号線を、JRと山陽電車に囲まれながらそれなりにペースを保って、海の風を感じながら快走していた。
この辺りは試走会で走ったなぁという記憶がよみがえる。
ゆうさんが僕の手をとって、「宗平さん、手を右に出してみて」というので、そうしてみたら、沿道のみんなも手を出してくれていたようで、順にタッチしてくれた。
これは面白いよね!
「3番目の人の手はえらい大きかったなぁ」と聞いてみたら、「あれは猫のぬいぐるみやった」とのこと。
なるほど、いろんなのが応援してくれてるわけね。
そのままパチンパチンとタッチを楽しんでいたら、前にランナーがいたらしく、その人の背中にはい、タッチ、なんてこともしてしまったけど…。
ふと、「泥棒さん頑張ってー!」という声が何度か聞こえる。
ゆうさんに「泥棒って何やろねぇ?」と聞いてみたら、泥棒の格好で走っている人が近くにいらっしゃるらしい。
と聞いた瞬間、「泥棒です。頑張りましょうね!」と声をかけてくださった。
泥棒というにはかなり優しそうな人だった。

垂水の辺りまで来たらしいけれど、まだエイドがない。
密かに楽しみにしてるのに、そう簡単には食べ物を出してもらえないようだ。
ときどき、ブラインドランナーの人を見かけては声をかけて励まし合った。
わーわーずの方にも会ったようだけれど、どなただったのかわからなかったなぁと思っていたら、たくちゃんと、ブラインドの方がどなたかわからなかったのだが、お会いできて嬉しかった。
今回は、「伴走さん、頑張って!」という声も幾度となく聞いた。
今まではあまり聞いたことがなかったのだけど、少しずつ伴走というものが認知されてきたようで非常に嬉しい話である。
ゆうさんも、そんなふうに言ってもらえて、なかなか嬉しそうやった。

おっ、いよいよ折り返し地点の明石海峡大橋が近づいてきて、ただでさえ大勢の応援隊がなお一層手厚くなっている。
「応援もありがたいんやけど、そろそろ腹がへってきたので、食べ物のあるエイドを開いてくれ。折り返しまでに一カ所もエイドなしはいくらなんでも…」と心の中で唱えていた。
前半はなかなか快調に楽しみながら走れているぞ!
少し腰の辺りが痛くなってきたけれど、まだまだいける。
そのとき、ようやっと、待ってましたのエイドが現れた。
本日一本目のバナナなり(朝ご飯にも食べたから2本目かもしれないけど)。
チョコパンももらったのでエネルギーが補給された。

その後、また沿道に手を出して、何人かの人とタッチを交わして大いに元気をもらった。
勢い余って、気づけばその手を前のランナーのおっちゃん(だと思う)の脇の下へと入れてしまっていた。
えっらい汗かいてはる。
失敬しました。
それにしても、天気予報では雨の心配をしていたのだけれど、雨は家から駅まで降られた程度ですんだのだけれど、天気予報に反して、どうも陽射しがきつくてなんでやねん!
おまけに、海岸沿いはビル街とは違って、陽射しの影響をもろに受けるので、体感温度的にはちと暑くて、なかなか厳しい様相を見せてきた。
だからというわけかどうかは定かでないが、エイドの間隔が狭くなってきて、先程食べ損ねたどら焼きをもらい、走り出そうとしたとき、元気な声が呼びかけてくれていた。
なんと、おけいはんさんである。
やはり、知ってる人に会うとそれだけで嬉しいし、お互いに目標を言い合って、エールを送り合うのも実に楽しいものだ。

30キロの辺りにきた頃だろう。
ゆうさんが「宗平さん、ちょっと疲れてきてるやろ」と聞いてきた。
まさにズボシである。
腰だけでなく、ふくらはぎも膝も痛くなってきて、後12キロが途方もなく長く感じられてしまうというのが正直なところだ。
1年前の福知山のときも「30キロの壁」が大きかったが、やはり今年もまだまだその壁は手強かった。
まだまだ持久力が足らず、修行不足を痛感してしまう。
そんなとき、エイドでいただいたみかんの酸味がなんともおいしかった。
その横のおっちゃんに手を出すと、塩昆布をどっさり乗せてくれた。
そして、塩飴をもらったのだが、僕は飴はかまずにずっと口の中に入れておきたいもので、これがその後の苦境との良きパートナーとなってくれた。

