和田選手、自身の持つ1500mの日本記録を上回るタイムをマーク

2016リオパラリンピック陸上競技の日本代表入りを目指す和田伸也選手は、第1回大阪陸協記録会(2016年4月3日/長居第2陸上競技場)での1500mで4分17秒82をマークし、自身が持つ同種目(T11男子)の日本記録を約1秒上回りました。

複数の外国選手が、3月の大会で好記録をマークしたことに刺激された和田選手。
この記録会の翌週に行われる「2016大分パラ陸上」での5000mで記録を狙う決意を一層固くし、今回の1500mでは、そこへの足がかりとなるレースを目指しました。

しかし、試合会場へ向かう交通機関が乱れた影響で、ウォーミングアップ不足のままスタートすることになり、また、レース中は思ったほど集団がばらけず、いつも以上に外側のレーンを走ることを強いられます。

それらの影響もあって目標タイムには3秒ほど及ばなかったものの、ラスト300メートルからのスピードの切り替えなど、内容的には目標タイムに十分に匹敵するもので、翌週の大分パラ陸上での好記録に期待を持たせる走りでした。

■公式結果
男子1500m(第1組9時30分競技開始)
和田伸也(若ちゃんFRC)4分17秒82 2組6着  

グラウンドコンディション
9時半 天候曇り 気温18.5度 湿度66% 北東の風0.6m/s

上記結果へのリンク
http://www.oaaa.jp/r_16/rikkyou_1kai/nagai/rel060.html

[注]
今回のタイムは、日本パラ陸連による新記録認定の審査をパスすることで、正式なT11男子1500mの日本記録となります。

遠征地で山田選手、パラリンピックポイントを獲得

2016年3月20日に、世界パラトライアスロン競技会(WPE)バファローシティ大会=南アフリカ=に出場した山田敦子選手は、PT5(視覚障害)女子で6位に入り、パラリンピック出場権を決定するパラリンピックポイントランキングを10位にアップさせました。
なお、総合タイムは1時間25分13秒、スイムのタイムは出場7名中4番目でした。

■大会公式結果
山田敦子 6位
総合タイム  1時間25分13秒
・スイム750m   14分51秒
・トランジション1 1分44秒
・バイク20k    41分39秒
・トランジション2 1分41秒
・ラン5k     25分18秒

コンディション
水温17度 気温18度

優勝
アリソン・パトリック(イギリス)1時間07分31秒

*今大会のバイクのコースについて
高低差60メートルの丘を上って折り返してくる10キロのコースを2周。2キロ~5キロ、12キロ~15キロは最大斜度9%の坂を含む上り。

■優勝者の横顔;ランが武器のアリソン・パトリック(イギリス)
1987年生まれで、陸上競技を怪我により断念後、2013年からトライアスロンに挑戦。
その翌年からWPEに参戦すると、短期間で実力を伸ばし、4戦目の2014世界選手権から5連勝。
スイム750m・バイク20キロを終えてのラン5キロでも20分程度でカバーし、PT5女子で一二を争う走力を持つ。
なお、陸上選手時代には、サンパウロ2007IBSAワールドゲームズ(ブラジル)で、B3女子800m金メダル(2分27秒64)、1500mでも2位(5分03秒27)の実績がある。
今大会の優勝でパラリンピックポイントランキング6位以上を確定させ、イギリス代表に決定。パラリンピックでは有力なメダル候補。

■参照リンク
大会結果
http://www.triathlon.org/results/result/2016_buffalo_city_itu_world_paratria
thlon_event/280685
ITU(国際トライアスロン連合)公式サイト
http://www.triathlon.org/

■山田選手パラリンピック出場枠獲得に向けて

リオ2016パラリンピックのパラトライアスロンでは、実施される各カテゴリーに与えられた出場枠は7名。主催者枠が若干名追加されたとしても、山田選手が所属するPT5女子で、出場権を与えられる選手は10名以下となるもよう。

山田選手は、今年6月末までの一連のパラリンピックポイント対象大会でランキングをアップさせる必要がありますが、中でも4月29日(祝・金)のアジア選手権(広島県廿日市市)と5月14日(土)のWPE横浜大会は、特に重要な大会となるでしょう。

■世界選手権がパラリンピックに先立ち7月下旬に開催

今年はパラリンピックイヤーであることから、パラトライアスロン世界一を決める大会として、リオ2016パラリンピックに大きな注目が集まっていますが、一方、世界選手権も7月23日~24日にロッテルダム(オランダ)で開催されることになっています。

なお、パラトライアスロンの障害クラスには男女計10カテゴリーありますが、リオ2016パラリンピックで実施されるのは、そのうちの男女3ずつ計6カテゴリーのみとなっており、例えば、PT5(視覚障害)男子は実施されません。
一方、世界選手権では、全カテゴリーの競技が実施されますので、パラリンピックで実施されないカテゴリーの選手にとっては、今年の最も重要な大会は世界選手権となります。

リオ選考レースに挑んだ和田・近藤・福永の3選手

※この記事は以下の2つの記事をまとめたものです。
2016別府大分毎日マラソンでの和田選手と福永選手
2016別府大分毎日マラソンで自己ベストの凛々さん

2月7日に、2016リオパラリンピックマラソン代表最終選考レースとしてIPCの部が実施された2016別府大分毎日マラソン。

和田伸也選手が2時間33分46秒(男子T11日本記録)、近藤寛子選手は3時間18分05秒で、各同男女の部で2位に入り、その結果、2016リオパラリンピック視覚障害マラソン代表推薦順位のそれぞれ3位と2位を確定させ、同代表入りに大きく近づきました。
また、同男子の部に出場した福永智洋選手は、調子が良くなかったものの、いつもの粘り強さを発揮して、3時間13分32秒でした。

なお、パラリンピックの視覚障害マラソンの各国選手枠は原則3名ですが、代表の正式決定は6月末以降となります。

■和田選手・近藤選手、代表推薦順位枠内へ

まず、男子。代表推薦枠の最後の1つを、和田選手と熊谷豊選手での争いになるとの事前の予想通りにレースが進んでいきます。
和田選手が代表推薦枠入りするには、熊谷選手が2015IPCマラソン世界選手権(ロンドン)でマークした2時間37分48秒を上回り、同選手に先着することが条件となってきました。

求められていたペースは十分に上回っていた和田選手ですが、その和田選手に先行する熊谷選手は、今大会では、課題だった中盤以降のペースダウンを克服してきた走りを見せ、後半以降も徐々に差を広げていきます。
そして2人の差は、35キロ地点では2分14秒までに広がり、この時点での勝負の行方は熊谷選手に分があるように見えました。

