「第9回水都大阪100kmウルトラマラニック」ムックさんの伴走レポートです

ガイド高椋です。ランタナさんの水都100キロ完走記をガイドとして振り返ります。

ランタナさんは、わーわーずMLで伴走予定の方が伴走出来なくなって、伴走者を急募された事を多くの方は、わーわーずメンバーはご存知ですね。

そのメールに対して、ランタナさんに僕は、2017年3月17日ランタナさん宛にメールを書きました。

ランタナさんのお供?
70キロならエスコートできるかもです。
100キロでは僕が、、、

このメールからはじまった。ランタナさんの水都100キロ伴走。
この後のランタナさんとのやり取りも、僕よりふさわしい方が手を上げればその方を選んで下さいともお願いしました。

ランタナさんは、僕を伴走者として選んで下さいました。
ここまで来ると覚悟をしなければならない。
なんとしてでもゴールを共にする決意をしました。

伴走者が僕に決ってからもランタナさんは、僕にプレッシャーをかけない様MLでも伴走者は誰かを伏せたまま伴走者が決ったことをMLに書かれました。

その数日後のこと長井さん企画の練習会、淀川河川敷ロング練習に参加する予定があり、ランタナさんとのはじめての長距離練習が実現、それからは、ことあるごとにランタナさんとの練習、僕自身の練習をくりかえしました。
伴走決定から準備期間は1ヶ月強。

気づいてみれば、今までに走ったことのない、いつもの1月のほぼ倍420キロを走っていました。

水都大会の直前週は不安より、なぜかワクワク感が勝っていました。
最終の自由練習会の日は最終のランタナさんとの練習となる予定でしたが、長居公園に向かう途中ランタナさんより、途中まで来たが帰りますとの連絡、その後のやりとりで何とか大会当日を迎えられそうだったので心配もせず当日を迎えました。

アーリースタートなので前泊となったのですが、出来るだけ睡眠に集中する様に、20:00までには床につき、4:00には目を覚ますという予定通りの行動。

ランタナさんとの待ち合わせをしてチェックアウト4:30にホテルを出発。
幸いタクシーもすぐ見つかり会場へ、予想通りですが、少し早かった。

会場についてからは、てるちゃんと会い、その後ボランティアのエミューさんご夫妻と会う、それからも知り合いが一杯、いつものマラソン大会とは一味違った開会式前でした。

(左)スタート前、ゲートをバックにランタナさんとムックさん。 (右)スタート前、大阪城をバックにランタナさんとムックさん、てるちゃんとルンナさん。

そしてスタート大阪城を出る前に、公園内を6キロほど走るのですが、その間に、一度目の失敗。ランタナさんの右足を車止めに引っ掛けてしまいました。幸い転倒等はなかったのですが、そこからは1キロラップを読みながら、障害物は歩いて越えることにしました。
大阪城を出る時に、一回目のエイド。
試走会でしばらくエイドがないことが分かっていたので、まず給水を確実にとって、歩道橋へ。
何箇所か上り下り歩道を歩くということを繰り返し、最初のチェックポイント大阪市役所。
ほぼ予定通りか若干早めの展開、大川沿いを一路毛馬水門へ。
ここからは、しばらく大きな変化のない道が続きます。
淀川の土手を上がって下った河川敷に毛馬エイド。
ここでまた確実にエイドをとっておかないと、次の通過時には何も残っていない様なことになる。
エイドをとってもう一度土手を上がる。その時ランタナさんは「上り坂は歩いて上がります」ということでした。

その後は上り坂は歩いて、第二チェックポイントを越えて二度目の毛馬エイドここからはほぼ平坦な走路が続きます。
数箇所足元の悪いところがある。
後はそこを気をつけるだけ、11:10の第1回枚方のチェックポイント前でランタナさんは時間を気にされていたですが、十分に余裕があることは分かっていたので「時間は確認しています。十分余裕があるので走ることに集中しましょう。」と伝えました。
後は、ひたすら前に進むことだけを考える。