30キロ付近ではまだ6分半のペースをなんとかキープしていたが、33キロ辺りではもう完全にペースダウンである。
給水所で水を飲んでは、屈伸して、アキレス腱を伸ばし、エアサロンパスを吹きかけてもらって、だましだまし走るしかないというきつい状況である。
そんなとき、ちょっとしたくぼみがあって、おっととっとどっこい!
少しふんばるも、あぁ、これは間違いなくこけるパターンだ!
とふんばりながらも覚悟を決めた瞬間、なんとゆうさんのスーパーこけたらあかんミラクル必殺技が発動され、どういうわけかバランスが徐々に回復した。
おそるべきゆうさん!

35キロで噂に聞いていた上り坂がやってきた。
ちょっと坂を上る気力が出せず、歩くことにした。
普段ならなだらかな上り程度に思う坂だとは思うが、この地点で遭遇すると話は別だ。
それにしても、この辺りは1キロがなんと長いことか。
でも、声援が途切れないのだから、ペースダウンしててもひたすら進むしかない。
足もかなり限界だが、あと5キロ。
昨年もそうだったが、その5キロが果てしなく遠いのだ。
そうして迎えた37キロ。
「あぁ、宗平さん、また坂があるわ」とゆうさん。
「え?坂って二つもあるんかいな」と一応スローペースで走ろうとしたのだけれど、そのペースでは歩いているのと変わらないとのことで、歩くことにした。
一度歩くと安きに流れてしまう。
その瞬間、なんと5時間のペースメーカーに追い抜かれてしまった。
これはまずい!と思える気力は残っていたようで、給水した後、赤くなっている腰に鞭打って、何とか力を振り絞ろうと試みる。
「あと4キロですよ」
「お、あと4キロ、うーん微妙な距離だな」
300メートルぐらい走ったところで、「頑張れ!あと4キロやで」
「おいおい、さっきも4キロって言ってたけど、どういうことやねん」

たくさんの声援をいただいているけれど、なかなかそれに応じるエネルギーがなく、ゆうさんの「後2キロや」という一言に元気をもらい、あと2キロならなんとかいけるかも、いやここでやらんかったらあかん、という気が出てきて、1キロ7分ペースに近づけることができた。
41キロ付近で、「100%勇気」の歌が流れてきた。
「100%勇気 もうやりきるしかないさ」
そのフレーズに励まされ、ペースを乱さずになんとかやり切れそうな気がしてきた。
「おかえりなさい」の声援が増えてきて、直進コースに入って、ゴールイン!
目標タイムには届かなかったが、4時間57分48、正味で4時間45分31だった。
福知山のときよりは正味で10分程短縮できたかな。
バスタオルとメダルをかけてもらい、炊き出しのスープと神戸スイーツをいただいて終了!
ゆうさんには練習のときからたくさんはっぱをかけてもらい、安心して走ることができ、感謝感謝である。
次の目標はやはり4時間半だろうか。
今シーズンは1月の高槻ハーフ、2月の視覚障害者マラソン、3月の篠山にエントリーしている。
今後もみなさんにいろいろ教えてもらいながら、ともに楽しく走って行きたいので、どうぞよろしく!

第1回金沢マラソン はなてんちゃんの完走記です

11月15日に開催された第1回金沢マラソンを走ってきました。
エントリーは障がい者枠で優先的に走れるということでなんのストレスもなく申し込みが完了しました。第1回ってどうなんだろ?運営面や交通アクセス、コースの状況はどんなだろ?と不安はありましたが、SNSなどから得られる情報はとても細やかで当初の不安はどこ吹く風、楽しみと期待感でいっぱいに胸を膨らませて前日受付に行きました。
わーわーずからもたくさんのブラインドランナーがエントリー、私は伴走のUさん、Yさん、Nさん、Kさんご夫妻の6人で向かいました。
数十年ぶりに訪れた金沢駅はまるで大阪駅の様な広さ、受付会場も駅構内?と思えるほどの近さで、障がい者受付ブースは別になっていてスムーズでした。