しかし、和田選手は、35キロから、その熊谷選手をさらに上回る走りを見せます。

40キロまでの5キロを17分42秒と大幅にペースアップした和田選手は、熊谷選手との差を一気に詰めていき、いよいよ終盤になったところで、代表推薦枠を巡る勝負は一気に白熱化。
さらに勢いを増した和田選手、舞鶴橋東詰への上りにも、ものともせずに熊谷選手を猛追していき、ついに2人の順位が入れ替わります。

その後も和田選手のスピードは全く衰えることなく、フィニッシュまでの2.195キロは7分21秒でカバー。
なお、35キロからフィニッシュまでの7.195キロの25分03秒は、別府大分マラソン男子全完走者2854名中26番目のタイムでした。

一方の女子。代表になるには、既に代表推薦順位1位を決めている道下美里選手を除くトップでフィニッシュするしかない、と決意していた近藤選手。
序盤から、2か月半前の防府読売マラソンでマークした自己記録を上回るペースで、積極的にレースを進めていきます。

5キロを23分台のラップを刻み続け、25キロ過ぎでは、道下選手に次ぐ2位と目標としていた順位に上がった近藤選手でしたが、30キロからの5キロは24分台に落ちてしまいます。

しかし、続く40キロまでの5キロを再び23分47秒と盛り返すと、後ろの選手との差をさらに広げていき、目標とする順位を確実なものにしていきました。
フィニッシュタイムは、防府マラソンでの自己記録を約3分更新するものでしたが、40キロまでの全ての5キロごとの区間で、その時のタイムを上回るものでした。

大会史上最多の3402名のランナーがスタートラインを越えて行った2016別府大分毎日マラソン。
スタートの12時の気象コンディション(主催者発表)が、気温6.5度・北北西の風0.8メートルと、数字上はやや低い気温ながらも、この大会にしては、風が穏やかな晴天の下でレースが始まりました。

それでは、各選手のレポートをご覧ください。

■和田選手の完走記

今回のレースは、13名のIPC登録男子選手が出場し、リオに向けて走りましたが、推薦順位第3位の座をかけての、熊谷選手(T12)と私との実質的な一騎打ちのレースとなりました。推薦順位第1位はすでに堀越選手(T12)が決めていて、推薦順位第2位は岡村選手(T12)が確実視されていました。
序盤から先行した熊谷選手に私が終盤追い上げ、ようやく追いつけたのは41Kすぎでした。私はレース序盤から中盤にかけ、冷静に自分のペースを想定通りにリズムよく刻み、後半にくるだろう勝負どころで、いつでもいける心の準備をしていました。
最初から前を走る熊谷選手は全く見えないものの、35Kの折り返しくらいからじわじわギアを変えていき、追い風にも乗っかり、かなり体は動いていました。
前半20K伴走のGさんとのリズムもっぴったりで、中盤までのペースがよかった証拠ですね。
当初、40Kまでのどこかでは、熊谷選手の姿を捉えたいなと思ってはいました。
しかし、行けども行けども姿がありません。折り返しでも、後半伴走のNさんが熊谷選手の姿を見なかったということでしたし、一瞬、棄権でもしたのかなとも思ったくらいでしたが、39K地点の沿道にいた私の妻が、熊谷選手との差が1分だと情報をくれました!!
「え、そんなに前にいるのか、残り3Kしかない。万事休すか…」と心が折れそうになりましたが、「いや、いくしかない。」、見えない相手に対してすでにペースはあげていましたが、ここからは大爆発させるぞ!と気合を入れ直し、ギアをもう一段階あげました。
すると、40K手前くらいで、熊谷選手の姿がやっと遥か遠くに見えてきました!!
「見えた!見えた!!」とのNさんの声。まだかなり遠いようでしたので、残り距離で追いつけるのか、競技場勝負くらいにもちこめるか、でも、あれこれ考えずにもういくしかないとまた気合を入れなおしてギアを更に入れ直して追いかけました。更に力をこめてペースアップですね!!まだまだいけると自分に言い聞かせて。
41K地点くらいだったでしょうか。現地に応援にきてくれてたTさんがでっかい声で、「16秒差!!」と叫んでくれました。
「おお!!確実に縮められてる!!これはもう一発ギアをかえていくしかない!」苦しいけど、更に更にあげるしかないと、そこからまたがつんといって、何度ペースをあげたことでしょうか、ラスト1K付近で熊谷選手をとらえることができました!!
追いつきはしましたが、熊谷選手も私も気合十分、どちらも譲りません。
ここで勝って、リオに1歩でも近づきたいという気持ちは同じで、このレースにかける思いは他のどんな選手にも負けていなかったと思います。
結局、熊谷選手も自己ベストを3分42秒更新する素晴らしい走りでしたし、私も1分53秒の自己ベスト、T11の日本記録更新でしたので、お互いに最高の準備をして、非常にハイレベルな競り合いができたと思います。
競技場でのラスト勝負にまでもちこまれると、私よりもスピードのある熊谷選手の方が有利になりますので、追いついてからは一気に勝負をしかけました。またまた更にペースアップです!!残りの最後の力をふりしぼって。
前に出たとしても、ぴったりつかれると今度はこちらが苦しくなるので、もう無我夢中でのラストスパートでした。その甲斐あって、ゴールの競技場に入る前に順位をあげることができました。感動的なフィニッシュを迎えることができ、ゴール後、Nさんと喜びを分かち合いました。
結果的には、私がわずか20秒先着することができましたが、ほぼ互角の闘いで、ともに全力を出し尽くしました。私の今回の好記録は、強いライバルと競り合ったおかげでマークできたものであることは間違いありません。選考レースにふさわしい、歴史に残る白熱した名勝負でした。
これで私は、推薦順位第3位の座を獲得できたわけですが、マラソンでの代表枠はまだ確定ではありませんので、5000mで代表権(T11)をきっちり獲得できるよう、春以降のIPC公認大会にも挑戦していきます。
日本代表メンバーの公式発表までにはまだ時間がありますので、それまでにやれる
ことはすべてやっていきます!
いつもたくさんご声援、ありがとうございます!!今回のレースでナイス伴走してくださり、強化合宿でも厳しいトレーニングをしてくださっているGさんとNさんはもちろんですが、これまでに一緒に走ってきてくださった皆さんのおかげで、今回の好結果があったと思っています。大変感謝しています。ありがとうございます。
まだまだここからもがんばっていきますので、今後ともご声援、どうぞよろしくお願いいたします。

(以上、和田選手の完走記)

[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
18分40秒、18分32秒、18分03秒、18分13秒、18分20秒、18分18秒、18分37秒、17分42
秒、7分21秒
・前後半
前半:1時間17分29秒 後半:1時間16分17秒

■近藤選手の完走記

凛々@滋賀です。

リオから採用された視覚障がい女子マラソン。
最終の選考レースの別府大分毎日マラソンにすべてをかけて取り組んでまいりました。
これまでわーわーずの多くの皆さんの激励をいただき、関西のブラインド女子の心意気をもって全力で走りました!
3位のポイント争いになれば、ポイントを持たない私には不利な状況、とにかく自力で2位の座を勝ち取るしかリオへの道はありませんでした。

序盤、自分のペースを守り3番手をキープ、20キロでもまだ疲れはなくほぼイーブン、25キロすぎでまさかの2番手に。
このままいけばリオへの切符を手にできるかもしれない?
終盤、年明け早々のレースで転倒して橋の欄干で頭を強打した名残のむちうちが影響したのか、首に力が入らず上体がふらふらと今にも倒れそうになりながらも、あと少しでリオを手にできると力を振り絞ってゴールに向かいました。

ゴールの瞬間、私を支えてくださったすべての方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

タイムは3時間18分05秒の自己ベストでした。
ポイント争いになることなく推薦順位第二位内定となりました。

ほんとうにありがとうございました!