途中、すれ違うランナーと声を掛け合い。
エイドに行けば知り合いから応援の声本当に励みになりました。

一番厳しいと思っていた最後の枚方エイド16:10にも余裕があることが分かったので、「ランタナさん何も心配要りません」と伝えて先に進む。
「完走できない時は僕がつぶれる時です。」とも伝えました。

この間1センチほどの小さな段差に2回足をとられることがありましたが、転倒はまぬがれました。

途中からランタナさんのおなかの具合があまりよくないこともあり、たびたびトイレストップはありましたが、それでも止まることなく進みました。

最後の枚方エイドを折り返してから、枚方エイドを越えてすぐにトイレがあったのですが、その時にランタナさんにトイレのことを伝えることを忘れ、その後しばらく、トイレを我慢してもらうことになったことは今も申し訳なく思っています。

新橋エイド付近で、ランタナさんが食べるのがしんどくなってきた。一抹の不安もありあした。

飲む物もうがい程度になってきた。
鳥飼エイド・豊里エイド、それでも頑張るランタナさん。残りは、10数キロ。

「必ずゴールは出来ますよ。」と伝えると共に「ランタナさん本当にしんどかったら辞めても良いんですよ。」と伝えると「ここまできたら辞めません。」という力強い返事が返ってきました。

最後の歩道橋前の関門を越えて大阪城に向かう歩道橋で、あむちゃんに会い、そこからはあむちゃんも一緒に伴走してくれました。

大阪城のチェックポイントを越えた時にあむちゃんに、今何時間位という質問。
少し頑張れば、14時間切れるよという言葉に反応。

最後の力を振り絞ってゴールまで走り続けました。

僕のはじめての100キロはこうして
ランタナさんとゴールを迎えるという最高の結末で終わりました。
ありがとうございました。

ゴールゲート手前のレッドカーペット上を走るランタナさんとムックさんを後ろから。

以下のランタナさんの完走記もあわせてご覧ください。
「第9回水都大阪100kmウルトラマラニック」ランタナさんの完走記です

「第9回水都大阪100kmウルトラマラニック」ランタナさんの完走記です

4月23日の水都ウルトラマラニック100キロでは沢山の方の応援を頂きながら、完走させていただきました。ありがとうございました。

マッサージボランティアの方、サポートボランティアの方、そしてどこのエイドにも必ずわーわーずの方が居られ、わーわーずパワーを頂き、わーわーずの素晴らしさに感動しました。
伴走をして下さったムックさんは、ご自身が初めての100キロで有りながら私の伴走をして下さり完走させて下さいました。

アーリースタートは、5時30分、大阪城をスタートです。
一週間前から体調を崩し、ちゃんと食事が取れず、胃と腸の具合が悪かった私は、参加するかどうか迷いましたが、今回の水都を最後の100キロと決め、完走して5月の誕生日を迎えると決めていたので無理をして参加しました。

ムックさんには、ゆっくり走りますとお伝えして、本当にゆっくりとスタートしたのですが、3キロも走らない頃から、右腿から腰への痛みが来て、こりゃ困ったと内心つぶやきながら、大阪城をどのくらいで抜けられますかと聞いたら、5キロ位かな、まだですねとのこと、大阪城も抜けずにリタイヤは嫌だな~と思いながら走っていたら、やがて痛みも薄らぎ、そのうちなんとなく明るくなってきたと感じていたら、ムックさんが、もう、ここからは大概平らで真っ直ぐだから走り易いよと伝えて下さいました。そのあともゆっくり淡々と走りました。

エイドに着く度にわーわーずの皆さんに声を掛けて頂き励まして頂きました。それが本当に嬉しく大きな力となりました。
各エイド毎に、素麺やお豆腐、プリン、トマト等など皆さんのお心が一杯詰まった食べ物が並んでいました。今回は名物の蛸焼きが食べられなかったのが残念でした。

焦らず、ゆっくりと決めていましたが、枚方エイド迄は遠かったです。枚方エイドを過ぎて応援ランを頂き感動で胸が詰まりました。鳥飼大橋まで戻ってもう一度来なければなりません。しんどかったけれどここまでなんとなく走れました。その後ちょっと胃腸に異変が、トイレに行って少し落ち着きましたが段々と腹痛が始まりました。