日曜日、土曜日から引き続いての雨にテンションは下がり気味。
マラソン会場は兼六園の側、シャトルバスもあったけれど駅から歩いても20分ほどなのでウォーミングアップを兼ねて歩いて行きました。スタート地点とゴール地点は離れているので手荷物はトラックに預けます。ここでも障がい者専用のトラックがあり、荷物を預けていると別行動のわーわーずメンバーと自然に合流できました。そしてろう者の方もぞくぞくとやって来られました。聞けばろう者だけでも70名のエントリー、視覚障がい者を含めると120名のエントリーがあったそうです。素晴らしいですね。

このマラソンでの目標は5時間を切ること。
8月中旬に腰を痛めてかばってると膝も痛くなって歩くのもひょこひょこ状態から徐々にジョグができるようになって10月に入ってようやく休みなしで15キロをゆっくりペースで走れるようになったばかりでしたから最悪7時間かかってもという気楽な気持ちでした。雨も止んでいい感じ?と思ったのもつかの間、また、激しく雨が降ってきました。
開会のセレモニーが終わってようやくスタート、なんと雨もぴったり上がりました。
Bブロックからだったのでスタートロスは約2分いい感じでスタートできました。
沿道は応援の人たちでいっぱい、途切れることなく声を限りに「がんばれー」「いってらっしゃーい」の声と楽器の演奏、小さな子供たち、年配の方々や野球少年チームなどなど、コースの途中に長いトンネルが2か所あるんですがその中にも応援の人たち、住宅街でも家から出てきての応援、金沢のみなさんの熱いあったかい応援に支えられどんどん走ることができて自分でもびっくりでした。

それでも練習はうそをつきませんね。15キロを過ぎたころから足は重たくなってペースダウンし足が動かなくなってきました。でもここであきらめたくはありません。実は30キロ辺りにカレーエイドがあるとのことで、前日に伴走のUさんと「金沢カレーって有名だからたべなきゃね」と話してました。私の初フルは2009年、しんどくなったら次のエイド次のエイドと言いながら走ったことを思い出し口の中でぶつぶつ言いながら、そしてUさんにも励ましてもらいカレーエイドに到着、ところが私はカレーの香りで満足(笑)Uさんに食べてもらいました。次は洋菓子エイドとスタートしたものの太ももが痙攣しそうで歩きが入ってしまいました。まあ、この頃はよくあることです(涙)
でも歩いていると徐々に復活、そんなとき後ろから男性が声を掛けてきました。聞けば東京からの参加、自分も若いころ少しだけ伴走をしたことがあるとか、年齢を聞くと75歳とか、元気で愉快なおじさんに助けられて私も元気をもらいました。

どの大会でもそうですが見知らぬランナーさんが走りながらエールを送ってくださいます。東京のばんばんクラブの方や他県の伴走者さんなどたくさんの方にエールを送ってもらえて元気をもらって走ってます。みなさん本当にあたたかいですね。
私も沿道での応援には「ありがとう」と声を出しています。そうすると自然と元気がでるからです。
洋菓子エイドでは有名なお菓子を食べて大満足、おかげで走れてました。
エイドはコーラ、果物、おにぎり、和菓子、洋菓子とおもてなしでいっぱい、特にコーラはとてもありがたかったです。応援もほぼ途切れることなく私たちの背中を押してくださってます。しんどいときに「がんばってるねー」の声が聞こえてきてはじめて涙が出てきました。そしていよいよゴール、Uさんと両手を挙げてゴールゲートをくぐったときも涙が、、、 感動のゴールでした。そしてタイムは4時間36分36秒と上出来。
しんどいときもあったけど楽しい金沢マラソンでした。コースは緩やかなアップダウンはあるけれど道幅も広くて走りやすいコースでした。
来年も走りたい大会がまた一つ増えました。

OSAKA EKIDEN in 長居 兼 第18回 全国視覚障がい者駅伝大会

説明:1区走者が号砲とともに一斉にスタートした直後を正面から。

11月8日(日曜)に長居ヤンマースタジアムとその周回コースを利用して、OSAKA EKIDEN in 長居 兼 第18回 全国視覚障がい者駅伝大会が開催されました。
朝から雨が降ったりやんだりの中、一般の部27チーム、視覚障がいの部24チームが4人一組でタスキを繋ぎました。