また、直接皆さんにごあいさつにうかがいたいと思いますが、まずはこちらでの御礼とさせていただきます。

正式決定は6月以降となりますが、リオまでの日々を大切に怠りなく過ごしていこうと思います。

今後ともよろしくお願いいたします!

追伸
関西では放送されなかった別大の一時間延長放送。
中継車がずっと等間隔で前を走る、生まれてはじめての経験をしました(笑)
追い付こうとしたわけではないけど、中継車めがけてはしったせいか38キロからペースあがってました。
私のゴールが番組終了のタイミングだったので、けっこう感動的で、何度みても泣けます(笑)。

(以上、近藤選手の完走記)

[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
23分12秒、23分30秒、23分02秒、23分15秒、23分26秒、23分29秒、24分07秒、23分47
秒、10分17秒
・前後半
前半:1時間38分03秒 後半:1時間40分02秒

■福永選手の完走記

福永@ブラインドです。

自分は、別大マラソンに参加させていただき、
吉本さんが書いてくださったように、3:13:32でした。

今回は、積極戦法で、前半からいったつもりでしたが、
思うようにペースが上がらず、
後半から終盤、多少の落ち込みは覚悟のうえでしたが、
踏ん張りきれなかった、という感じです。

要因としては、
1月に入ってから、かぜをひいてしまい、
疲労は、完全にとりのぞけましたが、
パフォーマンスも、下がってしまった

自分は一切取材など受けてないのですが、
毎日新聞やTBSテレビなどの雰囲気にのまれてしまった

別大国道のバンクで、余分に脚を使った

35km以降、走路が狭くなり、前のランナーさんを
ぬきにくくなった

などなど、ひとつひとつは数十秒レベルだと思うのですが、
いろんなことが積み重なって数分レベルのロスになったかなと思っています。

結果的に、防府のほうが速かったので、
あらためて、フルマラソンの奥の深さを実感しています。

それでも、てらやんが沿道から応援くださったり、
走行中にいろんなかたが声をかけてくださり、
関西で走っているような気分でした。

また、今回の前半伴走のかたを紹介してくださったかたの
沿道応援が、40kmすぎにあり、
最後の最後まで、気持ちをきらすことなく
燃えに燃えて走りきることができました。

3:13:32は、自分の別大コースレコードですし、
記録をねらって複数走ったシーズンの平均タイムが
3:12:59.5というのは、過去最速なので、またがんばろうと思います。

それでも、わだっちの2:33は、当てられるのに
自分の3:08は外すっていうのは、なんでやねんって感じですけどね。

自分のフルマラソンは、今シーズンはこれでおわりなので
これからはトラックでしっかり走っていこうと思っています。

そして、ゼロからまたつくりなおして、
来シーズンのフルも、またがんばろうと思っています。

お世話になりますが、
よろしくお願いいたします。

(以上、福永選手の完走記)

[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
22分32秒、22分57秒、22分49秒、22分59秒、22分44秒、22分43秒、23分22秒、23分20
秒、10分06秒
・前後半
前半:1時間36分18秒 後半:1時間37分14秒

■上位選手を含む結果
・IPC男子の部
1位 岡村正広 2時間27分24秒
2位 和田伸也 2時間33分46秒(T11男子日本記録)
3位 熊谷豊  2時間34分06秒
12位 福永智洋 3時間13分32秒

・IPC女子の部
1位 道下美里  3時間03分42秒
2位 近藤寛子  3時間18分05秒
3位 藤井由美子 3時間24分06秒

■大会開催時間帯の大分市の天候 *気象庁観測値
12時 気温6.0度 北北東の風2.3m/s 湿度59%
13時 気温6.3度 北北東の風2.4m/s 湿度61%
14時 気温7.0度 北北東の風1.6m/s 湿度53%
15時 気温7.6度 北北東の風2.5m/s 湿度54%

■大会公式サイト
https://www.betsudai.com/

2016別府大分毎日マラソンで自己ベストの凛々さん

2016年2月7日に行われた別府大分毎日マラソン(リオパラリンピック視覚障害女子マラソン日本代表選考レース)、IPCの部に出場した近藤寛子選手は、前年12月にマークした自己記録をさらに3分短縮する3時間18分05秒で、同部門2位に入りました。

この結果、近藤選手は、日本盲人マラソン協会が定めた同代表選考規程により推薦順位2位を確定させ、パラリンピック女子視覚障害マラソン日本代表に大きく近づきました。

■近藤選手の完走記

凛々@滋賀です。

リオから採用された視覚障がい女子マラソン。
最終の選考レースの別府大分毎日マラソンにすべてをかけて取り組んでまいりました。
これまでわーわーずの多くの皆さんの激励をいただき、関西のブラインド女子の心意気をもって全力で走りました!
3位のポイント争いになれば、ポイントを持たない私には不利な状況、とにかく自力で2位の座を勝ち取るしかリオへの道はありませんでした。

序盤、自分のペースを守り3番手をキープ、20キロでもまだ疲れはなくほぼイーブン、25キロすぎでまさかの2番手に。
このままいけばリオへの切符を手にできるかもしれない?
終盤、年明け早々のレースで転倒して橋の欄干で頭を強打した名残のむちうちが影響したのか、首に力が入らず上体がふらふらと今にも倒れそうになりながらも、あと少しでリオを手にできると力を振り絞ってゴールに向かいました。

ゴールの瞬間、私を支えてくださったすべての方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

タイムは3時間18分05秒の自己ベストでした。
ポイント争いになることなく推薦順位第二位内定となりました。

ほんとうにありがとうございました!

また、直接皆さんにごあいさつにうかがいたいと思いますが、まずはこちらでの御礼とさせていただきます。

正式決定は6月以降となりますが、リオまでの日々を大切に怠りなく過ごしていこうと思います。

今後ともよろしくお願いいたします!