もともと走りながらはそんなに食べられる方では無いのですが、放り込むように喉越しのいい物で体力を付けるようにしました。だんだん食べられなくなり、エイドを離れると次のトイレの場所を探してもらうようになりました。

最後前日はなてんちゃんに頂いていた羊羹を飲み込むように食べ最後まで持ちこたえてと心の中で祈りながら走り始めましたが、腹痛は止まりませんでした。
とうとう飲んでも戻すので、コーラーでうがいをして、残り16キロに臨みました。

だんだんと暮れていく中、寄せては返す波のように襲ってくる腹痛との戦いでした。
ゴールを目指すなんてカッコいい事は考えもせず、ひたすらスタート前に行ったトイレを目指しました。ムックさんは無理しなくていいよ、歩いてでもゴールは出来るからねと言って下さいました。

いつもなら、大きな声でヨイショ・ヨイショと掛け声を上げながら最後の力を振り絞るのですが、もう、ヨイショの声も出せず小さく唸りながら走っていると、てらやんがお迎えランですれ違いながらエールを下さいましたが、ちゃんと返事が出来てなかったと思います。そんな時あむちゃんがお迎えに来て下さり一緒に走って下さいました。

それまで、時々小さく唸りながらも淡々と黙々と走っていましたが、あむちゃんが、ゴールまでのコースを説明して下さったり、励まして下さったりとおしゃべりして少し気がまぎれました。あむちゃんにお願があります、ゴールしたら直ぐトイレへお願いしますと言いました。あむちゃんは先にトイレに行きますか?と聞いてくれましたが、やっぱりゴールが先ですとお願いして走っていると、暗い中から物凄い拍手が聞こえてきました。みなさんが待っていて下さったんですね。しばし腹痛も忘れありがとうございますと答えながら、涙をこらえていました。本当に感動の場所でした。

最後の何分かを、初めて力いっぱいのスピードを出して走りゴールしました。
そのあとは、お手洗いに直行でした(笑い)

ムックさんは、とことん私のペースに合わせて下さり、ただ足元だけには気を使って注意をして下さいました。初めての100キロとは思えない平静さと力強さでゴールへ導いて下さいました。私の方は腹痛に気を取られしんどさは忘れていました。

残り10キロ当たりで、私の呻きに気を使われたのか、ムックさんがしんどかったら止めてもいいですよと、初めてリタイヤを促しましたが、ここまで来て止めるなんてそれは無いですと答えました。頑張れとは言わなかったムックさんの作戦だったのかしら?と今でも気になっていますが、途中止めたいとは何度も思いました。
でも、それ以上絶対完走すると言う思いが強かったです。
それを支えて下さったのは、皆さまの熱い応援のおかげです。
ムックさん、すれ違いでエールをくださった方々、沢山の皆さま本当にありがとうございました。

今までで、一番強い思いでエントリーした大会で、強い気持ちで臨みながら、本当にゆっくり淡々と走れたレースで満足しております。
暫く休んだら又長居で楽しみたいと思います。宜しくお願い致します。

最後迄、読んでくださりありがとうございました。

以下のムックさんの伴走レポートもあわせてご覧ください。
「第9回水都大阪100kmウルトラマラニック」ムックさんの伴走レポートです

「第8回水都大阪ウルトラマラニック」はなてんちゃんの完走記です

4月24日(日)。水都大阪ウルトラマラニックの100キロを走りました。去年のリベンジです。
雨上がりのさわやかな朝でした。走るのにはもってこいの気温です。
スタート地点の大阪城公園はすでに熱気むんむん、午前5時30分前に受付を済ませて100キロのアーリースタートを見送って準備をし、早朝にもかかわらず応援にかけつけてくださったみなさんとスタート時間の6時30分までおしゃべりをして過しました。全く緊張感がないところがこの大会のいいところでしょうか。