わーわーずからは視覚障がいの部に10チーム、一般の混成の部に伴走してくれている中学生達がチームを組んで1組参加でした。
詳細な記録は別途掲載しますが、視覚障がいの部で、わーわーずイケイケチームが優勝しました。
そして、わーわーずワクワクチームの中学生たちが一般の混成の部で、こちらもなんと優勝です。
区間賞は視覚障がいの部で、4区のウチ3名が、混成チームの中学生も4区のうち同じく3名がゲットしました。
若手もがんばっていますが、大御所のメンバーも2チーム作ることができて、タスキを繋ぐことができるか、最後の最後まで心配でしたが、ハラハラ!ドキドキ!しながら、繰り上げスタートすることなく、時間内にきっちりゴールしました。
それぞれのチームでいろんなドラマがあったと思います。

地元長居で開催される、駅伝大会!です。
これからも多くのメンバーで参加して、楽しんでゆきたいと思います。

説明:メグちゃん、みかりんの選手宣誓。 上部に文字の書き入れあり、 「宣誓!! 私たち選手一同は、陸上の聖地、長居で、  走れる喜びと、仲間を信じ、最後まで襷をつなぎ、  明るく元気よく走り切ることを誓います!!」

わーわーずチームの記録はこちらです。
頑張られた選手の皆さま、お疲れさまでした。

以下、参加の皆さまからいただきました一言感想文です。

●たかちゃん ガイド
駅伝雨の中大変でしたが、みんな仲間が沢山いて凄く楽しかったです。
めぐちゃん、みかりんの選手宣誓は格好良かったし、わーわーずが
1位になれたのはほんとに嬉しかったです。
またうーしゃん始めごりくんらの中学生チームも1位になれたのは
更に嬉しかったです。
来年もまたこの聖地長居ヤンマースタジアムで走りたいです。

●すいすいチーム ブラインド サケもっと
2年ぶりの駅伝参加で、記録はともあれ、2年ぶりに必死のパッチで
走りました。

●小山 (一部抜粋)
タスキを受け取りスタートしました。
心の中で、マイペースマイペースと、はやる気持ちを抑えながら周回
コースへ。
次々と、追い抜かれていくおいら~~~
1km過ぎたあたりから、雨が、急に降り出してきました。
こんな雨の中を走るのも初体験。
伴走者Oさんは、雨のほうが息を吸いやすいですとか、左腕をもっと
振ったほうがよいですよとか、どれぐらいの地点だとか教えてくれます。
相変わらず、次~次へと追い抜かれていきます
いったい何人に追い抜かれたのか?
中間地点の少し手前で、給水地点があり、マラソンランナーのように
走りながら、紙コップのお茶を一気に飲み干す。
後で、思ったんですが、ペースを落とすと、今までのマイペースに戻
すのに余計な負荷がかかったような気がしました
こんな時は、そのまま走ったほうがよかったのかもしれません。
(3.4kmですからね)
雨が降り続けているので、2ヶ所ぐらい足がすべると危ない鉄板もス
ムーズに越え、マイペースを維持。
残り1kmと教えてもらうと、ここから、少し馬力を出してペースを
上げようかなと気持ちはあったが、上がらず、そのまま。
競技場内のトラックへ。
もうここまで来るともう少し、ピッチを上げて、一人でも追い抜きたい
と思うがそんな余力はなく、ただただ、速くタスキを渡したいという
気持ちのみでしたわ。(笑)
タスキを渡すと、その場で座り込みたかったですが、邪魔になるので、
フラフラのまま、なんとか、待機室へ。
今まで感じたことの無い、みぞおち下の腹筋に違和感というか筋肉痛
を覚えました。
その後は、ペットボトルの水を飲み続け、肉体からはこれでもかこれ
でもかと汗を拭いても湧き出してくる。
雨と汗でびしょ濡れなので、落ち着いたところで、更衣室で衣服を着
替えました。シューズまで、ぬれていたので、こういう雨の日は、替
シューズを持ってきたほうがいいですとアドバイスいただきました。
こんな距離を走ったのは、約30年ぶりぐらいでしょうかねぇ。
閉会式は、2時半頃にあり、結果発表。まっ、我がチームは、一体
何位だったのか?分からずじまいでしたわ。(笑)
帰宅後、相方が、持ち帰っていた参加者一覧表をみて、全員の年齢が
書いてあるねぇ。中学生から80歳までと幅広い年齢層の参加者。
来年は、今年よりも、もう少し速く走れるように鍛えて、余裕を持って
楽に走れたらなぁと感じたのでした。
筋肉痛は、一日たってから、少しありましたが、走り始めた頃と比べ
ると、ずいぶんと減少してきているのを実感。
最後に、この大会を実行してくださった委員のかたやボランティア、
伴走者さんたちのおかげで、視覚障害者たちが、走れる喜びを与えて
いただいたことに感謝いたします。