追伸
関西では放送されなかった別大の一時間延長放送。
中継車がずっと等間隔で前を走る、生まれてはじめての経験をしました(笑)
追い付こうとしたわけではないけど、中継車めがけてはしったせいか38キロからペースあがってました。
私のゴールが番組終了のタイミングだったので、けっこう感動的で、何度みても泣けます(笑)。

(以上、近藤選手の完走記)

■レースデータ
[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
23分12秒、23分30秒、23分02秒、23分15秒、23分26秒、23分29秒、24分07秒、23分47秒、10分17秒
・前後半
前半:1時間38分03秒 後半:1時間40分02秒

[大会開催時間帯の大分市の天候]*気象庁観測値
12時 気温6.0度 北北東の風2.3m/s 湿度59%
13時 気温6.3度 北北東の風2.4m/s 湿度61%
14時 気温7.0度 北北東の風1.6m/s 湿度53%
15時 気温7.6度 北北東の風2.5m/s 湿度54%

■近藤選手の代表選考レースの結果
2015世界選手権マラソン(2015年4月26日)  出場せず
2015北海道マラソン(2015年8月30日)    3時間36分39秒 
2015防府読売マラソン(2015年12月20日)  3時間21分16秒  
 *パラ参加標準記録(3時間27分)突破 
2016別府大分毎日マラソン(2016年2月7日) 3時間18分05秒
 *自己記録3分更新 

2016別府大分毎日マラソンでの和田選手と福永選手

2月7日日曜に行われた2016別府大分毎日マラソン、今大会はパラリンピックマラソン代表最終選考レースとしても実施され、その代表選考レースのIPCの男子の部に、長居わーわーずからは和田伸也選手と福永智洋選手が出場しました。

まずは、代表推薦枠の最後の1つを、2015IPCマラソン世界選手権5位(2時間37分48秒)の熊谷豊選手と争うことになると目された和田選手。

その座を和田選手が獲得するには、熊谷選手より先着したうえで、熊谷選手が2015IPCマラソン世界選手権(ロンドン)でマークしたそのタイムを上回ることが求められました。

両者の争いは予想通りに激しいものとなりましたが、軍配は、2時間33分46秒(男子T11日本記録)をマークした和田選手に上がり、和田選手が代表推薦枠の最後の1つを獲得しました。

なお、パラリンピックの視覚障害マラソンで、各国に割り当てられる選手枠は原則3名ですが、代表の正式決定は6月末以降となります。

また、2時間58分42秒(2011年福知山)の自己記録を持つ51歳の福永智洋選手は、今大会の目標タイムは3時間8分。
1ヵ月半前の防府マラソンを3時間12分27秒でまとめた時には、今大会に向けての準備は万全かと思われました。

しかし、1月に風邪をひいた影響などで思い通りのレース運びができません。
それでも、持ち味の堅実な走りで、安定したラップを刻んでいき、3時間13分32秒でフィニッシュしました。

大会史上最多の3402名のランナーがスタートラインを越えて行った2016別府大分毎日マラソン。
スタートの12時の気象コンディション(主催者発表)が、気温6.5度・北北西の風0.8メートルと、数字上はやや低い気温ながらも、この大会にしては風が穏やかな晴天の下でレースが始まりました。

それでは、両選手によるレポートをご覧ください。

■和田選手の完走記

今回のレースは、13名のIPC登録男子選手が出場し、リオに向けて走りましたが、推薦順位第3位の座をかけての、熊谷選手(T12)と私との実質的な一騎打ちのレースとなりました。推薦順位第1位はすでに堀越選手(T12)が決めていて、推薦順位第2位は岡村選手(T12)が確実視されていました。
序盤から先行した熊谷選手に私が終盤追い上げ、ようやく追いつけたのは41Kすぎでした。私はレース序盤から中盤にかけ、冷静に自分のペースを想定通りにリズムよく刻み、後半にくるだろう勝負どころで、いつでもいける心の準備をしていました。
最初から前を走る熊谷選手は全く見えないものの、35Kの折り返しくらいからじわじわギアを変えていき、追い風にも乗っかり、かなり体は動いていました。
前半20K伴走のGさんとのリズムもっぴったりで、中盤までのペースがよかった証拠ですね。
当初、40Kまでのどこかでは、熊谷選手の姿を捉えたいなと思ってはいました。
しかし、行けども行けども姿がありません。折り返しでも、後半伴走のNさんが熊谷選手の姿を見なかったということでしたし、一瞬、棄権でもしたのかなとも思ったくらいでしたが、39K地点の沿道にいた私の妻が、熊谷選手との差が1分だと情報をくれました!!
「え、そんなに前にいるのか、残り3Kしかない。万事休すか…」と心が折れそうになりましたが、「いや、いくしかない。」、見えない相手に対してすでにペースはあげていましたが、ここからは大爆発させるぞ!と気合を入れ直し、ギアをもう一段階あげました。
すると、40K手前くらいで、熊谷選手の姿がやっと遥か遠くに見えてきました!!
「見えた!見えた!!」とのNさんの声。まだかなり遠いようでしたので、残り距離で追いつけるのか、競技場勝負くらいにもちこめるか、でも、あれこれ考えずにもういくしかないとまた気合を入れなおしてギアを更に入れ直して追いかけました。更に力をこめてペースアップですね!!まだまだいけると自分に言い聞かせて。
41K地点くらいだったでしょうか。現地に応援にきてくれてたTさんがでっかい声で、「16秒差!!」と叫んでくれました。
「おお!!確実に縮められてる!!これはもう一発ギアをかえていくしかない!」苦しいけど、更に更にあげるしかないと、そこからまたがつんといって、何度ペースをあげたことでしょうか、ラスト1K付近で熊谷選手をとらえることができました!!
追いつきはしましたが、熊谷選手も私も気合十分、どちらも譲りません。
ここで勝って、リオに1歩でも近づきたいという気持ちは同じで、このレースにかける思いは他のどんな選手にも負けていなかったと思います。
結局、熊谷選手も自己ベストを3分42秒更新する素晴らしい走りでしたし、私も1分53秒の自己ベスト、T11の日本記録更新でしたので、お互いに最高の準備をして、非常にハイレベルな競り合いができたと思います。
競技場でのラスト勝負にまでもちこまれると、私よりもスピードのある熊谷選手の方が有利になりますので、追いついてからは一気に勝負をしかけました。またまた更にペースアップです!!残りの最後の力をふりしぼって。
前に出たとしても、ぴったりつかれると今度はこちらが苦しくなるので、もう無我夢中でのラストスパートでした。その甲斐あって、ゴールの競技場に入る前に順位をあげることができました。感動的なフィニッシュを迎えることができ、ゴール後、Nさんと喜びを分かち合いました。
結果的には、私がわずか20秒先着することができましたが、ほぼ互角の闘いで、ともに全力を出し尽くしました。私の今回の好記録は、強いライバルと競り合ったおかげでマークできたものであることは間違いありません。選考レースにふさわしい、歴史に残る白熱した名勝負でした。
これで私は、推薦順位第3位の座を獲得できたわけですが、マラソンでの代表枠はまだ確定ではありませんので、5000mで代表権(T11)をきっちり獲得できるよう、春以降のIPC公認大会にも挑戦していきます。
日本代表メンバーの公式発表までにはまだ時間がありますので、それまでにやれる
ことはすべてやっていきます!
いつもたくさんご声援、ありがとうございます!!今回のレースでナイス伴走してくださり、強化合宿でも厳しいトレーニングをしてくださっているGさんとNさんはもちろんですが、これまでに一緒に走ってきてくださった皆さんのおかげで、今回の好結果があったと思っています。大変感謝しています。ありがとうございます。
まだまだここからもがんばっていきますので、今後ともご声援、どうぞよろしくお願いいたします。