大会の諸注意を聴き、みんなでカウントダウンをしてスタート。
スタッフの方々や応援のみなさんの「行ってらっしゃ~い」の声を背中で聞きながらゆっくりスタートしました。伴走はSちゃんさん、ウルトラの先輩ランナーです。
ツツジの香りを楽しみながら大阪城公園を周り、歩道橋を渡って中之島のバラ園で第1チェックポイントゼッケンにハンコをもらいます。ほのかな草木のにおいと大川の水のささやきを楽しみながら毛馬のエイドへ。Tちゃんが声をかけてくれました。巻きずしとお茶をもらって長柄橋の第2チェックポイントへ、ハンコをもらって再び毛馬へ、ここから淀川の河川敷を枚方まで行ったり来たり2往復します。枚方の先が第3第4チェックポイントです。エイドは豊里、鳥飼、新橋、枚方にあり、知り合いのランナーさんがボランティアでてつだいをされてるので元気をたくさんもらえます。
もちろん食べ物も充実してるので楽しみです。

コースはアスファルトなので走りやすいですがときどき大きなみぞがあります。水はけをよくするためでしょうか?時間の経過とともに気温も上がり少し暑く感じられましたがときおり吹く風がさわやかなのでたすかります。それでも疲れがたまってくると飲み物ばかり欲しくなりあまり食べられなくて胃がきりきりと痛くなるし、突然すごく眠たくなって目をつぶって走ってたこともありました。(笑)
ちょっと歩いたり走ったりを繰り返しSちゃんさんに励まされ、すれ違うわーわーずの仲間に気合を入れてもらい、午前中の練習会を終えて応援ランしてくれてる仲間に元気をもらって懸命に走り、折り返してきたHさんの「関門アウトまであと10分」の声にスイッチが入って、去年タイムアウトした72キロの枚方の関門をダッシュで走り抜けてなんとかぎりぎりセーフで通過、あとは大阪城に帰るのみですがちょっと安心してしまい、また歩いてしまいました。エイドボランティアをしていたKちゃんが励ましてくれてエイドで胃ぐすりをもらって復活、残り26キロくらいでしょうか?
それでも関門アウトにならないように懸命に走りました。気温も下がり、夕暮れが近づき周囲が暗くなってもどのエイドでも食べ物や飲み物を用意して笑顔で待っててくださいます。それだけで涙が出そうです。そして私たちの周りには応援ランの仲間が7人並走してくれてます。こんなことってあるでしょうか。

大川沿いを抜け歩道橋を渡りいよいよ大阪城公園、一度ゴール地点を通過します。ここではわーわーずのマッサージボランティアのみんなの応援も聞こえてきました。
梅林の坂を上り天守閣の傍の最終チェックポイントでハンコをもらって梅林の坂を下ってると、常に先を走ってたわーわーずのMやんペアに追いつくとMやんが「4人で手をつないでゴールしようよ」と言ってくれて4人でゴール。感動の瞬間でした。
タイムは13時間39分48秒。長い長い100キロの旅が終わりました。

完走メダルをもらいお弁当をもらい仲間の待つマッサージブースに行くとたくさんの「おめでとう」の声にまたも涙が・・・。Nちゃんが入念にマッサージをしてくれてぱんぱんに張ってた足や腰も軽くなって疲れもすっかりとれました。
ボランティアスタッフのみなさん、応援をしてくれたみなさん朝早くから夜遅くまでほんとうにお疲れ様でした。そしてありがとうございました。お互いを思いやり励ましあえる仲間がいることに感謝の1日でした。

水都大阪にマッサージボランティアで参加!