●田中マー君
当日は雨が振ったりやんだりの足元の悪い中、長居ヤンマースタジアム
に51組も全国から集まりました。午前11時頃から開会式とゲストの紹介
がありました。私は「ゆうゆうチーム1区」を走りましたが、家内のレイコは当日キャンセルしたため「ゴーゴーチーム3区」を代走する事に!
1区をゴールした後、直ぐにゼッケンを取り替え3区スタート。暫くすると本来のチーム3区「渡辺。イソッチ」さんを抜くことに!
伴走者はこれこそ共食いやーと言われ順位を上げました。(苦笑)
最後に前から会いたかったランナー。偶然にもゲストの伊藤舞選手と握
手!

●針小路 ブラインド
わーわーず進化部って何やと思われた方々が多いと思いますので説明しておきます。元々は思い付きで駅伝チーム名を、チームはいかいで希望者を、募ろうと思っていたら、そんなんいややと逃げる人、そのネーミング
何とかならんかと言う人、なかなかおもろいやと賛同してもらえる方々、
話題性は、有りましたね。
そこで高齢、加齢、老人なども当然いやがられるし、進化部と名付け人生
のトップ集団を、走っている人たち、止まることなく戻ることも許されず
ドンドン進化した人を、集めました。
それで募集したら簡単に1チーム作れ、ではもう1チーム作った次第です。
参加条件を、一つだけ決めました。選手も伴走者も前期高齢者(65歳)
以上だけです。ちょっと条件に満たしておられないかたもおられましたが
どうせ行く道と言うことで協力して頂きました。
成績は、当然予想どうりブービー・ブービーメーカーとなりました。繰上
スタートだけは、逃れられたので最低の目標は達成です。
多分これからも駅伝は、はらはら・どきどきチームは、継続すると思いま
す。進化しすぎて戦力外通告受けた方は、是非加入よろしくお願いいた
します。
進化部のみチーム
[視覚障害の部] 24チーム 合計20km
23位 わーわーずどきどき 2時間07分09秒
24位 わーわーずはらはら 2時間19分52秒

●岸和田の大久保 ブラインド
僕は、全国視覚障碍者マラソンに、今回初めて参加させていただきました。
わーわーずのメーリングリストには、わーわーずからは11チーム参加と
聞いていましたが、全チームだと51(視覚障害24)と規模の大きさに驚き
ました。
チームメイトの間嶋さんや福場さんと現在の練習活動などのお話を聞かせ
ていただき、それぞれの情報交換ができました。
伴走者の庄司さんとスタジアムを出たら思いっきり走ろうと話し合って、
間嶋さんからタスキを受け周回コースを1周走り抜け、
タイムは13分7秒。大会終了後、伴走者の庄司さんと居残り練習で、
キロ4分30秒で20キロ、1時間29分25秒でまとめることができ、
充実した1日を送ることができました。
大会を運営された皆さん、本当にありがとうございました!

●ゆーま ブラインド
初めての駅伝、楽しかったです。
待っていた時、雨がすごかったけれど、やむように手振りまでつけて
お願いしていたら、少しましになって嬉しかったです。
ビチョビチョになったけど、走れて嬉しかったです。また出たいです。

●福永 ブラインド
自分は、いろいろあった関係で、
1区、6.8km 28:21
4区、6.4km 26:25
で、走らせていただきました。
なんとか二本そろえることができたかなという感じですが、
こんなことなら、土曜は長居12周ではなく、
8周ぐらいで切り上げのほうがよかったかなとか思ったりしています。
それより、イケイケチームの一位、うれしかったです。
ちょっと話があった関係で、
いろんなかたに、連絡しまくって
行き違いとかもあって、
ご迷惑もおかけしましたが、
ご勘弁くださいっていう感じです。
あと、25秒速ければ、1時間19分59秒だったなあとか思ったりしています。
もちろん、ほかのみなさんもそれぞれがんばっておられたと思っています。
実行委員やボランティアのかたに感謝しつつ、
つぎにつながっていったらいいかなと思っています。
今回も、みなさんにたいへんお世話になりました。
ありがとうございます。
これからも、お世話になりますが、
よろしくお願いします。