[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
18分40秒、18分32秒、18分03秒、18分13秒、
18分20秒、18分18秒、18分37秒、17分42秒、7分21秒
*35キロ~40キロの17分42秒は35番目、40キロ~フィニッシュまでの7分21秒は13番
目(男子完走者2854人中)。
*なお、以降に掲載の順位は、いずれも男子完走者2854人中。
・前後半
前半:1時間17分29秒 後半:1時間16分17秒

[順位の推移]
中間点 1時間17分29秒    184位
35キロ 2時間08分43秒    127位
40キロ 2時間26分25秒    102位
フィニッシュ 2時間33分46秒 88位

■福永選手の完走記

福永@ブラインドです。

自分は、別大マラソンに参加させていただき、
吉本さんが書いてくださったように、3:13:32でした。

今回は、積極戦法で、前半からいったつもりでしたが、
思うようにペースが上がらず、
後半から終盤、多少の落ち込みは覚悟のうえでしたが、
踏ん張りきれなかった、という感じです。

要因としては、
1月に入ってから、かぜをひいてしまい、
疲労は、完全にとりのぞけましたが、
パフォーマンスも、下がってしまった

自分は一切取材など受けてないのですが、
毎日新聞やTBSテレビなどの雰囲気にのまれてしまった

別大国道のバンクで、余分に脚を使った

35km以降、走路が狭くなり、前のランナーさんを
ぬきにくくなった

などなど、ひとつひとつは数十秒レベルだと思うのですが、
いろんなことが積み重なって数分レベルのロスになったかなと思っています。

結果的に、防府のほうが速かったので、
あらためて、フルマラソンの奥の深さを実感しています。

それでも、てらやんが沿道から応援くださったり、
走行中にいろんなかたが声をかけてくださり、
関西で走っているような気分でした。

また、今回の前半伴走のかたを紹介してくださったかたの
沿道応援が、40kmすぎにあり、
最後の最後まで、気持ちをきらすことなく
燃えに燃えて走りきることができました。

3:13:32は、自分の別大コースレコードですし、
記録をねらって複数走ったシーズンの平均タイムが
3:12:59.5というのは、過去最速なので、またがんばろうと思います。

それでも、わだっちの2:33は、当てられるのに
自分の3:08は外すっていうのは、なんでやねんって感じですけどね。

自分のフルマラソンは、今シーズンはこれでおわりなので
これからはトラックでしっかり走っていこうと思っています。

そして、ゼロからまたつくりなおして、
来シーズンのフルも、またがんばろうと思っています。

お世話になりますが、
よろしくお願いいたします。

[ラップタイム]
・5キロごと *最後は2.195キロ
22分32秒、22分57秒、22分49秒、22分59秒、
22分44秒、22分43秒、23分22秒、23分20秒、10分06秒
・前後半
前半:1時間36分18秒 後半:1時間37分14秒

[順位の推移]
中間点 1時間36分18秒    2177位
35キロ 2時間40分06秒    2002位
40キロ 3時間03分26秒    1882位
フィニッシュ 3時間13分32秒 1834位

参考
[大会開催時間帯の大分市の天候] *気象庁観測値
12時 気温6.0度 北北東の風2.3m/s 湿度59%
13時 気温6.3度 北北東の風2.4m/s 湿度61%
14時 気温7.0度 北北東の風1.6m/s 湿度53%
15時 気温7.6度 北北東の風2.5m/s 湿度54%

■代表枠争いの行方(IPC男子の部)

2016リオパラリンピックマラソン代表の推薦順位2位・3位を決定するこの大会、まずは、序盤から岡村正広選手が推薦順位2位の座を着々と固めていき、2時間27分24秒で、IPC男子の部の1位でフィニッシュします。

一方、白熱化したのは、和田選手と熊谷選手の推薦順位3位争い。
パラリンピック代表に必要な2時間37分48秒はもちろん、自身の持つT11男子の日本記録(2時間35分39秒)を更新するペースでレースを進める和田選手に対し、熊谷選手はその差を徐々に広げていき、35キロでの和田選手と先行する熊谷選手の差は2分14秒。

これまでは終盤の走りに課題があった熊谷選手でしたが、今大会ではそれを克服してきたことを示し、この時点での2人の勝負の決着は、熊谷選手に分があるように見えました。

しかし、和田選手は、35キロから、その熊谷選手をさらに上回る走りを見せます。

まず、40キロまでの5キロを17分42秒と大幅にペースアップ。
そして、さらにその勢いを増した和田選手は、大分川に架かる舞鶴橋への上りにも気付かなかったほどの勢いで猛追して、熊谷選手を逆転。

フィニッシュまでの2.195キロは7分21秒でカバーして、そのままIPC男子の部の2位に入り、和田選手が同代表推薦順位3位を確定させました。

大会公式サイト
https://www.betsudai.com/

第9回京都陸協記録会5000mに出場の和田選手

2015年12月6日、京都市西京極陸上競技場補助競技場で行われた第9回京都陸協記録会(日本陸連公認競技会)において、5000mに出場した和田伸也選手は15分50秒87をマークし、自身が持つ同種目(男子T11クラス)の日本記録を1秒07更新しました。

なお、この大会はIPC(国際パラリンピック委員会)公認競技会ではありませんので、自身の持つアジア記録更新とはなりません。

[参考]和田選手の5000mの日本記録(男子T11クラス)更新の軌跡
2011年10月10日 16分10秒26 関東選手権(上尾)
*従来の日本記録は16分49秒26
2012年9月7日  15分55秒26 パラリンピック(ロンドン)
*アジア記録/銅メダル
2013年4月13日  15分51秒94 大阪陸協記録会(長居第2)
2015年12月6日  15分50秒87 京都陸協記録会(西京極補助)