2016年4月24日に
「第8回水都大阪100kmウルトラマラニック」が開催されました。
私たち長居わーわーずもマッサージボランティアとして協力させていただきました。

各地の大会へ参加した際、マッサージブースがあって、選手がマッサージを受けてはりました。
私たちも自分たちにできるマッサージで大会ボランティアとして、協力できないかとずっと考えていました。
2009年に大阪で初めて100キロの大会
「水都大阪100kmウルトラマラニック」が開催されることになって、
主催者の方へお話したところ、快く私たちの思いを承諾していただきました。
第1回からゴール地点にマッサージブースを設けていただいて、わーわーずのマッサージの有資格者が参加者の方へマッサージをさせていただいて、この大会へ長居わーわーずとして協力させていただいています。

最初は不慣れな面もあって、準備もままならなかったりして、お天気によっていろんな状況になって、スムーズに行かなかったこともありました。
回を重ねていって、いろんな状況にも少しずつ対応できるようにもなってきました。
毎年いろんなことがありましたが、今年は、13時過ぎから会場の設営にかかりましたが、70キロの完走者が早々にマッサージを希望され椅子で待機されるようになりましたので、13時30分より開始しました。
マッサージスペースは5席用意しましたが、マッサージ担当者がたくさんいたことと、スペースに余裕があったこともあり、14時30分より6席で対応いたしました。
マッサージ希望者は殆ど途絶えることなく、6人から7人の方が順番待ちで並ばれることもしばしばありました。
長く並ばれた方でも、マッサージ終了後には笑顔で感謝の言葉を述べていただきました。ゴール制限時間の20時30分過ぎにはマッサージも終了しましたが、マッサージ開始から終了までの7時間で、マッサージ担当者11名で、およそ136名のランナーにマッサージを行いました。
内訳は男性96名、女性40名でした。

これからも年に1度ではありますが、大会が続く限り自分たちにできることで協力していけたらなーと思っています。

第6回水都大阪ウルトラマラニック(70km)中さんの参加記です

++第6回水都大阪ウルトラマラニック(70km)参加記
                         〔ガイド〕 中 寛佳(ナカ ヒロカ)
 ウルトラマラソンを走る人を“宇宙人”と人は呼ぶ。
今回の挑戦で自分も改めてそう思った。

長居わーわーずには、そんな宇宙人がたくさんいる。
皆さん、経験豊富な熟練者ばかりだ。

つまり、マラソン経験が1年にも満たない自分があのスタートラインに立ったこと自体、
先ず以って、“無謀”以外何ものでもないのだ。
わーわーずの諸先輩方に異口同音に言われた。
「普通、頼まれても、断わるでしょ・・・???」って・・・。(笑)
「そうですよねえ~」と自分も返事をにごすしかない。
でも、好奇心旺盛な自分は、「何が楽しいのか・・・」「ウルトラには何があるのか・・・」
「しんどいのはみんな一緒のはずなのに、何故、また走りたいと思うのか・・・」
自分で体験してみて、自分で確かめてみたいと思ったのも、事実である。

スタートラインでは、主催者が、「大阪水都マラソン、6回目にしてやっと晴天に恵まれました~!!」と説明している。
「晴れ女がここにいますよ~」と楽しそうに叫んでいる自分が横にいて、北井さんの内心は、「えらいヤツに伴走頼んでもうた・・・」と後悔しつつ、すぐに「時、既に遅し!」と諦めに変わったはずである。

いざ、スタートして、前半はいつもの調子で走れている。
「いつもの10kmを7回走ったら、しまいや!」とたかをくくっている生意気な自分もいたが、後半になると、真のウルトラマラソンの過酷さを実感した。
やっぱり、ウルトラは、人間が簡単に“足”を出してはいけない領域であった。
でも、不思議と “棄権”という文字は、頭に浮かんでこなかった。
必ず、ゴールはしてやる!という負けん気だけは残っていたようである。