以下は、和田君の感想レポートです。

2015年度第9回京都陸上競技記録会5000mに出場して
2015年12月6日(日) 西京極陸上競技場サブトラックにて
2組目13時15分スタート

10月のIPC陸上競技世界選手権ドーハ大会で銅メダルを獲得して、好結果を残して帰ってこれたのは大変喜ばしいことでありましたが、記録はといえば、16分31秒04と、自身の持つT11日本記録には遠く及びませんでした。
10月のドーハは、蒸し暑いタフなコンディションでしたので、それはしかたのないところはありましたが、この間、夏合宿などでも、せっかく5000mに向けた強化、厳しいトレーニングにも取り組んできていましたので、
この秋・冬のトラックで5000mの記録を狙おうと準備していました。
前日の12月5日の大阪陸協記録会にもエントリーしていましたが、伴走の皆さんの都合や、自分の体調などからこちらは回避し、12月6日の京都陸協に1発かけようと気合をいれました。
前日は棄権し、自宅周辺で調整でした。
伴走は、2014仁川アジアパラ3冠伴走のI君です。
I君には、これまでにも国内の記録会で伴走をお願いすることが多く、15分台も3度マークでき、記録更新の立役者です。
2013年4月にT11の日本記録を更新した時もI君のガイドでした。
組37人で走るという大混雑レースを、もうなんて言ったらよいか分かりませんが、今回も巧みなロープさばき・位置取りでした。
最初は20人くらいの先頭集団の一番後ろについていました。
前半、目標ペースくらいのかなりイイペースで、よしよしと思っていましたが、3000mくらいで少し集団のペースが遅くなって、ちょっとこれでは記録が出ないなあと思っていたところ、徐々にあげてあげて、ラスト1000mのときには、先頭の二人の真後ろに入ることができました。
I君も、たぶん、ラスト1000mは先頭もあげてくるからしっかりついていこうと声をかけてくれ、よし、と心の準備をして、4000mを通過していきました。
4000mを12分48秒から49秒くらい、これは目標よりもちょっと遅れていましたが、その分、力はためられていました。
残り900mのホームストレートにきて、前の2人、お互いに様子を見ているのか、あまりあげてきません。
なら、こちらからいくかと、I君もちょっとしかけが早いかと思ったそうですが、いや、ここで一気に前へ出るとロープで合図し、ラスト2周に入る手前で一気にトップに立ち、そのまま突き放していこうとギアをかえました。
ついてくるかなあと思いましたが、ここでのスパートが想定外だったのか、すぐに離れてくれて、ぐんぐんオレの体も動き、そのままフィニッシュ!!
ラスト1周も最後まで失速することなく、気持ちよくゴールお駆け抜けると、2年8ヶ月ぶりの自己ベスト!!15分50秒87、1.07秒更新でした。
おお、間に合った、あそこであげてよかったと、気持ちよかったです。
いつも皆さんにはたくさん応援していただき、大変感謝しています。ありがとうございます。
5000mでは、この2年くらい記録に悩み、アキレスけんやかかとの具合にも悩んできましたが、ようやく、アキレスけんの状態も元に近いくらいに戻ってきて、そして、ようやく記録も戻ってきました。
リオデジャネイロパラリンピックも近付いてきています。
またここからしっかりあげていき、ロンドンパラリンピックに続き、2度目のパラリンピック出場、そして、世界一を目指してがんばっていきたいと思っています!!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

以上です。

ドーハ2015IPC陸上世界選手権での和田選手と谷口選手

2015年10月22日~31日に、カタールのドーハで開催されたドーハ2015IPC陸上世界選手権に、長居わーわーずメンバーの和田伸也選手と谷口真大選手が日本代表として出場し、和田伸也選手がT11男子5000mで銅メダルを獲得、谷口真大選手は、同5000mでは和田選手に続く4位、T11男子1500mで は5位に入りました。

今大会は10月末に開催され、近畿地方では、紅葉の季節が始まろうかとしている頃ですが、ドーハは、最高気温が連日35度近くに達する暑さで、まるで大阪の夏。環境が大きく変わる地のレースになるため、両選手にとっては、レースでの暑さ対策だけでなく、現地でのコンディション調整も求められました。

■サバイバルレース5000m 和田選手銅メダル 谷口選手4位

大会5日目10月26日のT11男子5000m、スタートラインに立った選手は、この種目でのパラリンピックや世界選手権でのメダリストが5人も顔を揃え、ここ2年のタイムでは、和田伸也選手・谷口真大選手にとって格上の選手の中でのレースとなりました。

予想通りの現地の蒸し暑さの中、勝負重視の戦略的な展開になるかと思われましたが、いざレースが始まると、予想外の展開となり、それがレース中の様々な出来事を引き起こしていきます。

まず、この暑さの中、大会記録保持者で、自己記録15分16秒87は出場選手中トップのサントス・オダイール選手(ブラジル)が、最初の1000mを、2分57秒の世界記録更新ペースでの独走し、意外な形でレースの幕が開きます。
一方、和田選手・谷口選手の日本選手2人は、それぞれ1000mを、3分14秒・3分22秒と、定石通りの前半自重の作戦で通過し、出場選手の中では後方につけました。

しかし、2013年世界選手権5000m銅メダリストのアルベス・ヌーノ選手(ポルトガル)が、脚の負傷のために800m付近で途中棄権すると、ここからはサバイバルレースの様相を見せることになります。

この種目は、日没から約1時間後、照明がトラックを煌々と照らす夜空の下で始まりましたが、スタートから5分の時点で選手は既に汗だく。空気の重さだけでなく、走っているうちに息苦しさまでも感じるような気温30度以上の蒸し暑さが、オーバーペースで走っていた選手を苦しめ始めます。

今年5月の国際大会で、2012ロンドンパラリンピック5000m銅メダリストの和田選手に勝利していたカカー・ハッサン・フセイン選手(トルコ)は、格上の選手に相手に果敢に3位争いを挑んでいたものの、2800m付近では足どりが重く、突然倒れて途中棄権。
そして、さらにもう一人の選手も棄権しており、暑さの中、ペースが保てなくなった選手がそのまま棄権に追い込まれる過酷な展開に。

棄権者が続けて出る展開に、和田選手と谷口選手の動向が気になりますが、和田選手は3600mを、11分17秒(キロ3分19秒ペース)、谷口選手は4000mを13分36秒(キロ3分24秒ペース)と、いよいよ厳しい局面を迎える3000~4000m付近でも、落ち着いた入りだった序盤の1000mのペースをキープして、我慢のレースを続けます。

一方、トップを独走するサントス選手、ペースは落ちていながらも、4000m付近では、後続の2012ロンドンパラリンピック5000m金メダリストのバレンツェラ・クリスチャン選手(チリ)を20秒、約100mも引き離します。

ところが、これで金メダル確実かに思われた矢先、あと1周のところで、この暑さの中での序盤からのハイペースの疲れにより、サントス選手の勢いが急速に衰えます。
何とか脚を前に出して前に進みますが、まっすぐ走るのがやっと、と事態は暗転。
そして、最後の直線に入る手前、残り100mでサントス選手はついに倒れてしまいます。

ラスト100mでのサントス選手のアクシデントに対する観衆の悲鳴の中、最後の1周400mを1分08秒のスパートを見せたバレンツェラ選手が、最初にフィニッシュラインを越えて、15分52秒64で金メダルを獲得。今季ベストが出場選手中トップのダンカリー・ジェイソン・ジョセフ選手(カナダ)が、それに続いて16分11秒22の銀メダル。

そして、その次にフィニッシュラインに駆け込んできたのは、残り1周を1分13秒でカバーしてきた和田選手。
一時はサントス選手とは約250mもの差をつけられながらも、序盤を慎重に入り、その後は、しっかりとペースを維持する作戦通りの走りを遂行し、16分31秒04で銅メダルを獲得しました。
なお、これで和田選手は、パラリンピック・世界選手権では4大会連続のメダル獲得です。

また、谷口選手も終盤を頑張り、最後の1000mを3分15秒と大幅にペースアップさせて、ラスト1周400mを1分14秒でカバーし、16分51秒39の4位。

暑さで次々と選手が倒れる過酷な条件下、両選手とも、中盤まで作戦通りのペースを維持して終盤をしっかり走り切り、タイムも、この暑さを考慮すると、十分評価できるものでした。

なお、最後の直線で少なくとも3回も倒れたサントス選手は、伴走者に背中を支えられたりしながら、何とかフィニッシュラインにたどりついたものの、これらの行為が伴走者の助力行為とみなされて失格と判定されました。

[和田選手の談話]
格上の選手が多い中、しっかり走れたことが良かった。世界のトップとはまだ差があるので、もっと力をつけたい。
*NHKハートネットTV/Road to Rioブログ 10月27日記事
http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/3300/230422.html

[公式結果]
T11男子5000m
3位 和田伸也 16分31秒04
4位 谷口真大 16分51秒39

参考[和田伸也選手 出場した世界選手権・パラリンピックで獲得したメダル]
2011クライストチャーチ世界選手権(ニュージーランド)
銅/マラソン
2012ロンドンパラリンピック(イギリス)
銅/5000m *アジア記録樹立
2013リヨン世界選手権(フランス)
銀/マラソン
2015ドーハ世界選手権(カタール)
銅/5000m

■1500m 谷口選手、終盤の猛烈なスパートで5位

サバイバルレースとなった大会5日目の5000m、この蒸し暑さの中、16分51秒39で4位に入った谷口真大選手は、そこから4日後の30日金曜に行われたT11男子1500m決勝にも出場しました。

出場選手は、通常よりも1組多い7組(ガイドランナー含む14名)で行われ、5000mでは途中で倒れたりした4名の選手のうち、負傷して途中棄権したアルベス・ヌーノ選手(ポルトガル)を除く3名もスタートラインに立つことができました。

出場選手は、5000m同様、谷口選手にとっては格上の選手が大半ですが、この種目で自己記録を狙うには、臆せず積極的な走りが求められます。

通常よりも多い選手によるスタートとなることから、いつも以上に、スタート時の接触・転倒が懸念される中、スタート直後に、5000mと1500mの2冠を目指すバレンツェラ・クリスチャン選手(チリ)がいきなり転倒。しかし、すぐに立ち上がり、落ち着いて前を追います。

さて、この種目で、自己記録(4分22秒08)の更新を目指す谷口選手は、無難にスタートすると、400mを6番目に、自己記録とほぼ同じペースの1分10秒で通過。イーブンペースで走り、終盤のスパートに期待が持てる谷口選手にとっては、いつもの走りです。

そして、600m過ぎで、今大会この1500mのみの出場で、フレッシュなデニス・スミス選手(トルコ)を逆転して5番目に上がり、谷口選手の700mは2分03秒。自己記録に1秒程度遅れる程度での通過です。

しかし、気温34度の暑さと5000mの疲労の影響が出てきたのか、1100mの通過は、自己記録ペースから5秒程度遅い3分16秒、背後では、今年5月の国際大会で谷口選手に勝っているデニス選手がなかなか離れません。

しかし、谷口選手は、最後の1周400m1分08秒のスパートを放ち、後続との差を大きく広げていきます。そして、勢いよくフィニッシュラインを駆け抜けると、そのまま倒れてしまいましたが、医療スタッフが車椅子を用意するほどの追い込みでした。
それでも、自己記録には2秒ほど及びませんでしたが、4分24秒38で5位に入りました。

なお、優勝はサントス・オダイール選手(ブラジル)で、300mで先頭に立つと、後続を寄せ付けずに、5000mではショッキングなシーンで掌中からこぼれた金メダルを、今度は4分08秒48で確実に手にしました。

一方、最後の1周の鐘を3人でほぼ同時に聞いた表彰台の残り2枠の白熱した争いは、5000mとの2冠を狙ったバレンツェラ選手が銀メダル。それに続いたのは、5000mを途中棄権したカカー・ハッサン・フセイン選手(トルコ)で、アレクサンダー・コサコウスキー選手(ポルトガル)の追い上げを0秒22差でかわしての銅メダルでした。

[谷口選手の談話]
目標としていた1500m自己記録更新はならなかったが、5000m・1500mともリラックスしてレースに臨むことができた。
*NHKハートネットTV/Road to Rioブログ 10月30日記事
http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/3300/230769.html

[公式結果]
T11男子1500m
5位 谷口真大 4分24秒38

大会公式サイト
http://www.paralympic.org/doha-2015

2015全国障害者スポーツ大会・紀の国和歌山大会

和歌山県各地で行われた2015全国障害者スポーツ大会・紀の国和歌山大会、長居わーわーずメンバーは、和歌山市紀三井寺陸上競技場で10月24日(土)~26日(月)に行われた陸上競技に各地の代表として6名が出場し、この大会に向けて練習してきた成果を発揮すべく、それぞれの種目に挑みました。

出場したメンバーの中には、怪我や故障で調整に苦労した選手もいたものの、6名全員がメダルを獲得し、その中でも、初出場ながら大会記録を上回る投てきを見せたり、過去に出場したいずれの大会でも惜しくもメダルに及ばなかったものの、今回念願の初メダルを獲得した選手もいました。

しかし、記録の面では、特に、私たちが応援に行った大会2日目25日日曜に出場した選手は、近畿地方で木枯らし1号と発表されたほどの冷たく強い風が一日中競技場を吹き抜けていたこともあり、思い通りの結果が出せなかった選手が多かったようでした。

今回出場した長居わーわーずメンバー6名は、2名が現在の大会記録保持者、1名が元保持者、他にも新たな大会記録保持者になることを期待された選手がおり、このうちの5名が、強風の下で実施されたこの日の各種目に出場し、記録へと挑んでいきました。
しかし、トラックを周回する種目や立幅跳では、向かい風の影響で、選手自身が期待していたほどの記録が出なかったり、一方では、追い風となった100mでは、従来の大会記録を大幅に上回るタイムで走るも追い風参考記録となったりしました。
さらに、競技や試技開始までの待機中に、冷えて体が思うように動かなくなり、記録を狙うには難しい日となってしまいました。