そうなると、今度は、自分と一本の伴走ひもを持っている北井さんとの“気持ちの根くらべ”である。
「単独走はまさに己との戦いだけど、長い距離を二人で走るのは、それぞれのしんどくなるポイントが違うから、一人で走るより気持ちのコントロールが難しい。孤独ではないけれど、しんどくなる時間のずれが、二人走の難しいところ・・・」と先輩の言葉を思い出した。 まさに、このことなんだと実感する場面が続いた。
後半の歩きが響いて、目標タイム10時間どころか、制限時間11時間もあやしくなってくると、さすがに焦りが生じてきた。ロープを通じてこの“焦り”が北井さんに伝わらないだろうか・・・とまた不安になる。
でも、走りたくても走れない足の状態に、はがゆさや悔しさを一番感じているのは、北井さんご自身であることには間違いないのだ。
だから、追い討ちをかけるようで、自分から時間を伝えることができなかった。
やっと聞いてきてくれたのは、大阪城エリアに戻ってきた時だった。
「(制限時間まで)あと7分位です。」と伝えると、「もう無理じゃん・・・走らない。」と、試合放棄状態!?
「え~っ!? 68km頑張ってきて、ここで投げ出すなんてことある?」と、自分の耳を疑った。
「どう、走る気力を取り戻してもらえるか・・・。」
「自分には、心の伴走はできないのか・・・。」
と、この時ほど、悔しさを感じたことはなかった。
そんな時、わーわーずの仲間達が声をかけてくれたことで、気力を失っていた北井さんが、自分自身を取り戻してくれた。
そして、制限時間を9分越えてのゴールとなった。

自分にとっては、にがい経験となった。自ら歩いてしまったあの36km地点は悔やまれる。でも、失敗を重ねて、その経験が次につながるはずだと信じたい。

そして、もしリベンジのチャンスを北井さんが与えてくれるならば、今度は、“完走”を目標に挑戦したい。
そして、今度こそ、“宇宙人の赤ちゃん”くらいにはなりたいものだ。

あえて、収穫は?と聞かれたならば、フルマラソン42・195kmの距離観が変わったことだ。 いままでゴールだった42・195kmが、“通過地点にすぎない”という環境の変化から生じる受けとめ方には大きな違いがある。

最後に、こんなど素人の自分を伴走者として使ってくれて、ありがとう。
きっと、自分は二人でなかったら、走れなかったと思う。
                                     以上

第6回水都大阪ウルトラマラニック(70km) 北井さんの参加記です

第6回水都大阪ウルトラマラニック(70km)参加記
〔ブラインド〕 北井 清次(キタイ キヨツグ)

「ホンマにしんどかった・・・」
いつ聞かれても、誰に聞かれても、この一言に尽きる!!
それ以外の感想がでてこないというのが正直なところだ。

わーわーずの某氏に言われた 「ウルトラは楽しいでえ~」 の言葉についつい、勢いで、エントリーしてしまったが、「えらいことしてもうた・・・」と内心焦りつつ、当日を迎え、走る前から「いやだなあ・・・」「しんどいな・・・」と思っているのに、隣でロープを持っている伴走者は、なんでか、ウキウキしているような様子の変わり者!?

走り出して、しばらくは調子良かったものの、後半は、走ろうとすると、足が”つる”状態。
何度このままやめてしまおうかと思ったことか・・・。

大阪城に戻ってきて、初めて伴走者に時間をきいた。
制限時間まであと7分・・・。 
「制限時間内、無理じゃん。もう走らない!」と、気持ちが切れた・・・。

が、わーわーずの仲間の声が聞こえて、心に熱いものを感じた。
最後の力をふりしぼって、やっとゴール・・・。
ゴール後、ガイドのAちゃんに、「北井さん・・・泣いてたやろ・・・?」と。
その言葉で、また、心にこみ上げるものが沸いてきた・・・。 
あの感情だけはしっかりと記憶に残っている。
しかし、あの時の想いは何だったのか・・・今でも不思議な感じがする。

差し入れしてくれた「お疲れさん」のビールを喉に通していると、みんなが声をかけてくれる。
が、口から出てくる言葉は、「もーいや!」 「もうマラソンは、しない・・・」 
心底、そう思った。

しかし、3ヶ月経った今、またわーわーずの練習会に参加している自分がいる。
「他にやることないから・・・」と言ってしまえば、それまでだが、
何故か、わーわーずに来ると、元気をもらって帰ってくる・・・。 
不思議な仲間達だ・・・。

「来年は100キロやな・・・」と、また自分をそそのかそうとする仲間がいる。(笑)
「絶対に走らない。」と返答しているが、
「いける、いける!」と皆に言われると、その気になってしまう自分が恐い・・・。
さて、半年後、申し込みをしている自分がいるだろうか・・・。
                                                            以上