一方、今回こそ大会初メダルとの意気込みで出場した選手は、1種目目の午前中の800mではまたもやメダルに手が届かず、望みは2種目目の夕方の1500mとなりましたが、この1500m出場選手は、4位に終わった800mとほぼ同じ顔触れとなっており、残念ながらメダルはまたもや次回に持ち越しかとも思われました。
しかし、その1500mがスタートすると、序盤はメダル圏外だったものの、夕陽の照らすトラックで、中盤から徐々に順位を上げ、最後の1周をトップで通過した時は、応援の私たちの興奮も最高潮。
結局、トップ争いには敗れたものの、3位に7秒差の2位でフィニッシュラインに駆け込んでの待望の初メダル獲得となり、木枯らし吹く日の、長居わーわーずメンバー最終出場種目となったこの1500mは、朝からスタンドで応援してきた私たちが、最も大きく沸いた時でした。

ところで、全国障害者スポーツ大会の理念は、障害者スポーツの普及と障害者の社会参加の推進となっており、以前は、この理念の基に、個人競技の参加は1回のみとされていましたが、現在は複数回の出場も認められています。
しかし、個人競技での代表選考においては、現在もこの理念を尊重し、大会初参加となる選手を中心に選手団を構成するところもあります。
この大会の陸上競技などの個人種目に出場するには、まず、都道府県や政令指定都市単位で行われる選考会に出場する必要があります。なお、各地域の選考会の大半は開催年の春に行われますが、一部、前年の秋に選考会を行うところもあります。
そして、選考会での上位の選手の中から、過去の同大会出場歴や、選手団内での障害クラス・居住地などのバランスを考慮して、代表選手が選考されます。

選考会は、参加は無料で、陸上競技の場合は、普段なかなか走る機会のない陸上競技場で行われることが多いです。
ルールは、原則的に全国障害者スポーツ大会と同じもので行われますが、全国障害者スポーツ大会の競技規則は、パラリンピックや一般のものと一部異なっています。
例えば、短距離走ではスターティングブロックの使用義務はなく、フライングは1回目のスタートまでは許容、2回目からはその選手のフライングの回数に関係なく失格などとなっています(パラリンピックや一般の大会では、フライングは一発失格、短距離走ではスタブロ必須)。

なお、以前、全国障害者スポーツへの個人競技への参加は1回のみだった頃、大会の素晴らしさに感動する一方、2回目の参加が叶わないことを非常に残念に思っていた選手が多かったようです。

筆者も、過去に陸上競技の選手団の役員としてこの大会に同行したことがありますが、他競技の選手・役員や開催県のスタッフの方との交流には、刺激になることがとても多く、機会があればまた選手団に同行したいと思ったことがありました。
役員として参加した私ですらそう思ったほどですから、当時の選手がもう一度参加したいと願うのも当然で、その思いは私が思ったものよりもはるかに強かったことでしょう。

その全国障害者スポーツ大会の今後の開催地は、2016年岩手、2017年愛媛、2018年福井の予定となっています。

大会公式サイト
http://www.wakayama2015.jp/

山田選手 パラトライアスロン世界選手権で健闘

■山田選手 健闘の10位

アメリカのシカゴで、現地時間2015年9月18日金曜の朝に行われたパラトライアスロン世界選手権で、女子PT5の部に出場した山田選手は10位に入り、総合タイムは1時間21分56秒でした。

スイムを6位で終えた山田選手は、バイクで順位を落としましたが、各パートの合計タイムは1時間18分38秒となり、この年5月の横浜大会での1時間19分19秒(補正タイムなし)の自己記録と同等かそれを若干上回るものとなりました。
*横浜大会では、バイクが今大会より170メートル長い20キロ

[女子PT5公式結果]
山田選手 10位 総合タイム1時間21分56秒
スイム(750m)   14分36秒
トランジット1   2分23秒
バイク(19.830km) 35分29秒
トランジット2   1分06秒
ラン(5km)     25分05秒
水温17.1度 気温21.0度

*各パートの合計タイムと総合タイムが一致しないのは、全盲の選手に対し、弱視の選手には補正タイムが加算されているためです。

なお、昨年度大会にも出場した大半の選手に対し、今大会では総合タイムでの差を約5分縮め、一方、そのうち3分差で敗れた選手には、今大会では逆転して5分差で先着し、その選手とは今季2勝1敗(1敗は山田選手の途中棄権によるもの)となりました。

また、今回の結果、年間ランキングは8位に下がりましたが、パラリンピックポイントランキングは、今回の世界選手権に出場を認められなかった選手を2人抜いて11位に上がりました。
*パラリンピック出場枠は、世界選手権優勝者の国とパラリンピックポイント上位6名の国に割当。その他、主催者枠若干名。

・連勝同士の初対決の決着はケイティ・ケリー選手(オーストラリア)に軍配

注目の優勝争いは、2014年の世界選手権から5連勝中のアリソン・パトリック選手(イギリス)と、2015年にITUパラトライアスロン競技会初出場、そこから4連勝でこの世界選手権を迎えたケイティ・ケリー選手の連勝同士の初対決。

スイムパートでパトリック選手に5秒のリードを許したケリー選手でしたが、この大会に向けて重点的に強化してきたバイクで、全選手中トップのラップをマークして逆に1分差をつけ、この対決を29秒差で制しました。

なお、ケイティ・ケリー選手(オーストラリア)は、今年で40歳、25歳の頃から視力の悪化が始まった弱視ろうの選手です。
2015年3月にITUパラトライアスロン競技会に参戦するまでは、アイアンマンレースやフルマラソンにも取り組んでおり、自国のトライアスロン界では、ある程度名前の知れわたった選手でした。

ところで、ケリー選手のガイドは、2015年5月の横浜大会に続き、オリンピック銀メダリスト・2度の世界選手権優勝などの実績を持つミシェリー・ジョーンズさんで、大会前から、選手・ガイドともに注目されていました。

・ケリー選手のガイドのミシェリー・ジョーンズさんについて

2000年シドニーオリンピック銀メダリスト。1990年の世界大会にデビューから2003年の引退までに11度の世界選手権のうち、2度の優勝を含むメダリストになること8回。
第一線から引退後の2006年には、アイアンマンレース世界選手権優勝。これで、オリンピック・世界選手権・アイアンマンレースの全てでメダルを獲得したことのある唯一の選手となる。
2015年、世界トライアスロン殿堂入り。

[関連リンク]
ITU(世界トライアスロン連合)公式サイト
http://www.triathlon.org/